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<11・階下の怨霊>
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鉄錆の臭いが、濃くなった。ずるん、と血濡れた指が開いたドアの隙間から生え、まるで虫のようにうぞうぞと蠢く。ドアを押し広げて生えていく指は、蠢くたびにぽきぽきとあらぬ方向へ曲がっていった。関節を無視しているなんていうレベルではない。ハンマーで強引に叩き折ったにも関わらず、神経と筋だけは繋がっていて不随意に動き回っているような違和感と気色悪さである。
チョコは口元を抑えて悲鳴をぎりぎりと殺しながら、必死で布団の中で気配を殺していた。頼むからこっちに来ないでくれ、自分を見つけないでくれ――もはやそういう願いさえ絶望的になりつつある。何の目的もなく、“アレ”がこちらに来ることなど有り得ないに決まっているのだから。
「ど、こ」
べちゃり。
「ど、こ、なの」
ぬちゃり、べちゃり、ぺちゃり。
「どこ、どこ」
べちゃ、べちゃ、べちゃ。
「どこ、どこ、ドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコゴゴゴゴゴゴゴコゴドココココココゴゴゴコゴコゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ」
最初は確かに形になっていた言葉が、どんどん姿をなくしてどろどろと溶けていく。何処、という単語が次第にただのうめき声に変わり、べちゃべちゃと溢れてくる液体の音と合わさって悲惨極まりない不協和音を奏でた。ドアの隙間からぬるぬると体を這い出した女は、頭からどろどろに血で濡れ、長い長いワンピースの足下からは滝のようにドス黒いそれを溢れさせつつある。
加藤ツクモ相談所の仮眠室という、“普通”の空間がじわじわと侵食されて塗り替えられていく。女は夢遊病者のようにぼさぼさの長い髪を振り乱し、ふらふらと両手を彷徨わせて部屋の中に侵入した。その両手の指は全てあらぬ方向に折れ曲がり、折れているにも関わらず虫のようにうぞうぞと蠢いているのである。血まみれの体といい臭いといい、自分が人間だったなら嘔吐していたに違いないとチョコは思った。ついでにきっと、いろいろ漏らしてしまっていた。付喪神であるはずの自分でさえ悪寒と恐怖で全身の震えが止まらないのだから、人間ならその恐怖はさらに上を行くことだろう。
何処、と行った。ならば彼女は、誰を探しているのだろう。
まさか自分なのだろうか。面識などないのに――いや、悪霊ならばもう探している相手が誰なのかもわかっていなかったりするのだろうか。そして、その相手だと思い込んだ存在を見つけることができたら、彼女は一体その人物をどうするつもりでいるのだろう。
永遠に束縛して傍に置くのか、殺して地獄に堕とすのか。
いずれにせよ、ろくな結果にならないのは間違いなかった。
――どうしよう……どうしようどうしようどうしようどうしよう!
このまま隠れていても、見つかるのは時間の問題だ。ならば、彼女の隙をついて此処から逃げるべきなのだろうか。
――逃げる?……どうやって?体、金縛りみたいに全然動かないのに……!
ゆっくりとその首が、不自然な形でこちらを向いた。油が切れたブリキ人形でも見ているように、ぎしぎしと音を立てておかしな方向へ曲がる頸。ばさり、と割れた髪の間から、白目がわからなくなるほど血濡れた眼球がじとりとこちらを睨む。
ああ、やっぱり、気づかれた。
――戦う?それこそ無理に決まってる!どうしよう、どうしようどうしよう!どうやったって、助かる未来が見えない……!
自分は此処で、消されるのだろうか。己の正体もはっきりとわからないし、大切な記憶だって何一つ思い出せないというのに。
――助けて……助けて、×××……!
