ベスティエンⅡ【改訂版】

花閂

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#19:Warrior

The hooligans return to their Alma Mater. 01 ✤

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 毎年恒例の本日の行事が、血気盛んな年頃の彼等には退屈極まりないものだということは教師陣も理解している。生徒の逃亡を阻止する為に、観客席の出入り口には教師が待機していた。
 一年B組の担任・四谷ヨツヤが壁に凭りかかって演目を鑑賞していると、「先生」と声をかけられた。「ハイ」と返事をして振り返ると、学校一の問題クラスとされる三年B組の担任を務めるタキだった。
 瀧は体育教諭らしい筋肉質なガッチリした体格であり、顔には額から頬にかかる大きな傷があり、威圧的な雰囲気があった。つまり、四谷とは対照的な印象だった。
 四谷は壁から離れて二本の足で垂直に立った。

「いま何人か生徒が外へ出て行ったようですが」

「トイレだそうでーす」

 四谷は瀧から目を逸らした。お説教が始まりそうな空気感を察したのだ。

「それでもまだ瀧先生のクラスよりは席が埋まってますよ。先生のクラスは今日何人ぐらい参加してるんですか?」

 厭味を返された瀧は黙ってジーッと四谷を凝視する。
 説教は封じられたがこれはこれでプレッシャーだ。四谷はポリポリと頭を掻き、瀧と目を合わせようとはしなかった。

「あ、近江オーミはちゃんと出席してるじゃないですか。こんなつまらない行事なのに。サスガは瀧先生、指導力の賜物ですねー。ボクが担任の頃はもう手が付けられなくて」

 瀧はもういいという意味を込めて「はあ」と溜息を吐いた。少々注意をせねばとは思ったが、おべっかを使ってほしいわけではない。

「生徒が退出してどれくらい経ちますか。随分長いトイレですね」

「そーですね。ちょっと長いな。みんなで腹でも下したかな」

「本気で言っていますか」

「冗談デス💧」

「逃がしたんじゃないですか」

「ゲッ!」

 四谷は、ちょっと様子を見てきます、とドアの取っ手に手をかけた。
 ブォッブォブォブォッ、ブォッブォブォブォッ!
 ボゥンッボゥンッ、ボォオーーッ! ブゥンッブゥンッブゥォオオッ!
 四谷が防音のドアを開いた瞬間、爆音が怒濤の如く内部に雪崩れ込んできた。

「なっ、何だあ?」

 目を丸くして吃驚している四谷の隣から、瀧が素早く廊下へと飛び出した。
 最初に目に付いたのは五人の生徒。男子生徒四人と、女子生徒一人。自分の記憶と照合した結果、そのほとんどは四谷のクラスの生徒だと判明。

「アレは一年B組の生徒じゃないですか」

「えッ⁉」

 四谷も廊下へと飛び出した。自分のクラスの生徒と言われては傍観者を決め込むこともできない。

 大鰐オーワニたちは、レイアンズを奪還しなければならないという使命感はあるものの何処へ向かったらよいのかも見当が付かず、廊下に立ち尽くしていた。
 そのような彼等を突如として爆音が襲った。

「何や、この音」

 大鰐が爆音に引かれてエントランスのほうへ足を向けようとすると、背後からけたたましい駆け足が聞こえた。それが気になって振り返ると同時に、ビュンッと四谷と瀧が駆け抜けた。
 大鰐は「マキ⁉」と呆気にとられ四谷を目で追った。

「いつまでも廊下に出てるんじゃない。用が済んだら自分の座席に戻れーお前たち」

 四谷は足も停めずそう言い、瀧とエントランスから飛び出していった。異変を察知した際には、先達てその正体を突き止めに行くのが年若い教諭の務めなのだ。
 突然、大鰐は何も言わずに二人を追って駆け出した。兎にも角にもいっちもさっちもいかず追い詰められていたから、何でもいいから飛びついて情況を打破したかった。

「オイタイラッ!」

 幸島コージマも大鰐を追って駆け出した。虎徹コテツ由仁ユニもつられてエントランスへと向かった。

 ブォッブォブォブォッ、ブォッブォブォブォッ!
 ボゥンッボゥンッブゥンッ、ボォオーーッ!

