22 / 83
Kapitel 04:狂犬
狂犬 01
しおりを挟む
疋堂家。平日の朝。
忙しなく朝食の準備をしていた白は、冷蔵庫のドアを開けてはたと手を止めた。
「あ。ジャム切らしてるんだった」
白は何事も計画的にこなす質だが、学級委員長かつ長会長としての普段の業務に加え、文化祭が近く大忙しで、最近はゆっくり献立を練る時間も無く、買い忘れが発生してしまった。
「銀太ー。ジャム無いからマーガリンでいいー?」
「あーい」
思ったより遠くから返事が返ってきた。
白がリビングへ目を遣ると、銀太はソファに座ってやたら熱心にテレビに齧りついている。日曜のアニメ番組ならまだしも、ニュース番組に夢中になるなど珍しい。ニュース番組では漢字が多く踊り読めない字ばかりだから、きっとキャスターの音声で理解している。
「テーブルに座りなさい。早く食べないと遅刻するよー」
「あーい」
銀太は返事はするがテレビの前から動かなかった。
天尊はすでに食卓についていたが、椅子から立ち上がってリビングへ向かった。銀太の首根っこを捕まえてヒョイと持ち上げた。
「メシだと言っている。早く座れ」
「イヌってトモグイすんだな。ニュースでやってるー」
「朝っぱらからえげつないものを」
銀太は宙吊りの体勢のまま、ニュースが映るテレビ画面を指差した。
天尊も銀太同様にテレビのほうへと目を向けた。
〈愛犬が野犬に喰い殺される大変ショッキングなニュースですが、先生はどう思われますか?〉
〈同じケースの事件が近辺で多発しているようですね。御自宅でペットを飼われている方に動揺が広がっています〉
〈まだ餌の少なくなる時季には早いです。野生動物が豊富な山間部ならまだしも、こういった事件が都市部で発生しているのは不思議です。最近では街で野良犬を見かけること自体、珍しいですから〉
〈犬を餌にする野犬が人間を襲わないとも言い切れませんよね?〉
〈はい。野良犬と遭遇した場合には充分に警戒することが必要です〉
コツン。――ニュースに聞き入っていた天尊の脇腹に硬い物が当たった。
天尊が顔を向けると、トーストを載せた皿を持った白が呆れた表情で立っていた。
「何でティエンまで一緒になって観てるの」
悪い悪い、と天尊は銀太を床に下ろした。
銀太はてててーっと食卓テーブルへと向かった。
天尊はリモコンのスイッチを押してテレビの電源をオフにしてから食卓に戻った。
三人揃ってトーストとハム付きの目玉焼きに手を合わせて朝食をスタート。
銀太は牛乳が注がれたコップに口を付けた。白はマーガリンの容器の蓋を開いて銀太の皿を自分のほうへ引き寄せた。銀太のトーストの表面にマーガリンを塗ってやる。天尊は皿からトーストを持ち上げてそのまま齧り付いた。
銀太はゴクゴクと勢いよく牛乳を飲み、ぷはあっとコップから口を離した。
「なあなあ。なんでトモグイするんだ?」
「知らん。腹が減っているんだろ」
「食事中にその手の話題はちょっとー」
銀太は刺激的なニュースに興味津々の様子だが、白は苦笑した。幼稚園児よりは想像力が発達している分、脳内に具体的に思い描いてしまうのがつらい。
「あの事件、この近所で起こっているらしいぞ」
「そうなの?」
白が聞き返し、天尊はトーストを咀嚼しながらコクッと頷いた。
「イヌくうならカンケイねーじゃん」と銀太。
「犬は基本雑食だ。腹が減れば何でもエサだ」
「オレ、イヌにくわれるのヤだ!」
「俺だって御免被る。充分に用心して変なモンには近づかないようにしろ」
「野犬なら病気持ってるかもしれないもんな~。恐いなあ」
「ビョーキ? ソレしぬのか?」
「どんなものでも処置が悪ければ死ぬ」
白はトーストが載ったを銀太の前に戻した。
ピッと人差し指を立てて銀太に注目させた。
銀太は何にでも興味津々なお年頃。しかも、性格は勇猛果敢と来ている。物珍しさで得体の知れないものに近づきかねない。ここはひとつ、念入りに注意しておかねば。
「だから、今後は捨て犬とか野良犬を見ても近寄らないこと。首輪をしてない犬を見たらすぐティエンの後ろに隠れること。いい、銀太?」
銀太は従順にコクンと頷いた。
「わかった」
「俺は盾か」