名前も思い出せない誰かに向かって、思わず助けを求めたその時だった。
「貴女が探している人は、此処には居ませんよ」
やや高めの、静かな青年の声が響いた。あ、と思った瞬間。チョコの視界に、背の高い少年の背中が映り込む。
長身、茶髪、特徴的な青いジャージ。――一体今まで何処に居たというのだろう、純也の姿がそこにあった。
「まさか、貴女まで操り人形にされるとは思ってもみませんでした。どうやらよっぽど、チョコ君のことが惜しいみたいですね……誰かさん達は」
「オ、オオオ……」
「目を覚まして下さいよ、瑠璃子さん。貴女がそんな有様じゃ、このビル使ってる俺達も困るんですって……ば!」
彼が左手に持った何かを高く放り投げた時、初めてチョコは純也が右手にテニスラケットを構えていることに気づいた。ならば今投げたのはボールだろうか。彼はそのすらりと高い長身を生かし、思い切りラケットを振りかぶる。
パアン!と小気味良い音が響いた。彼がサーブの要領で叩いたボールは、素晴らしい速度で悪霊の脳天に直撃する。威力もさることながら、とにかくコントロールが素晴らしい。それは小さな破裂音と共に七色に輝いて弾けた。瞬間、びくん、と悪霊は全身を震わせる。
がくがくと全身を痙攣する女に、純也は畳み掛けるように続けた。
「瑠璃子さんと……操ってるのはコキア君かな。とっとと戻ってきてください。そして思い出してください……正しい待ち人を」
「ア、アァ」
長い髪の女は頭を抱え、身悶えするように呻いた後。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
次の瞬間彼女の絶叫と共に。真っ暗な世界が弾け飛び――チョコの視界もまた、真っ白に塗りつぶされたのだった。
***
「ごめんねーチョコ君!ぶっちゃけて言うと、君を囮に使っちゃいました」
「ええええ!?」
そして、現在。
真夜中のオフィスに電気をつけて、チョコはソファーで純也から説明を受けているところである。事務机の前では、さっきの髪の長い悪霊が、小さな幼稚園くらいの男の子と手を取り合ってぶつぶつと何かをつぶやいているのが見えた。男の子が“大丈夫だよ!”“コキアが好きなのは瑠璃子さんだけだよ!”と繰り返しているところを見るに、どうにもあれで愛を囁きあっているつもりらしい。さっぱり状況が見えない。しかも、オフィスの床が血まみれになっていて結構悲惨な状態と化しているし。
「いやあ、君がなんらかの組織から逃げ出してきた付喪神なら、近く襲撃があるとは思ったんですよね。だからオフィスに置いて、それがいつ来るかなーってちょっと待ってたんです。まだ探せる場所も少ないし、襲撃ついでに向こうが何か情報を落としてくれたらラッキーだなーって。勿論貴美華さん発案です。まさか貴美華さんがコンビニにお酒買いに行ったタイミングで襲われるとは思わなかったけど!」
マジか、とチョコはあっけに取られる。そりゃ、あえて襲撃を誘ったのだから妙にオフィスが静かであったのも当然だろう。自分の恐怖を返してくれ、とチョコは心底言いたい。しかもどうやら自分を襲ってきた悪霊+αは、どうにも純也達の知り合いであるらしいのだから尚更である。
純也いわく。髪の長い女性の幽霊は瑠璃子。瑠璃子とリア充をかましている幼稚園児くらいに見える少年は、彼女のピアスの付喪神であるコキアという名前であるらしい。まあ、付喪神なら見た目どおりの年齢ではないのだろうし、三十手前に見える成人女性とカップルになっていても一応犯罪にはならないのかもしれないが。
「あの人達、誰なの?なんとなーく、僕を襲ってきた組織?に操られてたらしいことは察したけど」
チョコが尋ねると、純也はあっさりと“二階の住人さん達です”と答えた。