「近江出てこいコラーッ!」

「早よ出てこいやァーッ‼」

 能楽堂のエントランスから出た先、叩き割られたガラスドアを出た屋外は、少々ひらけた空間になっている。其処を数台の華美な装飾や改造を施された自動二輪が占拠していた。爆音を巻き上げて何やら罵声を上げている。
 彼等は建物内から飛び出してきた四谷と瀧を見て音を抑えるどころか一段と騒音を大きくした。
 四谷は両耳を押さえて不快そうに表情を歪めた。

「やれやれ……。どちらの暴走族ー?」

 瀧は胸を張って爆音の渦中にいる彼等へとズンズンと近付いていった。
 一番近くの自動二輪の前で足を停め、それに跨がった男を見据えた。男は「何やお前」と悪態を吐いたが、瀧はまったく怯まなかった。

「近江というのは、私のクラスの近江オーミ渋撥シブハツのことか」

「何やオッサン、近江の担任か。ほな話早いわ。早よォ近江連れてこいや」

「俺たちァ近江に話あんねん。他には用はあれへん」

「近江に何の用だ。今は能楽鑑賞の最中だ。正当な理由のない生徒の退出は一切許可していない」

「はぁーッ、能楽鑑賞ォ? そんなんワシ等に関係あれへんやんけ。ええから近江連れてこいや」

 四谷は瀧の遣り取りをエントランスから一歩出たところから見守っていた。連中は如何にも人の話を聞きそうにないが、瀧は説き伏せるつもりなのだろうか。無理だと思うなあ。

「瀧先生ー。面倒な騒ぎはゴメンですよー。どーせ怒られるのはボクなんだから」

 四谷は背後に人の気配を感じて振り向いた。其処には先ほどの五つの顔があった。その内四つは自分のクラスの生徒だ。
 大鰐は四谷へ批判的な眼差し向け、虎徹は瀧のほうへ目線を伸ばしていた。

「お前ほんまやる気ないやっちゃなマキ」

「それに比べて瀧センセはカッコええな~✨」

 四谷は腰に手を当てて「はー」と溜息を吐いた。

「お前たちね、自分の座席に戻れって言ったでしょ」

「ほなソレ全員に言うてみたらええやんけ」

 そう言って虎徹は後方を親指で指した。
 四谷が「全員?」と指し示されたほうへ目線を向けて「ゲッ!」という表情をした。
 黒いシャツを着て白いズボンを穿いた男たちがゾロゾロと此方に向かってきているではないか。爆音で目を覚ました血気盛んな若者たちにその場にジッとしていろというのは無理な話だ。
 四谷は慌ててその場から飛び出して瀧へと近寄った。

「瀧先生、コレどうにかしちゃいましょコレ! 一刻も早く迅速にテキパキと!」

「あぁッ⁉ コレって何やコラ! ナメとんかッ」

 四谷は熱り立つ男を「あーハイハイ」とぞんざいに宥め、瀧にペコペコと頭を下げて懇願する。
 瀧は目だけ動かして四谷を見た。先ほどまで傍観者を決め込んでいたくせに調子のよいことだ。

「お願いしますよ。何とか言ってくださいよ、瀧先生~」

「面倒な騒ぎは御免なのでは。四谷先生」

「ここで何とかしないともっと面倒なことになるでしょ。こんなところで生徒の乱闘騒ぎにでもなったら新聞沙汰ですよ。そんなの二度と勘弁です。協力してくださいよ~、お願いしますよ~。ねっ、ねっ?」

