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#05:Sign of Recurrence
Appearance of the little demon 06 ✤
しおりを挟む夕方。渋撥と鶴榮は並んで帰途に就いていた。
特段約束を交わしているわけではないが、同じクラスで同じ通学ルートだから下校が重なるのは自然の流れ。所謂幼馴染みだから自宅住所も近いのだ。
「お前が麻雀なんぞやっとるさかい遅うなってしもたやんけ」
渋撥は夕方の時分を過ぎ、群青色に染まった空を見上げて鶴榮に言った。
「こんな時間になってもーたんはワシの所為ちゃうで。ワシの一人勝ちやったからなー。もう半荘もう半荘言われたら勝ち逃げでけへんやろ」
「嫌々の割りには気分良さそうやな」
「アイツ等下手くそやからなんぼやってもワシの儲けやねん」
「お前が稼ぎたいだけやんけ」
渋撥に責められ、鶴榮は口を尖らせた。確かに直ぐ終わるからと言って待たせたのは鶴榮のほうだった。
「どーせ早よ家に帰ったかてすることあれへんやろ。家で一人で時間持て余しとるぐらいやったらお前も麻雀くらい覚えーや」
「興味あれへん」
「お前昔からせえへんなァ。嫌いなんか、博奕」
「嫌いも何も興味あれへん」
「まあ、撥はルール覚えるのがワヤやでなあ」
「オイ、人をアホみたいに言うな。俺は興味がない言うてんねん」
渋撥はブスッとして鶴榮の足を爪先で軽く蹴飛ばした。
「俺は鶴ほどヒマちゃう」
「お前何か忙しいことあったかァ? 無趣味のクセに」
「自分でメシ作らんでええヤツは呑気なもんや」
「お前がそのツラで律儀にメシ作っとるっちゅうほうが似合わん」
「腹が減ったら自分で作らな誰が食わしてくれんねん」
「そう言えばお前の得意料理て何や。今度ワシにも食わしてくれや」
「キショイことぬかすな」
渋撥は鶴榮の肩をドンッと突き飛ばした。自分の分だって飢えに耐えかねて必要に駆られてやっているだけなのに、男に料理を作ってやるなんて想像するだけで寒気がする。
鶴榮にしたって本気で渋撥から手料理を振る舞われることなど期待してはいない。カッカッカッと肩を揺すって笑った。
「何やったら今日ウチでメシ食ってくか? ゴチソーちゃうけど、おかんのメシはなかなかウマイで」
「またにしとくわ」
「遠慮すんな。ちゅうかウチのおかんより撥のほうがメシ美味かったら嫌やな~」
「お前しつこいねん。シバくぞ」
機嫌がよいときの鶴榮の冗談は長引く。渋撥は不快そうな表情でポケットから煙草の箱を取り出した。煙草を一本引き出して唇に挟み、その間に箱はまたポケットの中へ。
「鶴」
「何や、今日は火ィ忘れたんか」
折角気を回してやった鶴榮の予想を裏切り、渋撥のポケットから100円ライターが出てきた。
「あの鼻ァどうした」
渋撥はそう言って煙草の先端に火を点した。鶴榮は渋撥の手の平の中で点る仄かな赤い輝きを横目で見ながら「ああ、気付いたかあ」と零した。
渋撥がゆっくりと空に顎先を向け、白い煙がゆらりと立ち上った。煙の輪郭が浮かび上がるのは日が暮れたからだ。生暖かかった風がヒンヤリと頬をなぜる時刻に差しかかっていた。
「曜至やったガキと同じヤツか」
「みたいやで」
「フゥン。なかなか忙しいヤツやな」
「お前、どうするつもりや」
渋撥は何てことはない、取るに足らない雑談のように言った。対照的に、先程まで機嫌の良かった鶴榮のほうが途端に深刻な声になっていた。
王様然と君臨することが渋撥の宿命なら、鶴榮の使命はパラダイスの平和と安寧を維持すること。この王様は恐ろしく気紛れで独善的で凶暴だから、それは人が思っているほど楽な仕事ではない。
「どうもせえへん」
「動く気、あれへんのやな」
渋撥は「あぁ」と応え、煙草を口から放して灰を地面に落とした。
その一言を聞いた途端に鶴榮は肩から力を抜いたように見えた。そして自分の肩をトントンと叩いた。
「何や妙に気張ってんな」
「そーや。ワシはお前の知らんトコでいっつも気ィ張ってんねん。偶には感謝してくれや」
鶴榮は冗談のように愚痴を零したが、渋撥の知らないところで配慮をしているのは事実だ。渋撥の拳は望もうとも望むまいと兇器を通り越し、狂気を宿し、人心に恐悸を齎す。そのような力は無為に振り回すべきではない。人として平穏無事に暮らしていけるようにと、鶴榮だけは友として切に願う。
「話がこれ以上でこうならんで済むならソレが一番ええんやけどな」
「済まんかったらどうなる」
鶴榮は蟀谷辺りを指先でカリカリと掻いた。
「相手の狙いが荒菱館なんやったらちぃっと面倒なことになる」
「そうか」
「それだけか。気楽なもんやな」
「頭使うのは俺の仕事ちゃう」
鶴榮は「はあー」と深い溜息を吐いた。そう高を括っているから、渋撥は波乱の予感がしても看過して関心なく放っておける。呆れるほど高慢で怠惰な王様だ。
「他人事みたいに言うとるけど、もしそうなったらお前が一等面倒なことになるんやで。少しは頭使う準備しといたらどうや。お前、いまだに自分の立場よう分かってへんやろ」
渋撥は「俺の立場?」と聞き返し、煙草を口に咥えたままハッと鼻先で笑った。
