加藤貴美華とツクモノウタ

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<8・チョコという名前>

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「チョコって、名前が、どうしたんです?」
「可愛い名前だよなー」
「え」
「ふふ」

 貴美華が素直な感想を漏らすと、チョコは少し頬を染めて固まった。その反応からでもわかる。記憶はなくても、覚えていることがないわけではないのだ。彼はチョコという名前を“嫌”だと思っていない。むしろ誇らしく思うから照れるのである。

「一般的な道具で、名前をつけられるものがいくつあるんだろうな。それも“道具としての名前”じゃなく、人間のような固有名詞だ。例えばさっき解決した案件もそう。婚約指輪は、主にとても大切にされていたが……それ、そのものに名前はなかった。名前をつけられるようなものでもない。そんなものがなくても、愛する人との結婚指輪は唯一無二のものだしな。なんせオーダーメイドだし」

 そういえば、とチョコが眼を瞬かせる。やっと気づいたらしい。彼が付喪神であることは確実で、なんらかの道具であったのも確実。では、名前がつくような道具といったら一体何であるのだろうか?
 最初に抱いた印象は、まるでペットのような名前だな、だった。実際、昨今はトイプードルなどに洋菓子などの名前をつける人間が非常に多い。ショコラ、クッキー、チーズなどがその典型だろう。チョコ、も当然その派生。これだけで一概にどうこうは言えないが、彼が“ペットと同じような扱いをされていた可能性”は相当高いのではなかろうか。

「ペットのような名前がついているってことは、擬似的にペットのような扱いをされていたってことなのかもしれない。しかもお前は、他の記憶を思い出してないのに名前だけはすぐに思い出せたんだろう?相当ご主人様から名前を呼んで貰っていたし、その名前を嫌っていなかった。お前は主人を恨んでないどころか、とても大切に思っていたんじゃないかな」
「多分、そうだと思う……」
「ペンや本、布団などに名前をつける人間は少数。チョコって名前の印象からしても……子供、女の子の可能性が高いか」
「そういえば、僕……自分に関することは殆ど覚えてないけど、この国の常識とかちょっとした知識は結構覚えてる気がする。あと、誰かと一緒に、絵本を読んでいたような……」
「そういう話をするような相手が主人だったってことだな。ということは、人形かぬいぐるみ、でアタリをつけておいても良さそうだ」
「ぬいぐるみ……」

 チョコは反射的に、自分の明るい茶髪をくりくりと弄る。付喪神の姿は、元の姿から派生したイメージで固定されることが多い。例えば、さきほどの結婚指輪は、“愛を誓った者達のもの”というイメージと、恐らく幸せな奥さんの記憶が絡み合ったせいで花嫁衣装の女性が出来上がったのだろう。チョコは記憶をなくしているが、付喪神の姿を作るのは本人の記憶だけではない。主人や、周囲の人間が与えるイメージが少なからずあるはずである。
 あの明るい茶髪に水色の瞳。日本人離れした外見からして、日本風の人形やぬいぐるみではあるまい。

「日本人離れした顔立ちだし、お前はテディベアのあたりだったんじゃないかとアタシは踏んでる。何か思い出せないか?」

 正体を言い当てられれば、本体がなくても“目を覚ます”ことができるケースがある。しかしチョコは、“テディベア”の単語が出てきても“ううん……”と唸るばかりだった。外れているのか、あるいは単語だけで記憶が戻るほど彼にかけられた“呪い”が強固であるのか、果たしてどちらだろう。

「……ごめんなさい。何も思い出せない」

 しょんぼり、と頭を下げるチョコ。まるで下に下がった耳と尻尾が見えるような有様だった。クマのぬいぐるみだという貴美華の予想が当たっているのなら、尻尾は垂れ下がるほど長いものではないかもしれないが。

「ご主人様の名前も、自分のことについても何にも。……ただ僕が付喪神だっていうのが間違いないなら、元の“僕”を見つけないとご主人様のところには戻れないんだよね……」
「そうだな。自分の本体を見つけることができれば、記憶も戻ってくる公算が高いが」
「そっか……」

 正体がわかればすぐにでも思い出せるかもしれない、と思っていたのだろう。勿論貴美華の予想はあくまで状況からの推測であるし、間違っているから記憶が戻らないなんてことも有り得るのだが。予想以上に落ち込んでしまったチョコを前に、貴美華は少し罪悪感を覚える。無意識のうちに、余計な期待を持たせるような言い方をしてしまっていただろうか、自分は。

――子供の扱いってのは、どうにも苦手だ。……こいつ付喪神だけど、大して長く生きてるようには見えないし……子供みたいなもの、だよな。

「えっと、ごめん。……もう少し時間がかかると思うけど、必ずお前の正体を確実に突き止めて本体を見つけてやるからさ」

 自分の言葉遣いが、女性としてはかなりきついものであることはわかっている。なるべく優しい口調で語りかけるとチョコは慌てたように“い、いやいや!謝らないでよ!”とぶんぶんと首を振った。自分の態度が貴美華に気を使わせたのだと、即座に気づいたらしい。
 いい子だな、と素直に貴美華は思った。厳しい環境にあっても優しい人格が育つことも勿論あるが、きっと彼はそのパターンではないのだろう。たくさんたくさん、ご主人様から愛を教わって、大切に大切に心を育ててきたに違いない。彼からは、愛されていたもの特有の空気を感じるような気がしている。

――……早く、ご主人様を見つけてやりてぇな。

 問題は。こんな恨みつらみとは全く無関係に見える付喪神が、何で旧翠子団地エリアに放り出されていたのかという話なのだが。
 普通に考えれば、彼は付喪神になるほど年月を経てもいないし、あの指輪の付喪神同様誰かに付喪神化させられた上で連れて来られたと考えるのが自然だろう。似たような事件は、既に何件も解決している。問題は、付喪神達をいくら解放しても、一行にその敵の目的が見えてこないということなのだが。

――どうにも集団の組織で……一部の道具を攫って付喪神化させ、暴れさせてる連中がいるらしいってところまではわかってるんだけどな。記憶を失ってた奴も過去にはいたし。……ただ、こんな無害そうに見えるやつを付喪神化して、そいつらは何をしようっていうんだ?