そう言った天尊はまったく不服そうではなかった。盾だろうと子守だろうと、何も役割がないよりは断然マシだと考える男だった。
天尊は目玉焼きをナイフとフォークで切り分けつつ、白へと目線を向けた。
「アキラも気を付けろよ。アキラのほうが危ない。ギンタの迎えには俺がついているが、アキラはガッコ帰りは一人だ。しかも最近は帰りが遅い」
「ボクはもう興味本位に犬に近づくような歳じゃありません」
白はジョークのようにアハハと笑った。天尊から見れば子どもだろうが、幼稚園児と中学生を同じに考えてもらっては困る。
「自覚がないな」と天尊は鼻で笑った。
「何の?」
「アキラは捨て犬を拾うタイプだ」
「拾ったことないけど」
「拾ったろう」
「ないってば」
「俺は、拾われたつもりなんだがな」
白はしつこいなと抗議しようとして顔を上げ、天尊とバチリと視線がかち合った。天尊が本当に言わんとしていることを汲み取った。
涼しい日暮れ、閑静な住宅街、アスファルトの地面の上、死体のように寝転がった白い人物。そのような得体の知れないものの前で足を止めたのは誰だった。怪我をして縋られ見捨てられなかったのは誰だった。赤の他人を追い出しもせず共に暮らしているのは誰だ。野良犬よりも余程質の悪いものを懐に入れたのではないか。
「あれは不可抗力――……」
白は中途まで言いかけてプイッとそっぽを向いた。
「ティエンは犬じゃありません。よってボクは捨て犬を拾ったりしません」
「そうか。俺はこの家の番犬のつもりだが」
「何言ってるの」
――いいや、拾うね。お前はそういう女だ。
天尊には確信があったが、白に完全に臍を曲げられても困るから口にしなかった。
白は他人のことなら過ぎるくらいに気配りができるのに、自分のことはよく分かっていないらしい。目の前に困っている者がいたら通り過ぎることなんてできやしない。そのような莫迦みたいに優しい、女神みたいに信じがたい存在だ。少なくても天尊にとってはそうだった。
§ § § § §
日中。
天候は穏やかで時折涼しい風が吹く。散歩するのに丁度よい。
天尊は煙草を口に咥えて散歩がてら自宅の近所を歩いていた。それは滞在拠点の周囲の安全確保や土地勘を得るという目的があったが、時間潰しの効果もあった。
飽きるか気が済むまで散策して別段気にかかるものが見つからなければ、足は自然とパーラー・ピーチへと向く。持て余した時間を費やすのにパチンコは悪くない。
疋堂家では食事の時間が毎日規則正しく、同居人の天尊は時間調整が必要だ。食事を用意するアキラは学生身分で忙しい。同居人の身分で食事の時間に文句を付けるほど厚かましくはない。
天尊はパーラー・ピーチへ向かう途中、老舗煙草屋に立ち寄った。
天尊が軒先に立つなり、いらっしゃーい、と溌剌とした挨拶が飛んできた。煙草屋の小倅・戴星が、小窓を横にスライドして顔を出した。
「今日もピーチっスか? しょっちゅう行ってますねー」
戴星はパチンコ台のグリップを回す仕草を天尊に見せた。
「お前も頻繁に店番をしているな。アキラとギンタは毎日ガッコに行っているが、お前は行かなくていいのか」
「いやー、まー、俺は大学生なんでー。程々でいいんスよ、程々で。ティエンゾンさんのほうこそしょっちゅうパチンコしてますけど、ちゃんと仕事してんスか?」
「今は休暇中だ。毎日暇潰しに忙しい」
天尊は、宙へと視線を逃した戴星を見てクッと笑みを零した。
大学生といえど天尊から見れば白と大差はない。むしろ、図体が大きい分、余計に子どもっぽく見えた。
「あの、この前から聞こう聞こうと思ってたんスけど」
戴星は視線を天尊に引き戻して声を潜めて口を開いた。
「ティエンゾンさんはもしかして……アキラちゃんたちと一緒に住んでるんスか?」
「そうだが。言ってなかったか」
「言ってません言ってません! 遠い親戚としか!」
戴星は驚いた拍子に急に立ち上がり、窓枠でゴンッと額を打ちつけた。若さ故に勢いよく強かに打ちつけてしまい、イテテと額を押さえた。
「いくら遠い親戚とはいえ、ティエンゾンさんがアキラちゃんちに同居なんてよっくあの疋堂さんが許しましたね」
「あのヒキドーさんだと?」
「アキラちゃんのお父さんって、めちゃめちゃ恐いじゃないスかー。あんまりこっちにいない人だから昔の記憶っスけど、カオ厳しいし表情険しいし、常に怒ってる? みたいな」
(アキラから父親を想像するにそれは予想外だな。少し情報を仕入れておきたいところだ)
天尊は腕組みをし、フム、と打算的な思惟をした。
「タイセーは、アキラを昔から知っているんだな。俺は親戚とはいえ、つい最近こっちに来たばかりだから昔のアキラをよく知らん。子どもの頃のアキラはどんな感じだった?」
天尊は息をするようにごく自然に尤もらしい嘘を吐く。
生まれて二十年そこそこの青年に嘘を見抜ける訳がない。戴星は素直に、えーと、と宙を眺めた。
「アキラちゃんは……子どもの頃からしっかりしてましたよ。疋堂さんは昔から仕事忙しくてあんまり家にいない人だったから、掃除手伝ったりおつかいしたりゴハンとかも一生懸命作ってたりして。もー、子どの頃から銀太に対してはお姉ちゃんっていうかお母さんってカンジっしたもん」
(つまり、アキラは子どもの頃からアキラだったわけか)
戴星から出てきたのは、天尊にとっては意外でも何でもないことだった。現在の疋堂家と変わらないものが、子どもの頃からずっと続いているというだけだ。
愛想良く語っていた戴星の表情が、ふと曇った。
「まあ……あんなことあったから、アキラちゃんがお母さんするしかなかったのかもしんないスけどね」
「あんなこと?」
「ティエンゾンさん、知らないんスか?」
「何をだ」
「あっ、いや、疋堂さんも言ってないことなら、俺の口から言うのはちょっと……」
愛嬌があってお喋りな戴星が、急に言い淀んだ。気まずそうに天尊から目を逸らした。
それは秘密があると言ったようなものだ。白や疋堂家には過去に何らかの事情があり、それはあの家に好意的な人物であれば口外することが憚られるようなものだという確信を、天尊は得た。
しかしながら、いかな天尊といえども、この場で戴星を問い質すわけにはいかない。不審な行動は避けるべきだ。
(肝心なところで黙りやがって、役立たずが。そのヒキドーさんに訊くわけにいかないからお前に訊いているんだろうが💢)
天尊は腕組みをして仁王立ちで黙りこんだ。
戴星は、サングラスをかけた天尊の表情など分かりはしないのに、その背後に黒い靄が立ち籠めている気がした。
(俺、に、睨まれてない……?)
天尊は、秘密があると分かっていながら聞き出せないのを少々口惜しく感じながらも、今日のところはここらで引いてやることにした。
「今朝のニュースを見たか? 犬が共食いするという話」
「あー。アレ、近所って話っスよね。危ねーなー」
「ニンゲンを襲うかもしれんらしいぞ」
「マジすか。俺脚遅いんスよね」
「ああ。そう見える」
「そういうこと、思ってても正直に言います?」
天尊は話を穏便に冗談にすり替えて後味を良くしてから煙草屋を後にした。
忙しなく朝食の準備をしていた白は、冷蔵庫のドアを開けてはたと手を止めた。
「あ。ジャム切らしてるんだった」
白は何事も計画的にこなす質だが、学級委員長かつ長会長としての普段の業務に加え、文化祭が近く大忙しで、最近はゆっくり献立を練る時間も無く、買い忘れが発生してしまった。
「銀太ー。ジャム無いからマーガリンでいいー?」
「あーい」
思ったより遠くから返事が返ってきた。
白がリビングへ目を遣ると、銀太はソファに座ってやたら熱心にテレビに齧りついている。日曜のアニメ番組ならまだしも、ニュース番組に夢中になるなど珍しい。ニュース番組では漢字が多く踊り読めない字ばかりだから、きっとキャスターの音声で理解している。
「テーブルに座りなさい。早く食べないと遅刻するよー」
「あーい」
銀太は返事はするがテレビの前から動かなかった。
天尊はすでに食卓についていたが、椅子から立ち上がってリビングへ向かった。銀太の首根っこを捕まえてヒョイと持ち上げた。
「メシだと言っている。早く座れ」
「イヌってトモグイすんだな。ニュースでやってるー」
「朝っぱらからえげつないものを」
銀太は宙吊りの体勢のまま、ニュースが映るテレビ画面を指差した。