「そんなモン、一々お前に言われんでも分かっとる」
渋撥の顔の表面をうっすらと覆っていた笑みが俄に消え失せた。
「俺の仕事はぶっ殺すことなんやろ」
鶴榮には、他の誰にも見えていないものが見えている。人の姿をした鬼と誰よりも長共に在るが故に。諦念とも決意ともつかない。雄々しく逞しく頼もしく、刹那的で暴力的で破滅的。この鬼そのものが不安定で歪で、弾ける寸前でギリギリの拮抗を保っている。拮抗が崩れたらどうなるか。鬼の中から真っ黒なものがおどろおどろしく溢れ出し、すべてを濁流で押し流してしまうのだ。
「ぎょうさん人使うて街中血眼になって犯人探し回って身元割り出して見付け出してとっ捕まえてケジメつける。……想像しただけでもどんだけめんどい思てんねん。なるべくならやりたないわ、そんなこと」
「めんどいことは全部お前等がやれ。最後のトドメだけは俺がキッチリ刺したるァ」
鶴榮には、随分投げ遣りな言い方に感じた。やりたくない気持ちを掻き消す為に、自身に強制する為に、無理矢理口に出しているような。
「お前それでええんか、撥」
鶴榮は急に足を停め、渋撥の腕を掴んだ。
「周りからそうするよに期待されとるからて、自分の役割分かったフリして、仕事みたいに義務みたいに、憎くもない相手追い詰めたりぶん殴ったり。他人の為に動いてやるなんかお前らしくないで」
渋撥を鬼と恐れ王と崇める者は皆、口を揃えてその強さが価値のすべてであるかのように語る。渋撥本人が自身に暴力以外の存在価値を見出していないのと同じように、付き随う者も彼の暴力性以外を見ようとしない。彼がふるう圧倒的な暴力に目が眩んでしまっている。暴力という名の魔力は、それほどまでに兇悪で凄烈で魅力的なのだ。
「ワシ等は神サンに化け物みたあな力もろたけど……ほんまモンの化け物ちゃう」
渋撥はまだ大分長さの残っている煙草をプッと足下に吐き捨てた。
「今更や。最初にそうせえ言うたのは、お前やろ」
「それは――……」
鶴榮は渋撥が捨てた煙草を見た。眼下に広がる薄暗い地面の上で、先端だけが今にも消えそうに赤く煌めいていた。
ワシ等みたいなバケモノは、そうやって人の世界に生きるしかないからや。
ワシ等にこんな力を与えた神サンが手違いなんか、ワシ等がこの世界に生まれてきたんが手違いなんかは分かれへんけど。
煙草の火がやけに明るく見えることで、いつの間にか陽が完全に沈んでいることに気付いた。夜の暗闇に包まれ、等間隔の街灯が標となり、辺りは静まり返っていた。
ひたり、ひたり、と道の先から足音が聞こえてきた。鶴榮は渋撥から手を離し、自然と足音のほうへ意識を向けた。鶴榮から「オイ」と声をかけられ、渋撥も同じ方向を見た。歩道に等間隔に立っている街灯の何本先であろうか、少年らしき人影が此方へ近付いてくる。普段なら気にも留めないが、今は時期が時期であるだけに注意を払ってしまう。
渋撥と鶴榮は揃って少年が歩いてくるほうへ歩き出した。この先が各々の自宅までの最短コースだし、この少年が件の人物であるのか確認する必要がある。
沈黙の中、時と距離だけが確実に縮まる。キャップを目深に被った少年、彼に近付くにつれ鶴榮は勘付かれないようにサングラスの下からマジマジと観察してみた。渋撥も少年を俯瞰から凝視するが、襲いかかってくるような気配はない。何と言うことはない、何処にでもいそうなごく普通の少年という印象を受けた。
丁度、少年と二人が擦れ違う地点は街灯が煌々と照らす範囲内であった。キャップのつばが影を作っており少年の目許は窺えないが、顔の下半分は街灯に照らされてハッキリと分かった。スッキリした輪郭、細い顎、華奢な首、やたらと白い肌。
渋撥と鶴榮は少年とすれ違って二、三歩進み、お互いに何を確認し合うことなく足を止めて振り返った。
「なァ」
渋撥は、鶴榮に対して何の合図もなく突然少年に向かって声を発した。鶴榮は少々虚を突かれた。渋撥は何事にも無関心な質だから、よもや彼が声を掛けるとは思っていなかった。
少年は足を止めてゆっくりと二人のほうを振り返った。互いの距離は三メートルと少しといったくらいであろうか。少年の全体像を見るに、華奢な体付きであることは洋服の上からでも分かった。確かに曜至たちが言うように、まず高校生には見えなかった。
「荒菱館て知っとるか?」
今度は鶴榮が尋ねると、少年は思いがけず素直にコクンと頷いた。
「ここ最近立て続けにウチのモンやってくれとんの、自分ちゃうよなァ?」
少年を注意深く観察していた渋撥は見た。少年の口許が悪魔のように歪むのを。
ビョオビョオと風の音は鬼哭啾々。生暖かかった風がヒンヤリと頬をなぜる。時刻は逢魔ヶ時。このような刻は、悪魔に出逢ってもおかしくない。
「多分……そうなんちゃう?」
悪魔の声は、少女のように澄んでいた。
鶴榮はゴクリと生唾を嚥下した。まさかこんなところで鉢合わせするとは思ってもみなかった。
最初は小さな歯車の軋み。何枚もの歯が重なり合って絡み合い噛み合って噛み合って、次第に大きな歯車へ――――。
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