「ほら、このビル来た時、変だなーって思いませんでした?一階と三階にはオフィス入ってるのに、二階の部屋だけ空っぽで」
「ああ、うん……」
「あの二階、バリバリの事故物件なんですねー。あそこで瑠璃子さん、ちょっとした儀式やってちょっと床血まみれにして自殺しちゃったもんだから」
「だよね!?なんかそんな気はしてたけども!!」
二階だけ空っぽなの変だと思っていたらやっぱりそういう方向だったよ!とチョコは頭を抱える。そしてちょっとした儀式でちょっと床血まみれにしたってなんやねん、と。
純也はそんなチョコの疑問を察してか、訊いてもいないのに教えてくれた。
「えっとね、彼氏を永遠に繋ぎ止めるおまじないをしてたらしいですよ。彼氏に貰ったピアスを触媒にして、魔方陣書いて、両手の指を一本ずつ折って祈りを捧げるらしいです。指を折るのは、指切りの代用なんだって。全部の指を自分で切るの難しいし、そもそも指全部切ったら出血多量で死んじゃうかもしれないから、代用として指を折るおまじないになったらしいですよ。凄いですよね、折るのも充分痛いのによくやろうと思ったよなあ。恋する女性の執念は凄まじいよ、うん!」
訊きたくなかったそんな話!と頭を抱えてももう遅い。そして何でそんなグログロドロドロのお話を元気に明るく話せるのだろう、純也は。まあ本人も死んでるし、他人事と言えば他人事なのかもしれないが。
――だから両手の指全部折れてたのね……ってそうじゃなくて!
「何でそんな事故物件にオフィス構えることにしたの……」
チョコは至極真っ当な疑問をぶつける。死者が出たのが二階であるとしても、それで物件そのものが安くなっていたのだとしても。ビル全体が、呪わしいものであることに変わりはないではないか。自分だったならそんな場所、いくら安く借りれても絶対拒否するに決まっているのだが。
「瑠璃子さんとコキア君の存在が、一種防壁になるからですよ」
すると、純也から返ってきたのは意外な答えだった。
「瑠璃子さんは彼氏さんへの未練で二階で地縛霊になってたんですけどね。その執着を経て、儀式の影響もあってピアスのコキア君が付喪神化して一緒にいるようになって……それで瑠璃子さんの心がコキア君に移ったことで、殆ど他人に害をなさない地縛霊になってたんです。今の瑠璃子さんはコキア君と永遠に一緒にいられることが一番の幸せですから。ただし、自分を捨てた彼氏への憎しみは残ってるし、地縛霊としてはかなり力が強い類だから……彼氏本人は勿論彼氏によく似た男性にも一定の敵意を向けるんです。彼女は彼氏本人以外を呪い殺すことはないと約束してくれてるので大丈夫ですけど」
「それは大丈夫と言うの?ねえ?」
「忘れましょう細かいことは。……で、その彼女の力はビルの外にまで溢れてるので……弱い悪霊や式神は、そう簡単に三階まで上がってこないんですよ。むしろビルに近づくことも本能的に拒否する者が少なくないんです。雑魚クラスの悪霊や魑魅魍魎の類まで構ってられませんからね。彼女が二階をテリトリーにしてくれていることで、貴美華さんの負担が減る。このビルの三階に相談所を作ったのは、そういう理由だったんですよ」
まさか悪霊を盾に使う霊能者がいようとは。凄いと言っていいのか、ツッコミどころがあるとでも言えばいいのか。しれっと、瑠璃子の元彼に関しては最初から見捨ててるんだがそれでいいのか、とか。
いや、今はそれよりも大事なことがある。防壁として使っていたはずの瑠璃子とコキアが、逆に取り込まれてしまったということだ。
「……その防壁役の幽霊さん達が、敵に操られて攻撃してくるようじゃ相当まずくない?」
純也は言った――瑠璃子の力は、ビルの外まで溢れるレベルであると。そのクラスの悪霊である瑠璃子とコキアを操れるとしたら、相手の力は相当なものなのではなかろうか。
「まずいですねえ。思ったより、敵の力は強く……そして、君を捕まえたくてたまらないみたいです」
不安に思うチョコとは違い。純也はむしろ、どこかほっとしたように続けたのだった。
「まあ、それでいいんじゃないでしょうか。雑魚をいくら倒しても意味はないんですよ。こっちもさっさとこの大きなヤマを終わらせたいんです。強い人達……幹部クラスがさっさと出てきてくれないと、いつまでたっても事件は解決しないんですから」
チョコは口元を抑えて悲鳴をぎりぎりと殺しながら、必死で布団の中で気配を殺していた。頼むからこっちに来ないでくれ、自分を見つけないでくれ――もはやそういう願いさえ絶望的になりつつある。何の目的もなく、“アレ”がこちらに来ることなど有り得ないに決まっているのだから。
「ど、こ」
べちゃり。
「ど、こ、なの」
ぬちゃり、べちゃり、ぺちゃり。
「どこ、どこ」
べちゃ、べちゃ、べちゃ。
「どこ、どこ、ドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコゴゴゴゴゴゴゴコゴドココココココゴゴゴコゴコゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ」
最初は確かに形になっていた言葉が、どんどん姿をなくしてどろどろと溶けていく。何処、という単語が次第にただのうめき声に変わり、べちゃべちゃと溢れてくる液体の音と合わさって悲惨極まりない不協和音を奏でた。ドアの隙間からぬるぬると体を這い出した女は、頭からどろどろに血で濡れ、長い長いワンピースの足下からは滝のようにドス黒いそれを溢れさせつつある。
加藤ツクモ相談所の仮眠室という、“普通”の空間がじわじわと侵食されて塗り替えられていく。女は夢遊病者のようにぼさぼさの長い髪を振り乱し、ふらふらと両手を彷徨わせて部屋の中に侵入した。その両手の指は全てあらぬ方向に折れ曲がり、折れているにも関わらず虫のようにうぞうぞと蠢いているのである。血まみれの体といい臭いといい、自分が人間だったなら嘔吐していたに違いないとチョコは思った。ついでにきっと、いろいろ漏らしてしまっていた。付喪神であるはずの自分でさえ悪寒と恐怖で全身の震えが止まらないのだから、人間ならその恐怖はさらに上を行くことだろう。
何処、と行った。ならば彼女は、誰を探しているのだろう。
まさか自分なのだろうか。面識などないのに――いや、悪霊ならばもう探している相手が誰なのかもわかっていなかったりするのだろうか。そして、その相手だと思い込んだ存在を見つけることができたら、彼女は一体その人物をどうするつもりでいるのだろう。
永遠に束縛して傍に置くのか、殺して地獄に堕とすのか。
いずれにせよ、ろくな結果にならないのは間違いなかった。
――どうしよう……どうしようどうしようどうしようどうしよう!
このまま隠れていても、見つかるのは時間の問題だ。ならば、彼女の隙をついて此処から逃げるべきなのだろうか。
――逃げる?……どうやって?体、金縛りみたいに全然動かないのに……!
ゆっくりとその首が、不自然な形でこちらを向いた。油が切れたブリキ人形でも見ているように、ぎしぎしと音を立てておかしな方向へ曲がる頸。ばさり、と割れた髪の間から、白目がわからなくなるほど血濡れた眼球がじとりとこちらを睨む。
ああ、やっぱり、気づかれた。
――戦う?それこそ無理に決まってる!どうしよう、どうしようどうしよう!どうやったって、助かる未来が見えない……!
自分は此処で、消されるのだろうか。己の正体もはっきりとわからないし、大切な記憶だって何一つ思い出せないというのに。
――助けて……助けて、×××……!
