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<28・誰かの祈る声>

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 一気に廊下を突っ切って、玄関前まで飛び込んできた二体は。そのローブの端を変形させて、鞭のようにしならせて攻撃してきた。

「くっ!」

 貴美華が身を屈めてかわした直後、派手に壁が壊れる音が響き渡る。マジかいな、と冷や汗をかいた。ただの打撃攻撃かと思いきや、馬鹿にならない攻撃力があるらしい。少なくとも、部屋の壁をブチ壊すくらいの威力があると来た。あれを真正面から受けたら、果たして骨が折れる程度で済むのかどうか。

「貴美華さん、危ない!」

 チョコが慌てたように、スケッチブックに何かを描く。

「出てきて、ウサギさん!貴美華さんを守って!」

 ぽんぽんぽん、とふわふわのピンクのウサギが複数出現した。それらは貴美華の前に飛び出すと、二体のローブ姿の付喪神の足下にまとわりついて動きを止める。

「でかしたチョコ!」

 貴美華はその隙に――一瞬考えて、チョコを抱きかかえると二体の付喪神の間を抜け、部屋のリビングに飛び出した。リビングはあっちこっちにロウソクが灯っていて非常に動きづらいが、それでも玄関に三人固まっているより遥かにマシだと判断したのである。
 そして、自分達の攻撃スタイルはそれぞれ決まっている。貴美華が“目”を生かした格闘術。純也がサーブによる遠距離攻撃。そして、チョコがスケッチによる補助攻撃である。純也もチョコも完全に遠距離・中距離の支援タイプだ。特にチョコは物理攻撃を受け、本体が破損するようなことがあれば致命的なダメージを喰らうことになる。しかも、彼の手はかなり早い方とはいえ、スケッチをして具現化させるというスタイルである以上他のアタッカーより攻撃発動まで時間がかかるのは否めない。一番最前列に出してはいけないのが彼だろう。

――チョコは久遠にも狙われているはずだしな。致命傷を与えるのは避けたいとは思ってるだろうが、隙を見て拉致られる可能性は充分にある。アタシの後ろで支援に徹して貰う方がいい!

 その判断は正解だったようだ。玄関にいる純也、リビングにいる貴美華とチョコ。久遠と真田孝之介は今のところ自分達でどうにかしてくる気配がないから一端無視するとして。これで二体の付喪神を、純也と貴美華&チョコで挟み撃ちにした形である。あとは彼らの動きを封じて、どうにか本体にダメージを与えて破壊するか目を覚まさせるかの選択をするだけだ。
 問題は。このローブのような姿をした付喪神の本体が“何”であるかということである。

――これだけの破壊力を出せるってことは、本体はこの部屋の中にあるのは間違いない。あるいは、付喪神自身が身につけている可能性さえある。

 少しでも本体が近い場所にあればあるほど、付喪神は真価を発揮する。それは危険を犯してでもチョコに本体を持ち歩かせる選択をしたあたりでお察しだ。チョコの“スケッチ”能力も、恐らく本体から遠く離れてしまえば高い威力を発揮することは不可能なことだろう。

「“紫縛弾しばくだん”!」

 純也の長身とパワーを生かしたサーブは、とにかく速い。時速二百キロをゆうに超えるサーブを、この近距離で避けるのは至難の技だ。二発連続の紫縛弾を、二体の付喪神は避けることができずに真正面から受けることになる。

「ギイイイ!」

 胸のあたりに弾を受けた付喪神達は、それぞれ一瞬体を硬直させたもののそれだけだった。動きを僅かに止めたものの、すぐに起こったように純也へ猛攻を仕掛ける。鞭のようにしなるローブの一撃の乱れ打ちを、純也は左右に身を翻し、時に屈んでどうにか避けた。
 バコン!バコン!と鞭がブチ当たるたび玄関のドアがへこむ。鋼鉄のドアを今にもブチ破りかねない勢いだ。

