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#28: Lost thing in one spring day
Lost thing in one spring day 01
しおりを挟む一学期期末考査直前。
私立荒菱館高校北棟校舎3階・一年B組。
放課後の時分となり、禮は由仁と喋りながら通学バッグに教科書や筆記用具を詰めて帰り支度をしていた。
「イヤや~、ベンキョなんかキライや~!」
「当たり前のことギャンギャン騒ぐな! 勉強好きなヤツなんかここにいてるかッ」
突然、虎徹は泣き出しそうな声を上げて椅子から立ち上がった。その声に素早く反応したのは大鰐。更なる大声で一喝した。虎徹の訴えはこの教室内に、ひいては学校内にいる者には当たり前のことだった。当たり前のことを声高に喧伝されるのは苛立たせられる。
虎徹は半べそをかきながら、自分の前の席に座る禮を指差した。
ああ、コイツがいたな、と大鰐は机の上に頬杖をついた。
「学年一位のヤツは勉強も楽しいやろな」
「楽しくないよー。勉強キライちゃうけど、遊ぶほうがスキやよ」
禮は、何を馬鹿なことを、と冗談のように笑った。
男子生徒諸君は「へ~~」と声を揃えた。
「へ~って、ウチのこと何やと思てんの」
「学年一位とるよなヤツなんか今まで周りにいてへんかったし、言うたら宇宙人や」
「へーえーちゃーんー」
禮は大鰐を横目で睨んだ。
「やっぱ……試験ベンキョーってするもんなんか?」
「そりゃするよ。試験前やもん」
虎徹はこの世のものとは思えない大層な恐ろしげな質問をするように震える声で尋ねた。
禮には当然の問いかけだったからケロリと答えた。
「ぐはあッ⁉ ベンキョはしたないけどダブりたないッ」
虎徹は机の上に両手をついてガクンッと項垂れた。
「みんなそうやアホ」と大鰐。
「虎徹はん!」
鞠子が教室のドアを開け放って登場。ほかのクラスなのに堂々としたものだ。
カッカッカッと力強い足音を立てて虎徹に近づいた。今日の鞠子は明らかに普段よりも自信に満ちていた。背筋を伸ばして目を爛々と輝かせ、オーラが見えそうなほどだ。
「勉強やったらウチがなんぼでも教えたげますえ」
鞠子は虎徹の目の前でふんすふんすと息巻いた。
虎徹は鞠子を指差して禮へと目線を向けた。
「黒マリちゃん頭ええの?」
禮はコクンと頷いた。
「え~、禮ちゃん学年一位やん」
「アレはマグレやよ。高校入って最初の試験やからがんばった」
それを聞いた由仁は小首を傾げた。
「試験をがんばる? 何で?」
「だって、同じ学校やからハッちゃんに順位バレるもん。頭悪いなて思われたないから」
「近江さんはイチイチそんなん気にせえへんちゃうか」
禮はえへへと照れ臭そうにはにかんだ。
「ほんまにウチよりマリちゃんのほうが頭ええよ。中学校のときいっつもウチより順位上やったし」
「中間は禮に一位譲りましたけど期末はウチが一位取りますえ✨ モチロン、虎徹はんのお勉強もちゃんと教えたげますさかい安心しはってください。自分のことより虎徹はんのことどす」
鞠子は虎徹のシャツを両手で捕まえて完全にロックオン。
由仁と脩一には虎徹が渋る理由が分からないほど、羨ましい申し出だった。試験直前にピンポイントで試験勉強を教えてもらえるなど、勉強が不得手な彼等には渡りに船だ。しかも、鞠子は姿形は可愛らしい女子生徒だ。
「虎徹くんええなー。頭ええコに勉強教えてもろて」
「試験勉強なんか一人じゃゼッテーヤル気しねーもんな」