 唯一の手がかりがあるとしたら、二つか。
 婚約者の指輪が埋められていたあの“佐藤”という家。それから、チョコがあの住宅地で眼を覚ましたという事実。この短期間で二つの事件が、あのエリア近辺で起きている。もし何者かが付喪神化させた道具達をあのエリアでバラ撒いているのだとしたら、旧翠子団地エリアを張っていることで犯人と遭遇することができるかもしれない。
 同時に、何故あそこであれだけ怪異が連続するのかどうかも、である。近隣の幽霊には顔見知りもいるし、そろそろ徹底的に聞き込み調査もするべきところだろう。旧翠子団地が翠子住宅に変わったのは貴美華が産まれる前のことであるので、団地があった頃のことについてもまだ調査が不十分なのである。

「……とにかく、今日はもう日も暮れちまったし。奥の仮眠室を用意するから、今日はうちの事務所に泊まっていきな。あんまり綺麗なとこじゃなくて申し訳ないけどさ」

 行くアテもないだろ?と貴美華が言えば、チョコはこくりと頷く。仮眠室のベッドは一つしかないが、自分はソファーで眠れば充分なので問題ない。――今日は資料の整理も調査も殆ど終わっていないので、家に帰らないつもりだったのだ。幸い今の貴美華は一人暮らしであるし、泊まり込みも見越して私物の多くは事務所に持ち込んである。さほど大きな問題ではない。
 付喪神が眠るのか?というのはなかなか不思議な話であるのだが。意外なことに、人や動物の姿を取った付喪神は、睡眠欲求を覚えることが少なくないのだ。食事や排泄はないのに面白いところである。どうやら、パソコンがスリープモードになるのと同じような理屈らしい。機能を休めることによって、頭の中を整理したり、霊力を回復する時間が必要というわけだ。精神的に働いているのは間違いないし、チョコもきっと疲れていることだろう。

「ベッドの用意してくるし、ちょっと待っててな」

 貴美華がそう言って立ち上がろうとした時だ。

「貴美華さん、ちょっと」

 同じく立ち上がり、ちょいちょい、と貴美華を手招きした人物が一人。純也である。彼はプリントアウトした数枚の資料を持って、貴美華を奥の部屋に招いた。
 奥の部屋には仮眠室と、それからトイレ、風呂、キッチンがある。わざわざそちらに呼び寄せるということは、チョコに聞かれたくない話であるのだと察した。チョコに“少し待ってて欲しい”ともう一度声をかけると、そのまま純也の後を追って奥の部屋へ向かう。
 ちなみに、付喪神は眠りを必要とすることが多いのに対して、幽霊や使役霊・式神はその限りではない。自分が純也と出会った時にはもう彼は幽霊であったため(その時貴美華はまだ高校生だったが)、彼が眠っている場面を見たことは一度もなかった。当然、奥の仮眠室を使うことがあるのは、貴美華本人かゲストのどちらかだけということになる。
 もう少し掃除をした方がいいかな、なんてことを少しだけ思った。入った途端、棚の上からダンボールが落下してきて埃が飛び散るハメになったからである。
 我ながら、細かな掃除や洗濯といった家事の類が苦手でいけない。いくら幽霊とはいえ、中学生の純也にあっちもこっちもおんぶにだっこではいけないことくらいわかっているのだが。

「婚約指輪の付喪神の件に関しては、報告書まとめて送っておきました。それと“彼女”本人は今本人承諾の上で、箱の中で眠って貰ってます。もう一度話を聞いたんですけど、やっぱり彼女は自分があそこに連れ去られた経緯は覚えてないし、佐藤という家については何も知らないということでした」
「そうか、ありがとう」
「で。俺の方で分かる範囲で、佐藤というあの家について調べてみたんですけどね」

 はい、と純也がプリントアウトした数枚の資料を差し出して来る。貴美華はそれを受け取り、眼を見開いた。佐藤、なんて平凡な苗字だから全く気づかなかったが、これは。

「阿川賞作家……真田孝之介さなだこうのすけの家?あそこがか?」

 真田孝之介。自分でも知っている、有名なホラー作家。オカルト関係の黒い書物や考察の類も何冊も本にしていて、亡くなった後にもコアなファンが大量についていると聞いたことがあるが。まさか、あんな辺鄙なところにそんな大物作家が住んでいたとは思わなかった。
 本名、佐藤孝之介。
 確か家の庭で、首を吊って死んでいるところが見つかったのではなかったか。貴美華が小さな頃に見たニュースなので、まさかあの家だとは予想もしていないことであったけれど。

「真田孝之介の死に方と、死ぬ前の数日がファンの前では語り草になるほど……“奇妙”だったらしいんですよね」

 純也は声をひそめて言った。

「そして、ファンの間では彼はこうも呼ばれていたそうです。“顕現の魔術師・真田孝之介”……と」
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