「生徒の前で狼狽える姿を晒さないでください。堂々となさったらどうですか」

「ボクァ瀧先生のようにはできませんよ。小心者ですから」

 爆音を上げている男たちは上に命じられて近江オーミ渋撥シブハツを出せと要求しているのだ。それを無視して会話されるのは非常に腹が立った。

「何ゴチャゴチャ言うとんねん! オドレ等殺すぞボケェッ」

「ハイハイ。いま大人の話してるからちょっと待っててね」

「ナメんなやゴラァッ!」

 彼等は元々それほど気の長いほうではない荒くれ者だ。ついに堪忍袋の緒が切れ、四谷に殴りかかった。
 四谷も瀧も男のパンチをヒョイッと軽々と回避した。
 男は驚いたが一度出した拳を引くこともできず、再び四谷に殴りかかった。四谷は追撃も難なく回避した。この身のこなしはマグレなどではない。
 パシィンッ、と何度目かに突き出された拳を四谷は手の平で覆って捕まえた。

「ハイ、先に手を出したのはキミだからね。これでセートーボーエーだからねー」

「教師なんか関係あれへんわ! オラァッぶっ殺せェッ!」

 号令に触発され、緋色の男たちは一斉に四谷と瀧へ躍りかかった。
 バチィンッ、と一人のパンチが瀧の顔面を捉えた。

「あ~あ……。瀧先生、大丈夫ですかー」

 四谷は大して心配ではなさそうに声をかけた。
 瀧は殴られた顔をゆっくりと正面に引き戻し、自分を殴った男を見据えた。

「……正当防衛だ」

 瀧はグッと拳を握り込み、敵の間合いへと一歩深く踏み込んだ。真正面にある顔面目掛けてパンチを打ち出した。
 ガッキィンッ!
 瀧のパンチを真面に喰らわれた男は、視界に火花が散った。火花に混じって青い空が千切れ千切れに視界に飛び込んできた。パンチの威力のままに二、三歩後退し、ぐしゃあと地面に倒れ込んだ。
 パンチ一発でのされてしまった仲間を見て、緋色の男たちは一瞬凍り付いた。

「あー。瀧先生、自分だけズルイなー」

 四谷は口を尖らせた。
 瀧は四谷のほうをクルリと振り返った。

「ズルイも何もない、。正当防衛だからな」

「うわぁ。ソッコーで教師モード切っちゃってる。がそうするんだったら俺だってやっちゃいますよー」



 荒(コー)菱(リョー)館カン高校の生徒たちは、自動二輪の爆音に引き寄せられ、あらかた能楽堂の外まで出てきてしまった。人数は多いがこの騒ぎを止めようなどという者は誰一人としていなかった。緋色の特攻服の男たちと乱闘を繰り広げているタキ四谷ヨツヤを、格闘技のギャラリー気取りで観戦している。
 いち早くこの場に駆け付けていた大鰐オーワニたちはギャラリーの最前列という特等席をゲットしていた。虎徹コテツ由仁ユニはほかのギャラリー同様に乱闘に目を奪われていた。
 大鰐は「オイ」と、虎徹の後ろにいる鞠子マリコに声をかけた。鞠子は鋭い目付きを向けられ、ピクンッと小さく肩を撥ねさせた。

「男脳女とアンズ連れてったのはアイツ等か」

「あの男はん等ぁと、同じ服着てはりました……」

 鞠子はコクンと頷いてさらに縮こまって虎徹の後ろに隠れた。
 大鰐は「そうか」とも言わず緋色の男たちのほうへと視線を移動させた。彼等の元へと向かおうとした矢先、幸島がその肩を掴んだ。

タイラ。今はちょお待て」

「何でや。アホ共が自分から出てきてくれとんのに見逃す手は無い。女たちどこに連れてったんかアイツ等に訊いたら分かるやろ」

「あんなしとるけど瀧もマキも一応教師や。その前でアイツ等締め上げんのはマズイ。動くのはアイツ等だけになってからや」

「ンなもんのんびり待っとるか。そんなことしよる内に逃げられてしもたらどうすんねん」

「逃げる前にタイミングよお捕まえたらええやろ」

「アイツ等バイクやぞ! 走って追い駆けろっちゅうんかボケがッ」

 大鰐は鼻の頭に皺を寄せて幸島に言い返した。普段から決して気が長いほうではないが、特に苛立っているように見えた。

「平、お前……」

 幸島は何かを言い掛け、その喉まで出かかった何かを呑み込んだ。
 大鰐にも幸島が何かを溜飲したことが分かった。自分の脳内が透けて見られているかのようでバツが悪かった。禮と杏がいなくなったことに罪悪感を抱いているなんて、正義漢ぶっているみたいでどうしようもなくバツが悪い。しかしながら、俺の所為ではないと無視できるほど薄情者でもなかった。

