ベスティエンⅡ【改訂版】

花閂

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#05:Sign of Recurrence

Appearance of the little demon 04

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 数日後――――。
 昼下がり、荒菱館コーリョーカン高校の例の集合場所では、今日も今日とて穏やかな天候に恵まれ、いつもの顔触れは食後のまったりとした時間を過ごしていた。渋撥シブハツ鶴榮ツルエ曜至ヨージ、常にセットの則平ノリヒラ順平ヨリヒラ、それと最上級生の男が一人。渋撥と鶴榮はベンチに座って煙草を吹かし、最上級生は地面にしゃがみ込んでいた。曜至は片足に体重を乗せて気怠そうに立ち、則平と順平は曜至の後ろに立っていた。
 地面にしゃがみ込んでいる最上級生は、曜至の顔を下からまじまじと覗き込んでいた。

「日に日に派手な顔になってくな、曜至」

 曜至はブスッとして返事もしなかった。確かにその顔は絆創膏とガーゼに埋め尽くされ、数日前の則平と順平より悪い。
 則平と順平は突然わたわたと慌てだし、曜至の背後から最上級生の男に向かってジェスチャーでメッセージを送る。手足をバタバタと動かして見せたり、拳を作って見せたり。男は曜至越しに二人をじーっと観察し、すぐにピンと来た顔をした。

「あー、そうか。お前拳ぶっ壊れてんだっけ。今がチャンスとばかりに報復の嵐なんだろ。日頃の行いが悪いヤツはこういう時キツイなー」

 男は無神経にアッケラカンと言い放った。則平と順平は「あちゃー」という表情で額を押さえた。二人は「禁句」と伝えたかったのだが、その意図は伝わらなかったようだ。
 しゃがみ込んでいた男はよいしょと立ち上がり、曜至の首に腕を回して肩を組んだ。曜至はやや口を尖らせて明らかに何かを言いたそうな顔だった。しかしながら、何も言わなかった。曜至と肩を組んだ男は、曜至や鶴榮と同学年だが留年している為、実際には一つ年上だ。つまり彼等が入学したときから先輩という立場であり、その一点が曜至を遠慮させる理由だった。

「何なら俺が一緒に帰ってやろうか? 後輩を守ってやるのも先輩の仕事だわなー。可愛い後輩がボコられるの分かっててみすみす放っておく薄情者じゃねェーのよ俺」

 曜至は何も言い返さなかったが、則平と順平は内心ハラハラしていた。先輩はジョーク程度にしか考えていないのだろうが曜至のプライドは高い。守ってやろうなどと上から物を言われて心穏やかに受け容れるとは思えない。ただでさえ自分よりいくつも年下であろう少年に歯が立たず敗北を喫し、手負いのところを隙ありとばかりに連日狙われ、怪我を治すよりも怪我が増えていくペースのほうが早いくらいで、フラストレーションは限界に近い。

(この人は何で曜至くんがキゲン悪いときに余計キゲン悪なるよなこと言わはるかな)

(わざとやってんとちゃうやろな。先輩やさかい文句言われへんけど、ほんまやめてほしい)

 曜至は間近にある先輩の顔から目を逸らした。

「俺の自業自得っスから。利き手が使えなくても、真っ向からケンカ売られて逃げるわけにはいかねっス」

 短気な曜至にしては最善に近い落ち着いた受け答え。則平と順平はホッと胸を撫で下ろした。

「カッコ付けるのはいいが、それでボコられてたら世話ねェな。お前ここんとこイケメンが台無しだぞ~」

「俺を殴ったヤツのツラ全員しっかりメモリーしてるんで。拳治ったら順番にぶっ飛ばしに行きますよ」

 先輩は「アッハッハッ」と豪快に笑った。曜至の肩を一度しっかりと握り、それから肩を離して豪快にバンバンッと叩く。

「顔の割には根性あるとこ好きだぞ。お前の記憶力はテラバイトか」

「つーか……」

 曜至はゆっくりと則平と順平のほうを振り返った。二人は、曜至の両肩から禍々しい気配が立ち上っている気がしてサッと顔を逸らした。

「拳治ったらソッコーであのクソガキぶっ殺しに行くからな! 則平順平ァッ!」

「えぇ~。やっぱり行くんや曜至くん」

「言うと思とったけど……」

「絶対ェ探し出してぶっ殺すッ!」

 曜至は晴天の空に向かって咆哮を上げた。この程度では今思い出しても腑が煮えくり返りそうな悔しさを紛らわすことはできないが、じっとしているよりはマシだ。
 先輩はクルッと則平と順平のほうを振り返った。

「そういや曜至の拳を潰したのはガキだって話、ガチか? 中坊のクセにそんなにガタイいいの? 最近のガキは発育いいなオイ」

 先輩は、曜至たちが三人揃ってやられてしまうくらいだから、少なくとも曜至と同等の背格好の男を脳裏に思い浮かべていた。しかしながら、則平と順平は揃って頭を横に振った。

「イヤ、ヒョロヒョロのチビでっせ。俺よりちっさかったですもん」

「見た目はケンカなんか縁なさそーなのに、やたらめったら強いヤツで。俺等なんか何が起きとるか分からん内に気付いたらやられとったっちゅうか……」

「へえ。そんなヤツが曜至をねえ。人は見掛けによらないねえ」

 先輩は何やら含みありげにニィッと笑った。
 鶴榮は今まで黙って傍観していたが、それを見て溜息を吐いた。

「まさか俺もやってみたい、なんぞ思っとんのかいな」

 先輩はさも当然のことのようにハキハキと「応」と答えた。

「三人揃ってやられたそのガキ、俺が一人でやっちまえば大したモンだろ」

 明らかに挑発的な口振りだった。それは少年への挑発であると同時に、曜至への挑発でもある。少なくとも曜至はそう捉えた。
 先輩のほうを振り返った曜至の顔面は、明らかに不服そうだった。ともすればこの二人の間で今すぐ掴み合いが始まりそうな剣呑な空気。

