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Kapitel 11:父親

父親 02

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 疋堂ヒキドー家・玄関前。
 スーツに身を包んだ男性が三人。ベランダから出て行ったはずの天尊ティエンゾン耀龍ヤオロン縁花ユェンファだ。侍従・縁花はいつもスーツ姿だが、天尊に耀龍までも余分な皺がひとつもないパリッとしたスーツ姿に着替えた。

耀龍ヤオロン様。お召し物が」

 縁花は主人の襟元へと手を伸ばした。
 天尊は、縁花にネクタイを直される耀龍へ批判的な視線を向けた。

「お前はタイもひとりでできんのか」

「する必要ないもん」

 耀龍は悪びれず反論した。
 生まれも育ちも貴族育ちのお坊ちゃま。兄とは異なり気楽な学生身分。身支度は使用人に任せるのが当たり前だ。

「ねー。本当にやるの。やめにしない?」

「もう遅い。チャイムを押した」

 ピンポーン。
 いま押したじゃん、と耀龍は文句を言いたげな表情。
 縁花の手が襟元から離れ、耀龍は嘆息を漏らした。文句を言ったところで、兄は聞き入れまい。

「お前が考えた設定は上出来だ」

「設定って」

「ギンタの母親にも通用したんだろう。成功実績もある。使わない手はない。お前はアキラのガッコに留学中の国外の貴族で、俺はその兄。満更嘘ではないところがイイ。突っこまれたら適当な追加の設定を考えろ、得意だろう。俺は全力で話を合わせる」

「それ、ほとんどオレ任せってことじゃない」

 天尊は、だから何だ、という態度で反論もしなかった。まさに弟程度が何を言っても聞き入れない態勢だ。

(そもそも二人の父様にわざわざ顔を合わせる必要ないと思うんだけど)

 自分の考えは順当だと思う。しかし、耀龍は口に出さなかった。どうせ無視をされる。恐ろしい兄の不興を買うくらいなら、言われた通り協力するのが得策だ。
 カチャン、とロックが解除される音がして、ドアが押し開かれた。
 ドアを開けた白は、天尊たちを目にするなりドアを開けたその姿勢で硬直した。せっかく煙か霞が如く部屋から逃げ果せたのに自ら舞い戻ってくるなど、何をしたいのか分からない。
 脳内が真っ白になった白に、後方から「アキラちゃん、どうしたのー」と父親・ユカリが声をかけた。

「配達? 重たいものなら俺持つよ」

 リビングから廊下に出て来た紫は、玄関先にいるスーツ姿の男たちを見て不思議そうに小首を傾げた。玄関にやって来て娘の後ろに立った。
 天尊は紫と視線を合わせてニッと微笑みかけた。

「アキラの御父様でいらっしゃいますか」

「はい、そうです。えぇーと……どちら様ですか?」

「私は天尊ティエンゾンと申します」

 天尊は自分の胸の上に手の平を置いて堂々と名乗った。

「御連絡もせず失礼とは存じますが、突然の訪問をお許しください。アキラ――お嬢様と弟が懇意にさせていただいております。本日は御父様が御在宅と聞き、是非ともご挨拶をさせていただけたらと伺いました」

 天尊は歯まで光り出しそうな満面の笑みを振りまいた。普段の天尊を知っている耀龍と白にとっては不自然なほどの爽やかさだ。
 耀龍は敢えてスッと目線を逸らした。

天哥々ティエンガコの満面の笑み……胡散臭い)

「弟さんが? アキラちゃんと?」

 突然スーツ姿の男たちが現れて娘さんと知り合いですと言われても、紫には現実味がなかった。
 そこへ銀太ギンタが「あ! ティエン、ロン」と廊下をドタドタと駆け寄ってきた。
 これは天尊たちにとってタイミングがよかった。紫は、銀太の反応を見るに彼らは好意的な知人であるのだろうと思った。
 ザッ。――彼らは一斉に動いた。
 天尊と耀龍は身体の中央に手の平と拳を合わせ、天頂が見えるまで深々と頭を垂れた。二人の後に控える侍従は、片膝まで付いてさらに頭を下にした。

「お初にお目に掛かります、アキラの父君殿。我ら兄弟、本日は御尊顔を拝す栄光に浴し、恭悦至極に存じ上げます。父君殿におかれましては無事に御帰国叶いましたこと誠に祝着至極、これに勝る幸いはございません」

