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<第五話・男の子の色、女の子の色>
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不純な動機であることは、有純自身百も承知なのだ。実際、港のことに関しては殆ど何も知らないに等しい。なんせ写真を見て誰かから情報を貰っただけ。直接話したこともない相手だ。
裏門の前、職員室に寄ってくるという夏騎を待ちながら有純は思う。こんな後悔などしたところでどうにもならないけれど――それでも思わずにはいられない。だって、彼は転校生でもなんでもない。一年生から、違うクラスであるとしても、話そうと思えば話す機会などいくらでもあったはずなのだから。実際、他のクラスにだって友達の多い有純である。その気になれば、学年全体の生徒達を把握することも不可能ではなかったというのに。
――こんなことになるなら、もっとみんなと……いろんな話をしておけば、良かったな。しかも、そんな子を、夏騎を助けるためって名目で俺、利用しようとしてるんだもんな……。
一人の時間は、あまり好きではない。こうして木陰に立って空を見上げていると、色々と余計なことばかり考えてしまうのだ。
――そういえば俺、いつから“俺”になりたいって思うようになったんだっけかな。男の子っぽいってからかわれることもあるし、こういう俺のこと……みんなが好きになってくれるわけじゃないってこと、最初からわかってたのに。
そうだ、一番最初は幼稚園の時のことだったような気がする。当時は園にいるときの制服(別の名称があったような気がするがよく覚えていない。ワンピースタイプの服の下にスカートやズボンを履く形式であったのは記憶している。多分外で遊んで汚れても洗いやすいように、そして目立つようにという名目だったのだろう)が、二種類存在していた。男の子用の水色の服と、女の子用のピンクの服である。今から思うと、あの幼稚園は少々古い体質であったのかもしれなかった。男女を当たり前のように、本人の意思を問わず色分けすることに固執していたのだから。
幼稚園に入ってすぐ、一人の女の子が泣いていたのである。自分はピンクの服は嫌だ、水色の服が着たい、と先生に訴えていたのだ。女の子でもピンクが嫌いな子はいるし、水色が好きな子もいる。男の子の逆も然りだろう。ましてや、今はLGBTQの問題もある。女の子の身体を持っているからといって、心は男の子なんてこともあるかもしれない。また、実際性別の認識が中間地点だったり、どっちにもない子供もいる。そういう子が、いわゆる色分けという形で性別を押し付けられるのは、非常に嫌なことであったことだろう。
その子が、実際はどうであったのかはわからない。ただ単に水色が好きなだけであったかもしれないし、もっと深刻な心の問題があったのかもしれない。
確かなのは彼女に対してその幼稚園の先生が、殆ど理解を示してくれなかったということだろうか。
『あのね、まりかちゃん。女の子はピンクの服、男の子は水色の服って決まっているのよ。まりかちゃんだけ、わがまま言っちゃだめでしょ?』
『でも、まりか、ぴんくはいや。みずいろがいい。なんで、みずいろはだめなの?』
『みずいろは、男の子のお洋服なの。まりかちゃん、女の子でしょう?』
『女の子は、なんでみずいろはだめなの。まりか、だったら男の子になる……みずいろがいいよう……!』
『あのね、男の子はそんなふうにすぐ泣いたりしないの。ほら、みんなこまってるでしょ?まりかちゃんがそうやって泣いてるからなのよ?』
会話は、完全に堂々巡りだった。幼心に、先生の言葉がおかしいことに気づいたのだ。
守らなければならないきまり、とかルール、があることは知っている。でも子供だって、どうしてそういうルールがあるのか、について知りたいと思うのは当然のことであるはずなのだ。例えば道路に飛び出してはいけない、とか。信号は青にならないと渡ってはいけない、手を上げて渡るべきであるというのはわかる。多分、納得している子供も多い(ボールなどに気を取られて忘れてしまうことはあるにせよ)。何故なら“危ないから”“車にぶつかってしまうから”“車にぶつかってしまうと、とっても痛い思いや怖い思いをするから”ということを皆がきちんと説明されるからだ。
