ベスティエンⅡ【改訂版】

花閂

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#08:My shameful lines

My shameful lines 03

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 真珠マタマはテーブルからレイが離れたあともまだ顔を下総シモーサとは反対の方角に向けていた。

「ちゅうかタマ。人にいきなし浮気の話とかすんなよ。変に思われるやろ」

「別に変じゃないしー。蔚留シゲルくんはヤマシイことがあるから気になるんじゃないの」

「ハアッ?」

 下総が大きめの声で聞き返した。
 下総と真珠の間に流れる何やら不穏なムードにピンと来た曜至ヨージは、ニヤリと笑った。

「何だ、何かやらかしたのか、下総」

 下総はフンッと曜至から顔を逸らして何も答えなかった。
 別に無理して下総の口を割らせる必要はない。曜至は真珠のほうへ視線を移した。この場合、下総よりも真珠のほうが人に話したくてしょうがないだろう。

「マタマちゃん、だっけ? このヒゲ面のカレシ、何したの?」

「ヒゲ面やとォ💢 オマエちょっと顔がいいくらいで調子乗りくさって」

「ハハッ。少なくともオメーよりはイイ顔だろ」

「シバいたろかッ」

 下総に威嚇されても曜至は余裕綽々でハハハッと笑った。顔面を褒められても謙遜しない男、それが澤木サワキ曜至ヨージである。

「蔚留くん、駅で知らない女の子と楽しそうに話してた」

(話してただけかよ。そんなことでヤキモチ焼けんのか、めでてーなこのバカップル)

 真珠は明らかに不機嫌そうにツンとした態度。曜至は内心「なんだ、そんなことか」とガッカリ。もっと重大で面白可笑しい事件を期待したのだけれど。

「何遍同じこと言わせんねん。アレは顔見知りの後輩やって。ガッコ帰りにたまたま駅で会うて世間話しとっただけや。それくらい誰でもするやろっ」

 下総は真珠に対して自身の潔白を身振り手振りで大仰にアピールしようとした。真珠はテーブルに頬杖を突いて下総の顔をジロリと見た。

「フゥ~ン。世間話、ね」

 下総は頻りに首を上下に振ってウンウンと頷いた。その焦りまくった表情が余計に信憑性を失わせた。

「電話番号もらったクセに」

 下総は一瞬ギクッとし、そのあとブンブンッと頭を左右に振った。

「そ、そんなモンもろてへんっ」

「お前下手くそだなあ。見られてねェとこでやれ?」

 曜至は相変わらずニヤニヤしながら下総の肩をポンポンと叩いた。
 下総が真珠を煽ろうとする曜至に食ってかかろうとした瞬間、真珠が下総の学生服の胸ポケットに突然手を突っ込んだ。

「何しよんねんタマ! ぃやらしいやっちゃなッ」

 下総はあたふたと慌てるが、真珠は無視して更に無断で制服のズボンのポケットにも手を突っ込んで引っ掻き回した。
 真珠の指先に小さな紙切れのような感触が触れた。その瞬間に真珠の表情が豹変し、下総もギクッとして顔筋を強張らせた。真珠はその紙切れをポケットから引き出し、下総の眼前に突き付けた。

「信じられない……まだ持ってた。女の子たちからもらってポケットにしまうトコ、真珠マタマ見てたもん!」

「お前視力ええな!」

「捨ててないなんてっ……捨ててないなんて……ッ! せめて真珠マタマにはバレないように隠しなさいよ! それとも真珠マタマはそんな手間も掛けたくない程度のカノジョなの⁉」

「み、みっともないさかい人前でギャンギャン騒ぐなッ」

「浮気見付けて喚くカノジョはみっともなくて、カノジョにバレるような雑な浮気する男はみっともなくないって言うのッ?」

 真珠はテーブル席の椅子の上に膝立ちになり、ポケットから引きずり出した紙切れごと握り拳を下総の胸にドンッと叩き付けた。

「こんなモン浮気の数に入るかーー! 勝手に向こうから声かけてきただけや。少しは俺の話も聞け、アホッ」

「アホはどっちよ!」

「イヤっ💦 ……俺やけど」

 真珠の剣幕に圧倒され、下総の額には汗が浮いていた。男同士の喧嘩や威嚇では相手に気圧されたことなどないが、真珠相手にはどうも強く出れない。

「蔚留くんの激バカーーッ! 新しいカノジョが欲しいなら欲しいって言えばいいじゃない!」

「ハァアッ⁉ そんなこと一言も言うてへんやろッ」

「駅にいた女の子たち可愛かったもんねー! 新しいカノジョはあの子たちにすれば? 蔚留くんはおモテになりますから、言えばスグにカノジョになってくれるわよ!」

「ええんか? ええんやな⁉ ホンマに浮気してもっ」

「す・れ・ば💢⁉ 真珠マタマと別れたいんならスッパリ別れてあげる! 蔚留くんみたいな浮気者!」

 ぱーんっ!
 激昂した真珠は感情のままに思い切りよく下総の頬に平手を喰らわした。

 禮は恋人同士の痴話喧嘩を直に目撃したのは初めてのこと。咄嗟にドキッとしてしまい、隣に座っている渋撥シブハツの制服の袖を掴んだ。

「アレ、放っといてええの?」

「無視せえ。首突っ込んだるだけ損や」

 渋撥は騒々しい二人のほうを一瞥することもなくキッパリと言い切った。騒音そのものは不快だが、自分が巻き込まれなければ泣こうが喚こうが別れようが知ったことではない。
 美作ミマサカも冗談のように笑い、コーヒーカップを持ち上げた。

「心配したらんでええでレイちゃん。あのカップルのケンカは関わったり気にするだけ損。仲良くなる為の儀式みたあなモンや。犬も食わんっちゅーヤツ」

 禮は上目遣いに渋撥の顔を見た。

「ケンカしたら仲良うなれるん? なんで?」

「さぁ」

 渋撥は煙草を銜えたまま顎を左右に振り、質問を軽くあしらった。
 美作は禮のほうへ上半身を乗り出し、慌てて手をパタパタと振った。

「れ、レイちゃんはやめといたほうがええ思うで。あのバカップルは特別ああやねん」

 美作は全校合同交流会において渋撥を煽ってしまったことに少なからず責任を感じている。渋撥と禮が本気で喧嘩する事態になることは今後全力で回避したい。

「特別ああって……?」

 禮はキョトンとして首を傾げた。

 下総の頬を撲ってから真珠の剣幕はさらにエスカレート。下総は真珠の手首を捕まえて落ち着かせようとするが、真珠はジタバタと抵抗した。

「俺が浮気者やっちゅうならお前はヤキモチ焼きや! 極度のヒス付きのなッ」

「浮気するよりヤキモチ焼くほうがマシだもん!」

「マシって誰が決めたんや! お前が思てる以上にヒスはキツイで!」

「はァッ💢⁉」

「大体なァ、番号渡されたかてあんなブスに連絡とらへんわ!」

「デレデレしてたクセによく言えますねー⁉ できるならあのときの蔚留くんの顔見せて差し上げたいですッ」

「デレデレなんかしてへんわ! お前目ぇ付いとんかッ?」

「付いてます、2つ! 浮気を見逃さない程度に視力も良好です!」

「わざとらしく敬語使うなや、ハ・ラ・た・つ~!💢」

「腹が立つのはこっちよ、この浮気者! 浮気じゃないって言うなら何で女の子の連絡先持ったままなの! 蔚留くんは真珠マタマのことなんてもうッ……」

「タマ!」

 下総が一際大きな声を出し、真珠の言葉を遮った。

「捨て忘れとった」

 真珠はピタリと停止し、下総の顔を見上げて目をパチクリさせた。
 下総は真珠の勢いが収まってホッとし、真珠の手から電話番号やIDが書いてあるメモを奪い取った。そして真珠に見せ付けるようにそれをグシャグシャッと握り潰した。
 それから真珠がおとなしくしている内に手を離し、ズボンのポケットからライターを取り出した。カチッカチッと音を立ててライターを着火した。

「ったく……あのブスがこんなモン渡すさかいこんなことに」

 下総はブツブツ言いながらライターでメモに火を付け、灰皿の中に落とした。小さな紙切れはメラメラとあっという間に燃え尽き、焦げ臭い匂いと黒いカスだけが残った。
 下総はそれを見届けるとライターをポケットの中に仕舞って「はあ」と一息吐いた。

「これでええか?」

 下総はバツが悪そうに人差し指で額をポリポリと掻いた。

「ほんまにコレは押し付けられただけで中身見てもない。ポケットに仕舞いっぱなしで存在忘れとっただけや。俺、ズボラやから」

「あーあ、勿体ねェ」

 曜至は灰皿の中の黒い物体に目を落としてポロッと零した。

「人が折角カッコ付けとんのに横から要らんこと言うな💢」

「蔚留くーーんっ!」

 真珠は勢いよく下総に抱きついた。
 どっすうっ、と鳩尾みぞおちに激突されたが、下総は持ち堪えた。

「ゴメンね! 疑ったりしてゴメンね!」

 真珠からきゅぅうっと抱き締められた下総は、恥ずかしさ半分嬉しさ半分で照れながら「ハハハ」と笑って見せた。

「オイオイ、程々にせえよ。人が見とるやろォ」

 美作はイラッとしてケッと言い捨てた。下総の表情は微塵も嫌がっておらず寧ろ自慢げに見えたのが非常に癪だった。これだからカップルのいざこざなど関心を持つだけ時間の無駄だというのだ。


