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#13: The identification
Permanent our relationship 01
しおりを挟む市立深淵高等学校。三年生某学級にて。
休み時間、千恵は真珠の机を通り掛かって足を停めた。千恵、真珠、下総は同じクラスだが、下総の姿は教室内には無かった。
真珠は両手を膝の上に揃えて頬を机の表面にくっつけ、じぃーっと廊下に視線を固定させていた。
「アンタ何してんの? 熱?」
千恵は気持ち悪いものを見る目を向けつつも、一応体調を案じてみた。
真珠は何も声を発さなかった。フラッと腕を持ち上げ、廊下を指差した。指示された通り千恵が廊下へ視線を向けると、担任教師が生徒を呼び出している風だった。その前に立っているのは下総と紗英だ。
「また二人揃って何かしたの?」
千恵はハッと鼻で笑った。職員室に呼び出されて大目玉を喰らったのは昨日のことだというのに、昨日の今日でまた教師から呼び出しとは呆れる。
「赤点の人だけに出された数学の課題……」
「そんなんあんの? 赤点組は立場ツライな」
「蔚留くん、紗英ちゃんのを写してたのがバレたんだって……。一言一句同じで丸写しだったから」
「サッスガ、赤点キング。いくら数学でも全部同じ答だったらバレるに決まってんじゃん。ちょっと考えたら分かるのにね」
中学校時代からの後輩である千恵も、下総の短絡的思考には苦笑を通り越して呆れた。当たり前の高校三年生の知恵があればそのような愚行は犯すまい。そりゃあ赤点も取るわ、と言いたくなる。
「いいなー……紗英ちゃん」
真珠は頭を上げないままボソッと独り言を零した。
聞き取れなかった千恵は顔を近付けて「何か言った?」と尋ねた。真珠はいつもは聞き取るのが精一杯のマシンガントークのくせに、今日はヤケに細々としおらしく喋る。
「真珠も赤点取ろうかな」
「はあ? なに言っての」
「だってズルイんだもん」
あの位置はズルイ。紗英は下総と一緒に怒られているから下総の隣に立っている。下総と同じ線の内側で、さも当然のように、下総の隣を陣取っている。下総の隣は真珠の特等席であるはずなのに、今だけは紗英に占領されている。取り返したいと思って当然じゃあないか。
「真珠も蔚留くんと一緒がい~い~よ~っ」
真珠は額を机にくっつけて足をバタバタとさせる。ただでさえ並の女子高生よりも小柄なのだから、駄々っ子のような仕草をすると本当に小さな子どものように見えますよ真珠さん。
「そんな理由で我が子に赤点取られた日にゃ、私が親だったらビンタじゃ済まないね」
「千恵ちゃんは冷た~い~っ」
「別にアンタは蔚留くんのカノジョなんだから、わざわざ一緒に怒られなくても好きなだけ一緒にいられるじゃん。そんくらいで親悲しませるな」
真珠は顔を上げ、むうと頬を膨らませた。これが我が儘だということも、千恵が正論を言っていることも、勿論分かっている。下総に言うわけにはいかないし、親には口が裂けても言えない。友人の千恵に対してだけ、無責任に願望を発露することができる。
「真珠だって本気でそんなことするつもりないよっ。ただちょっと……紗英ちゃんが羨ましくなっただけ」
「ま、カノジョのアンタが羨ましくなっても仕方ないか。紗英の場合はちょっと特別だから」
「特別って?」
千恵の一言が妙に引っかかった。真珠は千恵へと目を向けた。
「紗英と蔚留くんは付き合い長いもん。中学のときからあのかんじだよ」
「千恵ちゃんだって蔚留くんと同じ中学校でしょ」
「そーだけど、わたしと紗英じゃ全然違うよ。紗英は昔、蔚留くんと付き合ってたじゃん」
真珠は大きな目をさらに見開いた。咄嗟に否定することも聞き返すこともできなかった。驚愕し呆然としているその表情を見て、千恵はしまったと片目を瞑った。
「真珠知らなかったの? 蔚留くんから聞いてない?」
「そう言えば蔚留くんから前カノの話とか全然聞いたコトない……」
(あちゃー、まずったなー。キング、そういうの秘密にしとくタイプか。テストの点数は悪いクセに)
真珠の語調が弱くなってゆくのに合わせて自然と視線も下っていき、その仕草は明らかに落胆して見えた。下手を打ってしまった千恵は、どうやって挽回しようかと腕組みをした。