「大樹と脩一も一緒ならやる!」と虎徹。
三人一緒というのは鞠子には不服だった。虎徹と二人きりのお勉強タイムの心積もりだったのだから。
鞠子は由仁と脩一の顔を並べてじ~っと凝視する。二人もお邪魔虫だと自覚しているから苦笑するしかなかった。しばらくして、仕方なさそうに息を吐いた。三人一緒という条件を断って虎徹と過ごす時間がなくなってしまったのでは元も子もない。
「仕方おへん。あんたはん等ァもまとめて面倒みたげます」
「やったー! これで期末は赤点ナシで済む。黒崎おおきに!」
「たまには役に立つじゃねーかマリ子」
喜びのハイタッチをした由仁と脩一に、鞠子はキッときつい視線を向けた。
「ウチがあんたはん等ぁの役に立たなあかん義理はおへんのえ。虎徹はんの頼みやから仕方なく、虎徹はんのついでに、虎徹はんのオマケとして教えたげるんどす。ウチと虎徹はんに感謝しなはれ」
言いたいことを一気に言い並べ、ツンと明後日の方角へ顔を逸らした。
「うぐッ……(顔以外は可愛くねー女!)」
耐え忍ぶしかない由仁と脩一を、大鰐が「あーはっはっ」と高らかに笑った。
「ガンバルなーお前等、無駄な努力を」
「やりたくてやってねーよ。俺たちはダブりたくねーの」
「お前のほうこそそんなのんびりしとってええんか」
「そんな簡単にダブらへん。俺、お前等よかデキがええねん」
大鰐は由仁から指摘されても余裕の表情だった。
脩一と由仁は、大鰐の計画性の無さや見通しの甘さに惘れた。
「根拠のねー自信持てるのスゲーな」
「オマエ、中間でええしころ赤点取っとったやんけ」
「アレ本気ちゃうさかいな」
大鰐の自信は揺るぎなかった。由仁と脩一はハハハと笑い飛ばした。
「余裕かましててあとから焦ったって知らねーからな。荒菱館でダブりなんかダッセーぞ」
「俺等の後輩になったら笑たるで」
「あ、ハッちゃん。帰ろー」
すざざざざっ。――由仁と脩一は、波が引くように教室の出入り口から後退った。いつの間にか禮を迎えに来た巨躯が其処に立っていたのに、大鰐と話していた為に気づくのが遅れてしまった。
渋撥は無言で由仁と脩一をジッと見遣った。
なんというプレッシャーと眼力。由仁と脩一は顔が上げられなかった。許されるなら、あなた様の話題をしていたわけではないのです、と釈明したかった。釈明したところで、留年そのものを馬鹿にした言い方をしたのは事実だから許されるとは限らない。渋撥は無表情であり、彼等には感情や思考を読むことはできない。もし逆鱗に触れていたとしたらと考えると、最早ヘビに睨まれカエル。
「ハッちゃんどうかした? 帰れへんの?」
禮は渋撥の正面に立って顔を仰ぎ見た。
何でもない、と渋撥は由仁と脩一からフイッと目線を逸らした。
禮はくるりと振り返って鞠子に手を振った。
「マリちゃんバイバーイ」
「御機嫌よう、禮」
禮と渋撥は教室から出て行った。
大鰐は由仁と脩一を指差して愉快そうに笑った。
「で、何がダサイて?」
「近江さん来たって気づいたんなら言えよ!」
「俺等を死なす気かッ」
由仁と脩一は大鰐に詰め寄った。
禮は教室から出てすぐに幸島の背中を見つけた。
北棟のほぼ中央に位置する図書室は、吹き抜けとなっている。各階の廊下には学年ごとに教室が一列に並び、各教室前の廊下から真下にある図書室を俯瞰することができる。
幸島は教室側に背を向け、図書室を覗き込むように廊下の欄干に凭れかかっていた。スマートフォンで誰かと通話中のようだ。
「ハルちゃん教室にいてへん思たら電話してたんや」
