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<30・ただいまを言える場所>

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 加藤貴美華が頭を使う作業をする時、是非ともお供にしたいと思っているものが一つある。
 それはズバリ、お酒だ。
 貴美華は今コンビニのお酒コーナーで、まさに目を皿のようにして買いたいお酒を吟味している真っ最中だった。

――結局この間の調査で、日本酒使わないまま取ってあるんだよなあ。じゃあビンの高い奴は今日は要らないな。缶のちょっと……うん、久しぶりに甘いの買うか!

 個人的に好きなビールはいくつかあるし、お酒といったらまずビールから入るのが絶対と思っている貴美華だが。残念ながら、好きな種類の筆頭であったナカノビールは先日値上げをしてしまった。中身の質を上げました!みたいな宣伝を歌っていたが、たった二十円ぽっちの値上げもしょっちゅう飲む人間の懐には非常に痛いのである。一日三本飲んだら一日六十円の出費が増える。一周間で四百二十円。一ヶ月で千八百円!全く馬鹿にならないではないか。
 仕方ないので、最近は大好きだったナカノビールを泣く泣く控えている。次点でもう少し安いキタミビールの缶を二つカゴに放り込み、次いでカクテル系サワー系のお酒を見つめた。今日のメインはこっちだ。王道的な酒好きにとっては甘いお酒はジュースみたいで好きじゃないなんて声も聞くが、貴美華からすればこれはこれで別腹で美味しい存在である。特にカクテルラバーズと言われるシリーズは種類も豊富だし、フルーツの香りをしっかり生かしているのが評価が高い。甘いけれど爽やかなので飲みやすいし、酸味も効いている。

――カクテルラバーズのブドウと、オレンジと、マスカットと、レモン……あーどうしよう!こうして見てると全部すっごく美味そうにしか見えないっ!

 迷った時、貴美華流買い物術は一つ。そして非常にシンプルである。
 どれにするか困ったら全部買ってしまえ、それが大正義!だ。

「よし、この棚のやつ、端から端まで一個ずつ……!」
「駄目だよー貴美華ー?」
「げほっ」

 後ろから唐突にかかった声に、貴美華は思わずつんのめりそうになった。何故此処にいる。もう寝たんじゃなかったのか。貴美華は恐る恐る後ろを振り返った。

「もう、油断するとすぐコレなんだから!見に来て正解だった!」

 そこにいたのは、いつもの青いリュックサックを背負ったチョコだった。腰に手を当てて、大きなまんまるの目を開き、可愛らしく眉を潜めて立っている。まるでどこぞのお母さんのようなポーズではないか。

「純也がね、“貴美華さんが十分以上コンビニにハマっている時は要注意、大抵お酒を大量に買い込もうと画策してるから”って言ってたけど本当だったね!駄目だよ貴美華!いっぱい買うと貴美華はソッコーで全部飲んで醜態晒すんだから。僕と純也は貴美華のお世話係じゃないのー!」
「おまっ……お前なあ。どういうところまで純也に似なくていいんだぞ?なあ?貴美華サンにもう少し可愛くて優しいチョコ君のままでいてくれていいんだぞ?」
「“甘やかすと貴美華さんのためにならない!”って純也言ってた!」
「純也あぁぁぁ……!」

 ここ最近、純也がチョコに対して非常に教育熱心にいろいろ教えていたことは知っていたが。そんな余計なことまでばっちり仕込まなくてもいいではないか。
 そうこうしているうちに、貴美華の左手のカゴはあっさりチョコに奪われてしまった。チョコは貴美華が手に持っていたカクテルラバーズのマスカット味だけをぽいっとカゴに入れると、そのままコンビニのレジに持っていってしまう。

「待って待って待って!まだ他のやつも買いたいんだって、お会計はまだー!」
「駄目って言ってるでしょ!聞き分けの悪い子、チョコ君は嫌いです!」
「やだー!!」

 コントのようなやり取りと、関係性がまったく見えない成人女性とショタという組み合わせ。コンビニ店員のおじさんに、非常に胡散臭げに見られたことは言うまでもない。しかも、現在時刻は既に午後十時を回っている。本来、チョコくらいの小さな男の子が一人で出歩くような時間でもないし、一人でなくても連れ回すのが正解とは思われないだろう。
 貴美華がおじさんの不審そうな視線と、少ししか買わせてもらえなかったお酒にしくしくしながら会計を済ませると。チョコはどこかうきうきとした足取りで、先頭切ってコンビニを出て行く。
 久遠との戦いから、一ヶ月。
 ミサキの元に帰ることができなかったことに酷くショックを受けていたはずのチョコは、それでも少しずつ吹っ切ったように明るく前を向きつつある。相談所のサポート要員として、正式に此処に所属することが決まったからだろうか。

「早く帰るよ貴美華!純也が待ってるし、新しく来た資料の整理もしないと!アルベースの狼の講演会に乗り込むなら、ちゃんと準備しないと駄目でしょ!」
「あ、あのさチョコ」

 ほらほら!と貴美華の服を引っ張って前を歩くチョコ。コンビニと翠子ビルはさほど歩く距離ではないが、その短い時間さえ彼にはじれったくてたまらないらしい。それが、貴美華には心底不思議で。

