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■本編 (ヒロイン視点)

5.寒い日のパンプキンプリンと緑茶

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 んん、と唸って、琴香はデジタルペンの手を止めた。

「この喘ぎは……大げさすぎるのか……?」

 ひとりごとが止まらない。
 先日のできごとを思い出しながら、シャワーシーンをネームに起こす金曜日の夜。

(なんだろう、この違和感……? 話の展開は綺麗にまとまってるけど)

 こういうシーンの作業になるといちいち手が止まってしまう。
 つねに自分のなかで冷静さと、客観視と、没入感のバランスをとりつつ作業しなくてはいけないのが、漫画の難しいところだと思う。

『白石先生はラブシーンをもっと大げさに描いていい』と担当さんからアドバイスをもらっている。だからヒロインを感度良く描くことは間違ってなさそうだけど──

(あ、そうか、私自身が感情移入できていないんだ。これじゃ萌えないって自分でわかった! だって声出すのって、恥ずかしくない?)

 経験したからわかるのだ。処女はうまく声も出せない。

 せっかく鳴瀬に用意してもらった付箋は、ホテルではまったく活用できなかった。申し訳なくて、帰り道に人の目を盗んでこそこそと書き込んだのだ。
 忘れないでくださいね、と言われてしまったからには忘れるわけにはいかないと、羞恥心と戦いながらのメモ。
 その束がいま、琴香の作業デスクに貼られている。

『・バスローブのすきま、布越しの体温
 ・アイスコーヒーの香りがする吐息
 ・じれったくパンツ下ろす指』

 読み返すにしたがって琴香はわなわなと肩を震わせた。

「だっ、だめだぁこれは! ぬぁにが『声出すのって恥ずかしくない?』だ! 処女のくせにー!」

  机に突っ伏してうなる。先日はよくもまぁ、あんな思い切ったお願いができたものだと思う。

『えっ……ちなこと、教えてください!』
 ──痴女か!

 おまけに誘うだけ誘って結局、二人でしたことといえばルームサービスのデザートを堪能したくらいだ。謝り倒してホテル代を全額支払わせていただいたけど、問題はそこじゃない。

 敗因はわかっている。
 先日はあまりに衝動的だった。勉強の前には予習が大切だとあれほど専門の先生に言われたじゃないか。
 巻き込まれた鳴瀬はたまったものじゃなかっただろう。

 けれどあの数十分のおかげで、こうしていくつも新たなプロットを思いつくことができたのだから、方法として悪くはないのだと胸を張って言える。
 いや言わないといけない。じゃないと、本当にただの痴女になってしまう。

(次こそは、次こそは……!)

 そう、なんと。
 次があるのである。


 ──ぴーんぽーん

(ぎゃっ、嘘ぉ、もう21時過ぎてる!?)

 琴香ははっとして自分の格好を見下ろした。
 着古してくたびれた感じのするモコモコのルームウェアに、乾かしてひとつに束ねただけの髪。

 気合い入ってますよーという風には見られたくないけど、これではさすがに……。

(でも、着替えてる暇はないぃぃ……!)

 玄関までダッシュして、スコープで外を確認する。あれ、と違和感を感じつつもドアを開けた。

「こんばんわ、白石先生。遅れてすみません」
「あ、こ、こんばんは。その、鳴瀬さん、服が……」

 どぎまぎする琴香に、鳴瀬は気さくに笑いかけた。

「ああ、これですか? 一回、家に帰ったんです。買物もあったんで」

 そう言う鳴瀬は、オーバーサイズぎみの紺地のカーディガンを軽く引っ張って笑ってみせた。
 中には生成り色のナチュラルなボタンシャツ。ジーンズは細身のアンクル丈で足元は清潔な白色のスニーカー。おしゃれだ。
 つい、上から下までまじまじと全身を眺めてしまう。

「仕事でお会いするときはいつもスーツだったから……すごく新鮮です! 素敵ですね!」
「そう、すかね」

 コンビニの袋を手に携えた鳴瀬は、そわっと視線を彷徨わせた。

「ええと、お土産ありますよ。コンビニスイーツですが。……あがっても?」
「もももももちろんですっ、どうぞ……!」

 扉を大きく開けて、冷えた夜風と一緒に長身の男を部屋に招き入れる。
 もうこの時点で、琴香にとっては充分すぎるほどに非日常ファンタジーだ。



 次回の約束を提案してくれたのは鳴瀬のほうからだった。

「なーんにもお役に立てませんでしたからねぇ」

 秋の夕暮れはあっという間で、ホテルを出た時にはすでに空は濃紺のグラデーションをつくっていた。電灯の光の下でなければおたがいの表情も見えにくい。

 別れ際に、鳴瀬がぽつりとそうこぼしたのだ。恐縮しきった琴香が頭を下げるより先に、「金曜、どうですか」とスマホを操作しながら。

「そうだな、21時くらい。今度は先生のマンションで」
「えっ!? どどどういうこと、ですか」
「慣れない場所だから駄目だったのかなぁと。自分のホームでなら、先生も言いたいことややりたいことが思いつくのかなぁって」

 まさかさっきの「ちょっと考えますか」が社交辞令でなかったとは。琴香は胸を打たれて立ち尽くした。

「い、いいんですか……?」
「先生の必死さは伝わってきたので。できることなら手伝ってあげたいなぁと思って」

 またメールします。そう言って雑踏にまぎれていく長身の男を、感謝や申し訳なさが複雑に入りまじった感情で見送った。


 ──そして、今日。
 約束の週末、金曜の21時。
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