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<25・地獄>

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 自分は生まれた時から、誰かにとっての道具である。雉本光がそう認識したのはある意味当然のことだった。物心ついた時にはもう、自分の傍にいる男女からの扱いはそのようなものであったのだから。あれが本当の両親だったのかは今でもわからないし、正直そうだとも思いたくない。実の親が、果たして血のつながった我が子にここまでのことができるなんて、未だに信じたくない己もどこかにいるからだ。
 小さな頃の日課は、コンビニでの万引きだった。
 親に教わるまま、色々な店でちょこちょこと盗みをは働いた。オニギリからハブラシ、充電器から雑誌まで。そういうものを日用品として活用したり、あるいはどこかに売ったり。時にはあの男女と二人で協力して“普通の家族”のフリをした上で、詐欺行為に及んだこともある。親切な人に道を訊くフリをしてスリを行うとか、まあそういう犯罪が基本だ。
 嫌でもスキルは上達せざるをえなかった。犯罪が成功しなければ、光のご飯がないなんて珍しくもなんともなかったからだ。否、食事抜きにされるだけならマシな方で、大抵は殴る蹴るの暴力が待っていた。忌々しいことに彼等はいつも顔や腕以外の、服で隠れる場所ばかりに傷をつける。そのおかげで、当時の光は腹から胸のあたりを中心にいつも傷だらけだった。

『あんたは道具なのよ、いい?』

 自分にさほど似ていない、やたらと化粧がケバかった女はいつも自分にそう言った。

『あたし達の道具になるために生まれてきたの。道具として生きて、道具として死んでいく。使えなくなったらあんたもゴミ箱行きなんだからね。少しでも長生きしたいなら、精々道具として役に立つ努力をなさい。いいわね?』

 光に、頷く以外の選択肢があっただろうか。死にたくないと思っていたかは微妙だ。ただ、死ぬ、ということをどういうことか理解することもできていなかったのだから仕方ない。ただ、痛みだけが自分の中で真実だったと言っていい。道具として役に立たなければ、今よりもっともっと痛いことをされるのだ。それはとても恐ろしいこと。小学校に上がるよりも前に、光は嫌でもそれを理解させられていたのだった。
 親にしつこく演技指導をさせられたうえで小学校には通わされた。学校に行かせていないと面倒な事情があったのか、とにかく給食だけでも食わせておかないと食費が勿体ないと思ったのかは定かではない。当時通っていた小学校は、残念ながらお世辞にも治安がいいとは言えない場所で、光のように明らかに訳ありの子供も少なくない様子だった。そのため、光の様子が多少おかしくても、それこそ他の学校なら虐待を疑われてもおかしくない傷が着替えの時に見えても、教師たちはわれ関せずと言った様子で何もしてこなかった。というより、彼等にも余裕がなかったと言うべきだろうか。
 小学校に通い始めた頃までは、痛みをちゃんと痛みと感じることができていたように思う。というより、自分にとっては何よりの恐怖だったはずである。
 それがおかしくなった原因は、恐らく二つ。
 小学校三年生頃から、父親と母親、両方からの虐待がさらに悪化したこと。光は栄養状態が良くないわりに、身長だけはわりと早いうちに伸びる子供だった。今思えばあの二人も結構背が高い方だったので、いわゆる遺伝というものだったのだと思われる。
 最初に自分に手を出してきたのは、母親の方だった。

『お前、あの人に結構似てきたわよね』

 いくらそこそこ身長はあっても、九歳の子供が大人の女の腕力に勝てるはずがない。無理やり抑え込まれて、裸にされた。そして上に跨られ、行為を強制された。まだ精通も来ていない体にはひたすら苦痛で、気持ち悪いだけの行為。しかも彼女の股間の、べたべたしたものを無理やり舐めさせられて吐きそうになっては殴られた。最低の初体験だった。
 最悪なのは、それを知った父親の方が怒りを母親ではなく光の方に向けてきたこと。突然殴られた挙句、今度は処女まで父親に奪われたのだ。

『お前はあいつによく似てるな、人を誑かすんじゃねえよ道具の分際で!』

 痛くて痛くてたまらなかった。中途半端な知識しか持ってはいなかったが、それでも自分がけして“両親”と呼ばれる存在とやってはいけないことをやってしまったことを知った。殴られた顔も、汚いものを吐き出されたお腹も、そうでない場所も全部が痛い。生きているだけで地獄だ、どうすれば終わらせられるのか。悲しいかな、自分で選べる選択肢の全てを生まれた時から剥奪されてきた少年に、自害なんてものを選ぶことなどできるはずもなかったのである。方法など知らないし、そもそもそれで本当に解放される保証などどこにもなかったがゆえに。
 これが、歪んでいようとも愛情からならどれほど良かったのか。
 母親からは欲望で、父親からは憎悪で。あるいは二人揃っての嘲笑と侮蔑で。自分の世界にはそれしかなかった。両親からのレイプが日常に当たり前のように組み込まれるようになった頃、光は二人に命じられて初めて人を殺したのだった。それが、小学校四年生になった時のこと。
 その男が、彼等にとっていかように邪魔であったのかは知らない。ただ殺せと言われてナイフで刺殺し、二人と一緒にバラバラにする作業をした。人間だったものを解体していくうちに、凄まじい嫌悪感と吐き気にも慣れてしまって、己の心まで切り刻んでいるような心地にさせられたのだ。
 ぶつん、ぶつん、ぶつんと。きっとあの瞬間決定的に、光は己の心の大切な部分を断ち切ってしまったのだろう。自分でも分かっていたが、止められなかったし止めようとも思わなかった。ただ、それ以降どのような苦痛を受けても、どこか他人事のように感じることで痛みを軽減する術を身に着けたというだけだ。