もちろん、どれくらい痛いか、という認識に差はあるだろう。でも、転んですりむいた時よりずーと痛い、と言われればなんとなくその恐ろしさには想像がつく。だから、子供はいくら幼くても、大人には“きちんと話をしようとする姿勢”が欲しいと感じることも少なくないのだ。わからなくても、一生懸命説明しようとしてくれているのを感じ取るだけで、子供は子供なりに必死で理解しようとするものなのだから。
けれど、その先生は一言も“どうして女の子はピンクで、男の子は水色と決まっているのか”について説明してくれようとはしなかった。あげく、泣いている女の子がいけないと、無関係の他の子供達を巻き込んで責め立てようとしたのである。それで、女の子が納得できるかといえば、断じてそんなことはないはずで。
――なんか、いやだな。
ぼんやりと、納得がいかないもの、不快なものを感じていた時。泣いている女の子の傍に立って、声をかけた少年がいたのである。
『せんせい、おれ、こまらないけど』
そう、夏騎だ。
『まりかちゃんが、水色のふくでもいいとおもう。せんせい、さっきからへんだよ。なんで女の子は水色のふくじゃだめなの?どうしてそういうきまりになっているのか、ぜんぜんおしえてくれない』
『え』
『あと、男の子だって泣くことはあるし。おれだって、あるし。泣いたら男の子じゃないの?じゃあ、おれ、男の子じゃないの?』
『え、えっと……』
今から思うに。幼稚園の先生は、“どうしてそういう決まりになっているのか”が説明できなかったのだろう。だから話題を逸らして、みんなが困っているから守らなければいけない、なんて責任転嫁をしようとしたのだ。
けれど、それはたった四歳の子供に、しっかりと見抜かれてしまっていたのである。あの時確かに、夏騎は怒っていたのだから。
『ねえみんな。まりかちゃんが、水色のふくだったらいや?泣いてたら、こまる?』
そうやって、みんなに話しかけた。そうだ、あの時だ、と有純は思い出す。あの時にはもう――今と変わらない、誰より勇敢で優しい夏騎が出来上がっていたのだ、と。
何故なら泣いていた“まりかちゃん”と夏騎は、特に親しい間柄でもなかった。むしろ幼稚園に入ったばかりで、有純以外に知り合いなんてほとんどいない状況である。それなのに、彼は当たり前のように助けに入った。そして、彼の言葉にみんなが耳を傾け、目を離せなくなっていたのである。
『こまらない!』
だから、有純は声をあげた。
『水色のふくだって、いいとおもう!だめじゃないとおもう!ないてたら……かわいそうだとおもうけど、なかないようにしてあげるのが、ともだちだとおもう!』
その声に、他の子供達も便乗した。そして、こまらないよ!だいじょうぶだよ!とみんなが声を上げたのである。不憫だったのは先生で、今から思うと少々申し訳ないことをしてしまった気がしないでもないが――とにかく結果として、まりかという一人の少女は好きな色の制服を着ることが許されたのは紛れもない事実だった。
そうだ、あの時だ。あの時にはもう有純は、夏騎のことが好きになっていたのである。みんなが困惑して見ているだけでしかなかった状況で、彼は迷いなく声をあげて一人の少女を助けられる人間だった。それがとても、とても格好良く見えたのである。
『なんで、水色のふくでもいいって言ってあげたの?』
後になって、夏騎に尋ねれば。彼はむくれた顔で、だって、と答えてきたのだった。
『だって、男の子だから、女の子だからって色々きめつけられるのおかしいじゃんか。なんで、そういうの、先生たちにきめられないといけないんだよ。ピンクのふくきたって、水色のふくきたって、だれがこまるのかわからない。こまることがあるなら、それをちゃんとはなしてほしい。……すきなものが、すきで、どうしていけないんだ。まりかちゃんがかわいそうだよ』
