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■本編 (ヒロイン視点)
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「……俺ね、エチプチでひとりで新人担当するの初めてで。ああ、白石先生のことですよ。ちょっと気負ってたんでしょうね。あれも教えなきゃこれも勉強しなきゃって煮詰まってたときに、先生が振舞ってくれたんすよ、珈琲」
「……ええ……? そうでしたっけ……?」
デビューしたころの話なら、もう5年近くも前のこと。
今よりさらにドのつく新人だった自分が、鳴瀬を気遣う余裕があったようには思えないのだけど……。
「そう。俺のミスで、急ぎの書類をもらいに来たんすよ。……この部屋に来たのってあのときと、それから原稿修羅場で先生が死にそうだったときの数回ぐらいしかないから、よく覚えてます」
「修、羅、場……! そ、その節は、どうも……!」
やっぱり彼には恥ずかしいところばかり見せていた。がっくりと肩から力が抜ける。
「はは。で、あのときの俺は、寝不足とか疲れで、ぼーっとしてたんでしょうね。そしたら先生が
『あたまが疲れたときは、甘いものですよ!』
って。さっと珈琲いれてくれて。砂糖たっぷりでミルク無し。あれがめちゃくちゃパンチ効いてて、目ぇ覚めたんすよね。あと、冷凍庫からバニラアイスが出てきました。冬なのにアイス!? って驚いてたら、スイーツは冬にこそですよ。ってすげーにこにこ笑ってましたね」
「お、おお……思い出してきました、あれかぁ! すごい量のスイーツストックがあったんですよ、あのとき……初掲載のストレスに耐えられなくって買い込んだやつが……」
そうだ、デビュー作の受賞賞金の大半は、スイーツに費やしたんだった。
「いろいろ食べさせてくれましたよね。マカロンも生キャラメルもカヌレも、あの日、初めて食いました。うまかったなぁ。俺、あれ以来、珈琲はブラックに砂糖だし、甘いもの好きになっちゃったんすよね」
鳴瀬は思い出し笑いで肩を震わせている。琴香はドリップの水の計量に神経を注ごうと眼鏡を押し上げた。
「て、ていうか、鳴瀬さん、スイーツ好きなのってもとからなんじゃ」
「いいえ~。先生の担当してからっすね」
「う、うそだぁ」
まだ少し眠たげな彼は、口元に笑みを浮かべながら目を閉じた。
「……先生のせいっすよ。だいぶ」
ぶわわっと、琴香の顔に熱が集まる。それを隠すように俯いて、視線を手元のマグカップに落とした。
(ど、どうしよ。うれしい……かも)
コーヒーメーカーがぷしゅぷしゅと湯気をたてながらドリップを開始する。とたんに香り立つビターな香ばしさは眠気をすっきりさせてくれる。蒸らしながらゆっくり抽出するから、できあがるまでもう少し時間がかかるのだ。
──もう少し、一緒にいられる。
ぽこぽことお湯の落ちる音は心地いい。この時間が好きでわざわざ珈琲をいれているかもしれない。
なにか音があれば、会話がとぎれても気にならない。
「……先生は知らないんでしょうけど」
視線をあげられないまま、彼の落とすような声を聴く。
「先生にはたくさん助けられてきましたし、やっぱ好きなんすよね……先生の漫画。……刺さるっていうか」
言葉を探すように、鳴瀬は一度口を閉じた。
「……応援、してるんですよ。いちファンとして」
ファン。
すごくうれしいことのはずのに、それじゃ物足りないと思ってしまう。
(私が欲しいのは、……もう、それだけじゃなくなってしまったから……)
信頼を、恋愛感情にしてしまったせいだ。
彼の『好き』がほしい。作品じゃなくて、自分を見てほしい……。
「ありがとう、ございます」
絶対に口にはしないけど、心は軋んでいる。
「……もう、ネームのつづきは、いいんですか?」
ふと、鳴瀬がそう言ってこちらに踏み出した。
「へ? 作業、ですか? そうですね、8割がた…いや7割……? へへ。それくらいは終わりました」
「もう、レベルアップしました?」
「レベル……?」
「あのときの続き、そういやしてないなぁって」
「つづ、き」
ぐっとマグを握る。彼が言っているのは、あの『勉強会』のことだろうか。
琴香だって、ここに立つたびに思い出して困っていた。
鳴瀬に後ろから抱きしめられたこと、耳元でささやく声や、服の隙間から入り込んできた手の大きさ。覚えていてくださいねとホテルで鳴瀬が言った言葉を律儀に守っているわけではなくて、忘れられなかったからだ。
あのときはまだ、大丈夫だったはずなのに。仕事のためになると思っていたし、馬鹿なことをしたと、いずれ笑い話にできたかもしれない。
