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第1話【鷹海にはゾンビがいる】
#1
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2034年 7月。
日本・関東エリア、鷹海市。
海岸に程近い小洒落た町に、今日も潮風が吹いている。 魚市場や海上に造られたテーマパークには多くの人が集まる。円形の展望フロアのあるタワーが目印。都市開発が進み、独特の雰囲気を持つこの町に足を運ぶ観光客も増えてきている。
綾小路メロは自転車に乗って颯爽と坂道を下る。自宅兼アルバイト先の喫茶店に向かうところだ。 ギタリストだった父親と、茶屋の長女だった母親のもとに生まれた少年は、今月19歳を迎えた。 どんな経緯でこの2人が出会ったのかはメロもよく知らない。
両親はメロが4歳の頃に他界した。
3人で近所の大きな公園へピクニックに行った帰り、近くを走る車が突如暴走した。原因は運転手の心臓発作だったと報道されていた。
暴走車が向かってくる直前、両親が咄嗟の判断で息子を脇に押し出した。2人は鉄の塊に吹き飛ばされ、即死だったという。 大事故の後、メロは母方の叔母に引き取られた。
生まれる前、2人はどんな時を過ごしていたのだろう。何故「メロ」という一風変わった名前を付けたのだろう。 両親のことをよく知らないまま、メロは2人と遠く離れてしまった。
ただ、両親が彼に向けた優しい笑顔は覚えている。父親の若干癖のある子守唄も、それを聴いて笑う母親の声も、微かだが記憶に刻まれている。
所々傷のある、古臭い白のヘルメットの下から茶髪がちらりと覗く。髑髏がプリントされたネイビーのTシャツに、穴の空いたジーンズを履くのがいつものスタイル。履き古した赤いスニーカーはボロボロだ。
彼のアルバイト先は、叔母が経営する【喫茶 北風】。魚市場が並ぶエリアの一角にある。近年ではデリバリーサービスにも力を入れており、メロが自転車を駆り商品を届けているのだ。
両親を亡くしたメロに、叔母は実の親のように接してくれた。たった1人で自分を育ててくれた叔母に恩返しがしたいと、メロ自ら「仕事を手伝いたい」と頼んだ。とても喫茶店の従業員には見えない風貌だが、服装については何やかんやで許してもらっている。
今日も無事に商品を届けてきた。この後も店での作業が待っているが苦にはならない。
自転車を走らせていると、風が当たって心地良い。道路に設置されたミストシャワーの横を通るとなお涼しい。
都市開発は今も続いている。国家は環境問題、災害対策に向けた新政策を施行、各地域の改築、環境整備を進めることとなった。そのテストとして、鷹海市を中心とする関東エリアの一区画において開発が先行して進められている。
遠くに魚市場が見えてきた。喫茶店はもうすぐそこ。 真っ直ぐ自転車を走らせるが、あることに気づいてブレーキをかけた。
横断歩道を花柄のTシャツを着た老婆が、大きな荷物を持って渡るところだ。楕円形に膨らんだエコバッグを、地面につかないよう、細い腕を上げてどうにか支えている。宙吊りの袋は老婆が前進するたびに白いズボンにぶつかった。
大して長くない歩道だが、この足取りでは渡りきる前に信号が赤に変わってしまう。メロは自転車を脇に停めて老婆に駆け寄った。叔母に指定された時刻を過ぎてしまうが、困っている人を見過ごすことは出来ない。
「ばあちゃん、俺が荷物持つよ」
そう言って老婆の荷物を持とうとすると、
「年寄り扱いすんじゃないよ!」と怒鳴られてしまった。
老婆はそのまま歩き去るも、向かい側から歩いて来た男性とぶつかり転倒した。
「おい!」
メロが男性を呼び止めるが、相手は無視してゆっくり歩いてゆく。そうこうしている間に、信号が点滅をはじめた。
このままでは危険だ。 メロは老婆を背負い、もと来た道を引き返した。転んだ際に落とした荷物も回収、ダッシュで渡る。老婆がメロの背中で何やら喚いているが、それも無視。信号の下を過ぎたところで、メロ達の背後を車が通っていった。
「大丈夫だった?」
「うるさい。アンタ! どこ見て歩いてんだい!」
老婆が前を歩く男性に怒鳴った。ぶつかって来た男だ。
不思議な点が1つ。
メロが老婆を救出して戻ってくるまでの間に、男はほとんど進んでいない。ノロノロと、左右に揺れるように歩いているためか。
薄いピンクのポロシャツを着た短髪の男。ベージュの長ズボンは所々汚れている。袖からのぞく細い腕は青白く見えた。歩道の左横にブロック塀が設置されているので、影でそう見えるだけかもしれないが。
男は老婆の声を無視して、ゆったりとしたペースで歩いている。
「アンタに言ってんだよ!」
