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Kapitel 02:日常

日常 04

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 アキラ銀太ギンタが通学する瑠璃瑛ルリエー学園は、幼稚園から大学まで徹底した一貫教育を敷く私立の名門。総生徒数はゆうに2万人を超えるマンモス校。生徒・学園関係者の多くが学園周辺に居住し、学園敷地を中心に都市を形成している。

 放課後。
 白は銀太のお迎えの為に、中等部から幼稚園まで徒歩で移動していた。
 白の隣には虎子が並んで歩く。銀太のお迎えは白の生活の日課だが、虎子トラコが同行するのは珍しい。彼女は習い事や稽古に加えて社交的なパーティなどに忙しい身だ。

「本当についてくるの? ココ」

 白は虎子の同行が嫌でそう言ったのではない。此国有数の名家の御令嬢である虎子は、多くのボディガードに身辺を警護されている。彼らは普段は姿を見せないよう配慮して行動しており、今もそうだ。虎子の急なスケジュールや移動ルートの変更は、当然に彼らの仕事に大きく影響する。白が案じているのは彼らの苦労だ。

「久しぶりに登校なさって今日はお疲れでしょう。アキラと銀太くんをおうちまでお送りしますわ」

「学校に来るだけで大袈裟な。朝はフツーに歩いて来たんだから大丈夫だよ」

「明日からは朝、御自宅に送迎車を回しますわね」

「ええ~……。ホントに大袈裟」

 白には大袈裟だが、虎子には簡単に実行できてしまうから、白は苦笑するしかなかった。

「お困りのときくらい頼っていただきませんと、友人としてわたくしの立場がありませんわ。アキラは逞しすぎます」

(逞しいっていいことだと思うけどなあ)


 白と虎子は幼稚園に到着した。
 虎子はボディガードと話があるから、と幼稚園の門の前で一旦白と別れた。だから本当についてくるのかと訊いたのに。仕事を増やしてしまって気の毒なことだ。

 白は銀太がいるはずの教室を覗いた。
 そこに銀太の姿は無かった。いつもは通園バッグを用意して白のお迎えを待っているのに。
 そこへ丁度、エプロン姿の男性保育士が通りかかった。
 保育士は「こんにちは」と白に声をかけた。

頌栄ショーエー先生。こんにちは」

 頌栄先生は、銀太のクラスを担当する二十代の男性保育士。高い鼻に浅黒い肌、金髪という明らかに異国の混血でありながら此国の言葉を流暢に話す。爽やかさと人懐っこい笑顔とで、園児たちにも園児のお母さんたちにも大人気だ。

「銀太が教室にいないんですけど、どこにいるか分かりますか?」

「銀太くんはあっちにいますよ」

 頌栄先生は園庭を指差した。
お迎えの時間帯に教室で待っていないなど珍しい。幼子は気まぐれなものだ。そういう日もあるのだろう。
 白と頌栄先生は、銀太がいるという方向へ並んで歩いてゆく。

「いつもお迎えのときは教室でおとなしく待ってるもんねー」

「ボクがいない間はおとなしくないんですか」

 いえいえ、アハハ、と頌栄先生は穏やかに笑った。

「銀太くんはイイ子ですよ。自分の意見がしっかりしていて、ちゃんとお友だちを注意もできるし、優しくもできる。みんなを引っ張ってくれる存在です。でも、お迎えの時間が近くなるとちょっとソワソワしますね。アキラちゃんのことが大好きなんだろうな~って見てて伝わってきますよ」

 白は照れ臭くなってエヘヘとはにかんだ。
 白は銀太を心から可愛いと思っており、銀太からも好かれている自覚はある。しかし、他者の口から聞くと気恥ずかしい。

「アキラちゃんが来たら確認したいと思っていたのですが」

 頌栄先生は園舎の出入り口に差し掛かって足を停め、スッとある方角を指差した。
 白も足を停めてその方角へ顔を向けた。

「あの人はアキラちゃんのお知り合いですか?」

 頌栄先生が指差す先にいたのは、幼稚園のフェンスに寄り掛かっているサングラスを掛けた長身の男性。
 幼稚舎と庭園の周辺はぐるりと低い網目状のフェンスが張り巡らされている。フェンスの高さは大人の胸辺りだが園児たちの身長よりは高い。
 フェンス一枚を隔てて銀太の前に立っているサングラスの男性は、間違いなく天尊ティエンゾンだ。屈強な肉付きの白髪の長躯、そのような特徴の持ち主は、この辺りで他に見たことはない。

(ティエン……!)