天尊も銀太同様にテレビのほうへと目を向けた。
〈愛犬が野犬に喰い殺される大変ショッキングなニュースですが、先生はどう思われますか?〉
〈同じケースの事件が近辺で多発しているようですね。御自宅でペットを飼われている方に動揺が広がっています〉
〈まだ餌の少なくなる時季には早いです。野生動物が豊富な山間部ならまだしも、こういった事件が都市部で発生しているのは不思議です。最近では街で野良犬を見かけること自体、珍しいですから〉
〈犬を餌にする野犬が人間を襲わないとも言い切れませんよね?〉
〈はい。野良犬と遭遇した場合には充分に警戒することが必要です〉
コツン。――ニュースに聞き入っていた天尊の脇腹に硬い物が当たった。
天尊が顔を向けると、トーストを載せた皿を持った白が呆れた表情で立っていた。
「何でティエンまで一緒になって観てるの」
悪い悪い、と天尊は銀太を床に下ろした。
銀太はてててーっと食卓テーブルへと向かった。
天尊はリモコンのスイッチを押してテレビの電源をオフにしてから食卓に戻った。
三人揃ってトーストとハム付きの目玉焼きに手を合わせて朝食をスタート。
銀太は牛乳が注がれたコップに口を付けた。白はマーガリンの容器の蓋を開いて銀太の皿を自分のほうへ引き寄せた。銀太のトーストの表面にマーガリンを塗ってやる。天尊は皿からトーストを持ち上げてそのまま齧り付いた。
銀太はゴクゴクと勢いよく牛乳を飲み、ぷはあっとコップから口を離した。
「なあなあ。なんでトモグイするんだ?」
「知らん。腹が減っているんだろ」
「食事中にその手の話題はちょっとー」
銀太は刺激的なニュースに興味津々の様子だが、白は苦笑した。幼稚園児よりは想像力が発達している分、脳内に具体的に思い描いてしまうのがつらい。
「あの事件、この近所で起こっているらしいぞ」
「そうなの?」
白が聞き返し、天尊はトーストを咀嚼しながらコクッと頷いた。
「イヌくうならカンケイねーじゃん」と銀太。
「犬は基本雑食だ。腹が減れば何でもエサだ」
「オレ、イヌにくわれるのヤだ!」
「俺だって御免被る。充分に用心して変なモンには近づかないようにしろ」
「野犬なら病気持ってるかもしれないもんな~。恐いなあ」
「ビョーキ? ソレしぬのか?」
「どんなものでも処置が悪ければ死ぬ」
白はトーストが載ったを銀太の前に戻した。
ピッと人差し指を立てて銀太に注目させた。
銀太は何にでも興味津々なお年頃。しかも、性格は勇猛果敢と来ている。物珍しさで得体の知れないものに近づきかねない。ここはひとつ、念入りに注意しておかねば。
「だから、今後は捨て犬とか野良犬を見ても近寄らないこと。首輪をしてない犬を見たらすぐティエンの後ろに隠れること。いい、銀太?」
銀太は従順にコクンと頷いた。
「わかった」
「俺は盾か」
そう言った天尊はまったく不服そうではなかった。盾だろうと子守だろうと、何も役割がないよりは断然マシだと考える男だった。
天尊は目玉焼きをナイフとフォークで切り分けつつ、白へと目線を向けた。
「アキラも気を付けろよ。アキラのほうが危ない。ギンタの迎えには俺がついているが、アキラはガッコ帰りは一人だ。しかも最近は帰りが遅い」
「ボクはもう興味本位に犬に近づくような歳じゃありません」
白はジョークのようにアハハと笑った。天尊から見れば子どもだろうが、幼稚園児と中学生を同じに考えてもらっては困る。
「自覚がないな」と天尊は鼻で笑った。
「何の?」
「アキラは捨て犬を拾うタイプだ」
「拾ったことないけど」
「拾ったろう」
「ないってば」
「俺は、拾われたつもりなんだがな」
白はしつこいなと抗議しようとして顔を上げ、天尊とバチリと視線がかち合った。天尊が本当に言わんとしていることを汲み取った。
涼しい日暮れ、閑静な住宅街、アスファルトの地面の上、死体のように寝転がった白い人物。そのような得体の知れないものの前で足を止めたのは誰だった。怪我をして縋られ見捨てられなかったのは誰だった。赤の他人を追い出しもせず共に暮らしているのは誰だ。野良犬よりも余程質の悪いものを懐に入れたのではないか。
「あれは不可抗力――……」
