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Kapitel 11:父親

父親 01

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 或る日の夕方。疋堂ヒキドー家・リビング。
 銀太ギンタ耀龍ヤオロンは、カーペットの上に座りこんでテレビゲームに興じている。アキラ天尊ティエンゾンはソファからテレビの画面を見るともなしに眺めていた。
 白は今日、夕飯の支度が早めに済み、珍しく時間を持て余した。とはいえ、銀太は毎日数時間ゲームに齧りついているが、白はゲームで遊ぶことはあまりない。見ているほうが楽しいくらいだ。
 天尊もまた、テレビゲームを特に好むということはなかった。銀太に誘われればプレイする、子どもの遊び相手をする程度のものであり、耀龍が現れてからはその役を譲った。

 ピンポーン。――チャイムが鳴った。
 縁花ユェンファが応対へ向かおうとしたが、白がソファから立ち上がった。テレビ画面をボーッと眺めているだけで丁度、手持ち無沙汰だった。ボクが出ますと言ってインターホンのモニターに向かった。
 モニターに映し出された男を見てギョッとした。キャリーケースを片手に引いた、ジャケットを羽織った中年男性。

「久し振り……アキラちゃん」

 男はぎこちなく笑顔を作り、やあ、と手を上げた。

「父さんッ⁉」

 咄嗟に白から大きな声が出た。
 銀太のゲームの手が止まり、全員の視線が白の後頭部に集まった。

「ユカリぃ⁉」

 銀太はコントローラを放り出して立ち上がった。

「ユカリ?」

「父さんと言ったか今」

「ティエン、ロン! はやくかくれろ!」

 銀太は慌てて耀龍の腕をグイグイと引っ張る。

アキラちゃん、アキラちゃーん」とモニターの向こうの父親からしきりに呼びかけられても、白は応答できずただ茫然として立ち尽くした。計画を立てて着実にこなすしっかり屋さんであるだけに、咄嗟のことにはフリーズしてしまう。
 アキラ、と銀太から呼ばれてハッとした。銀太はコクコクと頷いて大丈夫だよと合図を送った。
 いつまでも父親をマンションのエントランスに立たせておくわけにはいかない。白はヨシと気合いを入れてロックを解除した。

 じきに玄関ドアのチャイムが鳴った。
 玄関で待ち構えていた白は、すぐにドアを押し開いた。

「急に帰ってくるなんてどうしたの! 何かあったの? 何の用ッ?」

 久し振りに顔を合わせた娘から、おかえりもなく矢継ぎ早に質問された父親は、面喰らった。父親の知る白は、どちらかといえば物静かで落ち着いた娘だ。
 だから父親は、娘が不機嫌なのだと思った。

アキラちゃん。何か怒ってる?」

「怒ってないよ……ビックリしてるけど」

「れ、連絡しないで急にゴメンね? アキラちゃんと銀太くんの顔を見たくなって帰ってきちゃった」

 父親は眉尻を下げて弱ったような表情で言った。
 帰ってきちゃった――そうだ、父親は思いつきの儘に行動する、子どものように純粋でシンプルな人物だった。と、白は思い出して嘆息を漏らした。この気弱そうな表情を見ると此方の力が抜けてしまう。

 白がドアを開いた状態で押さえ、父親はキャリーケースを玄関内に引き入れた。
 上がり框の上では、銀太が仁王立ちで待ち構えていた。
 父親はキャリーケースのハンドルから手を離し、銀太の両脇に手を差し入れて抱き上げた。

「銀太くん久し振り~❤ あ~、ちゃんと重たくなってるなってる。背も伸びたねえ」

「ユカリ! おろせッ」

「元気そうで安心したよ。パパにキスさせて~」

「ぎゃぁあああッ! ユカリおろせェェエエエッ」

 銀太は、無精髭が生えた頬でジョリジョリと頬擦りされて身の毛が弥立ち、叫び声を上げた。

「パパって呼んでよ、銀太くん」

「よんだトキねーよッ!💢」

「もう降ろしてあげて、父さん。銀太がスネちゃうよ」

 父親は白に言われた通り、銀太を床の上に降ろして立たせた。
 白のほうを振り返ってへらっと表情を緩めた。

アキラちゃんも昔みたいにパパって呼んでくれないの?」

「父さん。お帰り」

アキラちゃん~~」


 疋堂 紫[ヒキドー ユカリ]――――
 白と銀太の父親。
 口許、顎、頬と伸びっぱなしの無精髭。髪の毛も好き放題に伸びてボサボサで、それをオールバックにして誤魔化し、外見にあまり気を配らない無精者だ。
 太くて濃い眉、キリッとした切れ長の目許、男らしいしっかりした輪郭。一見した人相は厳めしい。無精なルックスと相俟って、彼の人柄を知らない人物は近寄りがたい雰囲気がある。白の幼馴染みである戴星タイセーが恐いと形容したのも頷ける。
 その性格は外見とは裏腹に、温厚で子ども好きだ。