禮は電話の邪魔をしては悪いから声をかけずに通り過ぎようと思った。
すると、人の気配を察知した幸島が振り返った。渋撥を見つけて素早く頭を下げた。
「お疲れさんした、近江さん」
禮が「ハルちゃんバイバイ」と手を振ると、幸島は「また明日な」と小さく振り返してくれた。それから、またスマートフォンでの会話へと戻った。
禮と渋撥は幸島から離れ、帰途に就くことにした。
「アレが〝ハルちゃん〟か」
渋撥は廊下を禮と並んで歩きながら独り言を零した。
「ハッちゃん、うちのクラスの友だち覚えてるん?」
「ツラは大体覚えた。名前と一致せえへんだけや」
禮は、へー、と感嘆を零した。クラスも学年も異なるのに顔や名前を覚えるなんて偉い、と純粋に感心した。渋撥が何の目的で禮のクラスメイトを把握しようとしているかなど考えもしなかった。
「アイツは貧乏クジ引くタイプやろ」
禮は渋撥の言葉の意味にピンと来なくて小首を傾げた。
「貧乏クジ? うーん……クラスではお母さんみたあなカンジ」
「見事に貧乏クジ引いとる」
禮たちが教室を出てしばらくして、幸島はスマートフォンでの通話を終えて教室内へ戻ってきた。室内にはちらほらと数人がいるだけ。騒がしい虎徹たちの姿はもう無く、大鰐だけが自分の席でスマートフォンを弄っていた。
幸島がほかの連中はどうしたのかと尋ねると、大鰐はとっくに帰ったと答えた。
「帰りにどっか寄って冷たいモンでも飲まへんか、ハル」
大鰐は椅子から立ち上がってニッと笑った。期末考査が近付き、絶望して半べそになっていた虎徹とは対照的に、本当に何も懸念していなかった。
「試験勉強はええんか? 中間、かなりヤバかったやろ」
「お前かて赤点あったやろ」
「あったけどお前よりマシや。お前は余裕こけるレベルちゃうで」
「分かった分かった。明日から本気出す。で、どこ寄る?」
「イヤ、俺ちょお今日用事あんねん」
幸島はフイッと顔を逸らし、スマートフォンをポケットに仕舞った。
大鰐は「はあ?」と眉根を寄せた。幸島は愛嬌のない顔に似合わず付き合いはよい。誘いを断られることは稀だった。
「昼までそんなこと言うてへんかったやんけ」
「急用や」
「ウソ吐け。俺を早よ家に帰して試験勉強させよ思てるやろ」
大鰐は幸島を人差し指でビシッと指差した。
「…………。俺はお前のおかんちゃうで」
自信満々に言うことか。何故、同い年の男の面倒を手厚くみねばならない。
幸島はハーッと盛大な溜息を吐いた。
§ § § § §
幸島と大鰐は、高校から距離のあるファーストフード店に辿り着いた。
幸島がガラスのドアを押し開いて中へ入り、大鰐はあとに続いた。
学校周辺にも同じチェーン店は存在する。無論、二人とも何度も行ったことがある。チェーン店だから店内の雰囲気も大差ない。下校の時間帯だから店内のテーブルの半分以上が学生で埋まり、談笑で賑やかだ。
大鰐は拍子抜けだった。幸島が珍しく急用だというからどれほどのものであろうかと少々期待したのに、わざわざ公共の交通機関を使ってまで結局はお馴染みの風景を見せられた。
「お前の急用はハンバーガー食うことか」
幸島は大鰐の不満を無視してキョロキョロと店内を見回した。
一人の女子高生が、イヤホンで音楽を聴きながらテーブルの上に置いたスマートフォンに目を落としていた。ふと顔を上げ、出入り口付近に立っている黒シャツを着た長身の男に気づいた。彼女はイヤホンを耳から外して椅子から立ち上がった。
「甲治くん」
幸島は女子高生のほうへ近づいた。彼女ははにかんで、久し振り、と挨拶を交わした。
