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<第十六話>
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「いやー」
つぐみは終始、ご機嫌な様子で鼻唄を歌っている。
「いやいや本当にね!今日が休みで良かった良かった!買い物行けないところだったよー」
「ということは、つぐみは普通に平日に働いてるってこと?」
「あったりまえじゃーん。ニートだったらあんな部屋借りれないよー家賃たっかいんだもん」
日曜日ということもあって、駅前通りは混雑している。C駅はJRの路線が三本乗り入れているそこそこ大きな駅である。大型のショッピングモールもあるので、休日はかなり賑わうらしかった。
「つぐみって、普段はなんの仕事してるの?」
いいタイミングかもしれない。彼女の仕事の内容や、生活習慣はある程度知っておかなければ家事を回すのも難しいだろう。さてどんな答えが返ってくるのか、と思えば。
「宅急便のドライバーだけど?」
「宅急便…って、えええ!?」
「もう、そんなに驚くことかいな」
つぐみはあっさり答えてくれたが、ミリーがあまりに驚いたので苦笑している。いやだってそうだろう。彼女のがっちりした体格や筋肉を見て、そんな普通の仕事をやっているだなんて思わないではないか。
「言っとくけどね?荷物運ぶのってすごい大変なんだから。力仕事なのよ?腰悪くする人も後を絶たないし。まあ……」
彼女は誇示するように、腕をぐるんぐるんと回して見せた。
「アタシの場合は、もうひとつの本業のせいでマッチョになっちゃったんだけどねぇ。蒼龍流っていう拳法道場で拳法やってんの。格闘技の総合大会があってね、それに向けて特訓中なわけ。でもスポンサーいるでもないし、プロリーグとかあるわけでもないし……格闘技の選手ってだけじゃ、食っていけないからね。宅配の仕事もしてるってわけ」
「そうだったんだぁ……」
納得する。彼女の筋肉のつき方は、足よりも腕や上半身に偏っているように見えたからだ。つまり、走り回る陸上系の競技や球技ではないということである。もちろん、彼女は足もがっちりしているし、体幹も鍛えられている様子だったが。腕力やパンチがものを言う競技なら、どうしても腕の方に筋肉はつきやすくなるのだろう。
「でも、格闘技始めたのは高校からだったからなー。中学まではずっとサッカーやってたのよ。結構マジですごい選手だったんだからね?女子サッカーの全国大会に行くくらいの強豪校だったんだから!まあ……」
ぽつり、と。呟くように、つぐみは言った。
「やめちゃったんだけどね。いろいろ、思い出しちゃうこともあるしさ」
ミリーは思い出した。棚の整理をしていた時に見つかった、あの写真。少し若いつぐみが、彼氏らしき男性と笑いあっているあの景色。場所はグリーンの芝生、どこかのピッチのようだった。多分あれはサッカーのフィールドだったのだ。そして、彼女と彼の服装、あれは――そう、背番号があったあれは。サッカーの、ユニフォームだったのではあるまいか。
「彼氏さんを、思い出してしまうから?」
しまった。ミリーは口にしたあとで己の失言を悟った。つぐみの顔が分かりやすく凍りついたからだ。今のは、ご主人様に仕えるアンドロイドとして、言うべき言葉ではなかったはずである。仕事のことならいざ知れず、彼女の過去の、プライベートな事情だ。わざわざ突っつく必要などなかったはず。少なくとも、自分の立場でそれを尋ねるなど言語道断である。
「ご、ごめんなさい!私……」
「いや、いいよ。…あーうん、棚の掃除してくれてたもんね。ならあの写真見られてるにきまってるわなぁ」
つぐみは苦笑いして頭を掻いた。本当に、参ったな、という様子だったものだから――心の底から申し訳ない気持ちになる。彼女に、ミリーを責める様子がないから尚更に。
