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Kapitel 08:古時計
古時計 03
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別荘前のビーチ。
晴天で白浜の美しい景観だが、見渡す限り無人だった。この屋敷が〝出る〟と評判だからか、海水浴をするには肌寒すぎる季節からかは、定かではない。
銀太はスコップとバケツを携えて「ヨシ」と気合い充分。
以祇は銀太の隣に並んで顔を覗きこんだ。
「何を作るんだい、銀太くん。お城かな」
「せんしゃ」
「それはそれは、砂遊びにしてはユニークなモチーフだね。砂の戦車とは、反戦メッセージかい? それとももしやフィロソフィカルな意味が込められているのかな」
「ティーエーンーー」
銀太は眉を顰め、自分の背後にいる天尊を振り仰いだ。
天尊は面倒そうに嘆息を漏らした。
「オイ、御曹司。逐一通訳するのが面倒だから6歳児に理解できる単語のみを使え」
「戦車を築く砂は僕が用意しよう。キミは思うが儘に戦車を形作っていくとよい」
以祇は銀太の手からスコップを取ってウィンクしてみせた。
しゃがみこんでスコップを砂浜に突き刺そうとしたところ、護衛の者たちが停めに入った。
「若。何が埋まっているか分かりません。不用意に掘り返されては危険です」
「この一帯の砂を掘り起こして調査いたします。現在、虎子御嬢様に許可を求めると同時にショベルカーの手配をしております。少々お待ちください」
以祇は護衛の者に、そうか、と頷いて銀太を振り返った。
「……とのことだ、銀太くん。砂遊びはしばし待っていただけるかな」
「えーっ!」と銀太は不服の声。
「オマエとあそぶのめんどくさいな! いっしょにあそんでやらねーぞッ」
「そうは言っても何かあったら困るだろう?」
「なにかってなんだよ」
「爆発物が仕掛けてあるとか砂の中にアサシンが潜んでいるとか……」
「ねーよ‼」
銀太は両肩を怒らせて眉を逆八の字にして大層御立腹。今回のバカンスを楽しみにしていたのに、海を目の前に泳ぐこともできない、さらには砂遊びも先延ばしなど、納得できない。
天尊は以祇の手からスコップを取り、しっしっと手で払った。
「危ないと思うならお前が何処かへ行け。ギンタの邪魔をするな。ギンタがお前に付き合って我慢をさせられる理屈はない」
天尊は、ほら行くぞ、と銀太に声をかけた、銀太は喜んでついていった。天尊と銀太は、以祇を放って砂浜のなかへと進んでいった。
天尊は此国に於いてしがらみなどない。以祇が何者であるかなど知ったことではない。銀太よりも以祇を優先しなくてはならない理由など当然になかった。
以祇は、砂浜に座りこんだ天尊と銀太の後ろ姿を見ながら、少々ポカンとした。自分を邪険に扱う人間は、虎子と白くらいであり、二の次にされたのは珍しい経験だった。
天尊は正直な人物だ。自分に対して諂わず、飾らず、突き放すことすら厭わず情況に即した発言をする。それは嘘を吐かないという意味でもある。真摯であるとさえ言える。
以祇は、スコップで穴を掘っている天尊の隣にしゃがみ込んだ。
「若!」「いけません若!」と護衛の者たちは驚いた。
天尊は横目で以祇を見た。
「お前に何かあると護衛のヤツらが青くなるんじゃないか」
「そうですね。でもきっと何もありません」
「お止めください、危険です!」
護衛たちは、天尊の指摘通り青くなって慌てふためいた。
以祇は後方から聞こえる声もどこ吹く風。天尊の目には機嫌が良さそうに見えた。
「いいからキミたちはバケツに水でも汲んできてくれたまえよ。こちらの紳士は戦車を御所望なのだよ」
以祇の護衛の一部は、銀太と砂の戦車造りに駆り出された。大人の手が加わるのだから、さぞかし立派なものが完成して銀太を満足させるだろう。