 白は紫をリビングへと通してソファに座らせ、自分は銀太とキッチンに入って紫に出す飲み物の準備を始めた。
 紫は部屋の中を物珍しそうにキョロキョロと見回した。このマンションは紫が此国を離れている間に引っ越したところだから、初めての訪問だ。

「引っ越し先の住所は教えてもらってたけど、初めての道だから駅から迷っちゃった。この近所のことは、もう俺よりもアキラちゃんと銀太くんのほうが詳しいだろうね」

 白は父親との会話にうんうんと適当に相槌を打ち、やかんをコンロの火にかけた。飲み物の準備を進めつつ、父親に気取られないように銀太と小声で内緒話。

「ティエンたちはどうしたの?」

「いそいでアキラのへやにおいだした。ユカリにみつかったらダメだよな?」

「ダメだね。とてもマズイ」

「みつかったらティエン、うちにいられなくなるか?」

「うん。絶対いられなくなる」

 白は、う~ん、と唸って上方を振り仰いだ。白が絶対と言うなら絶対だ。銀太も白と同じような仕草になった。
 白は紫が登場してからずっと頭をフル回転させているが、どうしても言い訳が立たない。無論、天尊の特殊な事情について紫に説明することはできない。中学生の娘が大の男と同居するなど、どのような理由があれば実の父親が許容するというのだ。

「オレ、ティエンがいなくなったらヤダぞ」

「そうだね」

「アキラも?」

 不意に銀太から投げかけられた白は、えっ、と声を漏らした。
 銀太はシンクの縁に両手で掴まって白を見上げた。

「ティエンがいなくなったらオレはイヤだけど、アキラもイヤか? アキラもティエンにいてほしいか?」

「ボクは――……」

 白は銀太から目を逸らして数秒間黙りこんだ。
 銀太はジッと白を見詰めた。

「……そうだね」

 白は小さな声で答えた。
 銀太には嘘を吐けない。これは白の本心だ。天尊にこの家にいてほしいと思うのは、天尊との生活を望むのは、素直な願望だ。しかし、とても狡いことである気がして即答はできなかった。

 ――「愛している」

 真剣なあの言葉を、天尊の気持ちを、ひとりの男の人から向けられる愛情を、受け取ることもできないくせに一緒にいてほしいと願うのは、狡い我が儘なのではなかろうか。


「前のおうちより随分広いところ借りたんだね」

 紫はソファから立ち上がり、家中をキョロキョロと見回しつつキッチンに近づいた。

「前の家は火事になっちゃって、ゆっくり選ぶヒマなくって。ボクも銀太も学校があるから、とにかく急いで住めるところ探したの」

 紫は慌ててキッチンの入り口の角に貼りついた。

「ええッ⁉ 火事だったの? 何で引っ越す連絡くれたときにパパに何も言ってくれなかったの」

「言ったら心配させると思って」

「するよ! パパだもん!」

「父さんのほうこそ何も訊かなかったけど、ボクたちが引っ越す理由は何だと思ってたの?」

「気分転換かなって」

 ――気分転換で引っ越しをする学生はそうそういません。
 白が父親の突飛な発想に内心惘れていると、頭をポンポンと撫でられた。

「そうかー、火事だったのかー。アキラちゃんと銀太くんにケガがなくて本当に良かった~」

 紫の手が宙を動くとふわっと漂う、久し振りの父親のにおい。もう忘れたと思ったのに、急激に思い出して懐かしくなった。いないときは寂しいなんて思わないのに、目の前に現れると幼い頃の感覚に一瞬引き戻されて恋しさを思い出す。嫌ではないけれど勘狂う。

「広くてキレエなところは家賃が高いんじゃないの。パパの仕送りで足りてるかな」

「ちゃんと払えてます」

アキラちゃんはやりくり上手だね」

 実際は、家賃はほぼ天尊ティエンゾンが負担しているのだが、正直に言えるわけもない。今はやりくり上手という評価を甘んじて受けよう。
 紫は白の頭から手を離して室内の探検を再開した。これは何かを探っているのではなく、彼の子どもっぽさのひとつだ。初めての場所では、隈なく歩き回って探検しようとする。
 銀太は紫の後を追った。彼なりに天尊たちのことが露見しないように必死だった。

「もーッ。ウロウロすんなよユカリ」

「えー。だってパパこのお家来るの初めてだし」

「ちゃんとすわれッ。オトナだろ」

アキラちゃーん。この部屋は?」

 紫から呼びかけられた白は、ひょこっとキッチンから顔を出した。
 紫が足を停めた部屋は、玄関からダイニングまで続く廊下の途中にあり、銀太の部屋とは対面の間取りの部屋。つまり天尊の部屋だ。