――どうせ道具なら。せめて、もっと頭のいい奴らに使われたい。

 成長するにつれ理解したのは、己の両親がとても頭の悪い人間だという事実。子供の頃にはわからなかった、彼等の非効率ぶり。いい年の大人であるのにまともな仕事もしない、喋り方もガラが悪い、ちゃんと働いている人間を馬鹿にしている。勉強ができないという意味の“頭が悪い”ではないのだ。とにかく、人間としてあまりにだらしなく、破綻している点が多すぎる。自分がもう少し強くなったらその支配から抜け出せるだろうか、もっと他にいい飼い主が自分を見つけて拾ってはくれないだろうか。段々と、そんなことを考えるようになっていったのだった。
 問題は、一人で生きて行こうとか、定められたルールを壊してどこかに行こうという気概が既に光にはなかったこと。ずっと誰かに命令されて、使われるのが当たり前の人生。彼等の家を出て行こうとするだけで冷や汗が出て、体が強張って息が荒くなる。頭からつま先まで叩き込まれた恭順は、多少体が大きくなっても、学校で喧嘩ができるくらいの強さを得ても変えることができなかったのである。
 そう。もしもるりはと出逢うことができなければ。自分は今でもあの家で、あの二人の体のいい奴隷で、性欲処理の人形で、サンドバックのままであったことだろう。

『君、今万引きしたでしょ。ものすごく手慣れてる。ずーっとそうやって生きてきたみたいに。店員さんも気づいてなかったみたいだし』
『!』

 小学校五年生の時、とあるスーパーで万引きしたのをるりはに見つかった。たったそれだけのことで、彼女は光が置かれている状況の多くを理解したらしかった。

『大丈夫、誰にも言わないわ。……でも、勿体ないなあ。あんたの喧嘩も見たことあるけど、すごく筋が良かったし……さっきの万引きもものすごく鮮やかだった。手先が器用なのね。……それだけの力があるなら、もっと出来ることがたくさんあるのに。……ねえ』

 自分が人生で見てきた、どんな人間よりも美しい少女は。小学生でありながら明らかに不良の様相だった光に物怖じすることもなく、耳元で囁いたのである。



『ねえ、あんた。ご主人様を、替えてみるつもりはない?……私はもっともっと上手にあんたを使ってあげるし、素敵なご褒美もたくさんあげるわ』



 鮫島るりはという少女が、どういう人間であるのか。正直、彼女の彼氏として付き合うようになった今でさえ、光にはよくわかっていないのである。小学生の時にはもう、るりはは完成されていた。そこそこお金持ちの家の娘で、何故か彼女の家族も使用人もみんな彼女の言いなりになっていて――わかっているのはそれくらいなものである。
 確かなことは一つ。
 光が了承したその翌日にはもう、世界が一変。前の晩まで揃って光を凌辱していた男女は、翌日全裸のなんとも情けない姿を晒したまま、ベッドの上で死んでいたのだ。それこそ、快楽に負けて揃って腹上死でもしたかのように。どうやったのかはわからなかった。るりはの様子から、二人を殺したのが彼女の手引きであったらしいと理解しただけだ。
 あれよあれよという間に光は彼女の親戚に養子として引き取られる事になり、光は己の世界を壊してくれた彼女に忠誠を誓うことになるのである。彼女と寝たのは、なんと小学校を卒業する前の日のこと。彼女は道具を駆使して、光をそれはそれは丁寧に“抱いて”くれた。生まれて初めてセックスが気持ちよいものだと知ったその日。それは、光が彼女の使徒に、騎士に、従順な道具になったことを誓った日でもあったのだった。

――俺にとって、るりはは人生で唯一のご主人様。あいつの願いを叶えて、いつかボロボロのゴミになるまで使ってもらうことこそ俺の幸せだ。

 光が彼女と普通のセックスをしないのもその証だ。自分は便宜上彼女の彼氏と言う立場であっても、結婚を約束できるような立場ではない。あくまで奴隷。だから彼女に抱かれることはあっても抱くことはけしてしない。そもそも普通のセックスでは多分満足できなくなってしまっているというのもあるのだが。

――不幸なんかじゃない。るりはのためならこの能力をいくらでも使う。痛みに鈍いことだって役に立つ。自分の体を切り刻むくらいなんだっていうんだ。

 そう、己の信念は揺らがない。揺らいでいいはずがない。それなのに。



『駄目だよ、そんなの。痛いことを、痛いって……言えなくなっちゃったら、駄目だよ』



 あんな言葉に、何故自分は動揺しているのだろう。
 あれを認めたらまるで――るりはに救われてなお、自分が“可哀想な人間”のままであるようではないか。

「!」

 突然、建物に警報が鳴り響いたのはその時だった。まさか本当に、優理の仲間達が助けに来たとでもいうのか。このヘキの町のペーパーカンパニーのビルを、地下も含めてアジトにしているのは少し調べればわかることだろう。だが、まさか出逢って数日ばかりの転生者を、危険を承知でポーラ達が救いに来たというのか。この場所には光の能力で言いなりになっている兵士達が大量に詰めているというのに。

「ちっ……!」

 丁度、己の傷の回復も終わったところだ。仕方ない、と光は立ち上がる。
 迎撃しなければいけない――るりはのために。
 例えどれほど、己の心に迷いが生まれつつあったとしても。
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