名前も思い出せない誰かに向かって、思わず助けを求めたその時だった。
「貴女が探している人は、此処には居ませんよ」
やや高めの、静かな青年の声が響いた。あ、と思った瞬間。チョコの視界に、背の高い少年の背中が映り込む。
長身、茶髪、特徴的な青いジャージ。――一体今まで何処に居たというのだろう、純也の姿がそこにあった。
「まさか、貴女まで操り人形にされるとは思ってもみませんでした。どうやらよっぽど、チョコ君のことが惜しいみたいですね……誰かさん達は」
「オ、オオオ……」
「目を覚まして下さいよ、瑠璃子さん。貴女がそんな有様じゃ、このビル使ってる俺達も困るんですって……ば!」
彼が左手に持った何かを高く放り投げた時、初めてチョコは純也が右手にテニスラケットを構えていることに気づいた。ならば今投げたのはボールだろうか。彼はそのすらりと高い長身を生かし、思い切りラケットを振りかぶる。
パアン!と小気味良い音が響いた。彼がサーブの要領で叩いたボールは、素晴らしい速度で悪霊の脳天に直撃する。威力もさることながら、とにかくコントロールが素晴らしい。それは小さな破裂音と共に七色に輝いて弾けた。瞬間、びくん、と悪霊は全身を震わせる。
がくがくと全身を痙攣する女に、純也は畳み掛けるように続けた。
「瑠璃子さんと……操ってるのはコキア君かな。とっとと戻ってきてください。そして思い出してください……正しい待ち人を」
「ア、アァ」
長い髪の女は頭を抱え、身悶えするように呻いた後。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
次の瞬間彼女の絶叫と共に。真っ暗な世界が弾け飛び――チョコの視界もまた、真っ白に塗りつぶされたのだった。
***
「ごめんねーチョコ君!ぶっちゃけて言うと、君を囮に使っちゃいました」
「ええええ!?」
そして、現在。
真夜中のオフィスに電気をつけて、チョコはソファーで純也から説明を受けているところである。事務机の前では、さっきの髪の長い悪霊が、小さな幼稚園くらいの男の子と手を取り合ってぶつぶつと何かをつぶやいているのが見えた。男の子が“大丈夫だよ!”“コキアが好きなのは瑠璃子さんだけだよ!”と繰り返しているところを見るに、どうにもあれで愛を囁きあっているつもりらしい。さっぱり状況が見えない。しかも、オフィスの床が血まみれになっていて結構悲惨な状態と化しているし。
「いやあ、君がなんらかの組織から逃げ出してきた付喪神なら、近く襲撃があるとは思ったんですよね。だからオフィスに置いて、それがいつ来るかなーってちょっと待ってたんです。まだ探せる場所も少ないし、襲撃ついでに向こうが何か情報を落としてくれたらラッキーだなーって。勿論貴美華さん発案です。まさか貴美華さんがコンビニにお酒買いに行ったタイミングで襲われるとは思わなかったけど!」
マジか、とチョコはあっけに取られる。そりゃ、あえて襲撃を誘ったのだから妙にオフィスが静かであったのも当然だろう。自分の恐怖を返してくれ、とチョコは心底言いたい。しかもどうやら自分を襲ってきた悪霊+αは、どうにも純也達の知り合いであるらしいのだから尚更である。
純也いわく。髪の長い女性の幽霊は瑠璃子。瑠璃子とリア充をかましている幼稚園児くらいに見える少年は、彼女のピアスの付喪神であるコキアという名前であるらしい。まあ、付喪神なら見た目どおりの年齢ではないのだろうし、三十手前に見える成人女性とカップルになっていても一応犯罪にはならないのかもしれないが。
「あの人達、誰なの?なんとなーく、僕を襲ってきた組織?に操られてたらしいことは察したけど」
チョコが尋ねると、純也はあっさりと“二階の住人さん達です”と答えた。
「ほら、このビル来た時、変だなーって思いませんでした?一階と三階にはオフィス入ってるのに、二階の部屋だけ空っぽで」
「ああ、うん……」
「あの二階、バリバリの事故物件なんですねー。あそこで瑠璃子さん、ちょっとした儀式やってちょっと床血まみれにして自殺しちゃったもんだから」
「だよね!?なんかそんな気はしてたけども!!」
二階だけ空っぽなの変だと思っていたらやっぱりそういう方向だったよ!とチョコは頭を抱える。そしてちょっとした儀式でちょっと床血まみれにしたってなんやねん、と。
純也はそんなチョコの疑問を察してか、訊いてもいないのに教えてくれた。
「えっとね、彼氏を永遠に繋ぎ止めるおまじないをしてたらしいですよ。彼氏に貰ったピアスを触媒にして、魔方陣書いて、両手の指を一本ずつ折って祈りを捧げるらしいです。指を折るのは、指切りの代用なんだって。全部の指を自分で切るの難しいし、そもそも指全部切ったら出血多量で死んじゃうかもしれないから、代用として指を折るおまじないになったらしいですよ。凄いですよね、折るのも充分痛いのによくやろうと思ったよなあ。恋する女性の執念は凄まじいよ、うん!」
訊きたくなかったそんな話!と頭を抱えてももう遅い。そして何でそんなグログロドロドロのお話を元気に明るく話せるのだろう、純也は。まあ本人も死んでるし、他人事と言えば他人事なのかもしれないが。
――だから両手の指全部折れてたのね……ってそうじゃなくて!