これもさらに後になってから知った話。夏騎は、当時ピンク色や赤色の玩具や人形に興味があったらしいのだ。彼の場合、男の子が好きそうな戦隊ヒーローや車も好きだが、女の子が興味を持つ分野にもそれが及んでいたというパターンだったのだろう。とにかく、目に映るいろんなものに興味を持って手を伸ばしてみるタイプの少年だった。――そして多分、親か誰かに叱られたのだろう。男の子が可愛いお人形やぬいぐるみ、ピンクの小物に興味を持つなんておかしい、気持ち悪いと。
だから、逆である少女に自分を重ねて怒ったに違いない。そう、彼はそうやってこの頃から、誰かの立場を想像して、誰かを思いやれる少年であったのだ。
『男の子だから、女の子だから、男らしく女らしく……なんて、どうしてそうしないといけないんだろう。テレビではみんな、“男女びょうどう”っていってるのに。男も女もおなじなんだ、みたいなことはなしてるのに』
聡明で、理解力があるからこそ彼は答えを出し、その出した答えゆえに悩んでいたのだろう。そして、拙いながら語られたその考えに、有純は非常に共感したのだ。
そう、大人に、男らしく女らしくなんて――固定概念を押し付けられて、好きなものを好きと言えないのは間違っている。でも、それが“間違っている”と幼い子供が意見を通すのはとても難しいことなのだ、と。
『……うん、なつきは、正しいと思う!』
だから。当時はそこまで難しく考えられていなかった有純も、幼いなりにひとつの答えを出したのだ。
つまり、自分も自分なりに、大人の人のしょうもない考え方に逆らってやりたいと思ったのである。そうすることが、とてもカッコイイことのように思えたのだ。同時に、悩んでいる夏騎を励ます手段になるはずだ、と。
『じゃあ、あすみは、今日からじぶんを“おれ”っていうことにする!』
『え』
『おれも、水色のふくにするんだ!そんでもって、男の子のよりもずーっとカッコイイ女の子になってやる!せんせいたちを、ぎゃふんといわせてやるんだから!!』
――ああ、そうだったよなあ。最初は、そういうくっだんねぇ反抗心だったけっか。
けれど、意外にもそんな有純を受け入れてくれる子供達は多く。多分、無意識に感じていた“大人達のおしつけ”に反抗したい気持ちが、彼らにも心の中にあったということなのだろう。
夏騎と有純は、幼稚園でどこのクラスに行っても中心人物として歓迎されるようになっていた。有純はそれが嬉しくて楽しくて、もっとみんなに喜ばれるような“ヒーローな女の子”になろうとしていたように思う。いじめられている子は絶対に助けたし、男の子に負けないくらいケンカが強い子になろうと身体を鍛えるようにもなった。
その甲斐もあってか、学校の勉強はともかく、運動において有純が苦労したことは一度もなかったりする。そして小学校に入る前からぐんぐんと背は伸び続けていた。なんと、五年生の今の段階で身長は167cmある。小学校に上がってからは背の順で、自分の後ろに他の子が並んだことはただの一度もないほどだ。
――そうだ、俺。みんなのヒーローになりたかったんだ。ヒーローになれば……みんなの人気者になれるって、信じてたから。なんていうか、理由がしょうもないけど。
でも、そんな自分は――夏騎が一番辛い時、傍にいてやることができなかったのだ。
そして港のことも。顔も名前も知らず、そもそも自殺した生徒が彼であるということさえ最近知った始末。だから正直、本当にこれは正しい選択なのかと思い悩んでいるのも事実ではある。
そんな自分でも、今からできることはあるのか。そもそも今からやろうとしていることは本当に夏騎や港のためになるのか。あくまで、夏騎に嫌われたくない自分自身の自己満足になっていやしないかどうか。
――わからない。わかんないけど、でも。このまま足踏みして、何もしないなんて嫌なんだ。
「有純」
はっとして顔を上げれば、夏騎の顔があった。いつからそこにいたのだろう。少し心配そうにこちらを覗きこむ眼は、離れる前とまるで変わっていない。
「どうしたんだ。何か考え込んでいるようだったけど」
「え?あ、いやその……なんでもない」
「ならいいけど」
こんなドロドロした気持ちなど、夏騎に知られたくない。だから言いかけた言葉も、言えない気持ちも、全て有純は胸の奥にしまった。
今一番に考えるべきは、きっとこんなことではないのだから。
