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Kapitel 10:母親
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深夜。銀太の部屋。
銀太と耀龍はひとつのベッドに並んで横になり、縁花は部屋の入口のドアに背中を預けて睡眠を摂っていた。
縁花はドア一枚隔てた向こう側に人の気配を感じ取った。腰を浮かしてドアの前から退くと同時に、ドアが無音で押し開かれた。
数センチの隙間から、天尊が中腰状態の縁花を見下ろした。
「退け。デカブツ」
縁花が立ち上がって扉の前から退き、天尊は音がしないように扉を開け放った。ベッドを一瞥して銀太と耀龍が眠っているのを確認した。
「龍を起こせ」
天尊は縁花にそう命令し、踵を返して廊下に出た。
天尊が廊下で待機してしばらくすると、耀龍が目を擦りながら部屋から出てきた。
「天哥々何の用~? オレ寝てたんだけど~」
「見れば分かる。起きろ」
「起きてるよ。も~」
耀龍はやや不機嫌そうだった。
時刻は深夜。とうに深い睡眠に入っていたのに、突然起こされたのだから致し方ない。
「あの女とアキラに昔何があったか、知っているか」
「あの女って? ギンタの母様のこと?」
耀龍が聞き返すと、天尊は当然だろという顔で見下ろしてきた。ともすれば役立たずと放言されそうな冷たい目だ。
パチンッ、と耀龍は指を鳴らした。ここでの会話が白や銀太の耳に入らないように音声を遮断するプログラムを発動した。
「知ってるよ。テキスト情報のみだけど」
「ていうか、天哥々はアキラから何も聞いてないの。一緒に住んでるくらいだから、素性も事情も全部聞いてるものだと思ってたのに」
「知っていたらこうしてお前に聞くと思うか」
(機嫌悪いなあ……)
耀龍は天尊から不穏な雰囲気を敏感に感じ取った。
応対を間違って八つ当たりで拳が飛んできてはかなわない。斜に構えるのを已めて背筋を伸ばした。
「ギンタの母様、想像してたよりもずっと美人だった。オレ、もっと恐い人を想像してたんだよね」
「お前の感想など聞いていない」
天尊は愛想なく言い捨てた。
前置きはいいからさっさと要点を述べよという意図は、耀龍に伝わった。気が進まない耀龍は溜息を吐いた。
知っていると言った疋堂家の事情は、天尊の機嫌が悪いときにしたい内容ではなかった。しかし、回答をはぐらかしたり延期したりしても、余計に機嫌を悪くさせるだけだ。兄の恐ろしさを知っている耀龍は、不興を買いたくはなかった。
「ギンタの母様さあ、アキラが子どもの頃に殺しかけたんだって。美人なのに、恐いよねえ」
天尊は耀龍を視界の真ん中に据えて一瞬停止した。じわりじわりと眉間の皺を深くした。
「殺しかけたというのは……誰をだ」
「だからアキラを、だよ」
耀龍は内心、嫌だなあと思い、天尊から目線を逸らした。
天尊の声音が低くなり、纏う雰囲気が徐々に重たくなってゆく。脳内では自分に非は無いと分かっているが、兄が不機嫌なだけで緊張してしまうのは条件反射だ。
それから、耀龍は疋堂家の事情を、戴星が言い淀んだ過去の事件を、白と銀太の母親との経緯を、天尊のほうを見ずに早口で話した。
事件の当時、白はわずか10歳。継母は白を自宅浴室の湯船に沈めて溺死させようとした。
偶然にも父親が帰宅し、継母の行為を制止。白は意識不明のまま病院に搬送された。父親が継母に経緯を聞き出そうとするも、錯乱状態で要領を得なかった。幼い白は一命を取り留めるも、継母に何度も撲たれた顔面は腫れ上がり、長かった髪は切り刻まれ、しばらくはショックで家族にも口を利けない状態が続いた。
事件後に両親は離婚。継母には以前から精神疾患の診断が出ており、経済的な理由、父親が強く希望したこともあり、父親が二人の親権を得た。
その数年後、父親の海外赴任が決定した。白と銀太は此国を離れることを拒否した。そして、現状のような子ども二人の生活となった
耀龍は一気に話し終え、ふうと息を吐いた。
「…………」
「天哥々?」
数十秒経っても天尊からは何の反応もなく、耀龍が呼びかけても返事はなかった。
「オレの話聞いてた、よね? 天哥々」
耀龍は怪訝そうに天尊の顔色窺った。
ふと目を落とした天尊の拳が小刻みに震えており、ギクッとした。
「いま俺に話しかけるな、龍。ブチ切れそうなのを必死に抑えている」
白眼の奥底がギロリと輝いた。天尊の両目は煌々と炎が宿ったかのように怒りに燃えていた。
耀龍は身の危険を感じて咄嗟に仰け反った。縁花は二人の間に割って入って主人を背中に庇った。
「耀龍様。今一歩お下がりください」
「こ、ここでは抑えてよ天哥々。落雷もダメだよ! アキラもギンタも眠ってるんだからねッ」
――「ボクを殺さないで、ママ」
白が魘されて苦しみながら漏らした寝言が、天尊の脳裏にハッキリと思い出された。聞き間違いかと思った。ただの悪夢だと思った。白の身に起きたことだとは思いたくなかった。
――あれは現実か……!
