6 / 61
■本編 (ヒロイン視点)
3.ショートケーキみたいな部屋で
しおりを挟むカフェの会計を済ませて、二人は夕暮れが迫る駅前通りを黙々と歩いた。
目的地は琴香の頭にある。
ハロウィン一色の街並みに見向きもせず、鳴瀬を伴ってひたすら歩く。
「せ、せんせ、無理してません? してますよね?」
鳴瀬は、思いとどまるよう何度か声をかけてきた。
そのたびに琴香は「大丈夫ですっ」と強く突っぱねて、ついには彼のスーツの袖を握って、引っ張って歩いた。
目的地は駅前通りから徒歩五分、一区画裏手のラブホテルだ。
シティホテルと違ってほんのり薄暗いエントランスを、人目を忍んで滑りこむようにくぐった。
平日の帰宅時間であるせいか、利用客は少なく空室が目立つ。
琴香は急いでパネルを操作して部屋を取った。
(このホテルはたしか3の倍数の部屋が良いんだ。私好みの雰囲気で、乙女ちっくだけどエロすぎなくて……)
「せ、せんせ、なんか妙に手馴れてませんか……?」
迷わず無人機で部屋を選びカードキーを手にした琴香の後ろで、鳴瀬がぽつりとつぶやいた。
「えっ!? い、いや、あのっ、以前系列のホテルを取材させていただいたことがありまして! し、私用で利用したことはありませんから! ご安心ください!?」
「あ、ああ、そういう……」
妙な雰囲気のまま、鳴瀬を伴ってエレベーターに乗り込んだ。
クラシック音楽のかかった中は狭くて、背後に立つ鳴瀬の気配がびしびし伝わってくる。
──彼が手を伸ばせば、簡単に琴香を抱きしめることができる距離だ。
でも視界の端にある鳴瀬の手は、触れてくるどころか、エレベーターが止まるまでぴくりとも動かなかった。
選んだ9号室は、スイーツをテーマにした可愛い系の部屋だ。
中心にある白く円形で大きなベッドが、なるほど、ショートケーキを模しているのだろう。
扉を開けるなり「うわぁ」と立ち尽くした鳴瀬を見て、琴香は改めて自分のとんでもない言動を痛感したのだった。
(い、勢いで来たけど……これってセクハラ……?)
そうだ、同意。ちゃんと同意はあっただろうか。
ちらりと鳴瀬をうかがうと、こちらを見下ろす視線とばっちり目が合った。
鳴瀬は困ったように頬を掻いて視線を泳がせる。
「あー……えーっと…………先生、先にシャワー浴びますか?」
ひゃっ! と琴香は飛び上がった。
「で、では! お先に!」
鞄も上着もそのまま脱衣所に逃げ込んで、勢いよく扉を閉める。
(き、来てしまった……本当に……ラブホテルに、来てしまった……!)
薄い扉の向こうに鳴瀬の気配がある。
そのせいでなかなか服を脱ぐことさえできなかった。
こんな自分が、今からセックスをするのか。
今日みたいに少しばかりオシャレをしていたって、美人ではないしスタイルが良いわけでもない。胸は……人並みにあるかもしれないけど、鳴瀬の性癖が巨乳とは限らない。むしろぺったんこが好きな男性もいると聞く。
処女だけどそういうことには詳しいんだ。どうしよう、彼がそっち系だったら。
そもそもこないだまで仕事仲間だった女に誘われても、喜んで味見してみようとは思えないだろう。鳴瀬にはひたすら申し訳ない。
小さく震える手で結った髪を解いて、眼鏡を外す。
ぼんやり濁った世界は琴香にとって居心地が良い。
本当は眼鏡なんていらないくらいだ。見えすぎないほうがいい。
人からの視線にも、自分の心にも鈍感になれる。
──もう引き返せないぞ。いいんだな。
何度も自問しながら、熱いシャワーを頭からかぶった。
(下着、上下そろいのやつ着てて、よかった)
ドライヤーを当てながらそんなことを考えて、鏡の前で頭を振る。
(違うちがう、雰囲気作りとかいらないから!)