「拳法は高校から始めたつったけどね。実際は、高校の時はまだ趣味でさ。高校までサッカーやってたし、これからもやり続けようと思ってたんだよね。で、アイツはその頃の彼氏。写真見たなら分かるだろうけど、アイツもサッカーやってたってわけ。実質高校からアタシは一人暮しだったから、一時は半同棲みたいなもんだったなぁ。いやぁ、燃え上がってたわー。めっちゃ青春してたってカンジ。……本気で好きだった。そのはず、だったんだけどね」
どこか遠い目をするつぐみ。道行く人、歩く先の道、喧騒。まるでその向こうに別の、過去の景色を見ているような眼だった。
「アイツが過去にやらかしてたってこと知っちゃって。……証拠があったわけじゃないし、噂の範疇を出てはいなかったんだけど。あいつはそれが部にバレて退学して、サッカーもやめてアタシの前からいなくなった。アタシはあいつを信じきれなくなって、サッカーやってると思い出すのが嫌で……アタシも一緒にサッカーやめちゃったわけ。まあ、去り際のあいつの言葉からするに、去る前に関係は終わってたんだけどね」
「何を言われたのか、聞いても……いい?」
「ん。お前みたいにマッチョでソバカスだらけのデカくてブスな女、本当は最初から好きじゃなかったんだ。もう顔を見なくて済むと思ったら清々した……ってさ。……はぁ、まあ仕方ないよね。自分よりデカい女は嫌いだって男はいまだに多いし、男が好きなのは基本的にお姫様みたいにおしとやかで華奢な美少女なんだろうしねー。アタシにゃどうしようもなかったわ」
あっはっは、とつぐまは笑う。その声は明るかった。――明るいように見せかけているように、聞こえた。乾いた声で笑い飛ばして、どうにか自分に折り合いをつけるんだと言わんばかりに。
「気にしないでって、ミリー。今はアイツのことなんて何とも思ってないし。今のアタシの恋人役はあんたなんだからね。こっちこそごめんね、元カレの話とかつまんないでしょ」
「……ううん。そんなことは、ないけど」
「なら良かった。はい、暗い話はオシマイオシマイ!今日は楽しい買い物の日!ね?」
「う、うん……」
本当にそうなんだろうか、とミリーは思う。もしも彼女がその人のことをどうとでも思っていないというなら。どうして、あの家賃の高い部屋に住み続けているのだろう。話を聞いていてわかった。やはり、あの部屋は元々は彼氏さんと二人で暮らすための部屋だったのだ。高校生ながら、一人で上京してきたとおぼしきつぐみが――必死で考えて、選んだはずの場所だったのである。
サッカーをやめてしまうほど、思い出したくないことなら。あの部屋にいることそのものが、苦痛でしかないはずなのに。あの場所に住み続け、あまつさえ写真を飾ったままにしているということは、つまり。彼女は本当は今でも――いなくなったあの人を、待ち続けているということなのでは、ないだろうか。
――そう考えると、全部しっくりくる……。
彼女は最初から、ホープ・コードに――ミリーに恋人役なんてものを求めてはいない。だから、レズビアンというわけでもないのに、女の子っぽい雰囲気のミリーを選ぶことにしたのだ。欲しかったのは恋人ではなくて――孤独を埋めてくれる、友人であったのだから。
それなら、ミリーに男になれとも女になれとも言わないことも。一人称を自由にして構わないと言うのも――納得がいく話である。
――ホープ・コードに、どんな関係性を求めるかは自由。別に恋人にならなくたって構わない。ホープ・コードを引き取った後で、人間の恋人をつくったって全然問題はない、けど……。
ホープ・コードは、少子化対策のアンドロイドだ。子供を作るための機械人形だという認識はやはり一般的に強いはずである。その彼氏がもし戻ってきたとして。そこにミリーがいてもいいものなのだろうか。労働力だと割りきれば問題ないだろうが、相手によってはトラブルの種になることも有り得る話である。
――あぁぁ、でも!このへんどれくらい踏み込んでいいものなのかな。これ、言ったらただのお節介なのかなぁ……!?
