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<24・やさしいせかい>

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「翠子住宅の中ぁ!?」
「うん」

 チョコは頷いた。どうにか貴美華の服をざっくり乾かしてダッシュで相談所に帰り、彼女がシャワーと着替えを済ませつつチョコの本体を洗っている中。裁縫道具をてきぱきと取り出している純也に、チョコは自分が知っていることを全て話していた。
 記憶を取り戻したこと。自分が、ミサキという女の子にとても大切にされていたぬいぐるみであったこと。そして壊れてしまったことで、母親にゴミ捨て場に捨てられてしまったこと。それがミサキのためであったこと。自分はもう、彼女の元に帰ってはいけない存在であるということ――。
 そして、自分がどういう経緯で記憶を失って、住宅の西端に辿りついたのかということを。

「意識が朦朧としていた僕が、ふらふらで徒歩で逃げてこられるくらいの距離。はっきりと覚えてないけど、翠子住宅の東の方から、住宅地を突っ切るようにして歩いてきたはずだよ。確か、薄緑色のマンションだった。住宅地内で薄緑色のマンションなんて、そう多いものじゃないと思う。一番上の……八階から一気に階段を転がるようにして降りて、逃げてきたんじゃなかったかな」

 そこまで分かっていればあとは、敵のアジトを見つけ出すのもそう難しくはないはずである。マンションそのものが敵陣なのか、八階のどこかの一部屋を仮のアジトにしているだけなのかはわからないが。
 しかし、こうして考えると、翠子住宅には本当に何かあるとしか思えない。こんな近距離で人が死ぬような案件が次々発生し、その中には顕現の魔術師であり、阿川賞作家として名を馳せた真田孝之介が含まれていたわけなのだから。忌み地――そう呼んでもおかしくないだろう。此処が団地であった時代に、一体何があったというのか。貴美華も昔のことすぎてはっきりとわからない、みたいなことを言っていた気がするが。

「やっぱり翠子住宅地って、何かあるんだろうな」

 同じことを考えていたのだろう、純也が唸りながら告げる。

「確かに、この地球上で人間が一人も死んでない土地なんてないわけですよ。いつかの時代の、どこかしらで必ず誰かが死んでる。だから、時が経つにつれ人の怨念や思念が土地に染み込んで積み重なっていくことそのものは仕方ないことであるわけです。ただ、それが戦後数十年間の、短期間で妙に繰り返されるともなると何か理由があるわけで」
「それこそ、やばい宗教団体が儀式をやったとか、大量殺人が起きたとかそういう?」
「あるいは、大きな事故だとか……病の集団感染が原因になることもあるかな。そういう時は起きた出来事で恨みが積もったというより、事故や病のフォローを権力者や政府が放置したことに恨みを持たれていることが多いんだけど。例えば、たくさんの人が病で倒れているのに、その人達の治療を一切しないで村そのものもを隔離して放置するとかしたら……そりゃ恨まないっていうのは無理な話でしょ?」
「そりゃそうだ」

 そういう恨みつらみ、なのだろうか。ただ、翠子住宅地=旧翠子団地はかなり広い土地である。特定のポイントのみならず、全体的に瘴気が漂っていて人死が連続するというのは流石にただ死人が出ただけの事件とも思えないのだが。
 もしかしたら団地の前に、何か大きな施設でもあったのだろうか。病院や、強制労働の施設、あるいは軍事施設。それで虐待されたり、適切に扱われなかった人間たちの恨みつらみが大地に染み付いていて、なんてこともあるのかもしれない。
 いずれにせよそういった恨みのこもった土地は、アルベースの狼、もとい久遠正貴が恨みのこもった付喪神を作り出すのに最適であったというわけだ。

「しかし、マンションの八階か。……それだと、アルベースの狼の本拠地ではなく、本当に小さなアジトでしかなさそうですね」

 うーん、と純也は針に糸を通しながら言う。

「なるべく頑丈な糸使いたいな、またちぎれちゃったら意味ないし……っと。……久遠正貴と、使役霊として使われている真田孝之介がまだそこにいればいいんですけど」
「そうだね。……それでも行くしかないよ。他に探すアテはないんでしょ?」
「そうなんですよねえ。アルベースの狼って、調べたんですけど全然本拠地の場所とかネットに出てなくて。講演会とかたくさんやってるし、どこかに本拠地の施設があってそこから出向してきてるんだと思うんですけど、ホームページ見ても何処見ても書いてないし。明らかに、本拠地が悟られないようにしているとしか……あ」

 がちゃり、と洗面所のドアが開いた。着替えて髪をざっくり乾かしたらしい貴美華が、明るい茶色のテディベアを抱いて出てくる。

「ごめん、チョコ。頑張って洗ったけど、シミは完全に取れなかったテディベアだから、洗濯機に投げ込むわけにもいかなくて……風呂場で手洗いしたんだけど」

 随分時間がかかっていると思ったら、ドライヤーでチョコの本体もほとんど乾かしてくれたらしい。しかし、あちこち緑や茶色のシミが残ったままになっており、到底元の綺麗な状態とは程遠い状況だった。貴美華は心底申し訳なさそうにクマを見せてくる。だが、チョコはそれを受け取り、ふるふると首を振った。