乾かした髪から、いつもと違うシャンプーの香りがする。
いかにも美味しく召し上がれといわんばかりの、甘い甘い苺の匂い。とてもじゃないけど自分には似合わない、可愛い香り。
そう、似合わないことをしている。その自覚はある。
──もしかしたら。
ふと思いついた考えに、鏡の中の自分が表情を失くす。
このドアの向こうにはもう、鳴瀬はいないかもしれない。
琴香をシャワーへ行かせたのは、隙をみて逃げるつもりだったからか。相談にのると言った手前、はっきり断れなかったから。琴香も強引だった。
(いないなら、それでいい……むしろ、そのほうが)
バスローブを羽織って、恐る恐る、脱衣所のドアを開ける。
予想に反して、鳴瀬はそこにいた。
壁際の小さなデスクにノートPCを広げてキーボードをたたいている。
「うっす。おつかれっすー」
琴香の気配に気づいて振り返った彼は、何事もなかったように言って、パタンとPCを閉じた。
「あ……、あの、お先に、ありがとうございました……」
「いえいえ」
普通だ。あまりに普通。
拍子抜けしてしまって、琴香はその場にぽつんと立ち尽くした。
(このあとどうしたら……ベッドに座ればいいのか、それとも飲み物でも用意──?)
「白石先生」
だからそれは不意打ちだった。
思いのほか近くで聞こえた声に驚いて顔を上げると、乾かしたばかりの髪を、鳴瀬の指がそっとつまんで弾いた。
「ほんとに、ほんとーに、いいんすね?」
真顔で念を押しすように言われて、琴香はぐっと口を引き結んだ。
0
お気に入りに追加
125
あなたにおすすめの小説
人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。
ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。
ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。
「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。
扉絵は汐の音さまに描いていただきました。
雨音。―私を避けていた義弟が突然、部屋にやってきました―
入海月子
恋愛
雨で引きこもっていた瑞希の部屋に、突然、義弟の伶がやってきた。
伶のことが好きだった瑞希だが、高校のときから彼に避けられるようになって、それがつらくて家を出たのに、今になって、なぜ?
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
一夜限りのお相手は
栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月
お見合いから始まる冷徹社長からの甘い執愛 〜政略結婚なのに毎日熱烈に追いかけられてます〜
Adria
恋愛
仕事ばかりをしている娘の将来を案じた両親に泣かれて、うっかり頷いてしまった瑞希はお見合いに行かなければならなくなった。
渋々お見合いの席に行くと、そこにいたのは瑞希の勤め先の社長だった!?
合理的で無駄が嫌いという噂がある冷徹社長を前にして、瑞希は「冗談じゃない!」と、その場から逃亡――
だが、ひょんなことから彼に瑞希が自社の社員であることがバレてしまうと、彼は結婚前提の同棲を迫ってくる。
「君の未来をくれないか?」と求愛してくる彼の強引さに翻弄されながらも、瑞希は次第に溺れていき……
《エブリスタ、ムーン、ベリカフェにも投稿しています》
二人の甘い夜は終わらない
藤谷藍
恋愛
*この作品の書籍化がアルファポリス社で現在進んでおります。正式に決定しますと6月13日にこの作品をウェブから引き下げとなりますので、よろしくご了承下さい*
年齢=恋人いない歴28年。多忙な花乃は、昔キッパリ振られているのに、初恋の彼がずっと忘れられない。いまだに彼を想い続けているそんな誕生日の夜、彼に面影がそっくりな男性と出会い、夢心地のまま酔った勢いで幸せな一夜を共に––––、なのに、初めての朝チュンでパニックになり、逃げ出してしまった。甘酸っぱい思い出のファーストラブ。幻の夢のようなセカンドラブ。優しい彼には逢うたびに心を持っていかれる。今も昔も、過剰なほど甘やかされるけど、この歳になって相変わらずな子供扱いも! そして極甘で強引な彼のペースに、花乃はみるみる絡め取られて……⁈ ちょっぴり個性派、花乃の初恋胸キュンラブです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる