夜明けのエンジェル

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<第二十八話>

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 自分は、上手に笑えていただろうか。ミリーはあまり自信がなかった。シェルを不安がらせてはいけない。怖がらせるなんて論外だ。ましてや、迷惑をかけたくない、なんてこと。絶対に考えさせたくないことだった。
 いや、今のシェルはもう、そこに至るだけの余裕もないのかもしれないが。

「ミリー……」
「つぐみ、店を出よう。もうここに用は無いよ」

 近づいてきたつぐみの顔を見て、ああやっちゃったな、とミリーは少しだけ後悔する。明らかに、彼女が怯えたような顔をしてみせたからだ。すぐに、まずいと思って取り繕ったようだけれど、その一瞬だけで自分には十分だった。
 今自分がどんな顔をしているか、自分でも解りそうにない。それでも想像はできる。とても、友人知人に見せられないような眼をしていることだろう。せめてシェルの前だけでも気配を見せずにいられたのなら良かったけれど。

「あんた、怒ってる?……いや、愚問だった。怒ってないはず、ないよね」

 そりゃあね、とミリーは心の中だけで苦い頷きを返す。空気の読めないつぐみでも、それくらい察することはできただろう。素人目から見ても、シェルの姿は痛々しいものだったから。

「ホープ・コードも怪我はする。正確には破損する、なんだけど」
「う、うん……」
「ご主人様もある程度修理できないと困るから。修繕用のキットは、最初に配布されるし使い方の説明書ももらう。つぐみも貰っただろうから知ってると思うけどね」

 自分達ホープ・コードはあくまで機械だ。人間とどれだけそっくりな姿をしていても、人間と同じ薬や治療が有効であるはずかない。よって、ホープ・コードが“怪我”をした場合は、専用のキットを使っての応急処置が必要になる。
 例えば、修理用のプロクラムをインストールして、核に命令を流すとか。電気の流れ、通信速度がスムーズになるような補助シートを該当箇所に貼るだとか。修理プログラムは重いので、どうしても熱暴走を起こしやすくなる。人間が、怪我をして雑菌が入ると発熱するのと似たようなものかもしれない。それを起こさないように、熱を逃がしやすくなるカバーを巻いたりすると、それだけで修繕速度は飛躍的に上がるものなのだ。

「シェルは包帯だらけだった。実際、近くで見たかんじ“怪我”をしてるのは間違いないと思うよ。あちこち熱暴走起こしかけてたし、動きもぎこちなかったし。……でも、巻かれてる包帯が“人間用”だった。あれじゃ、ホープ・コードには何の意味もない。あの男がシェルを引き取ったのはたった三ヶ月前ちょっと前なんだよ?修理キットを使いきってるとは考えにくいし、申請すれば無償で追加分を貰えるはず。少なくとも、あんな意味のない治療モドキを施す必要なんてない」

 己の声が冷え切っているのを、ミリー自身が感じていた。少し見ただけで、話しただけで分かること。その情報。推測すればするほど、推理すればするほど――煮えたぎる激情とは裏腹に、脳髄は冷え切っていく。

「つまりあれは、治療じゃない。あの男の趣味。治療するつもりなら、痛めてる首に首輪なんて嵌めて引きずったりもしない。ボロボロの綺麗な人形に萌えて見せびらかしてるってとこだろうね。……下衆野郎が」
「すんごいサディストだっていうのは、この界隈でも有名だったみたいだけどさ。……マジで今、シェルがその被害に遭ってるってわけか」
「そうだね」

 それと――これは、女性であるつぐみには意図的に伏せたい事実。
 恐らく、シェルは一度流産している。いや、強制的に堕胎させられた、が正しいかもしれない。
 元々ホープ・コードは少子化対策として作られた機械人形だ。人間と交われば、男側であっても女側であっても受精率は極めて高い(もちろん、相手の人間の体に問題がないことが大前提だが)。そしてあの男のことだ、三カ月間シェルに手を出していないだなんて希望は残念ながら持てないのが事実だった。
 その上で。シェルは明らかに、体の内部、特に腹部を痛めている様子だった。あれは、今まさに妊娠しているからというより。物理的に負傷しているから、といった様子だった。人間より基本的に機械の体は頑丈にできている。ましてや、外部装甲ではなく内部に傷を負うだなんてよほどのことがなければ起きない事態だった。それこそ、内部に衝撃が来るほど殴られたり、害となるような劇薬を口から流し込まれたりでもしない限りは。
 どちらもあの男ならやりかねないことだ。あれから三か月も過ぎていて、現在妊娠しておらず、かつ体内を負傷しているのだとしたら――つまり、そういうことだと考えるのが自然だろう。
 許しがたい、なんて。そんな言葉では到底片付けられまい。

「この場でシェルを助けるつもりなのかと思ってた。……思ったよりあんたは冷静だったみたいだけどさ」

 苦い響きを隠しもせず、つぐみが言う。

「ヤクザと繋がってるような店で騒ぎを起こしたら、どんな目に遭うかわかったもんじゃないしね。ていうか、人が多すぎてパニックになりそうだったし」
「まあね。……助けられるなら今日助けたかったけど」

 シェルの状況は日毎悪化していくことだろう。それに、今日渡した発信機が絶対にあの男に見つからないとは言い切れないのだ。事は一刻を争うと言えるだろう。

「発信機は渡せたから、多分なんとかなると思う。……最悪、あの男の別荘を虱潰しに探すつもりだったから、その手間を考えればだいぶ楽になったかな。シェルも、あれが一番見つからないようにする方法くらいわかってるはずだしね」
「その発信機だよ、ミリー。あんた、そんなもんどこから調達したんだい?ここ数日、工具持ってがちゃがちゃやってたけど……ってまさか」
「自作だよ。ホープ・コードならみんな講義で習ってるし、みんな作ろうと思えば作れる」
「そ、そうなの?結構すごいと思うんだけど!?」
「そんなことないよ。私なんて本当に落ちこぼれだったんだから。今回はたまたま上手く作れたってだけ」

 話しながら店の出口に向かう。人ごみを掻き分けながら進むため、非常にゆっくりとしか移動することができない。あのRINとかいう歌手は本当に人気があるようで、噂を聞きつけたのかさらに人が集まってきているようだった。狭い地下クラブは、もはや通勤電車もかくやといった満員ぶりである。

「それなんだけどさ、ミリー」

 ずっと思ってたんだけどね、とつぐみが言う。

「あんたが落ちこぼれだったってことが、何度聴いてもアタシ信じられないのよ。対面日でそりゃ思いっきりコケてたけどさ。劣等生だの失敗ばっかりだったのって言うわりに、あんたアタシのところに来てからちっとも失敗してないじゃん。毎日飯はうまいし、掃除は完璧だし、アイロンはいつもピッカピカにかかってるしさー」

 そういえばそうかもしれない。言われて初めてミリーも思い至る。雄大のところにいた時は、本当に目も当てられないほど毎日失敗を繰り返していたものだ。テストをすれば凡ミスをして点数を落とし、大事な講義にうっかり遅刻し、物を運んでいる最中で何もないところで躓いてあわや大惨事!なんてことも日常茶飯事だったはずである。それなのに、なぜかつぐみの元に来てからというもの、それらしい失敗を一つもしていないのである。
 上手くいくならそれに越したことはないし、つぐみに迷惑をかけないならそれが一番ではあるけども。どうして?と言われると自分でも理屈がわからないのも確かだ。

「最初、アタシがダメダメだから、あんたが頑張ってくれてる結果だと思ってたけどさ。……どうにもあんたが“成功する”のって、ダメダメなアタシ絡みに限ったことでもないように見えるんだよね」
「どういうこと?」
「えっと……うん、つまりさ……あ」

 つぐみが何か言いかけて、止まった。店から出て、地上へ繋がる階段を登っていた最中のことである。踊り場で、柄の悪そうな男たちが数人たむろしていたのだ。これでは通ることができない。

「すみません、道を開けてくれませんか?」

 ああ腹が立つ。ただでさえこっちはイライラしているどころではないというのに。

「えあー?なんだい可愛いお嬢ちゃんじゃねーか。もうお帰りかよ。せっかくなら俺たちと遊んで行こうぜ。店が人でいっぱいでうぜーからさあ、どうしようかーってこいつらと話してたところなのよ」

 紫色に髪を染めたいかつい男が、馴れ馴れしくミリーの肩に手をまわしてきた。アルコールの匂いとタバコの匂いがきつい。吐き気がしそうだ。相当酔っている。他の連中は、にやにやしながら成り行きを見守っているようだ。
 どうやらこいつがリーダー格らしい、と当たりをつける。そして。

「道を開けてくれって言ってるんだけど。聞こえなかった?遊んでる暇なんかないんだよ、こっちは」

 男の手首を、思い切り握って引きはがした。男が情けない悲鳴を上げて飛びのこうとするも、腕を掴まれていてはどうしようもない。他の男たちがぎょっとしたように立ち上がるのを、ミリーは射殺さんばかりに睨みつけた。



「同じことを何度も言わせるな。どけ」



 八つ当たりだと自分でも解っていた。実際、男たちがキレて殴りかかってきてくれても構わないとさえ思ったほどだ。向こうから手を出してくれれば、殴り倒す大義名分もできるというもの。
 だが幸いというべきか、残念というべきなのか。男たちは見た目ほど馬鹿ではなかったようだった。筋骨隆々のリーダー格をあっさり制してみせた小柄な少女(に見えるはずだ)に、さすがに違和感と本能的な恐怖を覚えたらしい。
 波が引くように道を開けた男たちの間を悠々ととおって、ミリーとつぐみは暗い地下から外へ出た。イルミネーションで目がチカチカする。街はまだ、眠る様子を見せない。すっかり時計を見るのを忘れていたが、終電まであまり時間は残されていなかった。ああいう空間では時間の感覚がマヒするからいけない。次から気をつけなくては。――もう二度と、此処に来ることもないだろうけども。

「……あんた、やっぱり凄いんだね」

 酔っ払いと客引きと、夜勤帰りのサラリーマンでごった返す道を二人で歩く。そんな中、心の底から感嘆したと言うように、つぐみが呟いた。

「人を殺したらどうする、って言ったじゃん。アタシには、無理だよ。自分の愛する人のためだとしても……誰かを殺してまで、その重荷を背負ってまで……守ろうとする勇気なんか、持てないもん」
「……必要ないよ、そんなもの」

 憎悪も怒りも、胸の奥底で煮えたぎっている。冷える気配などない。それでもつぐみのそんな声に少しだけ――別の部分が、落ち着くのを感じていた。
 正確には、我に返ったとても言うべきだろうか。

「そんな勇気も強さも、本当は必要ないものだよ。……人を殺せる強さなんて、本当は…持てないまま生きて死ぬのが、一番いいんだからさ」

 足を踏み外すことさえ、怖いと思えなくなっている自分がいる。それを人間の理性に照らし合わせれば、文字通り“狂っている”としか言いようのないものなのかもしれない。それを後悔するつもりもないのだけれど。
 人間臭くて、優しくて、弱くて、同じだけ人間らしい強さも持っているつぐみのことが。無性に羨ましいと思えるのもまた、事実に違いないのだった。

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