ミリーははぐるぐると頭を回した。つぐみは優しいし友人としては一緒にいてとても楽しい人物だ。二日にして、かなり打ち解けることができたとは思っている。それだけに、さっきのようにポロッと踏み込むようなことを言ってしまうこともあるわけなのだが。
この距離感に、甘えすぎてはいけないのである。自分達は研修で嫌というほど叩き込まれるのだ。ご主人様に逆らうな。嫌がられることをするな。それはお前たち自身の存在意義を否定するようなものなんだぞ――と。
「ミリー!ミリー!なにぼんやりしてるのさ!着いたよ!」
「!」
そうこうしているうちに、ショッピングモールの入り口に到着していた。そうだ、とりあえず今日の目標を達成しなければなるまい。空っぽの冷蔵庫をどうにかしなければ。肉も米も野菜もすっからかんなのである。
――あんまり時間もかけてられないんだよなぁ。だって、掃除も洗濯も中途半端で出てきちゃってるし。
少なくとも洗濯だけは今日中に終わらせたかった。明日は昼から雨が降るという予報が出ている。つまり外に洗濯物を干すことができない。浴室の乾燥機をフル回転させても、あの量を一日で乾かすのは無理があるだろう。なら、今日中に終わらせてなるべく日に当てておくしかない。朝までは晴れているそうだし、なら夜中ベランダの物干し竿に干しておいても平気だろう。
家事は得意ではないが(それでもつぐみよりは遥かにマシという悲しい現状だが)、嫌いかというとそうではない。誰かの役に立つことは好きだし、それで喜んでもらえることがミリーは大好きである。が、それでも限度はあるのだ。あの量はさすがにうんざりしてしまうというものである。
――次から、最低でも一日一回は必ず洗濯機を回してくれるよう、つぐみに言っておかないと……。
そのつぐみは、事の大変さを分かっているのかいないのか。案内板の前で肉が食いたいだの新しいコートが欲しいだのやんややんやと騒いでいる。なんて能天気なのか。まるで他人事である。
――まあ、それがつぐみのいいところなんだろうなぁ。
ミリーは案内のパンフレットをメガホンのように丸めると、ぺしり、と緊張感のないご主人様の後ろ頭をはたいたのだった。
「もう、つぐみったら。服の買い物もレストランも後回し、だよ!今日は食料品買うためだけに来たんだからね、わかってる?行くって言い出したのつぐみなんだからね?」
「えー、いいじゃんちょっとくらいー」
「ご飯が出なくて困るのはつぐみだよ!ほら、さっさとスーパー行くよ!」
「ぶー」
こんなやり取りも、つぐみ相手だから許されるのだと知っている。自分は本当に良いご主人様に恵まれたのだ。
ホープ・コードの中にはそれこそ奴隷のように扱われて、夢も希望も自由もない生活を送っている者も、きっと存在するのだろうから。
つぐみは終始、ご機嫌な様子で鼻唄を歌っている。
「いやいや本当にね!今日が休みで良かった良かった!買い物行けないところだったよー」
「ということは、つぐみは普通に平日に働いてるってこと?」
「あったりまえじゃーん。ニートだったらあんな部屋借りれないよー家賃たっかいんだもん」
日曜日ということもあって、駅前通りは混雑している。C駅はJRの路線が三本乗り入れているそこそこ大きな駅である。大型のショッピングモールもあるので、休日はかなり賑わうらしかった。
「つぐみって、普段はなんの仕事してるの?」
いいタイミングかもしれない。彼女の仕事の内容や、生活習慣はある程度知っておかなければ家事を回すのも難しいだろう。さてどんな答えが返ってくるのか、と思えば。
「宅急便のドライバーだけど?」
「宅急便…って、えええ!?」
「もう、そんなに驚くことかいな」
つぐみはあっさり答えてくれたが、ミリーがあまりに驚いたので苦笑している。いやだってそうだろう。彼女のがっちりした体格や筋肉を見て、そんな普通の仕事をやっているだなんて思わないではないか。
「言っとくけどね?荷物運ぶのってすごい大変なんだから。力仕事なのよ?腰悪くする人も後を絶たないし。まあ……」
彼女は誇示するように、腕をぐるんぐるんと回して見せた。
「アタシの場合は、もうひとつの本業のせいでマッチョになっちゃったんだけどねぇ。蒼龍流っていう拳法道場で拳法やってんの。格闘技の総合大会があってね、それに向けて特訓中なわけ。でもスポンサーいるでもないし、プロリーグとかあるわけでもないし……格闘技の選手ってだけじゃ、食っていけないからね。宅配の仕事もしてるってわけ」