天尊は以祇にスコップを渡して銀太の助手を任せた。自分は砂浜に完全に尻を着け、銀太の様子を見守った。
戦車作りの材料とする為にひたすらに砂を掘り返していた以祇が、手を停めた。サクッとスコップを砂地に刺し、天尊の隣に腰を落ち着けた。
「貴男は、白くんの親戚の御兄様と伺いました」
「そうだ」
「僕が調べたところによると、これまでに白くんの周辺に貴男が出現した形跡はなかった。こちらにいらっしゃったのはごく最近のようですね。道理で御挨拶する機会が無かったわけです」
(調べたのか、コイツ)
悪びれない告白。白や天尊に黙ってそれをすることに遠慮や罪悪感など覚えない、むしろ自分には当然許されることだと考えている、そういう態度だった。
天尊は以祇が自分に向ける眼差しは値踏みだと察した。今もそれを悪いなどとは露ほども思っていない。誰に何かを遠慮することがない。甲斐以祇はそういう人種だ。
「少々警戒しましたが、貴男なら安心してよいのかもしれません」
「何の安心だ。アキラがお前に気にかけてくれと頼んだか? 出過ぎたことをすると女に嫌われるぞ、御曹司」
天尊はクックックッと肩を揺すった。
「お前が俺を値踏みするなら、俺にもそうする権利がある。お前のアキラへの態度、本気なんだろうな」
「勿論です。冗談で交際を申し込むなんて無礼な真似はしません」
「アキラが言うようにお坊ちゃんの暇潰しでオモチャにしているんだったら徒じゃおかん。お前の所為でアキラに何かあった日には、殺すぞ」
護衛たちが一斉に懐に手を差し入れたのを、天尊は見落とさなかった。虎子の護衛宜敷、当然に彼らも攻撃の手段を常備しているはずだ。
「貴男は……凄いですね。これだけの数の護衛に囲まれて僕にそんなことを言ったのは貴男が初めてです」
「アキラとギンタを守ることについては、俺も本気ということだ」
以祇は天尊のはったりだとは思わなかった。護衛が武装していることに気づかない愚鈍とも考えなかった。
以祇はフフフと笑って護衛たちにヒラリと手を振って見せ、彼らは懐から手を引き抜いた。
「正直なところ、貴男が不逞の輩なら排除してしまえばよいと考えていたのですが……思っていたよりもずっと素敵な方ですね」
「ハッ。俺を追い出す理由が無くて残念だと聞こえるぞ、御曹司」
「まさか。白くんの大事な親類の方を追い出したいなんて、僕がそのようなことを考えるはずがないじゃありませんか。貴男には仲良くしていただきたいと思っていますよ、末永く」
おそらく、お互いに目障りだとは思っている。しかし、実力行使で排除するには理由が足りない。距離の測り合い、腹の探り合い。一筋縄でいかないのはお互い様だ。気を許す気は毛頭無いし、常に隙を窺っている。
――我々は互いに探している、貴様を消してしまえる決定打。
§ § § § §
ざざざあ。ざざざあ。ざざざあ。――波音と潮風。
海辺に建つ邸宅の玄関前に、黒髪をお下げにひっつめた十代と思しき少女が立っていた。腰にエプロンを巻いた使用人の婦人に招かれて邸宅内に足を踏み入れた。
大きく開放的な玄関。壁や床には埃ひとつない。高価そうな陶磁器の壺。天井には豪奢なシャンデリア。木造なのに洋風の雰囲気を、とてもモダンに感じた。彼女の故郷には、公のものだろうと私邸だろうとこのような建物はひとつもなかった。
「こんな立派なお屋敷に入れるなんて夢みたい」
少女が思わず正直に心持ちを口走り、使用人の婦人はフフフと笑った。
「旦那様は穏やかな方だけれど、お母様の大奥様は厳しい人だから、粗相のないように気をつけなさい」
「は、はい。もちろんです」
「この家の使用人はわたしくらいの歳が多いけれど、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。みんな優しいからね」