「純也!」

 使役霊である純也は、人間や付喪神以上にダメージを受けにくい存在である。手足を打たれたり、霊的攻撃で体を寸断されても復活させることができるだろう。ただ、彼はいわば魂だけの存在である。魂に過剰な傷を負うことはつまり、彼の存在そのものの消耗を早めることになりかねない。復活できるからといって、本来好ましいことではないのだ。
 もっと言うと、彼はその心臓部に呪符を埋め込むことで貴美華と使役霊としての契約を結んでいる。呪符を破壊させられると契約が一時的に強制破棄となるので、本人の意思がどうであれその能力は格段に下がるし身動き取れなくなってしまうことになるのだ。
 さらには、彼が持っているラケットは、特別頑丈に作ってあるとはいえそれでも“物理的質量のある道具”に他ならない。壊されてしまうと、攻撃手段がなくなってしまう。純也はあくまで、ラケットで呪符を打ち込むことで攻撃が可能となるアタッカーなのだから。
 結論。彼に攻撃が集中している状況がいつまでも続くのはまずい。早いところ打開策を見つけなくては。

――紫縛弾が効かない……いや、まったく効いてないわけじゃない。一瞬硬直した。……ってことは、あいつら本体を自分で持ってるタイプか?

 本体に当たったのに、威力が弱い弾を選んだせいで効かなかった。今のはそういう印象だ。どうやら、真田孝之介の物語でよほど恨みつらみを増幅させられ、強化させられているということらしい。

――純也が引きつけてくれてるうちに、観察するんだ。あいつらの本体は、なんだ?

 あの布のようなものが本体なのか、それともあれは何かを象徴している物体なのか。



『彼らは、つい先ほど真田先生が書き上げてくださった物語。ある“モノ”の付喪神達です』



 そうだ、先ほど久遠はなんと言っていた?



『このマンションは実に素晴らしい場所でした。なんせ、あっちにもこっちにも物語の材料となる“恨みや憎しみ、悲しみのこもった道具”がいくらでも存在しているのですから。皆さんのお相手をするに、彼らは実に丁度良い相手です。さあ、歓迎して差し上げなさい!』



 やはりそうだ、と貴美華は思う。このマンションでは、山ほど人が死んでいる。その死のエピソードを知っていれば、その死の現場にあったものや関わった道具達を呪いの主人公に仕立て上げ、その物語を書き下ろすことは容易であったことだろう。つまり、あの二体の付喪神も、このマンションの死者――恐らくこの部屋で死んだ何者か、の死に関わった存在であるのだ。
 直接的なもので言うなら、例えば誰かの手首を掻き切ったナイフ。
 間接的なものでいうなら、その現場の風呂。
 つまりそういう解釈、で正しいはずである。

――付喪神本体で身に付けられるような道具なら、“場所”の付喪神じゃない。つまり風呂場のバスタブとか、そういう“動かせない”タイプの道具が化けたものではないはずだ。サイズもそう大きなものじゃない。

 そういえば、と貴美華はふと顔を上げてリビングを見る。この部屋を見た時、なんだか妙に違和感を覚えたのだ。確かにロウソクがそこかしこに建てられ、魔方陣が描かれ、鎖がその中心に垂らされている光景は異様だが――そうではなく。
 白い壁。
 茶色の床。
 そして窓にかかった黒いカーテン。それらがどうにも――。

――そうだ、黒いカーテンだ。

 マンションの部屋に、購入前からカーテンは先んじて設置されている場合もある。しかし普通、黒いカーテンがついている家なんてあるものだろうか。普通はもっと明るい色か、柄物のカーテンがついているのような気がするのだが。
 もしそれが取り外されたのだとしたら、本来のカーテンは何処に行ってしまったのか。

――あった!