親切なくせに他人と一線を引くのが得意。二人きりで殻の中に閉じ籠もる子どもたち。自ら狭い世界に繋がれて出ようとしない。自分の居場所は此処だと安住の地を決めた。
――そうか、そういうことか。心から愛した人に、裏切られたからか。それもこの上ない程こっぴどいやり方で。
あんなにも優しくて、献身的で、纏綿で、無垢な少女を、一体どのような言葉で呪ったのだ。一体どのような大義で手に掛けた。一体どのような神を味方に付けた。何処の世界の邪悪な神が、あの少女を悪魔と罵った。
生きていることを否定され、存在すらも否定され、遂には己を己で否定する。花のかんばせを石みたいに冷たく色褪せさせ、愛される資格が無いと、まるで自身を欠陥品のように言う。
自身の大事なものは失われたままなのに、他者に与え続けるあの子は、ひたすらに優しく美しく、憐れだ。
この世界の神々は、あんなにも憐れな娘を救ってくれやしない。サディスティックだ。無慈悲だ。無神経だ。この世界には救いがない。
銀太と耀龍はひとつのベッドに並んで横になり、縁花は部屋の入口のドアに背中を預けて睡眠を摂っていた。
縁花はドア一枚隔てた向こう側に人の気配を感じ取った。腰を浮かしてドアの前から退くと同時に、ドアが無音で押し開かれた。
数センチの隙間から、天尊が中腰状態の縁花を見下ろした。
「退け。デカブツ」
縁花が立ち上がって扉の前から退き、天尊は音がしないように扉を開け放った。ベッドを一瞥して銀太と耀龍が眠っているのを確認した。
「龍を起こせ」
天尊は縁花にそう命令し、踵を返して廊下に出た。
天尊が廊下で待機してしばらくすると、耀龍が目を擦りながら部屋から出てきた。
「天哥々何の用~? オレ寝てたんだけど~」
「見れば分かる。起きろ」
「起きてるよ。も~」
耀龍はやや不機嫌そうだった。
時刻は深夜。とうに深い睡眠に入っていたのに、突然起こされたのだから致し方ない。
「あの女とアキラに昔何があったか、知っているか」
「あの女って? ギンタの母様のこと?」
耀龍が聞き返すと、天尊は当然だろという顔で見下ろしてきた。ともすれば役立たずと放言されそうな冷たい目だ。
パチンッ、と耀龍は指を鳴らした。ここでの会話が白や銀太の耳に入らないように音声を遮断するプログラムを発動した。
「知ってるよ。テキスト情報のみだけど」
「ていうか、天哥々はアキラから何も聞いてないの。一緒に住んでるくらいだから、素性も事情も全部聞いてるものだと思ってたのに」
「知っていたらこうしてお前に聞くと思うか」
(機嫌悪いなあ……)
耀龍は天尊から不穏な雰囲気を敏感に感じ取った。
応対を間違って八つ当たりで拳が飛んできてはかなわない。斜に構えるのを已めて背筋を伸ばした。
「ギンタの母様、想像してたよりもずっと美人だった。オレ、もっと恐い人を想像してたんだよね」
「お前の感想など聞いていない」
天尊は愛想なく言い捨てた。
前置きはいいからさっさと要点を述べよという意図は、耀龍に伝わった。気が進まない耀龍は溜息を吐いた。
知っていると言った疋堂家の事情は、天尊の機嫌が悪いときにしたい内容ではなかった。しかし、回答をはぐらかしたり延期したりしても、余計に機嫌を悪くさせるだけだ。兄の恐ろしさを知っている耀龍は、不興を買いたくはなかった。
「ギンタの母様さあ、アキラが子どもの頃に殺しかけたんだって。美人なのに、恐いよねえ」