「そうだったんだぁ……」
納得する。彼女の筋肉のつき方は、足よりも腕や上半身に偏っているように見えたからだ。つまり、走り回る陸上系の競技や球技ではないということである。もちろん、彼女は足もがっちりしているし、体幹も鍛えられている様子だったが。腕力やパンチがものを言う競技なら、どうしても腕の方に筋肉はつきやすくなるのだろう。
「でも、格闘技始めたのは高校からだったからなー。中学まではずっとサッカーやってたのよ。結構マジですごい選手だったんだからね?女子サッカーの全国大会に行くくらいの強豪校だったんだから!まあ……」
ぽつり、と。呟くように、つぐみは言った。
「やめちゃったんだけどね。いろいろ、思い出しちゃうこともあるしさ」
ミリーは思い出した。棚の整理をしていた時に見つかった、あの写真。少し若いつぐみが、彼氏らしき男性と笑いあっているあの景色。場所はグリーンの芝生、どこかのピッチのようだった。多分あれはサッカーのフィールドだったのだ。そして、彼女と彼の服装、あれは――そう、背番号があったあれは。サッカーの、ユニフォームだったのではあるまいか。
「彼氏さんを、思い出してしまうから?」
しまった。ミリーは口にしたあとで己の失言を悟った。つぐみの顔が分かりやすく凍りついたからだ。今のは、ご主人様に仕えるアンドロイドとして、言うべき言葉ではなかったはずである。仕事のことならいざ知れず、彼女の過去の、プライベートな事情だ。わざわざ突っつく必要などなかったはず。少なくとも、自分の立場でそれを尋ねるなど言語道断である。
「ご、ごめんなさい!私……」
「いや、いいよ。…あーうん、棚の掃除してくれてたもんね。ならあの写真見られてるにきまってるわなぁ」
つぐみは苦笑いして頭を掻いた。本当に、参ったな、という様子だったものだから――心の底から申し訳ない気持ちになる。彼女に、ミリーを責める様子がないから尚更に。
「拳法は高校から始めたつったけどね。実際は、高校の時はまだ趣味でさ。高校までサッカーやってたし、これからもやり続けようと思ってたんだよね。で、アイツはその頃の彼氏。写真見たなら分かるだろうけど、アイツもサッカーやってたってわけ。実質高校からアタシは一人暮しだったから、一時は半同棲みたいなもんだったなぁ。いやぁ、燃え上がってたわー。めっちゃ青春してたってカンジ。……本気で好きだった。そのはず、だったんだけどね」
どこか遠い目をするつぐみ。道行く人、歩く先の道、喧騒。まるでその向こうに別の、過去の景色を見ているような眼だった。
「アイツが過去にやらかしてたってこと知っちゃって。……証拠があったわけじゃないし、噂の範疇を出てはいなかったんだけど。あいつはそれが部にバレて退学して、サッカーもやめてアタシの前からいなくなった。アタシはあいつを信じきれなくなって、サッカーやってると思い出すのが嫌で……アタシも一緒にサッカーやめちゃったわけ。まあ、去り際のあいつの言葉からするに、去る前に関係は終わってたんだけどね」
「何を言われたのか、聞いても……いい?」
「ん。お前みたいにマッチョでソバカスだらけのデカくてブスな女、本当は最初から好きじゃなかったんだ。もう顔を見なくて済むと思ったら清々した……ってさ。……はぁ、まあ仕方ないよね。自分よりデカい女は嫌いだって男はいまだに多いし、男が好きなのは基本的にお姫様みたいにおしとやかで華奢な美少女なんだろうしねー。アタシにゃどうしようもなかったわ」
あっはっは、とつぐまは笑う。その声は明るかった。――明るいように見せかけているように、聞こえた。乾いた声で笑い飛ばして、どうにか自分に折り合いをつけるんだと言わんばかりに。
「気にしないでって、ミリー。今はアイツのことなんて何とも思ってないし。今のアタシの恋人役はあんたなんだからね。こっちこそごめんね、元カレの話とかつまんないでしょ」
「……ううん。そんなことは、ないけど」
「なら良かった。はい、暗い話はオシマイオシマイ!今日は楽しい買い物の日!ね?」
「う、うん……」
本当にそうなんだろうか、とミリーは思う。もしも彼女がその人のことをどうとでも思っていないというなら。どうして、あの家賃の高い部屋に住み続けているのだろう。話を聞いていてわかった。やはり、あの部屋は元々は彼氏さんと二人で暮らすための部屋だったのだ。高校生ながら、一人で上京してきたとおぼしきつぐみが――必死で考えて、選んだはずの場所だったのである。