確かに使用人の婦人は顔付きも雰囲気も優しいが、少女はここへ来たばかりで緊張していた。はい、はい、と何度も頭を下げた。
見たこともないくらいキラキラした新天地へ胸が躍ると同時に、しくじりたくないという不安もあった。
(きっとここはいいところだわ。ここでがんばって、わたしが郷にいっぱい仕送りをしないと)
少女は屋敷の主人と、その母親である大奥様に引き合わされた。親子だけあって男女の別はあれど、何処となく面差しが似ている。
使用人が、新しく人が入りまして、と切り出すと、屋敷の主人はわざわざ椅子から立ち上がってお下げ髪の少女に近づいた。
少女は恐縮してしまい、お下げ髪を揺らしてペコペコと頭を下げた。
「君が新しく来た子かい。よろしく。この屋敷に勤めているのはみな、気のいい者たちばかりだから、そんなに緊張しなくていいよ」
(こんなに大きなお屋敷の旦那様だから緊張していたけれど、みんなが言うように優しそうな方だわ)
旦那様は想像よりもずっと柔和な人物だった。
大奥様は小さく宜敷と言ったきり口を開かなかった。寡黙な御婦人なのかもしれない。ほかの使用人から厳しい人だと聞いた所為か少々恐い印象を受けた。
旦那様は思った以上に気さくで、思い遣りのある人物だった。
そのあとも少女を見かけると、がんばっているねと声をかけたり、仕事で遠くに出かけた際には手土産を買ってきてくれたりした。屋敷の使用人は中年以上の者が多い。若い身空で勤めに出て仕送りをし、周囲に同じ年頃のいない少女を、気に懸けてくれた。
はじまりは不憫に思ったことかもしれない。しかし、少女の真面目な働きぶりを知り、素直で健気な人柄に惹かれ、次第に目で追い、目を奪われるようになり、手に手を取り合う仲になっていった。
§ § § § §
ボーン。ボーン。ボーン。――振り子時計の鐘の音。
白はうっすらと目を開けた。それと同時に先ほどまでの光景は夢であると、すぐに気づいた。
談話室のソファで、虎子とお喋りやお菓子をつまみながら過ごしていた覚えがある。いつの間にか、ソファの座面に横になって眠ってしまったようだ。
白は上半身を起こし、うーん、と背伸びをした。
「うたた寝してた」
「よく眠っていましたよ。車移動で疲れましたか」
虎子は、応接テーブルを挟んで白の正面に座っていた。読んでいた書籍を膝の上に置いた。
「いま何時?」
白は鐘の音で起こされたから、自然と時刻が気になった。
白と虎子は、今し方鳴った振り子時計の文字盤を見た。体感の時刻とは異なる、まるでへんてこな時刻を指し示していた。
虎子は自分の手首の腕時計に目を落とした。
「あの古時計、針の進み方がおかしいですね。やはり壊れているようです」
「鳴るタイミングも変だよね。あんな中途半端な時間にセットするわけないもん」
「修理するか処分するか、考えないといけませんわね」
コンコン、とノック音。
使用人がそれに気づいてガラス窓に近づいた。
天尊と銀太、以祇、その護衛たちがガラスの向こうに立っていた。
よく見ると、全面ガラス窓の一部はドアになっている。談話室は、白たちが入ってきたドアとは別に、屋外へと出入りできるドアがビーチ側に備わっていた。
使用人が施錠を外してガラスドアを押し開け、銀太がピョンッと室内に飛びこんだ。
「ただいまーー!」
白は、ストップ、ストップ、と慌ててソファから立ち上がって近づいた。
銀太は全身砂まみれの海水まみれの姿だ。そのまま室内を動き回られては困る。虎子の使用人たちは銀太を叱らないだろうが、姉としては余計な仕事を増やすのは心苦しい。
「もーっ、海に入っちゃダメって言ったでしょ。こんなにずぶ濡れになって、風邪ひいたらどうするの」
白はおかんむりだが、銀太は満足げ。砂遊びでこれまでにない記録的な大作を仕上げたからだ。
「砂まみれになった以上、ちょっと水浴びするくらいはいいだろう」