大鰐はその横で女子高生をジーッと観察した。
明るめのブラウンに染めた髪の毛先を巻き、メイクはケバケバしくはないが抜かりない。目鼻立ちから推測するに、すっぴんになったら特徴のない顔立ちをしているのだろうなと、失礼なことを腹のなかで思った。
女子高生の視線が大鰐へと向いた。一人じゃないね、と言われて幸島は「ああ、スマン」と返した。電話では一人で行くと伝えていた。
「別にええよ。えーと、甲治くんの高校の友だち?」
彼女は少しだけ恥ずかしそうに大鰐に「はじめましてー」と挨拶をした。大鰐はいつもと変わらぬ表情で「ハジメマシテ」と返した。
初対面の相手であろうと遠慮する性格ではない彼は、女子高生を不躾に親指で指した。
「で? ハル。誰や」
「ハルぅ?」
「おぉ、ハルや」
大鰐にとっては当たり前のことだったから何とはない態度で答えた。
彼女は「ええ~」と驚いた声を上げた。
「甲治くん、アダ名で呼ばれてるんやー。中学のときはみんな苗字呼びやったから意外」
「中学ンときの知り合いか」
「ウチ、国府津さおりデス。中学三年のとき甲治くんと同じクラスやったんよ」
「俺は大鰐平や。今ハルと同じクラス」
国府津さおりは簡略な自己紹介を終えたあと、椅子の上に置いている自分の鞄に手を突っ込んだ。財布を手に持って通路へ一歩ピョンと飛びだした。
「ウチ、飲み物買うてくるよ。何がええ? ココまで呼び出したんウチやから、ウチがオゴる」
「イヤ、ええで」
「俺コーラ。ハルもコーラでええで」
幸島は断ったが、オマケであるはずの大鰐が堂々と答えた。流石は遠慮のない性格をしている。幸島の非難がましい視線も何のその。
「コーラ2つな。おっけ~」
国府津は財布を片手にレジのほうへ歩いて行った。
幸島と大鰐は、国府津の対面の椅子を並んで引いた。
「人には勉強せえ言うくせに自分は女と会うて、お前のほうが試験ナメとるやろ、ハル」
大鰐は椅子にドサッと腰かけてニタリと口の端を引き上げた。
幸島は、彼女との仲を下世話に勘繰られていると察した。元クラスメイトの異性から呼び出され、あわよくば的な思考で浮かれているとでも思われているのだろう。自分でもそう思われても仕方がない行動だと思うから、積極的に否定はしなかった。
「頼み事がある言われてシカトするわけにいけへん」
「どんな?」
「今から聞く」
「ハァッ⁉ それくらい電話で聞いとけや。何の為に廊下で長いこと電話しとったんや」
幸島は小馬鹿にした調子で放言されても反論しなかった。
大鰐は遠慮の無い性格ではあるが鈍感ではない。今日の幸島は、なんとなく妙な雰囲気だなと感知した。
「どした、ハル。いつもに増して無口やんけ。地下鉄使こてわざわざ会いに来た割りにはゼンゼンおもんなさそにしとるし。なに、アイツの前ではそーゆーキャラ?」
「……そーやな、来たくない気持ちも半分あったんかもしれんな」
幸島はテーブルの上に目線を落として独り言のように零した。故意か無意識か、思わせ振りな言い方をする。これもいつもの幸島とは異なる点だった。
大鰐は気には懸かったが今は追求しないことにした。「ちゅうか」と話題を切り替えた。
「ハルがあーゆー茶髪のギャルと仲がええイメージあれへんかったで」
「ギャルか、アレ」
「ギャルギャルしとるわけちゃうケド、ほかに何て言うたらええねん、あーゆー生き物」
「…………。昔は感じちゃうかったけどな」
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