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<27・善意の暴走>

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 どんな悪魔より、世の中には厄介な存在がある。
 それは自分が絶対的に正義であると、己がやっていることが善行であると信じて疑わず、結果他人の迷惑を顧みない人間だ。アニメや漫画にも現実にも、往々にしてそういう存在が社会を賑わせ、世間を滅茶苦茶に引っ掻き回していくものなのだ。
 あるアニメでは、世界を救う救世主を作るために幼い子供達を拉致監禁・拷問してデータを取るという“本人には善意しかない”研究者が登場して物語の黒幕となっていた。彼は、人類の滅びを防ぐためには子供達の苦痛に満ちた時間は必要不可欠であると心底信じていたのである。おまけにそうした結果作り出した救世主に欠陥があると分かった途端、あっさりと殺害することを選択。子供達の苦痛を糧に、やっと産みだした筈の成果であったにも関わらず、だ。
 拉致監禁され、どうにか生き延びた子供達の一人である主人公は、そんな研究者の傲慢に激怒した。結局研究者は主人公と相対することなくこの世を去ってしまったが、生きていたらきっと困惑した顔でこう言っただろう――自分は世界を救うために全身全霊をかけて戦ったのに、何故そうも非難されなければならないのだと。八十億人もの人類を救うために、たった六人の子供の犠牲を何故惜しむ必要があったのかと。
 現実でいうならば、トチ狂った男の大量殺人事件なんてものもあっただろう。特定の人種、障害を持つ人間は不要だと判断して殺戮して回り、あまつさえ“己は社会のために要らないものを排除しただけであって、間違ったことなどしていない”と主張してやまない壊れた正義漢。
 もっと小さな例でまで含めれば本当にキリがない。犯罪者だという噂が流れた女性を、ネットでよってたかって叩いて追い詰めた事例もあったはずである。実際は、その人物はたまたま犯人と似ていただけの冤罪であったにも関わらず。叩いて、晒した者達には歪んだ正義と善意しかなかったことだろう。悪い奴をやっつけるのは当然だ、自分達は正しいことをしただけだ、もし悪い者がいるとしたら最初に間違った情報を流した奴だろう――と。
 人が本当の意味で残酷になれるのは、悪意よりも善意が暴走した時なのだと貴美華は知っている。
 ストーカーだってそうだ。本人は“自分は愛する人を守るためにやっている”と信じていることが、相手を追い詰め時に死に至らしめる。悪意がない者は、当然罪悪感なんてものとも無縁だ。いくら真正面から説得したとて、その声が相手に届くことなどないのだろう――悲しいことに。なんせ、向こうは“自分は正しいことをしているのに、理解してくれない相手が間違っている。実に残念だ”としか思っていないのだから。

――そう、いくら語ったところで無意味なんだ。でも。

 貴美華は久遠正貴を、とても上品で整った容姿に見える老紳士を見つめる。理解しあえるとは全く思っていない。それでも、言うべき言葉はあると知っていた。それは。

「独りよがりって、アンタみたいな存在を言うんだろうな」

 自分は、人間だ。確かに幼い頃からあらざる者は見えていたが、理解者がいないわけではなかったし、人間とも最終的にはうまくやっていけるようになった分幸せな類だったと知っている。久遠のように、完全に周囲から理解を放り投げられて孤立していたら、同じく人外にしか目が向かない異端者になっていた可能性は否定できないのだから。
 それは、わかっている。その上でだ。

「アンタは付喪神達のために、こんな事件を起こしてるつもりか?じゃあ訊くが、付喪神達は一度でもアンタに頼んだのか。人間に取って代わりたいと。支配し、あるいは皆殺しにしてやりたいと。そのためならば同じ付喪神達と殺し合いをするようなことさえ厭わないと、そのための手伝いをアンタにして欲しいと本当に誰か一人でも頼んだってのかよ」
「確かに、頼まれてはいません。しかし、私だけが彼らの声にならぬ声を唯一掬い上げられる存在であるのは事実です」
「はあ?」
「彼らはまだ自分の真の望みに気づいていない。自分を捨てた相手、自分を粗末に扱った相手だけちまちまと復讐を遂げたところで世界は何も変わらないということがわかっていないだけなのです。これ以上悲しみの連鎖を増やさないためには、お互いに犠牲を払っても結託し、大いなる力を人間達に見せつけてやるしかない。……まだそれこそが正義であると、本当に重要なことがそうであると知らないだけ。理解していただければ必ず、どんな付喪神様も同じことを願うようになるでしょう。私はそれを先読みして、率先して正義の行動を起こしただけにすぎませんよ」

 それは完全にストーカーとモラハラ野郎の思考だろうが、と貴美華は呆れ果てる。相手が頼んでもいないことを勝手に想像し、こうであるに決まっているとその正義を押し付けて押し通す。相手が迷惑だと言っても“本当はそんなはずがないのだから”と思い込んでその拒絶さえ突っぱねる愚か者。
 恐ろしいのは正義の味方を自称する者であればあるほど、こんな風に歪む可能性を一定以上の割合で秘めているということ。
 本当の意味での正義や悪など何処にもない。正義の対極は別の正義であると、そんな当たり前のことさえも認められないがゆえに。

