アオイロデイズ

はじめアキラ

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<第六話~彼の名前は“アオ”~>

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 クリエーターは、とにかく不健康な生活をしているイメージというのが強いらしい。実際、ある程度のところでは間違っていないというか、仕事を過剰に優先させすぎて(あるいは優先しなければどうにもならない状況に追い込みすぎて)、衣食住をないがしろにしてしまうなんてこともあるんだそうだ。御飯を後回しにしてしまうとか、寝る時間も惜しんでしまうとか、結果疲れきって眠るのは昼間になって夜型生活が出来上がるとか。
 実際理音も、身に覚えのある話であったり、まったく知らない内容ではなかったりするのである。職業柄、似たような業種の者達と関わることは少なくなく、特に漫画作品のゲーム化だとかアニメの原画だとか(イラストの仕事が主なので原画をやることは多くないのだが、時々受注することになるのだ)であると他の者達の仕事ぶりを耳にした触れたりなんてこともあったりするのだ。
 そこで聴く話は、とにかくスケジュール管理を間違えた結果締切に間に合わなくなり、徹夜して仕事を仕上げる羽目になることが多い、ということ。
 たとえばアニメの原画を担当した場合、一枚三枚仕上げれば、締切に十分間に合うスケジュールだと判断したとしよう。ところが、実際はどう頑張ってみても二枚ずつしか描き上げられないことが、仕事を受けてから発覚してしまったりするのだ。そうすると、しわ寄せは全て締め切り間際に向かうことになる。睡眠時間を削ることによって、足らない分の作業をどうにか補おうとしてしまうのだ。
 そういう生活を一度でもすると、そのまま朝起きることができなくなり、昼夜逆転生活が身についてしまうようになったりするのである。実は以前は理音もやらかしていた時期があったのだ。己の“できる”と思った仕事量と現実に大きな落差があると気づいていなかった頃のことである。昼間まで寝てしまい、一日の時間の半分を睡眠に費やし、そうすると勿論昼間に作業できる時間が減ってしまうものだから夜ふかしすることによって仕事を回そうとしてしまう。
 そして作業がどうにかひと段落する頃には、日が暮れているどころか朝日が上ってしまう時間であったりするのだ。

――でも、ダメなんだよなあ……夜型生活は。確かに夜に出歩けば人も少なくて、余計な感情を浴びることもなくて楽と言えば楽なんだけどよ。

 何が問題って、クリエーターは夜型生活であっても、一般社会は基本昼型で回っているということである。
 最近はコンビニであっても二十四時間営業していない店が増えてきた。夜、何かが足らないと思って外に出たところで店がやってないなんてこともザラにあるのである。また、担当との打ち合わせも然り。向こうは当然、昼から夕方に連絡を取りたがるのが当たり前だ。その時間にこちらが眠っていて連絡が取れない、なんてことになれば確実に仕事に支障を来すのである。
 まあアニメの仕事などの場合、原画マンの都合にあわせて制作進行の担当者が夜まで職場につめて原稿を回収しにくるようになる、なんてこともあるらしいが。それは普通に考えれば、向こう側に大変な迷惑をかけてしまうことにもなりかねないわけで(ただでさえクリエーターは締め切り破りの常習犯が多い、というイメージがついてしまっている業界である)。
 何よりも、暗い時間ばかり起きている生活を続けると太陽をとことん浴びなくなるためか、気持ちがどんどん鬱々と沈むことに自分自身で気づいたのだ。適応できる人間はきっと適応できるし、夜ピンピンの状態で起き続けることもできるのだろうが――生憎、それは理音には無理な相談だったのである。
 そうして、どうにか努力の末昼型の生活にシフトした、のが数年前のこと。今、あの時の努力は意味のあることだった、と深々と実感していることである。――朝起きたタイミングで、ちょこんとリビングに座っているアオを見たら余計そう思うというものだ。