「ううん。……石鹸のいい匂いがする。貴美華さん、ほんと頑張って洗ってくれたんだ。それだけで僕……充分だよ」

 そもそも、新品同様まで綺麗になるはずがない。そもそも年季が入ったぬいぐるみだし、簡単に落ちるくらいのシミやどうにかなる程度の破損なら、こうもあっさり母親に捨てれられることにはならなかったはずなのだから。

「チョコ君、貸してください。俺じゃ応急処置しかできませんけど、取れそうな手となくなってしまったお目目はなんとかしないとね」
「純也さん……」

 チョコはうん、と頷いて純也に本体を手渡す。どうやらチョコの腕が動く様に繋いでいた部品が、一部紛失してしまっているらしい。今のチョコの本体の腕は、どうにか残った糸だけでかろうじて繋がっている状態だった。純也は中の金属の本体部分を針金で固定すると、外の腕がちぎれないように中途半端な糸を解きつつ、丁寧に糸を通し直していく。元の穴を活かして細かく的確に塗っていく彼の手際は実に見事なものだった。到底、元中学生男子とは思えない。

「純也は女子力高いからな、アタシと違って」

 何故か貴美華が胸を張って自慢げに言う。

「裁縫も上手いし料理も上手いし掃除も上手い!お嫁さんにしたい系男子ナンバーワンだ!ちなみにアタシはその横でソファーに寝っ転がってテレビ見てて叱られる旦那の役な」
「日曜日に“お父さん、暇なら手伝って!”って叱られるやつ?」
「おう、よくわかってんじゃん。最終的にはソファーから掃除機で叩き落とされるところまでがデフォルトだぞ」
「地味にひっどい!」

 ふふふ、とコントみたいなやり取りをするチョコと貴美華。なんだろう、まだ出会って間もないのに――彼女と、彼と一緒にいるのはどうしてこんなにほっとしてしまうのか。貴美華は残念な美人だし、純也はちょっと口うるさいお母さんみたいだし、到底ミサキの家とは似ても似つかない場所であるはずなのに。
 多分それは、彼らがただの客であり人外であるはずのチョコを、全く軽んじないで接してくれるからなのだろう。
 彼らはチョコの気持ちを汲んで、いつも真正面から向き合ってくれる。甘やかすでもなく、見下すでもなく、少しでも対等に扱って横を歩いてくれようとするのだ。自分は彼らのように特別な力などないし、記憶が戻っていない時などは不安で臆病な言動ばかりしていたというのに。



『ツクモ相談所の所長、“加藤貴美華”ちゃん。彼女に相談するんだ。付喪神に関するトラブルを解決する専用の探偵、みたいなものだからな。きっと君の正体を突き止め、元の場所に帰る手伝いをしてくれるだろう』



 あのおじいさんが、何故貴美華ならなんとかしてくれると言ったのか。あの場所に行けばどうにかなると思ったのか、今ならその理由がわかる。
 きっと幽霊や付喪神達の間で、ここは有名な場所なのだ。最強で最高のコンビが、人外でも関係なく必ず助け出してくれる場所として。

「よし、できた!」

 はい、と。純也は腕と目を直したチョコの本体を返してくれた。

「腕、糸で一旦縫い付けちゃったから動かしづらいけど。少なくともこれで簡単には取れることはないと思います。全部終わったら、腕が元通り動く状態でなおせる方法考えますね。それと、取れちゃってた目。全く同じ色のボタンなくて……緑色になっちゃったんだ。ごめんね」
「……ううん」

 チョコの腕の中の本体は、青と緑のオッドアイの目になった顔でこちらを見つめている。
 綺麗だと思ったのは。それがただ思った以上に似合うからというだけではない。純也が、一生懸命直してくれたという事実そのものが何より嬉しいからに他ならなかった。

「ありがとう。……本当にありがとう」

 ぎゅっと、直してもらったぬいぐるみを抱きしめるチョコ。やっぱり、自分は世界で一番幸せなテディベアに間違いない。捨てられたと思ったあとにも、こんな風にして丁寧に直して、助けてくれようとする人に巡り会えたのだから。

「本体は、リュックに入れてチョコが背負って持ち歩くのがいいな。自分で持ち歩いた方が、一番力が発揮できるのは間違いねぇし。子供用のリュックで充分入る大きさだから問題ないだろ」

 よし、と貴美華は拳を握って告げた。

「日が落ちたらまた、相談所に襲撃が入るかもしれねえ。アジトの場所、思い出したんだろ?今のうちにアタシ達でぶっこんじまおうぜ!」
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