「物置、かな」

 白が応えるが早いかノブに手を掛けるのが早いか、紫は部屋のドアを開いた。
 天尊の部屋は物が少なく、生活感があまりない。大きな家具はベッドがあるくらいだ。ベッドの脇の床に雑誌が積み上げられているが、天尊の〝参考文献〟は今のところ、ジャンルも年代もバラバラであり、察しのよくない紫がこれから何かを推察することはできまい。

「物置にしてはこざっぱりしてるね。ベッドもあるし」

「物置代わりにはしてるけど、友だちが泊まりに来たりしたときに使ってるから」

 紫は、しばらく部屋のドアを開けて立っていて、あることに気づいた。

(この部屋、煙草の臭いがする……。悪い友だちでもできちゃったかなあ)

 白が元の位置に戻ってお茶の準備をしていると、紫もキッチンに戻ってきた。

「パパ、あの部屋に泊まっていい?」

「えっ」

「ダメ? ベッドもあるし」

 白は内心しまったと思った。物置と言ってしまった手前、白と銀太が使っていないことは明白だ。
 白が黙っていると、紫が自分の指と指を合わせてモゾモゾし始めた。

「パパとしてはアキラちゃんの部屋に泊めてくれると嬉しいんだけど……」

 紫がそう言い出してくれて助かった。天尊の部屋に泊めるよりはずっとマシだ。父親と同じ部屋で眠るのは気恥ずかしく、本音を言えば弟の部屋に泊まってほしかったが、ここで駄々を捏ねて気が変わられたら厄介だ。

「いいよ。ボクの部屋に泊まって」

「いいのー❤ アキラちゃん大好き」

 紫は、コンロの前に立つ白を後ろから抱き締めた。

「父さん。今お湯沸かしてるから危ないよ」


 白の部屋。
 天尊と耀龍、縁花の三名は、銀太によって咄嗟にこの部屋に押しこまれた。
 耀龍はドアの前に立って向こう側へ聞き耳を立てていた。

「アキラとギンタの父様、リビングにいるみたい」

「母親の次は父親か」

 天尊はハーッと溜息を吐いて腕組みをした。

「オレが情報を見たときは、二人の父様が帰国する予定はもっと先だったから想定外でビックリしちゃった」

「父親の顔を見たか」

「チラッとだけ」

「どうだった」

「うーん。まあまあなんじゃない? 髪と瞳の色以外はアキラには似てない、かなあ」

「顔の作りはどうでもいい。話が通じそうな相手だと思うか」

「そんなのあんな一瞬で分からないよ」

 耀龍はクルッと振り向いて天尊に近付いた。

「二人の父様が帰ってきたなら、今までみたいに天哥々ティエンガコがアキラの部屋に住むのは無理でしょ。空いてる部屋はあるから、天哥々ティエンガコの好きなのに住めばいいよ。狭いけど」

 耀龍としては善意に溢れるよい提案のつもりだったが、天尊は不服そうにフイッと顔を逸らした。

「いま問題はそんなことじゃない」

「じゃあどんな問題?」

 カチャ。――ドアノブに手が触れた音。
 天尊、耀龍、縁花の三人の目が瞬時にドアに向かった。

 ドアの向こうでノブを握っているのは紫。紫は尚も家中を歩き回っていた。
 銀太はドアノブに手をかけた紫を見つけてギクッとした。

「ユカリ! アキラのへやにかってにッ……」

「あ。ここがアキラちゃんの部屋なの?」

 銀太が声を掛けたときには時すでに遅し。ガチャッ、と紫はドアノブを回してドアを押し開いた。
 白と銀太は瞬時に凍りついた。部屋の中には天尊たちがいる。愕然としている間に、紫の目線が部屋の中に引き戻された。

「サスガ白ちゃん。お部屋片付いてるねー」

 予想外に紫から暢気な感想が出た。白と銀太は訳が分からずバッと顔を見合わせた。もし、部屋の中に見知らぬ男たちがいたら、とてもではないがこのように暢気ではいられまい。
 紫がドアを開いて室内を見たとき、そこは無人だった。ベランダのドアが開け放たれ、そこに吊り下がったレースのカーテンが、風にヒラヒラと揺られていた。
 白と銀太には彼らが何をどうやったのかは分からないが、魔法のような力の使い手たちだ。存在が露呈して困るのは天尊も同じ。上手くやったに違いない。

 白の部屋の上空。
 すんでのところでベランダから飛び出した天尊たちが、宙にぷかぷかと浮いていた。
 無論、紫はそのようなことを想像しもしない。室内に男たちがいた気配や痕跡に一切気づくことなく、ベランダのドアを閉めた。

「あー、危なかった。間一髪だったね」

 耀龍はホッと胸を撫で下ろした。
 天尊は自分の真横の位置にいる耀龍を無言でジーッと見詰める。その視線に気づいた耀龍は「何?」と首を傾げた。

「お前、正装は持っているか?」

「え」
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