サッカーをやめてしまうほど、思い出したくないことなら。あの部屋にいることそのものが、苦痛でしかないはずなのに。あの場所に住み続け、あまつさえ写真を飾ったままにしているということは、つまり。彼女は本当は今でも――いなくなったあの人を、待ち続けているということなのでは、ないだろうか。
――そう考えると、全部しっくりくる……。
彼女は最初から、ホープ・コードに――ミリーに恋人役なんてものを求めてはいない。だから、レズビアンというわけでもないのに、女の子っぽい雰囲気のミリーを選ぶことにしたのだ。欲しかったのは恋人ではなくて――孤独を埋めてくれる、友人であったのだから。
それなら、ミリーに男になれとも女になれとも言わないことも。一人称を自由にして構わないと言うのも――納得がいく話である。
――ホープ・コードに、どんな関係性を求めるかは自由。別に恋人にならなくたって構わない。ホープ・コードを引き取った後で、人間の恋人をつくったって全然問題はない、けど……。
ホープ・コードは、少子化対策のアンドロイドだ。子供を作るための機械人形だという認識はやはり一般的に強いはずである。その彼氏がもし戻ってきたとして。そこにミリーがいてもいいものなのだろうか。労働力だと割りきれば問題ないだろうが、相手によってはトラブルの種になることも有り得る話である。
――あぁぁ、でも!このへんどれくらい踏み込んでいいものなのかな。これ、言ったらただのお節介なのかなぁ……!?
ミリーははぐるぐると頭を回した。つぐみは優しいし友人としては一緒にいてとても楽しい人物だ。二日にして、かなり打ち解けることができたとは思っている。それだけに、さっきのようにポロッと踏み込むようなことを言ってしまうこともあるわけなのだが。
この距離感に、甘えすぎてはいけないのである。自分達は研修で嫌というほど叩き込まれるのだ。ご主人様に逆らうな。嫌がられることをするな。それはお前たち自身の存在意義を否定するようなものなんだぞ――と。
「ミリー!ミリー!なにぼんやりしてるのさ!着いたよ!」
「!」
そうこうしているうちに、ショッピングモールの入り口に到着していた。そうだ、とりあえず今日の目標を達成しなければなるまい。空っぽの冷蔵庫をどうにかしなければ。肉も米も野菜もすっからかんなのである。
――あんまり時間もかけてられないんだよなぁ。だって、掃除も洗濯も中途半端で出てきちゃってるし。
少なくとも洗濯だけは今日中に終わらせたかった。明日は昼から雨が降るという予報が出ている。つまり外に洗濯物を干すことができない。浴室の乾燥機をフル回転させても、あの量を一日で乾かすのは無理があるだろう。なら、今日中に終わらせてなるべく日に当てておくしかない。朝までは晴れているそうだし、なら夜中ベランダの物干し竿に干しておいても平気だろう。
家事は得意ではないが(それでもつぐみよりは遥かにマシという悲しい現状だが)、嫌いかというとそうではない。誰かの役に立つことは好きだし、それで喜んでもらえることがミリーは大好きである。が、それでも限度はあるのだ。あの量はさすがにうんざりしてしまうというものである。
――次から、最低でも一日一回は必ず洗濯機を回してくれるよう、つぐみに言っておかないと……。
そのつぐみは、事の大変さを分かっているのかいないのか。案内板の前で肉が食いたいだの新しいコートが欲しいだのやんややんやと騒いでいる。なんて能天気なのか。まるで他人事である。
――まあ、それがつぐみのいいところなんだろうなぁ。
ミリーは案内のパンフレットをメガホンのように丸めると、ぺしり、と緊張感のないご主人様の後ろ頭をはたいたのだった。
「もう、つぐみったら。服の買い物もレストランも後回し、だよ!今日は食料品買うためだけに来たんだからね、わかってる?行くって言い出したのつぐみなんだからね?」
「えー、いいじゃんちょっとくらいー」
「ご飯が出なくて困るのはつぐみだよ!ほら、さっさとスーパー行くよ!」
「ぶー」
こんなやり取りも、つぐみ相手だから許されるのだと知っている。自分は本当に良いご主人様に恵まれたのだ。
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