そんな男に対し、老婆は荷物の中からリンゴを取り出すと、相手の背中目掛けて投げつけた。男との距離はさほど空いておらず、老婆の腕力でもリンゴを男の足に当てることが出来た。
リンゴがぶつかると、男は動きをぴたりと止めた。男はじっとその場に立ったまま、メロ達に背中を向けている。動きを止めただけで無反応なのが不気味だ。 今度はメロが男に歩み寄った。
「ばあちゃんにぶつかっただろ」
男は答えない。
「なぁ」
肩に手を置くと、男は小さく唸り、首を後ろに曲げてメロを睨んできた。
メロは驚いた。
単に男が睨んできたからではない。 男の目は真っ白だった。瞳のない白濁した目。その周りは黒く縁取られているかのように変色している。 白い目は、ほんの一瞬だが、メロの後方で顰めっ面をしている老婆にも向けられたような気がした。目の濁りが動いたように見えた。
メロが立ち竦んでいると、男は顔を前方に戻し、その場から歩き去った。先程と同じ、ゆっくりと、フラついたような足取りで。
「あんな奴、アンタならボコボコに出来ただろうに!」
ぶつぶつ文句を言いながら、荷物を持って老婆が立ち上がった。彼女からは男の顔は見えなかったらしい。 歩き去る老婆を背に、メロは男の背中をずっと見つめていた。
「あれが、“鷹海のゾンビ”?」
ここ最近、インターネットを中心に1つの噂が囁かれている。
“鷹海市にはゾンビがいる”
俄かに信じがたい話だが、ゾンビを目撃したという証言はいくつかある。 ある者は商店街で。またある者はスポーツジムで。
鷹海市の施設であること以外、目撃場所はバラバラ。だが、目撃者達が見たゾンビには共通点があった。 ゆっくりとフラつくような歩調。青白い肌。そして、濁ったように白い目。メロが対峙した男と同じ特徴だ。 メロもこの噂を聞いたことがあったが、面白い都市伝説くらいに受け止めていた。
たった今、あの男を見るまでは。
目撃証言にはまだ続きがある。
容姿や挙動こそゾンビそのものだが、映画のように他者に噛みつくことはない。ただ歩いていたり、座っていたり、中にはセルフレジで買い物をする者まで。 当然ガセネタもあるだろうが、兎に角どのゾンビも襲ってこないらしい。先程の男も、意図してぶつかったようには見えなかった。
ただ、メロの脳裏にはあの真っ白な目がくっきりと焼き付いている。メロと背後の老婆を見る、濁った白い目。
「本当にいたんだ。……あっ、戻らなきゃ!」
停めてあった自転車に乗り、メロは喫茶店へ急いだ。
日本・関東エリア、鷹海市。
海岸に程近い小洒落た町に、今日も潮風が吹いている。 魚市場や海上に造られたテーマパークには多くの人が集まる。円形の展望フロアのあるタワーが目印。都市開発が進み、独特の雰囲気を持つこの町に足を運ぶ観光客も増えてきている。
綾小路メロは自転車に乗って颯爽と坂道を下る。自宅兼アルバイト先の喫茶店に向かうところだ。 ギタリストだった父親と、茶屋の長女だった母親のもとに生まれた少年は、今月19歳を迎えた。 どんな経緯でこの2人が出会ったのかはメロもよく知らない。
両親はメロが4歳の頃に他界した。
3人で近所の大きな公園へピクニックに行った帰り、近くを走る車が突如暴走した。原因は運転手の心臓発作だったと報道されていた。
暴走車が向かってくる直前、両親が咄嗟の判断で息子を脇に押し出した。2人は鉄の塊に吹き飛ばされ、即死だったという。 大事故の後、メロは母方の叔母に引き取られた。
生まれる前、2人はどんな時を過ごしていたのだろう。何故「メロ」という一風変わった名前を付けたのだろう。 両親のことをよく知らないまま、メロは2人と遠く離れてしまった。
ただ、両親が彼に向けた優しい笑顔は覚えている。父親の若干癖のある子守唄も、それを聴いて笑う母親の声も、微かだが記憶に刻まれている。
所々傷のある、古臭い白のヘルメットの下から茶髪がちらりと覗く。髑髏がプリントされたネイビーのTシャツに、穴の空いたジーンズを履くのがいつものスタイル。履き古した赤いスニーカーはボロボロだ。
彼のアルバイト先は、叔母が経営する【喫茶 北風】。魚市場が並ぶエリアの一角にある。近年ではデリバリーサービスにも力を入れており、メロが自転車を駆り商品を届けているのだ。
両親を亡くしたメロに、叔母は実の親のように接してくれた。たった1人で自分を育ててくれた叔母に恩返しがしたいと、メロ自ら「仕事を手伝いたい」と頼んだ。とても喫茶店の従業員には見えない風貌だが、服装については何やかんやで許してもらっている。
今日も無事に商品を届けてきた。この後も店での作業が待っているが苦にはならない。
自転車を走らせていると、風が当たって心地良い。道路に設置されたミストシャワーの横を通るとなお涼しい。