 貴美華は窓際に駆け寄って気づいた。カーテンレールに、不自然な凹みがある。それも、二箇所。何か重たいものをぶら下げたように見える痕――恐らくここで、二人以上の人間がロープをかけて首を吊ったのではなかろうか。
 そもそも、何故付喪神は男女の二体一対で現れた?それぞれ別の付喪神であるのに、二体で一つの“道具”があるとしたら、それは。

「畜生、見たままってことか!」

 分かりやすすぎて逆にすぐに気づけなかった。純也!と貴美華は叫ぶ。

「その二体の付喪神、リビングまで思いっきり吹っ飛ばせるか!多少威力が強い弾使ってもいい、許可する!」

 貴美華がそう叫ぶのと、女の付喪神のローブが派手に純也の腕を打ち据えるのは同時だった。凹んで今にも壊れそうになっていた玄関のドアと共に、マンションの部屋の外まで吹っ飛ばされる純也。幸い建物の外まで飛ばされることはなく、通路に吹き飛ばされたところで踏みとどまったようだが――全くなんて恐ろしいパワーか。
 どうやらこの二体の付喪神、よほど自分達の部屋の主を救えなかったことを、あるいは自分達が主の命を奪う道具にされたことを悔やんでいたと見える。

「純也さん、大丈夫ですかっ!?」
「な、なんとかあ!」

 純也はすぐに立ち上がると、ラケットを振る。腕に派手にくらったように見えたが、どうやら大きなダメージを負うほどではなかったらしい。彼はすぐにラケットを構えると、先ほどとは色の違う弾をポケットから取り出した。
 先ほどとは違う、金色の呪符の弾。それはつまり。

「吹っ飛べ!“金破弾きんはだん”!」

 純也は見事二発の弾を、再び寸分違わず付喪神達の胸にブチ当てた。今度の弾は、対象に当たった途端大きく破裂して、ヒットの威力を倍増させる効果を持っている。付喪神達は二体一緒に吹き飛ばされた――まさに、リビングまで。

「悪いな、ちいと熱いけど……我慢してくれ!カーテンの付喪神さんよ!」

 貴美華は倒れた二体の付喪神のローブにロウソクの火を近づけた。同時に、ロウソクの中に自らの霊力を流し込んで炎の勢いを増幅させる。
 勢いを増した炎は、みるみるカーテンに燃え移り――付喪神達の体全体を飲み込んだ。

「ぐ、ぎゃあああああああああああ!」
「あああああああああああああああああ!」

 先程まで涼しい顔をしていた二体が、思い切り悲鳴を上げた。
 カーテンの付喪神だからこそ、よく燃えることだろう。同時に炎には、邪念を浄化し怨霊を浄霊する効果があると昔から信じられている。早く目を覚ましてくれ、と貴美華は祈るように念じた。彼らが炎によって久遠の支配を抜けたところで、炎を消して救出するつもりでいたのである。カーテンはよく燃えるが、彼らは厚手のカーテンだ。完全に燃え尽きてしまう前に助けることは充分可能であると踏んでいた。
 ところが。

『……そのまま、燃やしてくれ』
『お願い』

 声が、流れ込んできたのである。ロウソクを握る、貴美華の手を伝って。

『私達は、守れなかった』
『愛する人を、主を』
『それは事実、物語は全てではないけれど、事実ではあったから、抗えなくて』
『もういい』
『これ以上誰かが死ぬのを見たくはない』
『全て消して』
『それでいい』
『終わらせてくれ、君の手で』

「あ……」

 気づいた時。勢いを増した炎が、全てを包み込んでいた。火の勢いは止まらず、付喪神達の体を燃やし尽くし――床にまで燃え移り始めている。

「おやおや、酷いことをする」

 そして、そんな貴美華を嘲笑うように、久遠の声が響くのだ。

「なるほど、非常に残念ですが……よくわかりました。貴女がたが、私の敵であるということが。同時に喜ばしくもあります。やはり障害がある方が、物語は大きく盛り上がるものですからね」

 彼は一気に、窓にかけた黒いカーテンを引き開け――外の眩しい光を部屋の中に招き入れたのである。
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