「付き合ってたって言っても中二のときにちょっとだけだよ。三ヶ月くらいだったかな。二人ともそのあと何人かと付き合ってるし、中二なんて今思えばコドモのときのハナシじゃん。今更気にすること無いって。あー、ホラ、別れていいトモダチに収まるってヤツ。一回付き合ったから他の友だちより気心知れてるだけだよ」
千恵は自分でも言い訳がましいなと思いつつ、やや早口で捲し立てた。
真珠は、千恵が気遣ってくれていることが伝わってきて、それに善意に応えようと笑顔を作った。頬に掛かる髪の毛を耳に掛けた。本当に髪の毛が邪魔でそうしたのではなく、何てことは無い動作で誤魔化さないと平静を装えなかった。
やはり紗英の位置はズルイ。真珠は中学生時代の下総蔚留がどのような少年だったか知らない。千恵の口から聞くくらいしか手立てがないのに、紗英は何もしなくてもすべて知っている。真珠がどう足掻いても手にすることができない、下総の歴史や時間や出来事を共有している。その点で紗英は獲得者であると同時に、悠然と微笑む勝者なのだ。
休み時間の間中、下総と紗英は廊下でお説教を食らっていた。真珠の隣である自分の席に戻ってきた下総は、担任教師に対して尽きぬ文句をブツブツと言っていた。真珠は作り笑顔を保ってそれに相槌を打った。実のところ、下総が何を言っていたかよく覚えていない。恐らくは、特に中身のないいつも通りの不平不満を垂れていたのだろうが、何を言っていたか一言一句覚えていない。
次の休み時間、真珠と千恵は連れ立って女子トイレへと行った。トイレの洗面所、壁面に設置された鏡の正面に立ち、それぞれに身成を整えながらお喋りをするのがいつもの流れ。
真珠が鏡のなかの自分と向き合ってリップクリームを塗り直していると、隣にいる千恵から「はあーあ」と大きな溜息が聞こえた。
「わたしが悪かったからさー、もーその暗い顔やめてよ、真珠」
真珠は「えっ」と零した。自覚はまったくなかったのだ。
「紗英のことはホント口滑らせた、ゴメン。わたしが悪かったわ。蔚留くんのことだから、何も考えずにサクッと話してるもんだと勝手に思ってた」
「謝ることじゃないよー。真珠が蔚留くんに元カノの話とか聞いたことなかっただけだから」
「アンタが暗いと蔚留くんも面白くないじゃん。いつもみたいにニコニコしなよ」
「そだね。確かに暗い子になって蔚留くんに嫌われるのヤダもんね」
真珠は「そんなに暗い顔してるかなー」と言って腰を曲げて鏡に顔を近付けた。一番よく見慣れたはずの自分の顔なのに、マジマジと凝視してみても普段との違いがよく分からなかった。否、普段どのような表情で過ごしていたっけ。意識して、無理して、明るい顔をしようなんて考えてもいなかった。
千恵は鏡へと視線を移し、二つ結びにしていた髪を解いた。携帯コームで髪の毛を梳きつつ再び口を開いた。
「悪いけど、蔚留くんをそこまで好きになるキモチ、わたしには解んないわ」
何で、と真珠は口を尖らせた。
「何でって何だよ。アンタはあの蔚留くんのどこが好きなの」
「んー、好きなところはいっぱいあるよ」
「うわぁ……ホントそーゆーことサラッと言うわぁ、この子」
千恵はハハッと笑って髪を結び直す。
「身長高いし、手おっきいしー」
「アンタと比べたら大抵の男子は背高いし手もデカイよ」
「それに蔚留くん優しいし明るいし楽しいし友だち多いしカッコイイもん。千恵ちゃんは中学時代から知ってるのに、蔚留くんをイイなって思ったこと一度もないの?」
「そりゃあ……昔チラッとは」
真珠はそんなことは無いはずだとでも言いたげに自信満々の表情だった。
そこまで確信しているならば仕方が無い。認めてしまおう。千恵は観念したように肩を落として嘆息を漏らした。
「蔚留くん、顔自体は割と悪くないし、昔は今みたいにムッサイヒゲ生やしてなかったしなー。中学のときは一コ先輩じゃん。先輩ってなんかカッコ良く見えるじゃん、三割増しで。ノリは中学のときからあんなかんじ。後輩にも気さくでさ、確かに昔から友だちは多かったと思うよ。学校の人気者みたいな」
真珠は両頬に手を当て「キャー」と高い声を上げた。
「フツーにあれだけカッコイイ蔚留くんが三割増しならどんだけカッコイイの⁉ いーなー、千恵ちゃんは蔚留くんの後輩で」
「イヤ、アンタ、自分が蔚留くんとタメってこと忘れてない? 同じ中学でもアンタが蔚留くんの後輩になることは有り得ない」