都市開発は今も続いている。国家は環境問題、災害対策に向けた新政策を施行、各地域の改築、環境整備を進めることとなった。そのテストとして、鷹海市を中心とする関東エリアの一区画において開発が先行して進められている。
遠くに魚市場が見えてきた。喫茶店はもうすぐそこ。 真っ直ぐ自転車を走らせるが、あることに気づいてブレーキをかけた。
横断歩道を花柄のTシャツを着た老婆が、大きな荷物を持って渡るところだ。楕円形に膨らんだエコバッグを、地面につかないよう、細い腕を上げてどうにか支えている。宙吊りの袋は老婆が前進するたびに白いズボンにぶつかった。
大して長くない歩道だが、この足取りでは渡りきる前に信号が赤に変わってしまう。メロは自転車を脇に停めて老婆に駆け寄った。叔母に指定された時刻を過ぎてしまうが、困っている人を見過ごすことは出来ない。
「ばあちゃん、俺が荷物持つよ」
そう言って老婆の荷物を持とうとすると、
「年寄り扱いすんじゃないよ!」と怒鳴られてしまった。
老婆はそのまま歩き去るも、向かい側から歩いて来た男性とぶつかり転倒した。
「おい!」
メロが男性を呼び止めるが、相手は無視してゆっくり歩いてゆく。そうこうしている間に、信号が点滅をはじめた。
このままでは危険だ。 メロは老婆を背負い、もと来た道を引き返した。転んだ際に落とした荷物も回収、ダッシュで渡る。老婆がメロの背中で何やら喚いているが、それも無視。信号の下を過ぎたところで、メロ達の背後を車が通っていった。
「大丈夫だった?」
「うるさい。アンタ! どこ見て歩いてんだい!」
老婆が前を歩く男性に怒鳴った。ぶつかって来た男だ。
不思議な点が1つ。
メロが老婆を救出して戻ってくるまでの間に、男はほとんど進んでいない。ノロノロと、左右に揺れるように歩いているためか。
薄いピンクのポロシャツを着た短髪の男。ベージュの長ズボンは所々汚れている。袖からのぞく細い腕は青白く見えた。歩道の左横にブロック塀が設置されているので、影でそう見えるだけかもしれないが。
男は老婆の声を無視して、ゆったりとしたペースで歩いている。
「アンタに言ってんだよ!」
そんな男に対し、老婆は荷物の中からリンゴを取り出すと、相手の背中目掛けて投げつけた。男との距離はさほど空いておらず、老婆の腕力でもリンゴを男の足に当てることが出来た。
リンゴがぶつかると、男は動きをぴたりと止めた。男はじっとその場に立ったまま、メロ達に背中を向けている。動きを止めただけで無反応なのが不気味だ。 今度はメロが男に歩み寄った。
「ばあちゃんにぶつかっただろ」
男は答えない。
「なぁ」
肩に手を置くと、男は小さく唸り、首を後ろに曲げてメロを睨んできた。
メロは驚いた。
単に男が睨んできたからではない。 男の目は真っ白だった。瞳のない白濁した目。その周りは黒く縁取られているかのように変色している。 白い目は、ほんの一瞬だが、メロの後方で顰めっ面をしている老婆にも向けられたような気がした。目の濁りが動いたように見えた。
メロが立ち竦んでいると、男は顔を前方に戻し、その場から歩き去った。先程と同じ、ゆっくりと、フラついたような足取りで。
「あんな奴、アンタならボコボコに出来ただろうに!」
ぶつぶつ文句を言いながら、荷物を持って老婆が立ち上がった。彼女からは男の顔は見えなかったらしい。 歩き去る老婆を背に、メロは男の背中をずっと見つめていた。
「あれが、“鷹海のゾンビ”?」
ここ最近、インターネットを中心に1つの噂が囁かれている。
“鷹海市にはゾンビがいる”
俄かに信じがたい話だが、ゾンビを目撃したという証言はいくつかある。 ある者は商店街で。またある者はスポーツジムで。
鷹海市の施設であること以外、目撃場所はバラバラ。だが、目撃者達が見たゾンビには共通点があった。 ゆっくりとフラつくような歩調。青白い肌。そして、濁ったように白い目。メロが対峙した男と同じ特徴だ。 メロもこの噂を聞いたことがあったが、面白い都市伝説くらいに受け止めていた。
たった今、あの男を見るまでは。
目撃証言にはまだ続きがある。
容姿や挙動こそゾンビそのものだが、映画のように他者に噛みつくことはない。ただ歩いていたり、座っていたり、中にはセルフレジで買い物をする者まで。 当然ガセネタもあるだろうが、兎に角どのゾンビも襲ってこないらしい。先程の男も、意図してぶつかったようには見えなかった。
ただ、メロの脳裏にはあの真っ白な目がくっきりと焼き付いている。メロと背後の老婆を見る、濁った白い目。
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