白は中途まで言いかけてプイッとそっぽを向いた。
「ティエンは犬じゃありません。よってボクは捨て犬を拾ったりしません」
「そうか。俺はこの家の番犬のつもりだが」
「何言ってるの」
――いいや、拾うね。お前はそういう女だ。
天尊には確信があったが、白に完全に臍を曲げられても困るから口にしなかった。
白は他人のことなら過ぎるくらいに気配りができるのに、自分のことはよく分かっていないらしい。目の前に困っている者がいたら通り過ぎることなんてできやしない。そのような莫迦みたいに優しい、女神みたいに信じがたい存在だ。少なくても天尊にとってはそうだった。
§ § § § §
日中。
天候は穏やかで時折涼しい風が吹く。散歩するのに丁度よい。
天尊は煙草を口に咥えて散歩がてら自宅の近所を歩いていた。それは滞在拠点の周囲の安全確保や土地勘を得るという目的があったが、時間潰しの効果もあった。
飽きるか気が済むまで散策して別段気にかかるものが見つからなければ、足は自然とパーラー・ピーチへと向く。持て余した時間を費やすのにパチンコは悪くない。
疋堂家では食事の時間が毎日規則正しく、同居人の天尊は時間調整が必要だ。食事を用意するアキラは学生身分で忙しい。同居人の身分で食事の時間に文句を付けるほど厚かましくはない。
天尊はパーラー・ピーチへ向かう途中、老舗煙草屋に立ち寄った。
天尊が軒先に立つなり、いらっしゃーい、と溌剌とした挨拶が飛んできた。煙草屋の小倅・戴星が、小窓を横にスライドして顔を出した。
「今日もピーチっスか? しょっちゅう行ってますねー」
戴星はパチンコ台のグリップを回す仕草を天尊に見せた。
「お前も頻繁に店番をしているな。アキラとギンタは毎日ガッコに行っているが、お前は行かなくていいのか」
「いやー、まー、俺は大学生なんでー。程々でいいんスよ、程々で。ティエンゾンさんのほうこそしょっちゅうパチンコしてますけど、ちゃんと仕事してんスか?」
「今は休暇中だ。毎日暇潰しに忙しい」
天尊は、宙へと視線を逃した戴星を見てクッと笑みを零した。
大学生といえど天尊から見れば白と大差はない。むしろ、図体が大きい分、余計に子どもっぽく見えた。
「あの、この前から聞こう聞こうと思ってたんスけど」
戴星は視線を天尊に引き戻して声を潜めて口を開いた。
「ティエンゾンさんはもしかして……アキラちゃんたちと一緒に住んでるんスか?」
「そうだが。言ってなかったか」
「言ってません言ってません! 遠い親戚としか!」
戴星は驚いた拍子に急に立ち上がり、窓枠でゴンッと額を打ちつけた。若さ故に勢いよく強かに打ちつけてしまい、イテテと額を押さえた。
「いくら遠い親戚とはいえ、ティエンゾンさんがアキラちゃんちに同居なんてよっくあの疋堂さんが許しましたね」
「あのヒキドーさんだと?」
「アキラちゃんのお父さんって、めちゃめちゃ恐いじゃないスかー。あんまりこっちにいない人だから昔の記憶っスけど、カオ厳しいし表情険しいし、常に怒ってる? みたいな」
(アキラから父親を想像するにそれは予想外だな。少し情報を仕入れておきたいところだ)
天尊は腕組みをし、フム、と打算的な思惟をした。
「タイセーは、アキラを昔から知っているんだな。俺は親戚とはいえ、つい最近こっちに来たばかりだから昔のアキラをよく知らん。子どもの頃のアキラはどんな感じだった?」
天尊は息をするようにごく自然に尤もらしい嘘を吐く。
生まれて二十年そこそこの青年に嘘を見抜ける訳がない。戴星は素直に、えーと、と宙を眺めた。
「アキラちゃんは……子どもの頃からしっかりしてましたよ。疋堂さんは昔から仕事忙しくてあんまり家にいない人だったから、掃除手伝ったりおつかいしたりゴハンとかも一生懸命作ってたりして。もー、子どの頃から銀太に対してはお姉ちゃんっていうかお母さんってカンジっしたもん」
(つまり、アキラは子どもの頃からアキラだったわけか)
戴星から出てきたのは、天尊にとっては意外でも何でもないことだった。現在の疋堂家と変わらないものが、子どもの頃からずっと続いているというだけだ。
愛想良く語っていた戴星の表情が、ふと曇った。