 大層立派な天尊の口上。儀式がかった大仰な挨拶。普段の兄弟の姿から想像だにしていなかった豹変振り。白は突然のことに茫然としてしまい、ポカーンと口を半開きにした。
 銀太は無邪気にぱぁああ、と目を輝かせた。

「ティエンもロンもかっけー!」

(二人とも何考えてんの⁉ よく意味分わかんないけど多分やりすぎッ)

 紫は瞬時にはキョトンとしたが、すぐに天尊たちに対してペコッと頭を下げた。

「これはこれはご丁寧にありがとうございます。俺は堅苦しいのは苦手なもので、もう頭を上げてもらって」

 紫は「えーと、名刺名刺」と自分の服のあちこちをパンパンと叩いた。じきにジャケットの内ポケットから名刺入れを取り出した。
 小さくお辞儀して天尊に名刺を差し出した。天尊は頭を上げて真っすぐに立ち、紫の手からそれを受け取った。

「初めまして。アキラと銀太の父です。疋堂ヒキドーユカリと言います」

「私などの為にありがとう存じます。大哥ダーガとお呼びしてよろしいですか。私のことはお好きにお呼びください」

「はいはい。俺のことも好きに呼んでください」

 天尊は嘘臭いくらいに完璧な笑顔を作り、紫はニコニコと応対する。白はこの二人の間で視線を行ったり来たりさせるだけで、この場でどう立ち回るのが最適なのか、妙案は一向に浮かばなかった。天尊が何を考えてこのような行動に出たのかもまったく想像できない。何か考えがあるなら事前に教えてほしかった。
 途惑う白の肩を、紫がトントンと叩いた。

アキラちゃんのお友だちはグローバルだね」

「う、うん……」

「挨拶だけして帰っていただくってのも何ですから、お茶でもどうですか」

「光栄です」

 紫は、どうぞどうぞ、と客人たちを廊下からリビングへ先導した。
 紫の目線がリビングのほうへ向いた間に、白は天尊とはたと目が合った。

「どういうつもり……?」

 白は声を潜めて天尊に尋ねた。
 天尊はフッと笑い、白の頬を手の甲で一瞬だけかすめるように撫でた。
 言葉で説明されなければ分からないのに、天尊は白に何も告げずに紫のあとに続いた。


 客人たちはリビングに通された。
 天尊ティエンゾン耀龍ヤオロンが並んでソファに座り、ユカリはL字型に配置されたソファの彼らに対して垂直の位置に座した。縁花ユェンファは耀龍の背後、ソファの背の後ろに立った。銀太ギンタは天尊の太腿の上によじ登り、当然のような顔をして腰を下ろした。
 これだけでも、紫は銀太が彼らに懐いていると知り、この家を何度か訪れているのだろうと察した。姉に近づく者を蛇蝎の如く嫌う銀太がこれほど懐くとは、茶金の髪色をした青年が娘の学友だという話も信憑性がある。
 白は客人たちと父親にコーヒーを出した。その仕草はいつもよりも余所余所しかった。演技ではない。天尊の思惑が読めないからぎこちなくなってしまう。
 紫は客人たちにどうぞと飲み物を勧めたあと、自分のカップにミルクとシュガーをたっぷりと注ぎ入れた。人相は完全にブラックコーヒーか、何なら焼酎をロックで、という顔付きをしているのに。
 それから、甘い飲み物を傾けながら、娘の友人であるという客人たちと始終笑顔で談笑した。

「弟さんのヤオロンくんが瑠璃瑛ルリエーに留学中なんだね。偶然、ここのお隣さんになったんだ。ここ、学校に近くていいマンションだもんねえ。ふんふん」

「へえ~。ティエンゾンくんは軍人さんかー。カッコイイし背も高いからモデルさんかと思ったよ。ああ、でも確かにものすごくガッチリしてるねえ」

「ええっ。貴族なの? 付き人さんがいるなんてスゴイお坊ちゃまだなーと思ったけど。しかし、兄弟揃ってイケメンだね✨ しかも此国の言葉がとても上手でスゴイね。俺より流暢かも~」

アキラちゃん、アキラちゃん。パパもう少しお砂糖欲しいなあ」

 天尊と耀龍は、飲み物を一杯飲み終わるかどうかというこの短時間で決定的な或る事柄に気が付いてしまった。二人ともその事実を顔色には出さず、愛想のよい笑みを顔に貼りつけたまま紫の話に適度に相槌を打つ。