「園児に話しかける不審者なら通報しないといけないので、アキラちゃんの知り合いだと先生はとても嬉しいです」

 白はハッとして周囲を見回した。
 銀太を見ている保母さんたちが何やらヒソヒソと不審がっている。大の男が白昼堂々、幼稚園児に声をかけるなど即通報されてもおかしくない。頌栄先生が白に確認するまで待ってくれる気長な人で本当によかった。

「お騒がせしてすみません。知り合いなので通報はしないでください……」

「いえいえ。銀太くんと仲が良いみたいなのでお知り合いだろうなと思っていましたよ」

「注意しておきますッ」

 白はタッと銀太のほうへ駆け出した。
 頌栄先生はその背中をニコニコしながら眺めた。

(アキラちゃんのカレシかな?)

 白は急いで銀太に駆け寄った。
 フェンスを隔てて銀太と話していた天尊は、よう、と白に軽い声をかけた。

「こんな所で何してるの、ティエン」

「おう。来たかアキラ。ガッコは無事に終わったみたいだな」

「何でティエンが幼稚園にいるの? 場所教えてないのに」

「ヒマだったんで散歩していたらギンタを見つけた。こっちの方角に来たのは偶然だったがな。ここがほぼ街の真ん中みたいだな」

 天尊は人差し指をピッと垂直に立てた。
 白と銀太は素直に頭上、空を一度見た。
 丁度、カラスが一羽飛んでいる。あのような上空から人ひとりを目視するなど空を飛ぶことができない子どもたちには想像ができなかった。

「ティエンはめがいいな」と銀太。

「フツーの人間のフリするんでしょ。あんまり目立つことはしないでよ」

「勿論飛行中も着地するときも、姿は見えないようにしている。問題ない」

「そうじゃなくて、ティエンみたいな人が子どもに声かけると通報されちゃうの」

「声をかけただけでか?」

「通報されちゃうの。警察呼ばれちゃうの。逮捕されちゃうの」

 白は銀太のほうへ顔を向けて人差し指をピッと立てた。

「銀太も、もしティエン以外の人にこうやって話しかけられたらお喋りしちゃダメだからね」

「うん。つぎからティエンもムシする」

「何でだ」

 ――お子様よ、姉の教えは正しく噛み砕いてほしい。
 天尊は不服そうな表情で腕組みをした。
 白は天尊にシッシッと手を振った。

「とにかくティエンは早く家に帰って。ここから消えて」

「消えてとは、えらく邪険にするじゃないか。まだ朝のことを根に持っているのか」

「それはもういーよ。今日はココが一緒だからマズイの」

「ココ?」と天尊は首を捻った。

「ティエンのことがココにバレたら――」

アキラ?」

 その声から名前を呼ばれ、白の全身がギクッと大きく跳ね上がった。
 虎子はボディガードとの話を終えて白の許へやってきた。虎子が戻ってくるまでに天尊を追い払いたかったのだが。
 虎子はまず、フェンスの向こうから銀太にニコッと微笑みかけた。

「銀太くんごきげんよう。火事は大変でしたわね。お怪我はなくて?」

「ない。げんきだ」

 次は勿論、白髪長躯のサングラスをかけた不審な男だ。
 虎子は自分と同じくフェンスの外側にいる見知らぬ男性へと目線を向けた。そのときにはもう、銀太に向けた美しい微笑は消えていた。
 随分と体格がよい人物だ。ボディガードを見慣れているからその体の大きさに怯むことはないが、彼らに劣らない体格をした一般人は珍しい。

「こちらは?」

 虎子に尋ねられた瞬間、白はピシーンッと凍りついた。

「と……」

 動揺した白は、虎子から顔を逸らした。眉間に皺を寄せて冷や汗を浮かべて実に難しい表情。白の緊張が伝わってきて、銀太もゴクッと生唾を嚥下した。

「とっ、遠い遠い親戚、デス」

「…………」

 天尊と銀太は絶句した。
 苦境に追いこまれて焦った白の脳内からは、単純かつ出来の悪い言い訳しか出てこなかった。白は嘘を吐くことが不得手だった。

(…………。やってしまった)

 白は泣きたい気分だった。もしくは、穴があったら入りたい気分だ。いくら性格的に嘘が苦手でも、中学三年生にもなってもう少しマシな藉口しゃこうが思いつかないものか。

アキラと銀太くんに、こちらのような親類の方がいらっしゃるなんて初耳ですわ。本当ですか? アキラ

 虎子は白に向かってニッコリと微笑みかけた。
 実に見事な笑い方だが嫌疑をかけていることは明らかだ。親友の白には分かる。

「本当だよ。銀太もよく懐いてるでしょ」

「確かに銀太くんが人にあんなに懐くのは珍しいですけれど……」

(けれど何ですか)

 虎子は大きな二つの瞳から疑いの視線を白に向けた。
 白は罪悪感に耐えかねて虎子からソッと顔を背けた。
 伊達に親友ではないのは虎子も同じ。白が嘘が不得手であることも、そもそも嘘を吐いていることもお見通しだ。

「…………。そういうことにしておいて差し上げます」

 白はホッと安堵の吐息を漏らした。理由は分からないが恩情を掛けてもらえたみたいだ。そういう素直な反応をするから嘘が下手なのだけれど。
 虎子は天尊のほうを向き、腹部で手を重ねて深く会釈した。

「初めまして。久峩城ヶ嵜クガジョーガサキ虎子トラコと申します」

「トラコ? ココじゃないのか? アキラとギンタがそう呼んでいる」

「それは愛称です。よろしければあなたもそうお呼びになって。わたくしはあなたを何とお呼びすればよろしいでしょうか」

「俺は天尊ティエンゾンだ」

「ティエンゾンさん? ティエンゾンさんとおっしゃいますのね。初めまして。わたくしのことはアキラの友人として是非お見知り置きくださいませ」

「ああ。こちらこそよろしく」

 虎子と天尊は表面上はにこやかに接する。しかし、それを見ている白はハラハラして気が気ではなかった。
 銀太が「ココ。ココ」と懸命に虎子を呼んだ。

「どうしましたか、銀太くん」

「おむかえきたぞ」

 虎子は銀太が指差す方向を振り向いた。
 見慣れた黒塗りのリムジンが停車しており、ボディガードのひとりがドアを開けて待っている。御嬢様は使用人をいくらでも待たせてもよいが、白が懸命に苦手なことをしていることだし、今日はここが引き際なのかもしれない。親友の顔を立てるとしよう。

「皆さまお送りしましょうか、アキラ

「い、いや、大丈夫」

「そうですか。ではまた明日、学校で」

 虎子は御令嬢らしく優雅に別れの挨拶をし、リムジンに乗りこんで去って行った。

 白は黒塗りのリムジンが走り去るのを見送り、はーっ、と息を吐いた。
 虎子に嫌疑の目を向けられている間中、生きた心地がしなかった。親友ながら恐ろしいプレッシャーの持ち主だ。

「まさかこんなに早くティエンのことをココに知られるなんて」

「何故、そんなにビクビクしている?」

「ココは久峩城ヶ嵜家の御嬢様なんだ」

「御嬢様か。確かに見るからに品のよい令嬢という感じだったな」

 ああ、と天尊は得心のいった声を漏らした。虎子は言葉遣いとよい立ち居振る舞いとよい、育ちの良さが見て取れた。

「久峩城ヶ嵜家が調べたらボクの親戚にティエンゾンなんて人間がいないことはスグにバレちゃうよ」

「まあ、調べられたらバレるな。実際にいないんだから」

「他人事みたいに言って、もう。ココに目を付けられるのは或る意味、警察より厄介なんだよ」

「焦ったところでしょうがないだろう。一遍口から出たウソは吐き通すしかない」

「うっ……!」

「アキラは苦手そうだな」

 天尊はハハハッと破顔した。
 そのような言い方をされると、天尊はどうなのだろうかと勘繰ってしまう。
特異体質の話、異世界の話、すべて正体不明の男の口から出任せだったら……。しかし、自分と弟の命を救われたのは事実だ。たとえ天尊が嘘を吐いていたとしても、白は自身と弟の生活が揺るがぬ限りはそれを知らない振りをするだろう。
 トン、と白は天尊から額を指先で押された。何だろう、と自分の額に触れて天尊を見た。

「アキラのそういうところは初めて見る」

「?」

「焦ったり困ったり怒ったり、年相応の娘らしいところだ」

 この少女は自分の命が危機に瀕しているときですら弟を優先した。死にかけの男に家と食事を与えて一切の見返りを求めなかった。この年頃と言えば、未発達で未成熟で無知で己のことすらもよく知らず、分不相応なエゴイストであるはずなのに、この少女はそうではなかった。だからこそ、理性と責任の仮面の下に隠されている少女らしい素顔を覗いてみたくなる。

「そういうのは、要らないよ。ボクはたくましいほうがいい」

「?」

 逞しさとはどういうことだ。天尊が尋ねようと口を開く前に、白の表情から少女らしさは消えていた。
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