「まあ……あんなことあったから、アキラちゃんがお母さんするしかなかったのかもしんないスけどね」
「あんなこと?」
「ティエンゾンさん、知らないんスか?」
「何をだ」
「あっ、いや、疋堂さんも言ってないことなら、俺の口から言うのはちょっと……」
愛嬌があってお喋りな戴星が、急に言い淀んだ。気まずそうに天尊から目を逸らした。
それは秘密があると言ったようなものだ。白や疋堂家には過去に何らかの事情があり、それはあの家に好意的な人物であれば口外することが憚られるようなものだという確信を、天尊は得た。
しかしながら、いかな天尊といえども、この場で戴星を問い質すわけにはいかない。不審な行動は避けるべきだ。
(肝心なところで黙りやがって、役立たずが。そのヒキドーさんに訊くわけにいかないからお前に訊いているんだろうが💢)
天尊は腕組みをして仁王立ちで黙りこんだ。
戴星は、サングラスをかけた天尊の表情など分かりはしないのに、その背後に黒い靄が立ち籠めている気がした。
(俺、に、睨まれてない……?)
天尊は、秘密があると分かっていながら聞き出せないのを少々口惜しく感じながらも、今日のところはここらで引いてやることにした。
「今朝のニュースを見たか? 犬が共食いするという話」
「あー。アレ、近所って話っスよね。危ねーなー」
「ニンゲンを襲うかもしれんらしいぞ」
「マジすか。俺脚遅いんスよね」
「ああ。そう見える」
「そういうこと、思ってても正直に言います?」
天尊は話を穏便に冗談にすり替えて後味を良くしてから煙草屋を後にした。
1
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
イラストアーカイヴ
花閂
キャラ文芸
小説内で使用したイラストだったり未使用イラストだったり。
オリジナルイラストのアーカイバ。
連載中の小説『ベスティエン』『マインハール』『ゾルダーテン』のイラストをアーカイブしていきます。
マインハールⅡ ――屈強男×しっかり者JKの歳の差ファンタジー恋愛物語
花閂
キャラ文芸
天尊との別れから約一年。
高校生になったアキラは、天尊と過ごした日々は夢だったのではないかと思いつつ、現実感のない毎日を過ごしていた。
天尊との思い出をすべて忘れて生きようとした矢先、何者かに襲われる。
異界へと連れてこられたアキラは、恐るべき〝神代の邪竜〟の脅威を知ることになる。
――――神々が神々を呪う言葉と、誓約のはじまり。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタの村に招かれて勇気をもらうお話
Akitoです。
ライト文芸
「どうすれば友達ができるでしょうか……?」
12月23日の放課後、日直として学級日誌を書いていた山梨あかりはサンタへの切なる願いを無意識に日誌へ書きとめてしまう。
直後、チャイムの音が鳴り、我に返ったあかりは急いで日誌を書き直し日直の役目を終える。
日誌を提出して自宅へと帰ったあかりは、ベッドの上にプレゼントの箱が置かれていることに気がついて……。
◇◇◇
友達のいない寂しい学生生活を送る女子高生の山梨あかりが、クリスマスの日にサンタクロースの村に招待され、勇気を受け取る物語です。
クリスマスの暇つぶしにでもどうぞ。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ノイジーガール ~ちょっとそこの地下アイドルさん適性間違っていませんか?~
草野猫彦
ライト文芸
恵まれた環境に生まれた青年、渡辺俊は音大に通いながら、作曲や作詞を行い演奏までしつつも、ある水準を超えられない自分に苛立っていた。そんな彼は友人のバンドのヘルプに頼まれたライブスタジオで、対バンした地下アイドルグループの中に、インスピレーションを感じる声を持つアイドルを発見する。
欠点だらけの天才と、天才とまでは言えない技術者の二人が出会った時、一つの音楽の物語が始まった。
それは生き急ぐ若者たちの物語でもあった。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる