5 / 19
第5話:隠遁者の初出勤
しおりを挟む
「んぅ……」
窓から差す光に小さく声を上げると、レイは起き上がり、頭を抱えた。
「ぐっすり寝ちゃった……」
まがりなりにも初めて出会った他人の家で、しかもベッドを使わせて貰って。ものすごく恐縮して、自分の方がソファで寝ると言ったのに。『貴重品がある場所に、お前を寝させられる程不用心じゃない』と言われて、それ以上反論できずに押し切られてベッドを使わせて貰った時。申し訳なくて堪らなくなっていたのに。
「図太すぎでしょ私……」
あの屋敷から逃げ出して、雇い先やら住処やらを融通してくれて。いくらそれが安心したかと言っても、マナー違反も甚だしい。自分の図太さを嘆きながら着替えていると、首に確かに指輪が下げられている事を確かめ、そうして確かめてしまった自分に対して、嫌悪を感じた。
(リアさんは……何も無い『レイ』に、優しくしてくれた人、なのに)
着替え終わりボタンを留める手を止めると、頭が段々と小さく俯き始める。誰かを――リアを、心から信じたい。でも信じる事が出来ない事が、苦しい。苦しさを覚えるのは、懐かしい薄水色の記憶を、彼の瞳に感じているからだろうか? でも、あの記憶はとうに壊れてしまっている。思い出に浸るなんて余裕は、今の自分には無いはずなのだ。
俯いた髪を払おうと手をかけ、もう自分には払う程の髪の長さは無い事に気づき、小さく胸が傷んだ。すべて納得ずくでそうしたのにまだ未練がある事が、自分の未熟を突きつけられるようで、歯がゆくてならない。
(期限は、多分半年。その間私はこのシグネットリングと一緒に、身を潜めて生き残る事だけ考えなくちゃいけないのに)
自分をbebeと呼んでからかう時の、少し茶目っ気っぽくくしゃりと歪む顔。何だかんだと理由はつけられたけど、寝室を使わせてくれた優しさ。あの人の後ろを追いかける時、少しだけゆっくりと速度を落としてくれた事。そして、あの軽やかな口笛のメロディ。
そうした細々としたリアの振る舞いが、張り詰めた自分の心をそっと包み込むように安心させてくれて。気づけば自分の胸は動揺や恐怖とは違うリズムで胸が鼓動を打ち始める。
頬に両手を当て、クールダウンを図っているレイに、無遠慮なノック音が響いた。
「おい、起きろ。今日からマダムの所で働くんだろうが」
「はうわ!! あ、あの!! 準備はできてますので!!」
急いで返事をすると、レイは指輪を服の下に隠して扉を開いた。
「行くぞ」
「は、はい」
リアに連れられアパルトメントの外へと出ると、日がようやく登った所であった。真っ暗な夜では周囲を見回す余裕なんて無かったが、こうした日の当たる所で見ると此処は随分と雑多で物々しい。壁にもたれかかる赤ら顔の中年の男や、どこか疲れた表情を見せる胸元を強調されたドレスを纏っている若い女。服も体も煤だらけに真っ黒になった子ども。
道路の真ん中を牛耳るように走る馬車や、それに轢かれないよう脇を通る、仕事に行くであろう人々。皆綺麗な格好をしていないけれど、自由で活き活きと生命力に溢れてレイには彼らがとても眩しく見えた。
「レイ、人間じゃなくて道の方に意識を向けろ」
コツンと小さく頭をこづかれレイが横を向くと、いつの間にかリアが隣に並んでいる。
「道?」
「ああ。此処は色々入り組んで、慣れた奴じゃねぇと曲がる先を間違えただけで迷っちまう。お前もbebeじゃなぇって言うんなら、一人でカーラーンまで行けるようにはなってもらわねぇとな」
「道……といってもどの建物も同じような作りだし、覚えられるかな……」
「宿や酒場には看板が下がってる。最初はそれを目印にして覚えてなきゃいけねぇが。上にだけ気を取られてたら、いつの間にか懐が寒くなっちまう」
「えっと……つまり?」
『懐が寒くなる』が何を意味するのか。暫く考えても思い浮かばず、そろそろとレイは顔を上げてリアへと視線を向けた。レイの視線を受けると、ガリガリと乱暴に髪を片手で掻き毟ると、深々としたため息を図れた。
「スリだとかひったくりに気を付けろって事だよ」
「!!」
「今警戒しても遅ぇ」
「あうう……あのう、リアさん」
「あ?」
「リアさんのご迷惑でなければ、暫くカーラーンまで送り迎えして欲しいです……だめ、ですか?」
どうか断らないで欲しい。思いを込めてリアを見上げると、呆れていた顔が段々と苦笑に変わっていった。