……けど、恋心に気づいてしまった今ではもう駄目だ。仕事を盾にして、彼といたいだけじゃないか。
──そんなのは卑怯だ。不誠実だ。
「つ、続きは、もう」
いいんです、と断ろうとした言葉をさえぎって、鳴瀬が口を開いた。
「……ええ……? そうでしたっけ……?」
デビューしたころの話なら、もう5年近くも前のこと。
今よりさらにドのつく新人だった自分が、鳴瀬を気遣う余裕があったようには思えないのだけど……。
「そう。俺のミスで、急ぎの書類をもらいに来たんすよ。……この部屋に来たのってあのときと、それから原稿修羅場で先生が死にそうだったときの数回ぐらいしかないから、よく覚えてます」
「修、羅、場……! そ、その節は、どうも……!」
やっぱり彼には恥ずかしいところばかり見せていた。がっくりと肩から力が抜ける。
「はは。で、あのときの俺は、寝不足とか疲れで、ぼーっとしてたんでしょうね。そしたら先生が
『あたまが疲れたときは、甘いものですよ!』
って。さっと珈琲いれてくれて。砂糖たっぷりでミルク無し。あれがめちゃくちゃパンチ効いてて、目ぇ覚めたんすよね。あと、冷凍庫からバニラアイスが出てきました。冬なのにアイス!? って驚いてたら、スイーツは冬にこそですよ。ってすげーにこにこ笑ってましたね」
「お、おお……思い出してきました、あれかぁ! すごい量のスイーツストックがあったんですよ、あのとき……初掲載のストレスに耐えられなくって買い込んだやつが……」
そうだ、デビュー作の受賞賞金の大半は、スイーツに費やしたんだった。
「いろいろ食べさせてくれましたよね。マカロンも生キャラメルもカヌレも、あの日、初めて食いました。うまかったなぁ。俺、あれ以来、珈琲はブラックに砂糖だし、甘いもの好きになっちゃったんすよね」
鳴瀬は思い出し笑いで肩を震わせている。琴香はドリップの水の計量に神経を注ごうと眼鏡を押し上げた。
「て、ていうか、鳴瀬さん、スイーツ好きなのってもとからなんじゃ」
「いいえ~。先生の担当してからっすね」
「う、うそだぁ」
まだ少し眠たげな彼は、口元に笑みを浮かべながら目を閉じた。
「……先生のせいっすよ。だいぶ」
ぶわわっと、琴香の顔に熱が集まる。それを隠すように俯いて、視線を手元のマグカップに落とした。
(ど、どうしよ。うれしい……かも)
コーヒーメーカーがぷしゅぷしゅと湯気をたてながらドリップを開始する。とたんに香り立つビターな香ばしさは眠気をすっきりさせてくれる。蒸らしながらゆっくり抽出するから、できあがるまでもう少し時間がかかるのだ。
──もう少し、一緒にいられる。
ぽこぽことお湯の落ちる音は心地いい。この時間が好きでわざわざ珈琲をいれているかもしれない。
なにか音があれば、会話がとぎれても気にならない。
「……先生は知らないんでしょうけど」
視線をあげられないまま、彼の落とすような声を聴く。
「先生にはたくさん助けられてきましたし、やっぱ好きなんすよね……先生の漫画。……刺さるっていうか」
言葉を探すように、鳴瀬は一度口を閉じた。
「……応援、してるんですよ。いちファンとして」
ファン。
すごくうれしいことのはずのに、それじゃ物足りないと思ってしまう。
(私が欲しいのは、……もう、それだけじゃなくなってしまったから……)
信頼を、恋愛感情にしてしまったせいだ。
彼の『好き』がほしい。作品じゃなくて、自分を見てほしい……。
「ありがとう、ございます」
絶対に口にはしないけど、心は軋んでいる。
「……もう、ネームのつづきは、いいんですか?」
ふと、鳴瀬がそう言ってこちらに踏み出した。
「へ? 作業、ですか? そうですね、8割がた…いや7割……? へへ。それくらいは終わりました」
「もう、レベルアップしました?」
「レベル……?」
「あのときの続き、そういやしてないなぁって」
「つづ、き」
ぐっとマグを握る。彼が言っているのは、あの『勉強会』のことだろうか。
琴香だって、ここに立つたびに思い出して困っていた。
鳴瀬に後ろから抱きしめられたこと、耳元でささやく声や、服の隙間から入り込んできた手の大きさ。覚えていてくださいねとホテルで鳴瀬が言った言葉を律儀に守っているわけではなくて、忘れられなかったからだ。
あのときはまだ、大丈夫だったはずなのに。仕事のためになると思っていたし、馬鹿なことをしたと、いずれ笑い話にできたかもしれない。
……けど、恋心に気づいてしまった今ではもう駄目だ。仕事を盾にして、彼といたいだけじゃないか。
──そんなのは卑怯だ。不誠実だ。
「つ、続きは、もう」
いいんです、と断ろうとした言葉をさえぎって、鳴瀬が口を開いた。
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