「服着たまま? ティエンまで一緒になって。子どもですかキミは」
白は、他人事のように言った天尊をジロッと睨んだ。
海に近づくという時点でこのようになりそうな予感はしていたが、銀太のみならずお目付のはずの天尊まで同じ様に成り果てるとは。銀太が海に入らないように見ていてくれと頼んだはずだが。
家主である虎子は、薄汚れた男性陣が屋敷内に砂を持ちこんでも、おやおやまあまあ、と腹を立てた様子はなかった。
「もうすぐ日が暮れます。体が冷えてしまいますわ。すぐにお風呂の準備をさせましょう」
「アキラも一緒に入るか?」
「冗談はいいから💢 砂が残らないように、ちゃんと銀太の頭を洗ってあげて。温まってくるんだよ」
以祇は天尊を見上げて笑顔を振りまいた。
「僕も御一緒してもよろしいですか?」
「断る」と天尊の反応は早かった。
「お前が風呂に入るならそこの何人かも入ってくるんだろう。狭苦しい」
「つれませんね。親睦を深めたかったのですけれど」
「それだけ砂まみれになってまだ不服か」
確かに、と以祇は笑顔で頷いた。
「では、シャワーは自分の別荘で浴びて身支度を整えて参ります」
以祇はクルッとターンして虎子のほうを振り返った。
「勿論、ディナーには招待してくれるんだろう? 虎子」
「そのような予定はありません」
虎子はツンと明後日の方角に顔を向けた。
「急なことでこちらでは不都合なら、僕の別荘へ招待するよ。シェフを連れてきたから味は屋敷と遜色ないものを保証するよ」
「食事の心配をするなど失礼な。わたくしを誰だと?」
虎子は以祇から顔を逸らしたまま眼球を動かしてギロッと睨みつけた。白が天尊を叱る為に睨むのとはまったく異なる。完全に敵視の視線だった。
これは失敬、と以祇は愛想を振りまいたが、虎子に通用するはずがなかった。
虎子は使用人たちに、以祇は護衛たちに、懸命に宥められたが互いに一歩も退かなかった。さらに白が仲裁に入り、とにかく以祇が別荘から引き上げることでこの場は収まった。
晴天で白浜の美しい景観だが、見渡す限り無人だった。この屋敷が〝出る〟と評判だからか、海水浴をするには肌寒すぎる季節からかは、定かではない。
銀太はスコップとバケツを携えて「ヨシ」と気合い充分。
以祇は銀太の隣に並んで顔を覗きこんだ。
「何を作るんだい、銀太くん。お城かな」
「せんしゃ」
「それはそれは、砂遊びにしてはユニークなモチーフだね。砂の戦車とは、反戦メッセージかい? それとももしやフィロソフィカルな意味が込められているのかな」
「ティーエーンーー」
銀太は眉を顰め、自分の背後にいる天尊を振り仰いだ。
天尊は面倒そうに嘆息を漏らした。
「オイ、御曹司。逐一通訳するのが面倒だから6歳児に理解できる単語のみを使え」
「戦車を築く砂は僕が用意しよう。キミは思うが儘に戦車を形作っていくとよい」
以祇は銀太の手からスコップを取ってウィンクしてみせた。
しゃがみこんでスコップを砂浜に突き刺そうとしたところ、護衛の者たちが停めに入った。
「若。何が埋まっているか分かりません。不用意に掘り返されては危険です」
「この一帯の砂を掘り起こして調査いたします。現在、虎子御嬢様に許可を求めると同時にショベルカーの手配をしております。少々お待ちください」
以祇は護衛の者に、そうか、と頷いて銀太を振り返った。
「……とのことだ、銀太くん。砂遊びはしばし待っていただけるかな」
「えーっ!」と銀太は不服の声。
「オマエとあそぶのめんどくさいな! いっしょにあそんでやらねーぞッ」
「そうは言っても何かあったら困るだろう?」
「なにかってなんだよ」
「爆発物が仕掛けてあるとか砂の中にアサシンが潜んでいるとか……」
「ねーよ‼」
銀太は両肩を怒らせて眉を逆八の字にして大層御立腹。今回のバカンスを楽しみにしていたのに、海を目の前に泳ぐこともできない、さらには砂遊びも先延ばしなど、納得できない。
天尊は以祇の手からスコップを取り、しっしっと手で払った。
「危ないと思うならお前が何処かへ行け。ギンタの邪魔をするな。ギンタがお前に付き合って我慢をさせられる理屈はない」
天尊は、ほら行くぞ、と銀太に声をかけた、銀太は喜んでついていった。天尊と銀太は、以祇を放って砂浜のなかへと進んでいった。
天尊は此国に於いてしがらみなどない。以祇が何者であるかなど知ったことではない。銀太よりも以祇を優先しなくてはならない理由など当然になかった。
以祇は、砂浜に座りこんだ天尊と銀太の後ろ姿を見ながら、少々ポカンとした。自分を邪険に扱う人間は、虎子と白くらいであり、二の次にされたのは珍しい経験だった。
天尊は正直な人物だ。自分に対して諂わず、飾らず、突き放すことすら厭わず情況に即した発言をする。それは嘘を吐かないという意味でもある。真摯であるとさえ言える。
以祇は、スコップで穴を掘っている天尊の隣にしゃがみ込んだ。
「若!」「いけません若!」と護衛の者たちは驚いた。
天尊は横目で以祇を見た。
「お前に何かあると護衛のヤツらが青くなるんじゃないか」
「そうですね。でもきっと何もありません」
「お止めください、危険です!」
護衛たちは、天尊の指摘通り青くなって慌てふためいた。
以祇は後方から聞こえる声もどこ吹く風。天尊の目には機嫌が良さそうに見えた。
「いいからキミたちはバケツに水でも汲んできてくれたまえよ。こちらの紳士は戦車を御所望なのだよ」
以祇の護衛の一部は、銀太と砂の戦車造りに駆り出された。大人の手が加わるのだから、さぞかし立派なものが完成して銀太を満足させるだろう。
天尊は以祇にスコップを渡して銀太の助手を任せた。自分は砂浜に完全に尻を着け、銀太の様子を見守った。
戦車作りの材料とする為にひたすらに砂を掘り返していた以祇が、手を停めた。サクッとスコップを砂地に刺し、天尊の隣に腰を落ち着けた。
「貴男は、白くんの親戚の御兄様と伺いました」
「そうだ」
「僕が調べたところによると、これまでに白くんの周辺に貴男が出現した形跡はなかった。こちらにいらっしゃったのはごく最近のようですね。道理で御挨拶する機会が無かったわけです」
(調べたのか、コイツ)
悪びれない告白。白や天尊に黙ってそれをすることに遠慮や罪悪感など覚えない、むしろ自分には当然許されることだと考えている、そういう態度だった。
天尊は以祇が自分に向ける眼差しは値踏みだと察した。今もそれを悪いなどとは露ほども思っていない。誰に何かを遠慮することがない。甲斐以祇はそういう人種だ。
「少々警戒しましたが、貴男なら安心してよいのかもしれません」
「何の安心だ。アキラがお前に気にかけてくれと頼んだか? 出過ぎたことをすると女に嫌われるぞ、御曹司」
天尊はクックックッと肩を揺すった。
「お前が俺を値踏みするなら、俺にもそうする権利がある。お前のアキラへの態度、本気なんだろうな」
「勿論です。冗談で交際を申し込むなんて無礼な真似はしません」
「アキラが言うようにお坊ちゃんの暇潰しでオモチャにしているんだったら徒じゃおかん。お前の所為でアキラに何かあった日には、殺すぞ」
護衛たちが一斉に懐に手を差し入れたのを、天尊は見落とさなかった。虎子の護衛宜敷、当然に彼らも攻撃の手段を常備しているはずだ。
「貴男は……凄いですね。これだけの数の護衛に囲まれて僕にそんなことを言ったのは貴男が初めてです」
「アキラとギンタを守ることについては、俺も本気ということだ」
以祇は天尊のはったりだとは思わなかった。護衛が武装していることに気づかない愚鈍とも考えなかった。
以祇はフフフと笑って護衛たちにヒラリと手を振って見せ、彼らは懐から手を引き抜いた。
「正直なところ、貴男が不逞の輩なら排除してしまえばよいと考えていたのですが……思っていたよりもずっと素敵な方ですね」
「ハッ。俺を追い出す理由が無くて残念だと聞こえるぞ、御曹司」
「まさか。白くんの大事な親類の方を追い出したいなんて、僕がそのようなことを考えるはずがないじゃありませんか。貴男には仲良くしていただきたいと思っていますよ、末永く」
おそらく、お互いに目障りだとは思っている。しかし、実力行使で排除するには理由が足りない。距離の測り合い、腹の探り合い。一筋縄でいかないのはお互い様だ。気を許す気は毛頭無いし、常に隙を窺っている。
――我々は互いに探している、貴様を消してしまえる決定打。
§ § § § §
ざざざあ。ざざざあ。ざざざあ。――波音と潮風。
海辺に建つ邸宅の玄関前に、黒髪をお下げにひっつめた十代と思しき少女が立っていた。腰にエプロンを巻いた使用人の婦人に招かれて邸宅内に足を踏み入れた。
大きく開放的な玄関。壁や床には埃ひとつない。高価そうな陶磁器の壺。天井には豪奢なシャンデリア。木造なのに洋風の雰囲気を、とてもモダンに感じた。彼女の故郷には、公のものだろうと私邸だろうとこのような建物はひとつもなかった。
「こんな立派なお屋敷に入れるなんて夢みたい」
少女が思わず正直に心持ちを口走り、使用人の婦人はフフフと笑った。
「旦那様は穏やかな方だけれど、お母様の大奥様は厳しい人だから、粗相のないように気をつけなさい」
「は、はい。もちろんです」
「この家の使用人はわたしくらいの歳が多いけれど、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。みんな優しいからね」
確かに使用人の婦人は顔付きも雰囲気も優しいが、少女はここへ来たばかりで緊張していた。はい、はい、と何度も頭を下げた。
見たこともないくらいキラキラした新天地へ胸が躍ると同時に、しくじりたくないという不安もあった。
(きっとここはいいところだわ。ここでがんばって、わたしが郷にいっぱい仕送りをしないと)
少女は屋敷の主人と、その母親である大奥様に引き合わされた。親子だけあって男女の別はあれど、何処となく面差しが似ている。
使用人が、新しく人が入りまして、と切り出すと、屋敷の主人はわざわざ椅子から立ち上がってお下げ髪の少女に近づいた。
少女は恐縮してしまい、お下げ髪を揺らしてペコペコと頭を下げた。
「君が新しく来た子かい。よろしく。この屋敷に勤めているのはみな、気のいい者たちばかりだから、そんなに緊張しなくていいよ」
(こんなに大きなお屋敷の旦那様だから緊張していたけれど、みんなが言うように優しそうな方だわ)
旦那様は想像よりもずっと柔和な人物だった。
大奥様は小さく宜敷と言ったきり口を開かなかった。寡黙な御婦人なのかもしれない。ほかの使用人から厳しい人だと聞いた所為か少々恐い印象を受けた。
旦那様は思った以上に気さくで、思い遣りのある人物だった。
そのあとも少女を見かけると、がんばっているねと声をかけたり、仕事で遠くに出かけた際には手土産を買ってきてくれたりした。屋敷の使用人は中年以上の者が多い。若い身空で勤めに出て仕送りをし、周囲に同じ年頃のいない少女を、気に懸けてくれた。
はじまりは不憫に思ったことかもしれない。しかし、少女の真面目な働きぶりを知り、素直で健気な人柄に惹かれ、次第に目で追い、目を奪われるようになり、手に手を取り合う仲になっていった。
§ § § § §
ボーン。ボーン。ボーン。――振り子時計の鐘の音。
白はうっすらと目を開けた。それと同時に先ほどまでの光景は夢であると、すぐに気づいた。
談話室のソファで、虎子とお喋りやお菓子をつまみながら過ごしていた覚えがある。いつの間にか、ソファの座面に横になって眠ってしまったようだ。
白は上半身を起こし、うーん、と背伸びをした。
「うたた寝してた」
「よく眠っていましたよ。車移動で疲れましたか」
虎子は、応接テーブルを挟んで白の正面に座っていた。読んでいた書籍を膝の上に置いた。
「いま何時?」
白は鐘の音で起こされたから、自然と時刻が気になった。
白と虎子は、今し方鳴った振り子時計の文字盤を見た。体感の時刻とは異なる、まるでへんてこな時刻を指し示していた。
虎子は自分の手首の腕時計に目を落とした。
「あの古時計、針の進み方がおかしいですね。やはり壊れているようです」
「鳴るタイミングも変だよね。あんな中途半端な時間にセットするわけないもん」
「修理するか処分するか、考えないといけませんわね」
コンコン、とノック音。
使用人がそれに気づいてガラス窓に近づいた。
天尊と銀太、以祇、その護衛たちがガラスの向こうに立っていた。
よく見ると、全面ガラス窓の一部はドアになっている。談話室は、白たちが入ってきたドアとは別に、屋外へと出入りできるドアがビーチ側に備わっていた。
使用人が施錠を外してガラスドアを押し開け、銀太がピョンッと室内に飛びこんだ。
「ただいまーー!」
白は、ストップ、ストップ、と慌ててソファから立ち上がって近づいた。
銀太は全身砂まみれの海水まみれの姿だ。そのまま室内を動き回られては困る。虎子の使用人たちは銀太を叱らないだろうが、姉としては余計な仕事を増やすのは心苦しい。
「もーっ、海に入っちゃダメって言ったでしょ。こんなにずぶ濡れになって、風邪ひいたらどうするの」
白はおかんむりだが、銀太は満足げ。砂遊びでこれまでにない記録的な大作を仕上げたからだ。
「砂まみれになった以上、ちょっと水浴びするくらいはいいだろう」
「服着たまま? ティエンまで一緒になって。子どもですかキミは」
白は、他人事のように言った天尊をジロッと睨んだ。
海に近づくという時点でこのようになりそうな予感はしていたが、銀太のみならずお目付のはずの天尊まで同じ様に成り果てるとは。銀太が海に入らないように見ていてくれと頼んだはずだが。
家主である虎子は、薄汚れた男性陣が屋敷内に砂を持ちこんでも、おやおやまあまあ、と腹を立てた様子はなかった。
「もうすぐ日が暮れます。体が冷えてしまいますわ。すぐにお風呂の準備をさせましょう」
「アキラも一緒に入るか?」
「冗談はいいから💢 砂が残らないように、ちゃんと銀太の頭を洗ってあげて。温まってくるんだよ」
以祇は天尊を見上げて笑顔を振りまいた。
「僕も御一緒してもよろしいですか?」
「断る」と天尊の反応は早かった。
「お前が風呂に入るならそこの何人かも入ってくるんだろう。狭苦しい」
「つれませんね。親睦を深めたかったのですけれど」
「それだけ砂まみれになってまだ不服か」
確かに、と以祇は笑顔で頷いた。
「では、シャワーは自分の別荘で浴びて身支度を整えて参ります」
以祇はクルッとターンして虎子のほうを振り返った。
「勿論、ディナーには招待してくれるんだろう? 虎子」
「そのような予定はありません」
虎子はツンと明後日の方角に顔を向けた。
「急なことでこちらでは不都合なら、僕の別荘へ招待するよ。シェフを連れてきたから味は屋敷と遜色ないものを保証するよ」
「食事の心配をするなど失礼な。わたくしを誰だと?」
虎子は以祇から顔を逸らしたまま眼球を動かしてギロッと睨みつけた。白が天尊を叱る為に睨むのとはまったく異なる。完全に敵視の視線だった。
これは失敬、と以祇は愛想を振りまいたが、虎子に通用するはずがなかった。
虎子は使用人たちに、以祇は護衛たちに、懸命に宥められたが互いに一歩も退かなかった。さらに白が仲裁に入り、とにかく以祇が別荘から引き上げることでこの場は収まった。
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