「俺、弱くねェっスよ」

 手を出すのではなく口で言い返す程度ならまだまだ曜至には理性が残っている。傍で見ている則平と順平はホッとした。相手が同校の先輩でなければとうに手が出ているだろうけれど。

「誰もお前が弱いとは言ってねェだろ。お前の実力は分かってんよ。俺とお前が直接殴り合いするわけにはいかねェだろ、仲間なんだからよ。だからそのガキを物差しに使おうってんじゃねェか。コレ賢くね?」

 先輩は曜至の胸辺りを指でトントンと押した。

「オメーも知りてェだろうが、俺とお前どっちが強ェか」

「興味ねっス。どっちが強くても先輩と後輩スから」

「別にいいんだぜー? お前のほうが強かったら俺にタメ口きいても」

「先輩ッ!」

 曜至は一瞬カッとなって声を荒らげた。則平と順平が慌てて曜至を羽交い締めにした。
 先輩は曜至からパッと一歩離れ、両手を上に上げてニイッと笑った。

「そうやって直ぐ熱くなってっとダブっちまうぞ~?」

「アンタは既にダブリだろが!」


 先輩の挑発によって曜至のフラストレーションはもう本当に限界だ。このまま曜至を此処に置いておいてはいつ本当に殴りかかってもおかしくない。則平と順平は二人がかりで曜至を引き摺るようにして連れ去っていった。
 先輩は、曜至が何か叫んでいるのを聞き流しながら、ワハハハと笑って煙草に火を点けた。
 鶴榮は先輩の様子を眺めながら溜息を吐いた。先輩としては可愛い後輩にちょっかいを出しているつもりなのかもしれないが、短気な曜至はいつ噴火してもおかしくはない。

「曜至からかっておもろいんかいな」

 鶴榮から尋ねられ、先輩は腕組みをして「うーむ」と唸った。そして暫く何かを思案したのち、引き戻して白い歯を見せてニッと笑った。

「まー確かにアイツはからかいたくなるヤツだな。どっちが強ェのか測ってみてぇっつうのは冗談じゃねェよ。俺は本気だぜ~?」

 鶴榮は大きく空を振り仰いでハッと鼻先で嘲弄した。

「曜至も言うとった通り、仲間内でそんなん競うたかて無意味やろ。先輩は先輩、後輩は後輩でええやんけ」

 先輩はニヤニヤしながら上下の唇の間から白い煙をフーッと吐き出した。

「解んねェだろうなァ、羽後ウゴ近江オーミさんには」

 今まで地蔵のように黙りこくっていた、もしくは完全に我関せずという態度で聞き流していた渋撥は、名前を出されてようやく顔を上げた。先輩は、自分と曜至が騒いでもまるで興味がないという表情をしている渋撥を見てクックッと笑った。

「アンタ等はバカみてぇに実力はあるクセに向上心っつうモンがねェからな」

 渋撥は「向上心?」と鸚鵡返しに聞き返した。先輩はそれ見ろとばかりにその顔を真正面から指差した。

「近江さんはなりたくて荒菱館のトップになったわけじゃねェよな。気に食わねェヤツを端からぶっ飛ばしてったらそうなってただけだ。今だってこの辺り一帯しめて勢力拡大したいと思ってるわけでもねェ。まあまあ、そこは割とどうでもいいんだけどな。アンタに付いてってる俺たちだってそんなことはとっくに解ってっからよ」

 渋撥はうんともすんとも言わなかったが、先輩は「だろ?」と念を押した。それからクルリと体の向きを反転させ、今度は鶴榮を指差した。

「近江さんだけじゃねェ。羽後にしたって、近江さんさえいなけりゃお前が荒菱館のトップだったかもしれねェんだぜ。お前の実力だったら充分有り得る。でもお前は近江さんを出し抜こうとは考えねェんだろ」

「ワシは得のない努力はキライやねん。賞金でもガッツリ出るんやったらハツ出し抜いてトップ取ったるで」

 先輩は「ほらな」と零してやれやれと肩を竦めた。

「野望とか向上心とか不思議なくらいゼロだ。そういうヤツだよ、アンタたちは。だから曜至のことも俺のことも理解できねェ」

 渋撥はチラッと鶴榮へ視線を送った。興味の無い話を一方的に聞かされるという至極面倒臭い現状の打開策を鶴榮に求めたのだが、鶴榮からの視線の回答は「聞いてやれ」だった。
 服従する人間が征服する人間の心理が理解できないように、征服者である渋撥には随従する者の思考は理解できない。譬え、それが彼の蓄積された嘆願や本心の発露だったとしても王である渋撥には関係の無いことだ。小さき者が、いくら腹を立てても決して覆りはしない自然の摂理に対して虚しく愚痴っているようにしか聞こえない。

「マジでどっちが年上かとか、先輩後輩なんて関係ねェんだよ、どうでもいいんだよ。俺たちにとって一番大事なのはよ、どっちが強ぇかだけなんだ」

 小さき者が天を仰いで唾する。吐いた唾は飲めぬのだけれど。唾が降り掛かって身が汚れても、彼には汚れぬ魂があるらしい。君臨する帝王から見れば取るに足らないことだとしても。


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