「何でそんなにご機嫌なんだよ。……確かに上から、チョコを相談所に置くのを正式に認められたけどさ。そんなに嬉しかったのか?確かに、アタシらとしてはチョコがいてくれたら助かるし、チョコとしては他に行く場所があったわけでもないかもしれないけど……」

 彼は元々はテディベアなわけで。ゴミ捨て場に捨てられた以上ミサキの元には戻れないし、そもそもこれだけ汚れたり壊れたりしてしまったぬいぐるみが彼女の元に戻ったらホラーどころではなくホラーになってしまうのだろうが(そもそも、チョコはミサキの苗字も住所も知らないのだから、調べようがないというのも事実としてある)。それでも彼は、子供達や彼を愛してくれる存在と遊ぶために生まれた道具であったはず。酷い壊れ方をしてしまったが、それでも彼の本来の仕事を果たせる場所を、探そうと思えば探すこともまだできるかもしれないのだ。
 正式に修理に出せば、もっと綺麗に修復することもできるかもしれないから尚更に。
 なのに何故相談所にいられることを喜ぶのだろう。自分達のところで行う“仕事”は、本来彼がぬいぐるみとして行うべき“仕事”とはかけ離れたものであるはずなのに。

「何でって」

 チョコは振り返り、きょとんとした顔を見せた。そして。

「ほんとに分からないの?」
「え」
「……え、まさか、ほんとに?信じられない!」

 貴美華がぽかんとすると、チョコは何故だかぷんぷんと怒り始めた。貴美華はますます意味がわからない。鈍い、と言われることは多々あるが。チョコに対して何か特別なことをやった覚えが一切ないから余計に困惑するのである。
 自分はただ、記憶喪失の付喪神を助ける手伝いをしただけだ。それは仕事であったからそうしただけで、チョコにだけ特別な何かをしたというわけでもないというのに。

「僕、決めてたよ?もうとっくに。……貴美華がどろどろの池に潜ってまで僕を助けてくれて、綺麗に洗ってくれて、純也が一生懸命僕を直してくれた時に。……僕の“新しい居場所”がここであったらいい、そうしたいって」

 小さな両手を大きく広げ、くるりと回って見せるチョコの顔は。外見年齢相応で、同時にとても晴れやかなものだった。

「付喪神はね、大事にしてくれた人間をどこまでも大切にしたいの。大切にしたい相手は、一人じゃなくてもいいんだよ。貴美華と純也は、僕の……僕達の心を絶対蔑ろにしたりしない。だから僕も恩返ししたいし、その気持ちに全力で応えたい。……これからも、どうぞよろしくお願いします!」

 危険な目に遭うことが多いであろうことは、先日の事件で散々見た筈である。
 久遠が仕掛けを施したであろうマンションから脱出するのは、本当に骨の折れる行為だった。多分、最終的には証拠の全てを処分することも見越して、マンション全体に火が回りやすくなる仕組みでも作っておいたのだろう――それが科学的な方法か霊的な方法なのかはわからなかったが。
 八階の部屋を飛び出したと思いきや、今度は足止めしてやるぞと言わんばかりに大量の付喪神と怨霊に囲まれる始末。一体一体は強くなかったからいいようなものの、最終的には貴美華のグローブは破れるし純也の呪符は尽きかけるしチョコもネタ切れしそうになるしで散々であったのである。
 最終的に転がり出るようにしてマンションを飛び出した時は、マンションは既に半分くらいが炎に包まれているという酷い有様だったのだった。自分達も傷だらけ、煤まみれの泥まみれ、髪もぐっちゃぐちゃの状態である。
 幸い、あの周辺はマンションのみならず他の家屋にも殆ど人は住んでいない。すぐに来てくれた消防車の活躍もあって、最終的にはさほど広く延焼せずに済んだようだったし、けが人も他に出なかった。集まってきていた野次馬に紛れてどうにか逃げることもできた。――しかし、次もこううまくいくとは限らないのである。
 久遠正貴には結局逃げられてしまい、アルベースの狼も野放しのままである。真田孝之介も救出できていない。久遠が付喪神融合計画を諦めていない限り、連中と自分達との戦いは当面続くことになりそうだ。相談所に身を寄せるということは、チョコも否応なくそれに巻き込まれていくことになるのである。
 付喪神とて、本体が壊れてしまえば死んでしまうことになる。次は、もっと命の危険に晒されることになるかもしれないのだ。それなのに。

「……いいのか?次は、死ぬかもしれないのに」

 心配のままそう告げれば、えっへん!とチョコは腰に手を当てて胸を張るのだった。

「大丈夫!チョコはとっても強いからね!自分の身くらいきちんと自分で守ります!ついでにしっかり、貴美華と純也も守ってあげちゃう!」
「ついでかよ!」
「うん、ついで!あ、お酒やめてくれたらもっと真剣に守ってあげる!」
「あ、そりゃ無理だわ」

 どちらともなく吹き出してしまい、夜の町に笑い声が響き渡った。
 翠子ビルが見えてくる。いつも通り階段を登り、二階のバカップルに挨拶をして、二人は手を繋いで三階へ。
 いつもと変わらぬ日々にもまた、こうして新しい風が吹こうとしている。当たり前に笑顔が産まれる世界こそ、人は幸せと呼ぶのだろう。
 貴美華はインターホンを押して、叫んだ。

「ただいまー、純也!」

 笑顔の純也に出迎えられ、直後貴美華の手に持った酒類を見て顔を顰められるまで――あと十秒。
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