(なんかアキラの父様って…………だいぶユルイ)

 声質は年相応のものであるのに、やけに間延びした気怠い口調。顔立ちは彫りが深く厳めしいのに、弛みきった表情筋。外見は無精髭にオールバックと一見して男臭いのに、温厚で暢気な性情。彼にはまったく緊張感や威圧感がなかった。
 天尊は以前戴星タイセーから感想を聞いていたこともあり、気難しい人物であろうと構えていた。子どもと暮らしを別にしてでも職務に尽くす人物だ、きっと生真面目な性格なのだろうと想定していた。白と銀太の父親がこのような人物とは予想外だ。白のほうがずっとしっかりしているくらいだ。外見と中身とのギャップで、咄嗟にリアクションを間違えそうになる。

 白がキッチンを大まかに片付けてリビングにやって来ると、父・紫から「ねえねえ」と声をかけられた。

「パパ、ひとつ聞きたいことあるんだけど」

「何?」

「イケメンくんたちのどっちかがアキラちゃんのカレシってことはない? もしそうならパパちょっと構えちゃうっていうか……」

「ナイッ!」

 銀太は天尊の太腿から飛び降りて大声で否定した。
 銀太の、姉に近づく者を蛇蝎の如く嫌う習性は変わっていなかった。紫は、よかったー、とホッと安堵した。

「求愛しましたが、断られました」

「ティエン!」

 天尊がサラリと宣言し、白は顔面をカーッと一気に赤くした。
 まさかこの場でそれを言うとは思わなかった。ごく親しい銀太や耀龍と、滅多に家にいない父親もいるこの場で。
 これには、銀太だけでなく耀龍までも表情を一変させた。

「え。何ソレ。オレ聞いてない」

「オレもきいてないぞティエン! オレとしたヤクソクは!」

「俺がアキラに求愛したことと、ギンタとの約束を破ることはイコールではない」

「なんだよそれ! わかんねーよ!」

 銀太は猛烈に怒った。眉を逆八の字に吊り上げて猛然と天尊に掴みかかろうとした。約束を反故にされた。信頼と誠意を裏切られた。それは齢6歳の男児にとっても許してはならないことだった。
 白が慌てて駆け寄って銀太を取り押さえた。手を振り払おうと手足を全力でバタバタと振り回す銀太をどうにかこうにか押さえつけた。
 何かの弾みで白の手が外れたら、銀太は迷いなく天尊に突っこんでいくだろうが、天尊は真顔でしれっとしている。

「えー。アキラちゃん、フッちゃったの? こんなにイケメンくんなのに? アキラちゃんはメンクイじゃないんだねえ。アキラちゃんのタイプはどんな人? パパ知りたいな~。あ。もしかしてパパみたいな人……?✨」

「父さん父さん父さん父さん。今そんな場合じゃないから! 銀太やめなさいッ」

 銀太は烈火の如く怒り狂い、とりつくしまがなかった。仕方がないから耀龍にマンションの敷地内の公園まで連れ出してもらった。天尊と引き離せば少しは頭も冷めるだろう。耀龍が公園へ行こうと誘っても白が宥めても言うことをきかず、縁花が抱え上げて強制連行の様相だった。
 白は、銀太と耀龍、縁花を玄関から送り出してリビングに戻ってきた。はあーー、と大きな息を吐いた。

「大丈夫か」と天尊から声をかけられた。
 これは気遣いの台詞なのだろうか。誰の所為だと思ってるの、と白は恨み言を口走りそうになった。
 天尊からソファに座るように促され、白は耀龍が座っていた位置に、天尊とは少々間隔を空けて腰を下ろした。
 天尊から求愛され、それを断ってから以降、天尊はそれまでと何も変わらない態度だった。愛してくれと強請るの已めるという宣言通り、何事もなかったかのように自然に接してくれた。だから、銀太も耀龍も天尊と白との間に何があったのか気がつかなかった。
 天尊は求愛したことを父親に告白して尚、堂々と自然な態度だ。しかし、白はやはり天尊ほどそつなく振る舞うことはできなかった。隠すことなど何も無くとも恋愛事情を父親に知られてしまうなど、気恥ずかしいにも程がある。
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