千恵は二つ結びにした髪の毛の束の一つを、さらに半分ずつの量にして両手に持った。それを左右に引っ張り、髪の毛の束をキュッと縛り上げた。携帯コームを制服のポケットに仕舞って「ふう」と小さくと息を漏らした。
「でもわたしは、ああいうのを好きになるのはナイなって思った。カノジョの真珠に言うのもアレだけど」
千恵の声のトーンは少々本気だった。真珠は聞き入るように鏡から彼女へと視線を移した。
「今は全然マシになったみたいだけど昔はもっと気が短かったよ、蔚留くん。口より先に手が出るみたいな。ケンカって言えば〝ソレもう死ぬんじゃないか〟って、シャレになんないくらいボコボコにしてた。相手が泣いて謝っても血とか出ても全然やめないの。そういうのは蔚留くんの一面でしかないし、普段の蔚留くんは先輩としてスキだけど、無理だったんだよね、わたしは」
わたしは、の部分を千恵は意識的にハッキリと言葉にした。これは千恵の主観に過ぎず、下総を好きな真珠を否定する意味は決してない。
ジャーッ。
トイレを流す音がして、真珠と千恵はお喋りをやめた。そういえば個室のドアが一つ閉まっていたっけ。続いてドアが開く音がして、手洗い場へ足音が近付いてきた。
「アタシは蔚留くんめっちゃカッコイイと思うよ」
真珠と千恵は顔を上げて鏡を見た。そこには二人の背後に立つ紗英の姿が映っていた。
紗英は真珠の隣に並んだ。手洗い場の蛇口を捻り、冷水に両手を晒した。
「あんなにカッコイイカレシがいてカワセミさん羨ましいなー」
「アンタもカレシいるじゃん。イケメンって人気あるサッカー部の」
紗英から話しかけられたのは真珠なのに何も答えなかった。千恵は、きっとこの子は誰かと対立したり啀み合ったりしたことなどないのだろうと思った。この子は相手が生徒でも教師でも親切で愛想よくしている。
だから千恵が代わりに返事をした。
「あー、アレもまあまあイケメンだよね。でも蔚留くんのほうが全然カッコよくない? カワセミさんはいつ見ても幸せそうだしー、蔚留くんと仲いいしー、ホント羨ましいよ」
「紗英ちゃんも蔚留くんと仲良いじゃない。真珠のほうが紗英ちゃん羨ましいよー……」
紗英は悪びれず自分の彼氏をアレ呼ばわり。冗談みたいに笑い飛ばした。
真珠は直接的な悪口ではないとはいえ人が貶されているのを耳にするのはなんとなく嫌だなと思ったが紗英に指摘はしなかった。本能的に対立を回避したのだと思う。自分の考えを口にできない意気地の無い自分に胸が少々モヤモヤした。
自然と紗英の指先に目がいった。ラメの入った桃色のネイルが、水を弾き返してキラキラしていた。それは華やかで可愛らしくて、まるで紗英の分身のようだ。
紗英の指が水滴を跳ね上げ、手が蛇口に伸びた。キュッと蛇口を閉め、スカートのポケットからハンカチを引っ張り出した。
(蔚留くんから借りなくても持ってるじゃん)
真珠は自分でも厭味たらしいと呆れる台詞が頭に浮かんだ。気が引けて引けて紗英から目を逸らした。
「そうね。アタシと蔚留くんは中学のときから特別仲がいいかな。それに……カノジョは別れちゃったらソコで終わりだけど、友だちはずっと友だちだもんね」
今、何と言った――。真珠は我が耳を疑った。唐突なタイミングで冗談みたいな口振りだったが絶対に冗談ではない。如何に平和主義の真珠でも聞き逃せない。
真珠が紗英のほうへ目を向け、紗英は真珠に身体の正面を向けた。紗英は腰に手を当て、まるで勝者のように悠然と構えた。挑戦や敵対どころか自身の勝利を信じて疑っていない姿勢。これほどの絶対的自信は真珠には持ち得ない。
「ね? カワセミさん」
真珠は小さな双肩に力を入れて唇をキュッと噛んだ。両足をピンと張り、床をしっかりと踏んだ。身長も体格も紗英に及ばないが、気後れしたくなかった。踏ん張りどころは今だ。
「……川澄」
「え?」
「川澄!」
「真珠の名前は川澄真珠。カワセミじゃないから、紗英ちゃん」
真珠は目を逸らさずに紗英を真っ直ぐに見据えた。
正直、紗英はほんの少し驚いた。気弱そうな真珠が真っ向から歯向かってくるとは予想外だった。しかしながら彼女の胆力も然るもので、一呼吸後にはニヤリと口角を引き上げた。
「あっそ。分かった」
じゃあねー、と紗英はまるで友だちのような台詞を残して女子トイレから颯爽と出て行った。
紗英の足音が遠ざかってゆき、千恵は「はあ」と肩の力を抜いて息を吐いた。