「何でそんな事故物件にオフィス構えることにしたの……」
チョコは至極真っ当な疑問をぶつける。死者が出たのが二階であるとしても、それで物件そのものが安くなっていたのだとしても。ビル全体が、呪わしいものであることに変わりはないではないか。自分だったならそんな場所、いくら安く借りれても絶対拒否するに決まっているのだが。
「瑠璃子さんとコキア君の存在が、一種防壁になるからですよ」
すると、純也から返ってきたのは意外な答えだった。
「瑠璃子さんは彼氏さんへの未練で二階で地縛霊になってたんですけどね。その執着を経て、儀式の影響もあってピアスのコキア君が付喪神化して一緒にいるようになって……それで瑠璃子さんの心がコキア君に移ったことで、殆ど他人に害をなさない地縛霊になってたんです。今の瑠璃子さんはコキア君と永遠に一緒にいられることが一番の幸せですから。ただし、自分を捨てた彼氏への憎しみは残ってるし、地縛霊としてはかなり力が強い類だから……彼氏本人は勿論彼氏によく似た男性にも一定の敵意を向けるんです。彼女は彼氏本人以外を呪い殺すことはないと約束してくれてるので大丈夫ですけど」
「それは大丈夫と言うの?ねえ?」
「忘れましょう細かいことは。……で、その彼女の力はビルの外にまで溢れてるので……弱い悪霊や式神は、そう簡単に三階まで上がってこないんですよ。むしろビルに近づくことも本能的に拒否する者が少なくないんです。雑魚クラスの悪霊や魑魅魍魎の類まで構ってられませんからね。彼女が二階をテリトリーにしてくれていることで、貴美華さんの負担が減る。このビルの三階に相談所を作ったのは、そういう理由だったんですよ」
まさか悪霊を盾に使う霊能者がいようとは。凄いと言っていいのか、ツッコミどころがあるとでも言えばいいのか。しれっと、瑠璃子の元彼に関しては最初から見捨ててるんだがそれでいいのか、とか。
いや、今はそれよりも大事なことがある。防壁として使っていたはずの瑠璃子とコキアが、逆に取り込まれてしまったということだ。
「……その防壁役の幽霊さん達が、敵に操られて攻撃してくるようじゃ相当まずくない?」
純也は言った――瑠璃子の力は、ビルの外まで溢れるレベルであると。そのクラスの悪霊である瑠璃子とコキアを操れるとしたら、相手の力は相当なものなのではなかろうか。
「まずいですねえ。思ったより、敵の力は強く……そして、君を捕まえたくてたまらないみたいです」
不安に思うチョコとは違い。純也はむしろ、どこかほっとしたように続けたのだった。
「まあ、それでいいんじゃないでしょうか。雑魚をいくら倒しても意味はないんですよ。こっちもさっさとこの大きなヤマを終わらせたいんです。強い人達……幹部クラスがさっさと出てきてくれないと、いつまでたっても事件は解決しないんですから」
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