「瀧だけやのォてマキちゃんもやるつもりか。大丈夫なんか」

「マキちゃ~ん、ケガするで~。やめといたほうがええで~」

 虎徹と由仁は聞こえないと分かっていながら四谷に気持ちの篭もっていない声援を送った。
 彼等の担任・四谷ヨツヤ真紀マサノリは、見るからに脱力系だった。ほかの教諭のようなシャツやジャケットを着用することは珍しく、前髪は伸び放題、いつもヘラヘラしており、やる気や熱意は感じられず、喧嘩や暴力などの荒事には不向きに見えた。故に、このような乱闘に自ら参加するなど、新入生諸君には予想外だった。
 ザワザワザワ…………。
 人垣のなかに罵倒や歓声とは異なるざわめきが生まれた。ざわめきは人垣の後方からやって来る。幾重にも重なる人垣を割り、躙り寄るようにやって来る。
 移動するざわめきの中心は、沈黙していた。
 中心には王がいた。王が歩むだけでその圧倒的な存在感に気圧され、しがない領民は口を噤んで王に頭を垂れた。王は羨望の眼差しと畏敬の念を揺蕩う空気が如く受けながら、忠誠を誓う臣下を引き連れて只人の波を裂いて現れた。
 渋撥が最前列に姿を現した。新入生諸君はそれを直視することができなかった。渋撥がこの場に現れたのは禮がいなくなったことを察知したからではない。騒ぎに引かれてやって来ただけだ。彼等は何も罪を犯したわけではない。王に弓を引くつもりも無い。あるのはほんの少々の過失だけ。それなのに禮を連れ去られた罪悪感が彼等を苛んだ。

「お。マキちゃんやん。めっずらし」

 美作は手の平で額にひさしを作り、四谷と瀧を眺める。
 曜至は呆れ顔で息を吐いた。最上級生である彼等にとって乱闘など珍しくもない。

「なに張り切ってんだマキのヤツ。瀧も一緒になって恥ずかしい大人だな」

「マキちゃんが滅多にやる気出さへんの勿体ないよなー」

「マキが勿体ない言うのは……」

 幸島が尋ね、美作は「あ~」と声を漏らした。

「一年はまだ知らんか。ああ見えてマキちゃんは武闘派やで」

 あのマキがですかあ~、と由仁は美作に疑いの目を向けた。四谷の外見は脱力系だから、実際に目にしなければ信じられないのも無理はない。

「ウチのガッコのモンは教師ナメとるヤツ等ばっかりやろ。口で言うてモノ分からんヤツはゲンコで分からせるねん。そーゆー武闘派の教師は何人かいてるけど、その中でも瀧ちゃんとマキちゃんは逆らわんほうがええな。あ、これは先輩からの心優しいアドバイスな」

「マキになんか誰がビビるかっちゅうねん」

 大鰐はやや乱暴に放言した。幸島は素早く大鰐の口を手で塞ぎ、美作に「すんまへん」と言った。
 ヒエラルキーの存在を忘却するほどに、目上への配慮を失念するほどに、今の大鰐には余裕がなかった。美作が上下関係に敏感な質でなくてよかった。幸島は内心ホッとした。

「瀧ちゃんとマキちゃんはちょっと特別なんやな~」

「あの二人は荒菱館卒の根っからのバッリバリ武闘派だ」

「荒菱館の卒業生⁉」

「あのマキがぁっ⁉」

 四谷の教え子たちは目を剥いた。
 その反応を期待していた美作はニイッと笑った。

「意外やろ~。瀧ちゃんは普段から恐い顔しとるけど、マキちゃんはヘラヘラしとるさかいな。ついでに言えばあの二人は高校時代からの先輩後輩やで」
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