「よくアンタが言い返したね、あの紗英に」
千恵は紗英を中学生時代から知っている。自分の好き嫌いや主義主張をハッキリと表出する、クラスのなかでは権力者だ。それに引き換え真珠は、人と争うくらいなら要求を甘受してしまうほどに寛容だ。両者が衝突すれば当然に真珠が気圧されてしまうだろうと予想していたのに。
恐らく紗英もそう考えていた。だからこそ偶然出会したのが好機とばかりに本人に直接挑戦状を叩き付ける真似をしたのだろう。
「紗英ちゃん、まだ蔚留くんが好きなのかな。……好きだよね。蔚留くんのこと好きじゃないなら、あんな風に真珠に言わないよね」
真珠は千恵よりも数倍大きな息を吐いた。手洗い場の縁に両手を突いた。
まあそうだろうね、と千恵が答えた。
「まさかあそこまで未練タラタラとは思わなかった。自分のカレシより全然カッコイイって言い切るなんて相当だよ。紗英と男の取り合いなんて想像するだけでゾッとする。アンタ、ケンカなんてしたことないでしょ。マトモに相手しないで――」
「負けないよ、蔚留くんのことだもん」
真珠は千恵の心配を振り切ってキッパリと確言した。真珠の瞳には初めてのことに対する不安と同時に明確な戦闘意欲があった。学校ではほとんど行動を共にしている千恵も、このような真珠を見るのは初めてだった。
真珠は恐らく生まれて初めて、絶対に負けるわけにはいかないと決意した。
§§§§§
女子トイレから出てきた紗英は、ネイルが折れそうなほど拳を握り締めた。真珠の前では余裕たっぷりに振る舞った仮面は剥がれた。烈火の如く猛り狂った感情が、胸中に収まりきれず表情に表出していた。
(何なの、あの女! マジムカツク、マジムカツク、マジムカツク……ッ! 死ねばいいのにあんな女! 殺したい! 今すぐ殺してやりたい!)
あの女を見る度に殺人的な衝動が沸き起こる。
あの女は、いつも彼の隣にいて、彼と視線を交わし、彼と笑い合い、彼から愛されている。当たり前のような顔をして彼から最も想われている。あの女は或る日突然現れて、彼とわたしとの間に割り込んで、あの位置を乗っ取った。あの位置はわたしのものだったのに。
「紗英ー」
紗英は後ろから声を掛けられ、肩に手を置かれた。振り返ると彼氏だった。
「俺、明日部活ねーんだよ。帰りにカラオケ行こうぜー」
イケメンと評判の女子から人気があるサッカー部の彼氏。可愛いねとか好きだとかよく言ってくるから否定しなかった。よく話しかけてくるなと思っていたら、付き合おうと言われたから受け容れた。顔は悪くないから一緒にいても恥ずかしくないし、高校生活は彼氏がいないよりもいたほうが楽しいかと思って。頻繁に一緒に下校するようになって、暇なときは遊びに行って、手を繋いだりキスをしたりして、そういう彼氏。
「なに黙ってんだよ紗英。つーか、なんか顔恐くね?」
「ウルサイ。顔のこと言うなんてサイテー。死ねば」
紗英は表情を変えずに冷たく放言し、彼氏に背を向けてスタスタと歩き出した。彼氏は慌てて紗英のあとを追った。
(蔚留くんと別れてから、それなりに色んな男と付き合ったけど、蔚留くんよりイイのに当たらない。何で? いま付き合ってるコイツだってサッカー部一のイケメンとか言われてたじゃん。は? イケメン? この程度で? 馬鹿にすんな。蔚留くんのが全然カッコイイじゃん)
「お前ソレヒデーって。何ソレ小悪魔系? お前のSっ気は小悪魔系っていうか悪魔そのものだからな」
「頭悪いし面白くない。やっぱ死んで」
「だからヒデーって。お前、顔可愛いのに口はキツイよな」
紗英はピタッと足を停めた。彼氏を振り返り、クルッと睫毛の上がった目で彼氏を睨みつけた。
彼氏はキツイ目で睨みつけられ気圧された。
「アタシのことお前って言わないでって前に言ったよね。次言ったら別れる」
「わ、悪かったよ……紗英」
紗英は彼氏から顔を逸らし、肩に乗っかった髪の毛を手でぱさりと払った。眉間に小さな皺を刻み、焦心の様子だった。
男子生徒からも女子生徒からも人気者。男でも女でも眼光で圧倒する強者。そのような紗英(サエ)を唯一最大級苛立たせる存在、それが川澄真珠だった。
あの位置は、アタシのもの。あの人の隣は、アタシだけのもの。絶対に奪り返す。
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