「とりあえず、計画について話すから。有純、聞いてくれるか」
そして、夏騎は今回の“調査”について話し始めるのである。優等生と呼ばれることの多い、彼らしからぬ大胆な計画を。
裏門の前、職員室に寄ってくるという夏騎を待ちながら有純は思う。こんな後悔などしたところでどうにもならないけれど――それでも思わずにはいられない。だって、彼は転校生でもなんでもない。一年生から、違うクラスであるとしても、話そうと思えば話す機会などいくらでもあったはずなのだから。実際、他のクラスにだって友達の多い有純である。その気になれば、学年全体の生徒達を把握することも不可能ではなかったというのに。
――こんなことになるなら、もっとみんなと……いろんな話をしておけば、良かったな。しかも、そんな子を、夏騎を助けるためって名目で俺、利用しようとしてるんだもんな……。
一人の時間は、あまり好きではない。こうして木陰に立って空を見上げていると、色々と余計なことばかり考えてしまうのだ。
――そういえば俺、いつから“俺”になりたいって思うようになったんだっけかな。男の子っぽいってからかわれることもあるし、こういう俺のこと……みんなが好きになってくれるわけじゃないってこと、最初からわかってたのに。
そうだ、一番最初は幼稚園の時のことだったような気がする。当時は園にいるときの制服(別の名称があったような気がするがよく覚えていない。ワンピースタイプの服の下にスカートやズボンを履く形式であったのは記憶している。多分外で遊んで汚れても洗いやすいように、そして目立つようにという名目だったのだろう)が、二種類存在していた。男の子用の水色の服と、女の子用のピンクの服である。今から思うと、あの幼稚園は少々古い体質であったのかもしれなかった。男女を当たり前のように、本人の意思を問わず色分けすることに固執していたのだから。
幼稚園に入ってすぐ、一人の女の子が泣いていたのである。自分はピンクの服は嫌だ、水色の服が着たい、と先生に訴えていたのだ。女の子でもピンクが嫌いな子はいるし、水色が好きな子もいる。男の子の逆も然りだろう。ましてや、今はLGBTQの問題もある。女の子の身体を持っているからといって、心は男の子なんてこともあるかもしれない。また、実際性別の認識が中間地点だったり、どっちにもない子供もいる。そういう子が、いわゆる色分けという形で性別を押し付けられるのは、非常に嫌なことであったことだろう。
その子が、実際はどうであったのかはわからない。ただ単に水色が好きなだけであったかもしれないし、もっと深刻な心の問題があったのかもしれない。
確かなのは彼女に対してその幼稚園の先生が、殆ど理解を示してくれなかったということだろうか。
『あのね、まりかちゃん。女の子はピンクの服、男の子は水色の服って決まっているのよ。まりかちゃんだけ、わがまま言っちゃだめでしょ?』
『でも、まりか、ぴんくはいや。みずいろがいい。なんで、みずいろはだめなの?』
『みずいろは、男の子のお洋服なの。まりかちゃん、女の子でしょう?』
『女の子は、なんでみずいろはだめなの。まりか、だったら男の子になる……みずいろがいいよう……!』
『あのね、男の子はそんなふうにすぐ泣いたりしないの。ほら、みんなこまってるでしょ?まりかちゃんがそうやって泣いてるからなのよ?』
会話は、完全に堂々巡りだった。幼心に、先生の言葉がおかしいことに気づいたのだ。
守らなければならないきまり、とかルール、があることは知っている。でも子供だって、どうしてそういうルールがあるのか、について知りたいと思うのは当然のことであるはずなのだ。例えば道路に飛び出してはいけない、とか。信号は青にならないと渡ってはいけない、手を上げて渡るべきであるというのはわかる。多分、納得している子供も多い(ボールなどに気を取られて忘れてしまうことはあるにせよ)。何故なら“危ないから”“車にぶつかってしまうから”“車にぶつかってしまうと、とっても痛い思いや怖い思いをするから”ということを皆がきちんと説明されるからだ。