「えっと……」

 少年は少し困ったように眉を下げて、告げた。

「その、間違っていたら申し訳ないとは思ったのだが。これは、早く食べた方がいいと思うのだけど……」

 彼の目の前には、並べられた箸と――お湯の入ったカップラーメン。もしや、と思って理音がアオを見ると、彼はこくり、と頷いて言ったのだった。

「地球の、料理の仕方はあまり知らなくて。ただこれだけは誰かに聞いたことがあって覚えていた。お湯を入れるだけで作れる、というから。……もしかしたら朝に食べるものではなかったのだろうか?」
「え!?い、いや全然いいけど!俺朝もカップラーメン食べるけど!……お前、これ作っておいてくれたのか?しかも……まだ麺ほとんど伸びてないし」
「貴方がいつも朝七時に起きてくるというのは知っていたから」

 一人分のカップ麺を用意して待っていてくれた彼は、少し自信なさげに告げる。

「昨夜、部屋に入れて貰った時に、目覚まし時計が七時にセットされていた。壁に、一日のスケジュール表も張ってあった。貴方はとてもマメな性格なのだろう。それを見て、朝食の時間にあわせて作るならこれくらいの時間がいいだろうと思ったのだが、少し早くなってしまったかもしれない。すまない」
「す、すまないも何も!あ、ありがとう、嬉しいよ」

 一人分しか作られていない理由は明白だった。目の前の彼の、昨日の少食ぶりを思い出す。明らかに半分も御飯を食べられていなかったのに、それでも“いつもの倍は食べてしまった”と言っていた彼。下手をすればあれは一食の食事量ではなく、一日の食事量なのではないか?と理音は思っていたのだ。非常に低い体温を保てばいい分、必要とされるエネルギー量が極端に少ないのが彼の種族なのではないか、と。
 カップ麺を二つ作ったところで、彼が一人分食べきれないのは明白である。というか、さっきから感じるのは“勝手に作ってしまって本当に良かったのだろうか”という申し訳なさそうな感情だ。自分がそれを勝手に食べる、なんて選択肢はまったく思い浮かばなかったのだろう。

――……俺が起きる時間がわかってたから。先に起きて、作って、起きてくるのを待っててくれたのか。

 朝が弱いタイプでなくて本当に良かった俺、と思うと同時に。当たり前のようにしてくれたその気遣いが、心底嬉しくてならなかった。
 新しいお湯を沸かしてから作った方がいい、ということは知らなかったのだろう。昨日の夜沸かしたままのお湯は少し温かったが、それでも初めて人が作ってくれたカップラーメンは最高に美味しかった。これはいつも買いだめしている種類で、もう何百回何千回食べたかわからない味である。それなのに、いつもとこんなにも舌に感じる旨味が違うと感じてしまうのはどうしてだろう。
 ちょっとだけしょっぱい、なんていうのは。ベタすぎる表現だとわかっているけども。

――そうだ。

「ちょっと待っててな」

 一端箸を置くと、食器棚から底の深い取り皿ともう一対の箸、スプーンを持って戻る理音。不思議そうにこちらを見るアオの前に箸を置き、自分が食べているカップラーメンから取り皿に少し麺を取り分けることにする。勿論、醤油味のスープも一緒に。いつも大好きなタマゴ、ナルト、肉などの具も少しずつよそうことにする。

「これくらいならお前にも食べられるだろ、アオ」
「え?わ、私はそんな……」
「少食なのはわかったけど、まったく食べないわけじゃないだろ。少しは食べて、早いところ元気にならねーと。あ、ちょっと熱いか?氷入れて食べてもいいぞ」

 慌てて早口になってしまう自分。アオは取り皿の中のラーメンと理音を交互に見て、躊躇いがちに口を開く。

「……本当にいいのか?」

 満腹ではないけれど、凄い空腹というわけでもない。それは彼のそばに寄った時点で理音にはわかっていたことだ。無理強いするつもりはないが、遠慮ゆえに断っているというのなら――そんなもの必要ないのだと、そう言ってやりたかった。
 だって、きっとアオは知らない。朝起きて待っていてくれただけで、今の理音がどれほど天にも登る心地になっているのか、なんてことは。

「いいって。……あ、アレルギーとかない?ていうか、わからないか」
「多分大丈夫だとは思うんだが、その……それの使い方がいまいち……」
「あ、お箸か!こう、こう持つんだぞ、中指を挟んでだな……」

 彼の世界に、お箸というものはなかったのだろう。そもそも地球だって、箸文化があるのは一部の国のみである。そして、日本の子供達だって、幼い頃箸の持ち方を練習するのは相当苦労するものだと知っている。小さな頃、まだはっきりと力の存在がわかる前――自分も母に、箸の持ち方は徹底的に教育されて、できないと叱られていたっけ、と思い出す理音だ。
 棒を日本使って、人差し指を添えて、中指を挟んで。――慣れればこれほど万能な道具もない、と日本人として思うのだけど。その“慣れれば”が大変で、外国人が苦労するという話はしょっちゅう聴くことである。

「こ、こうか?」

 幸いなのは、アオは何につけてもものを覚えるのが早いということである。理音が箸の持ち方を実践し、具材を挟んで食べてみせると。彼はすぐにそれを上手に真似してみせた。まだ動きはぎこちないが、一回で綺麗に箸の持ち方が整っているのだから大したものだ。

「そうそう、上手い上手い!それで食べてみ、美味いから!」

 理音は一人っ子だ。弟がいたということはない。昔は近所に小さな年下の子供達が住んでいたこともあったが、そういう子供達も理音の噂を聞いては波が引くように離れていったものある。中には、それとなく逃げるように引っ越していった者達もいる。人の心が分かる能力も恐ろしいのだろうが、それ以上に“人の心が分かると思い込んでいるキチガイ”がいるかもしれない家が気味悪くてならなかったのだろう。両親は必死で理音の言動を隠そうとしたものの、人の口に戸は立てられないものである。
 だから――そう、こんな風に互いに気兼ねなく、子供と接するなんて初めての経験なのだ。弟がいたら、あるいは自分に子供ができたらこんな感じなのだろうか。理音はそう思って――ずきり、と少しだけ胸が痛くなった。

――俺の、この力について。……アオは知ったら、どう思うんだろうか。

 彼の眼を見ても何故か能力が発動しない、という現状のおかげで、理音は己のサイコメトリを彼に悟られることなく済んでいるが。この現象が一時的なものか、それともアオの特有の体質によるものなのであるかはまったく分かっていないというのが実情だ。だから今後はどうなるのかわからないし、そもそもアオとの付き合いがどれだけの長さになるのかも全く想定できない状況である。
 ただ、今後――アオに、この能力についてバレてしまう可能性は、少なからずあるわけで。
 アオがこれを知ったらどう思うのかなど――想像するのは、あまりにも恐ろしいことで。

「……あの」
「!」

 その時だった。ゆっくりとラーメンを食べていたアオが声をかけてきて、慌てて理音は現実に帰ってくることになる。

「ど、どうした?美味しくなかったか?」

 自分の考えが読まれたような気がして、慌ててひっくり返った声を出してしまう。するとアオはふるふると首を振って、美味しい、と一言返してきた。

「本当にありがとう。……と、もう一つ、どうしても聞き忘れていたことが。貴方が嫌なら、無理に尋ねないのだけれど」
「なんだ?改まって」
「……その、名前を聞いていなかった、と思って」
「あ」

 そういえば、昨日はバタバタしていてそのままになってしまっていたような気がする。こんな初歩的なことを忘れるだなんて、自分はどこまで抜けているのだろう。

「えっと、その。日下部理音だ。理音でいいぞ」
「クサカベ、リオン……どちらがファーストネームだ?日本人なら、リオン、が貴方の名前になる?」
「あってるぞ、理音、だ」

 子供の頃は、あまり好きな名前ではなかった。まるで外国人の名前であるかのようで。でも。

「そうか。……リオンか。いい名前だな」

 アオがそんなことを言うものだから。なんだかもう、今はそれでいいような気がしてしまうのである。なんて自分は安いのだ、と思わなくはないけれど。

「き、気に入ってくれたならよかったよ。……これからも、よろしくな。アオ」

 その言葉は、自然に口を突いて出たのだ。まるで、長年の友と接しているかのように。
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