「……わかってないのは、あんたの方だよ」

 貴美華の後ろから、ひょこりとチョコが顔を出して男を睨む。

「人間も、付喪神もいっしょ。……本当に欲しいのは、守りたいものは一つ。世界がどうなるかとか、世界を守りたいとか救いたいとか変えたいとか、そんな大それたこと考えてる奴なんか殆どいないよ。みんな、自分と、自分のそばにある小さな幸せを守って生きてるの。それだけで満足なの。世界を守って戦う理由があるとしたらそれは……そんな傍にあるささやかな幸せと大切な人を守るためなんだよ」

 それはきっと。捨てられるまで――否、捨てられてもなお大切な“ミサキちゃん”との思い出を抱きしめ続けていたチョコだからこその想いなのだろう。
 誰もがちっぽけで、ささやかな幸せと日常があるからこそ今を頑張って生きることができるのだ。それ以上の大きなものを見つめて、どうこうしたいと思える者などそうそういない。いたとしてもきっと――その人物とて、本当に願うものはさほど変わらないはずなのである。つまり。

「ちっぽけな復讐なんかに意味はない?……大きすぎるものばっかり見つめろと、人に強要するあんたにはわかんないんだよね。そばにあるちっぽけな感情が始まりで、それをとっても大事にしようとするからこそ僕達付喪神は産まれるんだよ。怒りでも憎しみでも、愛情でも友情でもなんでもそう。それがなかったら、僕達は僕達たりえないんだよ。あんたが見向きもしなかった……真田孝之介先生を愛する付喪神達の怒りや憎しみ。それを糧に、今でも踏ん張って戦っている人達もいるよ。それがなければ戦えなかった人達がいるよ。……ちっぽけなものに囚われるな、なんて言い方してその大事なものをあっさり踏みつけるあんたに、一体どんな付喪神がついていくっていうんだ!」

 彼が言ったのは、アルベリク達のことであり。同時に、自分の物語でもあったのだろう。
 小さな感情と想いが降り積もり、それが強い意思となって産まれる付喪神という存在。久遠は付喪神のために善行を行っているなどと言いながら、根本的なことが何一つ分かっていないのである。
 そんな人間に、本当の意味で付喪神を救うことなどできるはずがないというのに。

「ほら、当の付喪神本人がこう言ってますけど?」

 純也が肩をすくめ、せせら笑うように言った。

「その一つ一つの道具たちの怒りや愛情を無視して、勝手に物語を上書きして人工的に付喪神を作り出そうなんて。そんなの、根本から話ズレてるとしか思えないんですよね。救済?自分に都合の良い道具を作って世界征服したいって言ってくれた方がよほど筋が通ってると思うんですけど?……そういうわけで、貴方の提案は聞く前からオール却下、それが俺達の総意です。ここは話し合いなんて言わず……ラスボスバトルらしく暴力で解決しましょうよ。その方が手っ取り早いでしょ」
「うわー主人公サイドの言葉とは思えないー」
「こんな奴が正義の味方だっていうなら、もう俺悪の手先でいいです。生理的に無理なんで」
「純也さんマジではっきり言うー……」
「何言ってるの、チョコ君も大賛成なくせに!」

 二人は揃って、ラケットとクレヨンを構えている。戦う気満々だった。貴美華も既にグローブをしっかり身につけていた。こっちは最初から、話し合いでどうにかなるなんて思っていないのだ。
 真田孝之介を解放する。
 付喪神融合計画を諦める。
 そして今後一切、付喪神達や幽霊達を使った暴虐を働かない。
 この三つを久遠正貴が守ってくれる保証がないのなら、どんな説得をしたところで無意味なのである。ましてや、彼は己がしたことを“暴虐”だなんて一切思っていないだろうから最初から話が通じるはずもないわけで。

「……そうですか。実に残念ですねえ。私としても、わざわざこの場所に真田先生と留まってお出迎えをした時点で、こちらの誠意は伝わっていると信じたかったところなのですけど」

 やれやれ。と久遠正貴はため息をついた。言葉ほどがっかりした様子でもないのは、本人的にもこの状況になるのを予想していたからということなのか。

「仕方ありません。お望みのようですし、“暴力で”解決といきましょうか。私達の力の一端……そしてどれほど私達が本気であるのか、貴女がたにもお見せいたしましょう」

 パチン、と彼が指を鳴らすと。ふわり、と二つの人影が床の上にに降り立った。
 それは長い黒髪の、中性的な面立ちの女性と男性である。端正な顔は血の気が失せたように青白く、どちらも長いローブのようなベージュの布を身にまとっている。両方とも気配がそっくりだったが、アルベリクと違って二人で一つの存在というわけではないらしい。どうやら同じ種類のモノの付喪神が二体召喚された、というわけらしかった。

「彼らは、つい先ほど真田先生が書き上げてくださった物語。ある“モノ”の付喪神達です」

 ローブを纏った二人は、床に設置されたロウソク達の合間を縫うようにしてゆっくりとこちらに近づいてくる。

「このマンションは実に素晴らしい場所でした。なんせ、あっちにもこっちにも物語の材料となる“恨みや憎しみ、悲しみのこもった道具”がいくらでも存在しているのですから。皆さんのお相手をするに、彼らは実に丁度良い相手です。さあ、歓迎して差し上げなさい!」
「来るぞ、純也、チョコ!」

 そして、久遠が全てを言い終わるのと同時に。二体の付喪神は無表情のまま、ローブをなびかせ――貴美華達に襲いかかってきたのである。
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