 下総と真珠の騒動も一件落着。いつの間にか真珠は禮と美作のいるテーブル席のほうへ移動し歓談タイム。下総、渋撥と曜至という喫煙者はカウンター席で並んで喫煙タイム。真珠は感情の起伏が激しいところがあるものの基本的には人当たりの良い性格であり、若干人見知りのきらいがある禮とも打ち解けるのは早かった。
 下総はコーヒーを一口飲んでカップをソーサーの上に安置し「はあ」と溜息を漏らした。真珠を宥めるのにかなりの体力を消耗してしまった。
 曜至はそれを見てクッと笑った。

「オッサンみてーだなお前。〝引退〟なんてすっから老け込んだんじゃねェの? 深淵ミブチのキングが放課後に勉強会とはねー」

「お前等のほうこそダブってんのに、よう相も変わらずフラフラしてられんな。卒業せん気か」

「だって俺、お前ほど馬鹿じゃねェもーん」

「あ?💢」

 曜至にケロッと言い切られ、下総はギロッと曜至の顔を睨んだ。この呑気な顔といい、先程自分が悩んでいた問題を簡単そうにしていたことといい、確かに頭の出来は悪くは無さそうだ。

「お前等そうやって余裕ぶっこいとったら、肝心な試験で教師が突然難易度上げてきて点数ヤバイことになったりするんやで。ザマァ」

「お前、教師から恨み買ってんのか」

 下総は悔しさ紛れに不吉な予言をしてやった。

「俺は別に成績で留年したんとちゃうさかいな」

「イヤ、教師殴って留年も自慢になんねェから。寧ろ殴る時点で相当頭悪ィから」

 曜至から鋭く指摘されたが、渋撥は顎をやや上方にして白い煙をフーッと吐き出して聞き流した。
 曜至は煙草を指先でトントンと叩いて灰を灰皿の中へ落とし、下総を横目で見た。

「おとなしく勉強なんかしてるとこ見ると、引退するとやっぱ退屈か。因縁吹っ掛けられることもなくなってケンカばっかやってた頃が懐かしくなんじゃねェの? それこそオッサン臭いけどなー、あっはっはっ」

「アホか。いつまんでもガキみたいにケンカばっかしてられるか。逆にお前等のほうこそいつまでそうしとるつもりやねん」

 下総は曜至の言をハッと鼻先で嘲弄した。それからカウンターテーブルに頬杖をついた。

「俺かていつまでとか考えたことあれへんかったけどな、いつまんでもテキトーにはでけへん。これは確実や。タマのこともあるし……。ダブったのはええ機会や。考え改めろ言うてはんねやろ、神さんが」

 そう言った下総は苦々しい表情をしていた。自身が今まで積み重ねた所業を思い起こしているのだろうか。そもそも口が裂けても善良に生きてきたとは言えないと自覚しているから改めろなどと言い出したのだろう。
 それから下総は煙草を挟んだ人差し指と中指でビシッと渋撥を指差した。

「お前も、奇跡であんなカワエエの捕まえたんや。オンナ泣かせたないやろ。悔い改めろッ」

 渋撥は返事もせず下総へ目を遣ることもせず、黙々と煙草を呑んだ。
 曜至がカウンターに腕を突いて渋撥の隣から身を乗り出してきた。

「お前、自分が引退してヒマだからって近江オーミさんまで引き摺り込もうとしてやがんな」

「ヒマちゃうわボケ。真面目に生きるほうがよっぽど忙しいわ」

「真面目に生きてその学力じゃツッパってなくても卒業できたか怪しいもんだな」

「ワレほんまシバき倒すぞッ」

 曜至と下総は渋撥を挟みんで威嚇し合う野良犬同士のように、睨み合いを開始した。

「悔い改めるも何も、俺はハナからアタマやっとるつもりもツッパっとるつもりもあれへん」

 下総と曜至との間に挟まれても渋撥は動じなかった。煙草を口から離し灰皿の縁に置き、コーヒーカップを持ち上げ、それからコーヒーを一口飲んだ。それらの所作をすべて他人事の顔でこなした。

「そらまたムシのええ話やな」

 下総の言い方は批難がましかった。腕組みをしてカウンターチェアの背凭れに背を任せて渋撥を見た。

「お前がどう考えとっても、そんなもんは今更これっぽっちも意味あれへん。この街の悪そうで《荒菱館コーリョーカンの近江》を知らんモンはおらん。クソ有名になっといて、今更俺に構わんといてくれなんざ言うても誰がハイそうですか言うねん」

 何故下総に厭味を言われなくてはいけないのか。渋撥はうんざりという顔で軽く首を振った。

「俺等みたあなんは結局は最後の最後まで…………」

「最後まで?」

 渋撥は下総を横目で見て聞き返した。下総は紫煙を掻き消すようにフラフラと手を振った。

「イヤ、何でもない。気にすんな」


 ムシのええ話にたかる卑怯モン。
 そんなヤツ等を今まで見下してきたクセに、今の俺は何や。急に目の前に幸福ぶら下げられて、一目散に追い掛けて一抜けた。誰が聞いてもムシのええ話や。人に言い聞かせた言葉が、全部ブーメラン。……ホンマにダサイ。

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