天尊は耀龍を視界の真ん中に据えて一瞬停止した。じわりじわりと眉間の皺を深くした。
「殺しかけたというのは……誰をだ」
「だからアキラを、だよ」
耀龍は内心、嫌だなあと思い、天尊から目線を逸らした。
天尊の声音が低くなり、纏う雰囲気が徐々に重たくなってゆく。脳内では自分に非は無いと分かっているが、兄が不機嫌なだけで緊張してしまうのは条件反射だ。
それから、耀龍は疋堂家の事情を、戴星が言い淀んだ過去の事件を、白と銀太の母親との経緯を、天尊のほうを見ずに早口で話した。
事件の当時、白はわずか10歳。継母は白を自宅浴室の湯船に沈めて溺死させようとした。
偶然にも父親が帰宅し、継母の行為を制止。白は意識不明のまま病院に搬送された。父親が継母に経緯を聞き出そうとするも、錯乱状態で要領を得なかった。幼い白は一命を取り留めるも、継母に何度も撲たれた顔面は腫れ上がり、長かった髪は切り刻まれ、しばらくはショックで家族にも口を利けない状態が続いた。
事件後に両親は離婚。継母には以前から精神疾患の診断が出ており、経済的な理由、父親が強く希望したこともあり、父親が二人の親権を得た。
その数年後、父親の海外赴任が決定した。白と銀太は此国を離れることを拒否した。そして、現状のような子ども二人の生活となった
耀龍は一気に話し終え、ふうと息を吐いた。
「…………」
「天哥々?」
数十秒経っても天尊からは何の反応もなく、耀龍が呼びかけても返事はなかった。
「オレの話聞いてた、よね? 天哥々」
耀龍は怪訝そうに天尊の顔色窺った。
ふと目を落とした天尊の拳が小刻みに震えており、ギクッとした。
「いま俺に話しかけるな、龍。ブチ切れそうなのを必死に抑えている」
白眼の奥底がギロリと輝いた。天尊の両目は煌々と炎が宿ったかのように怒りに燃えていた。
耀龍は身の危険を感じて咄嗟に仰け反った。縁花は二人の間に割って入って主人を背中に庇った。
「耀龍様。今一歩お下がりください」
「こ、ここでは抑えてよ天哥々。落雷もダメだよ! アキラもギンタも眠ってるんだからねッ」
――「ボクを殺さないで、ママ」
白が魘されて苦しみながら漏らした寝言が、天尊の脳裏にハッキリと思い出された。聞き間違いかと思った。ただの悪夢だと思った。白の身に起きたことだとは思いたくなかった。
――あれは現実か……!
親切なくせに他人と一線を引くのが得意。二人きりで殻の中に閉じ籠もる子どもたち。自ら狭い世界に繋がれて出ようとしない。自分の居場所は此処だと安住の地を決めた。
――そうか、そういうことか。心から愛した人に、裏切られたからか。それもこの上ない程こっぴどいやり方で。
あんなにも優しくて、献身的で、纏綿で、無垢な少女を、一体どのような言葉で呪ったのだ。一体どのような大義で手に掛けた。一体どのような神を味方に付けた。何処の世界の邪悪な神が、あの少女を悪魔と罵った。
生きていることを否定され、存在すらも否定され、遂には己を己で否定する。花のかんばせを石みたいに冷たく色褪せさせ、愛される資格が無いと、まるで自身を欠陥品のように言う。
自身の大事なものは失われたままなのに、他者に与え続けるあの子は、ひたすらに優しく美しく、憐れだ。
この世界の神々は、あんなにも憐れな娘を救ってくれやしない。サディスティックだ。無慈悲だ。無神経だ。この世界には救いがない。
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