もちろん、どれくらい痛いか、という認識に差はあるだろう。でも、転んですりむいた時よりずーと痛い、と言われればなんとなくその恐ろしさには想像がつく。だから、子供はいくら幼くても、大人には“きちんと話をしようとする姿勢”が欲しいと感じることも少なくないのだ。わからなくても、一生懸命説明しようとしてくれているのを感じ取るだけで、子供は子供なりに必死で理解しようとするものなのだから。
けれど、その先生は一言も“どうして女の子はピンクで、男の子は水色と決まっているのか”について説明してくれようとはしなかった。あげく、泣いている女の子がいけないと、無関係の他の子供達を巻き込んで責め立てようとしたのである。それで、女の子が納得できるかといえば、断じてそんなことはないはずで。
――なんか、いやだな。
ぼんやりと、納得がいかないもの、不快なものを感じていた時。泣いている女の子の傍に立って、声をかけた少年がいたのである。
『せんせい、おれ、こまらないけど』
そう、夏騎だ。
『まりかちゃんが、水色のふくでもいいとおもう。せんせい、さっきからへんだよ。なんで女の子は水色のふくじゃだめなの?どうしてそういうきまりになっているのか、ぜんぜんおしえてくれない』
『え』
『あと、男の子だって泣くことはあるし。おれだって、あるし。泣いたら男の子じゃないの?じゃあ、おれ、男の子じゃないの?』
『え、えっと……』
今から思うに。幼稚園の先生は、“どうしてそういう決まりになっているのか”が説明できなかったのだろう。だから話題を逸らして、みんなが困っているから守らなければいけない、なんて責任転嫁をしようとしたのだ。
けれど、それはたった四歳の子供に、しっかりと見抜かれてしまっていたのである。あの時確かに、夏騎は怒っていたのだから。
『ねえみんな。まりかちゃんが、水色のふくだったらいや?泣いてたら、こまる?』
そうやって、みんなに話しかけた。そうだ、あの時だ、と有純は思い出す。あの時にはもう――今と変わらない、誰より勇敢で優しい夏騎が出来上がっていたのだ、と。
何故なら泣いていた“まりかちゃん”と夏騎は、特に親しい間柄でもなかった。むしろ幼稚園に入ったばかりで、有純以外に知り合いなんてほとんどいない状況である。それなのに、彼は当たり前のように助けに入った。そして、彼の言葉にみんなが耳を傾け、目を離せなくなっていたのである。
『こまらない!』
だから、有純は声をあげた。
『水色のふくだって、いいとおもう!だめじゃないとおもう!ないてたら……かわいそうだとおもうけど、なかないようにしてあげるのが、ともだちだとおもう!』
その声に、他の子供達も便乗した。そして、こまらないよ!だいじょうぶだよ!とみんなが声を上げたのである。不憫だったのは先生で、今から思うと少々申し訳ないことをしてしまった気がしないでもないが――とにかく結果として、まりかという一人の少女は好きな色の制服を着ることが許されたのは紛れもない事実だった。
そうだ、あの時だ。あの時にはもう有純は、夏騎のことが好きになっていたのである。みんなが困惑して見ているだけでしかなかった状況で、彼は迷いなく声をあげて一人の少女を助けられる人間だった。それがとても、とても格好良く見えたのである。
『なんで、水色のふくでもいいって言ってあげたの?』
後になって、夏騎に尋ねれば。彼はむくれた顔で、だって、と答えてきたのだった。
『だって、男の子だから、女の子だからって色々きめつけられるのおかしいじゃんか。なんで、そういうの、先生たちにきめられないといけないんだよ。ピンクのふくきたって、水色のふくきたって、だれがこまるのかわからない。こまることがあるなら、それをちゃんとはなしてほしい。……すきなものが、すきで、どうしていけないんだ。まりかちゃんがかわいそうだよ』
これもさらに後になってから知った話。夏騎は、当時ピンク色や赤色の玩具や人形に興味があったらしいのだ。彼の場合、男の子が好きそうな戦隊ヒーローや車も好きだが、女の子が興味を持つ分野にもそれが及んでいたというパターンだったのだろう。とにかく、目に映るいろんなものに興味を持って手を伸ばしてみるタイプの少年だった。――そして多分、親か誰かに叱られたのだろう。男の子が可愛いお人形やぬいぐるみ、ピンクの小物に興味を持つなんておかしい、気持ち悪いと。
だから、逆である少女に自分を重ねて怒ったに違いない。そう、彼はそうやってこの頃から、誰かの立場を想像して、誰かを思いやれる少年であったのだ。
『男の子だから、女の子だから、男らしく女らしく……なんて、どうしてそうしないといけないんだろう。テレビではみんな、“男女びょうどう”っていってるのに。男も女もおなじなんだ、みたいなことはなしてるのに』
聡明で、理解力があるからこそ彼は答えを出し、その出した答えゆえに悩んでいたのだろう。そして、拙いながら語られたその考えに、有純は非常に共感したのだ。
そう、大人に、男らしく女らしくなんて――固定概念を押し付けられて、好きなものを好きと言えないのは間違っている。でも、それが“間違っている”と幼い子供が意見を通すのはとても難しいことなのだ、と。
『……うん、なつきは、正しいと思う!』
だから。当時はそこまで難しく考えられていなかった有純も、幼いなりにひとつの答えを出したのだ。
つまり、自分も自分なりに、大人の人のしょうもない考え方に逆らってやりたいと思ったのである。そうすることが、とてもカッコイイことのように思えたのだ。同時に、悩んでいる夏騎を励ます手段になるはずだ、と。
『じゃあ、あすみは、今日からじぶんを“おれ”っていうことにする!』
『え』
『おれも、水色のふくにするんだ!そんでもって、男の子のよりもずーっとカッコイイ女の子になってやる!せんせいたちを、ぎゃふんといわせてやるんだから!!』
――ああ、そうだったよなあ。最初は、そういうくっだんねぇ反抗心だったけっか。
けれど、意外にもそんな有純を受け入れてくれる子供達は多く。多分、無意識に感じていた“大人達のおしつけ”に反抗したい気持ちが、彼らにも心の中にあったということなのだろう。
夏騎と有純は、幼稚園でどこのクラスに行っても中心人物として歓迎されるようになっていた。有純はそれが嬉しくて楽しくて、もっとみんなに喜ばれるような“ヒーローな女の子”になろうとしていたように思う。いじめられている子は絶対に助けたし、男の子に負けないくらいケンカが強い子になろうと身体を鍛えるようにもなった。
その甲斐もあってか、学校の勉強はともかく、運動において有純が苦労したことは一度もなかったりする。そして小学校に入る前からぐんぐんと背は伸び続けていた。なんと、五年生の今の段階で身長は167cmある。小学校に上がってからは背の順で、自分の後ろに他の子が並んだことはただの一度もないほどだ。
――そうだ、俺。みんなのヒーローになりたかったんだ。ヒーローになれば……みんなの人気者になれるって、信じてたから。なんていうか、理由がしょうもないけど。
でも、そんな自分は――夏騎が一番辛い時、傍にいてやることができなかったのだ。
そして港のことも。顔も名前も知らず、そもそも自殺した生徒が彼であるということさえ最近知った始末。だから正直、本当にこれは正しい選択なのかと思い悩んでいるのも事実ではある。
そんな自分でも、今からできることはあるのか。そもそも今からやろうとしていることは本当に夏騎や港のためになるのか。あくまで、夏騎に嫌われたくない自分自身の自己満足になっていやしないかどうか。
――わからない。わかんないけど、でも。このまま足踏みして、何もしないなんて嫌なんだ。
「有純」
はっとして顔を上げれば、夏騎の顔があった。いつからそこにいたのだろう。少し心配そうにこちらを覗きこむ眼は、離れる前とまるで変わっていない。
「どうしたんだ。何か考え込んでいるようだったけど」
「え?あ、いやその……なんでもない」
「ならいいけど」
こんなドロドロした気持ちなど、夏騎に知られたくない。だから言いかけた言葉も、言えない気持ちも、全て有純は胸の奥にしまった。
今一番に考えるべきは、きっとこんなことではないのだから。
「とりあえず、計画について話すから。有純、聞いてくれるか」
そして、夏騎は今回の“調査”について話し始めるのである。優等生と呼ばれることの多い、彼らしからぬ大胆な計画を。
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