「bebeにしちゃあ賢明な判断だ」
「ううう~」
送り迎えを頼んだ手前。癪に触る赤ちゃん呼びを止めろとも言いづらい。リアの方もそれがわかっているのか、ニマニマとおちょくりを全面に出した笑いを隠していないのが、また小憎たらしい。せめて、早く道を覚えてちょっとは見返したいと、両手を握りしめてレイは周囲の道を覚える事に意識を向けた。
窓から差す光に小さく声を上げると、レイは起き上がり、頭を抱えた。
「ぐっすり寝ちゃった……」
まがりなりにも初めて出会った他人の家で、しかもベッドを使わせて貰って。ものすごく恐縮して、自分の方がソファで寝ると言ったのに。『貴重品がある場所に、お前を寝させられる程不用心じゃない』と言われて、それ以上反論できずに押し切られてベッドを使わせて貰った時。申し訳なくて堪らなくなっていたのに。
「図太すぎでしょ私……」
あの屋敷から逃げ出して、雇い先やら住処やらを融通してくれて。いくらそれが安心したかと言っても、マナー違反も甚だしい。自分の図太さを嘆きながら着替えていると、首に確かに指輪が下げられている事を確かめ、そうして確かめてしまった自分に対して、嫌悪を感じた。
(リアさんは……何も無い『レイ』に、優しくしてくれた人、なのに)
着替え終わりボタンを留める手を止めると、頭が段々と小さく俯き始める。誰かを――リアを、心から信じたい。でも信じる事が出来ない事が、苦しい。苦しさを覚えるのは、懐かしい薄水色の記憶を、彼の瞳に感じているからだろうか? でも、あの記憶はとうに壊れてしまっている。思い出に浸るなんて余裕は、今の自分には無いはずなのだ。
俯いた髪を払おうと手をかけ、もう自分には払う程の髪の長さは無い事に気づき、小さく胸が傷んだ。すべて納得ずくでそうしたのにまだ未練がある事が、自分の未熟を突きつけられるようで、歯がゆくてならない。
(期限は、多分半年。その間私はこのシグネットリングと一緒に、身を潜めて生き残る事だけ考えなくちゃいけないのに)
自分をbebeと呼んでからかう時の、少し茶目っ気っぽくくしゃりと歪む顔。何だかんだと理由はつけられたけど、寝室を使わせてくれた優しさ。あの人の後ろを追いかける時、少しだけゆっくりと速度を落としてくれた事。そして、あの軽やかな口笛のメロディ。
そうした細々としたリアの振る舞いが、張り詰めた自分の心をそっと包み込むように安心させてくれて。気づけば自分の胸は動揺や恐怖とは違うリズムで胸が鼓動を打ち始める。
頬に両手を当て、クールダウンを図っているレイに、無遠慮なノック音が響いた。
「おい、起きろ。今日からマダムの所で働くんだろうが」
「はうわ!! あ、あの!! 準備はできてますので!!」
急いで返事をすると、レイは指輪を服の下に隠して扉を開いた。
「行くぞ」
「は、はい」
リアに連れられアパルトメントの外へと出ると、日がようやく登った所であった。真っ暗な夜では周囲を見回す余裕なんて無かったが、こうした日の当たる所で見ると此処は随分と雑多で物々しい。壁にもたれかかる赤ら顔の中年の男や、どこか疲れた表情を見せる胸元を強調されたドレスを纏っている若い女。服も体も煤だらけに真っ黒になった子ども。
道路の真ん中を牛耳るように走る馬車や、それに轢かれないよう脇を通る、仕事に行くであろう人々。皆綺麗な格好をしていないけれど、自由で活き活きと生命力に溢れてレイには彼らがとても眩しく見えた。
「レイ、人間じゃなくて道の方に意識を向けろ」
コツンと小さく頭をこづかれレイが横を向くと、いつの間にかリアが隣に並んでいる。
「道?」
「ああ。此処は色々入り組んで、慣れた奴じゃねぇと曲がる先を間違えただけで迷っちまう。お前もbebeじゃなぇって言うんなら、一人でカーラーンまで行けるようにはなってもらわねぇとな」
「道……といってもどの建物も同じような作りだし、覚えられるかな……」
「宿や酒場には看板が下がってる。最初はそれを目印にして覚えてなきゃいけねぇが。上にだけ気を取られてたら、いつの間にか懐が寒くなっちまう」
「えっと……つまり?」
『懐が寒くなる』が何を意味するのか。暫く考えても思い浮かばず、そろそろとレイは顔を上げてリアへと視線を向けた。レイの視線を受けると、ガリガリと乱暴に髪を片手で掻き毟ると、深々としたため息を図れた。
「スリだとかひったくりに気を付けろって事だよ」
「!!」
「今警戒しても遅ぇ」
「あうう……あのう、リアさん」
「あ?」
「リアさんのご迷惑でなければ、暫くカーラーンまで送り迎えして欲しいです……だめ、ですか?」
どうか断らないで欲しい。思いを込めてリアを見上げると、呆れていた顔が段々と苦笑に変わっていった。
「bebeにしちゃあ賢明な判断だ」
「ううう~」
送り迎えを頼んだ手前。癪に触る赤ちゃん呼びを止めろとも言いづらい。リアの方もそれがわかっているのか、ニマニマとおちょくりを全面に出した笑いを隠していないのが、また小憎たらしい。せめて、早く道を覚えてちょっとは見返したいと、両手を握りしめてレイは周囲の道を覚える事に意識を向けた。
11
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
世界のピンチが救われるまで本能に従ってはいけません!!〜少年聖女と獣人騎士の攻防戦〜
アマンダ
恋愛
「世界を救ってほしい!でも女ってバレないで!!」
え?どういうこと!?オカマな女神からの無茶ぶりに応え、男の子のフリをして―――異世界転移をしたミコト。頼れる愉快な仲間たちと共に世界を救う7つの至宝探しの旅へ…ってなんかお仲間の獣人騎士様がどんどん過保護になっていくのですが!?
“運命の番い”を求めてるんでしょ?ひと目見たらすぐにわかるんでしょ?じゃあ番いじゃない私に構わないで!そんなに優しくしないでください!!
全力で逃げようとする聖女vs本能に従い追いかける騎士の攻防!運命のいたずらに負けることなく世界を救えるのか…!?
運命の番いを探し求めてる獣人騎士様を好きになっちゃった女の子と、番いじゃない&恋愛対象でもないはずの少年に手を出したくて仕方がない!!獣人騎士の、理性と本能の間で揺れ動くハイテンションラブコメディ!!
7/24より、第4章 海の都編 開始です!
他サイト様でも連載しています。
男装魔法使い、女性恐怖症の公爵令息様の治療係に任命される
百門一新
恋愛
男装姿で旅をしていたエリザは、長期滞在してしまった異国の王都で【赤い魔法使い(男)】と呼ばれることに。職業は完全に誤解なのだが、そのせいで女性恐怖症の公爵令息の治療係に……!?「待って。私、女なんですけども」しかも公爵令息の騎士様、なぜかものすごい懐いてきて…!?
男装の魔法使い(職業誤解)×女性が大の苦手のはずなのに、ロックオンして攻めに転じたらぐいぐいいく騎士様!?
※小説家になろう様、ベリーズカフェ様、カクヨム様にも掲載しています。
【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~
降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。
侯爵令嬢は弟の代わりに男として生きることを決めました。
さらさ
恋愛
ある時、自分のミスで双子の弟を失ったレティシアは代わりに自分が男(クリストファー)として生きて行くと決断する。
クリストファーが生きていると信じ、探そうとするレティシアと、そんな彼女が男だと思いながらも自然と惹かれ、苦悩する男達と、可愛い男だと思って自分のものにしようと寄ってくる男達との攻防の物語です。
※作中にはBL表現も出てきます。
苦手な方はご遠慮下さいませm(_ _)m
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
王太子は幼馴染み従者に恋をする∼薄幸男装少女は一途に溺愛される∼
四つ葉菫
恋愛
クリスティーナはある日、自由を許されていない女性であることに嫌気が差し、兄の服を借りて、家を飛び出す。そこで出会った男の子と仲良くなるが、実は男の子の正体はこの国の王太子だった。王太子もまた決められた将来の道に、反発していた。彼と意気投合したクリスティーナは女性であることを隠し、王太子の従者になる決意をする。
すれ違い、両片思い、じれじれが好きな方は、ぜひ読んでみてください! 最後は甘々になる予定です。
10歳から始まりますが、最終的には18歳まで描きます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる