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#26: Bitter enemies in the same boat
Lindenbaum 03
しおりを挟む大将戦が終了し、出場した選手たちは一礼をして親善試合を終えた。無論、担架で運び出された選手は除く。相模道場は5名全員が整列したが、2名を欠く宗家側は表情に苦々しさが滲んでいた。彼等はそれぞれの陣地へとゾロゾロと引き返していった。
虎宗はほかの者と離れて一人で攘之内のほうへ足を向けた。
攘之内の隣に統道の姿はすでになかった。
虎宗は腕組みをしている攘之内の前に立ち、スッと頭を下げた。
「すんまへん、師範。メチャクチャになってもうて。俺の責任です」
「オウ。せやな、お前の責任や」
攘之内は虎宗の陳謝をすんなりと受け容れた。
メチャクチャにした一端が自身の行いであれ、他者の行いであれ、この場での騒動は虎宗が負うべきだ。攘之内から全幅の信頼を得て託されたのだから。それは最早、虎宗と攘之内の間では殊更説明を要しない謝罪だった。
虎宗は自分にできることなら何でもして、全身全霊で以て、責任を果たして期待に応えたかった。結果だけを見れば、宗家に勝ち越したのだから虎宗は目的を遂げた。しかし、内容はそうはいかない。副将戦、大将戦と立て続けに審判に無理矢理制止されて終結した始末だ。ともすれば、親善試合そのものを立ち行かなくしてしまうところだった。だから虎宗は、己の愚行が罰されることを願った。
「今回はええ勉強になったな、師範代」
攘之内から掛けられた言葉は、寛大なものだった。叱責も懲罰も粛々と聞き入れるつもりだったのに。
「お前が宗家に対抗心燃やしとるのは知っとる。何が何でも勝ったろうと必死になるのは悪いことちゃう。せやけど、目的の為に目が眩んだらあかん。お前は人を指導し、人の上に立つ立場になる人間や。お前が指示して人を使うこともあるやろ。やからこそ、自分の後ろに、下に、いてる人間が一人の人間やっちゅうことを忘れたらあかん」
はい……、と虎宗は声を絞り出した。顔を上げないまま、グググと拳を握り締めた。言われたことの意味を噛み締めた。
この人は、何度しくじってもやり方を間違えても、決して見放さない。だからこそ、この人を失望させて裏切りたくはないと思った。この人に誇られる人間になりたい。
一方、残りの相模の門弟たちは、試合前に自分たちの荷物を置いたスペースに戻ってきた。
先鋒と次鋒を務めた渋撥の兄弟子たちは、はあー、と深い溜息を吐いた。
「今回も何とか無事終わったな」
「色々ドタバタしたけど宗家相手に連勝守れた。これで師範代のキゲンも一安心やで」
「退け」
兄弟子たちは背後から乱暴に放言され、反射的にサッと飛び退いて道を空けた。
渋撥が二人の間を割って突き進んだ。兄弟子たちは渋撥の横顔からその眼光を覗き、ゴクッと生唾を嚥下した。いまだ縊り殺しそうなほどギラギラしていた。
「な、何やねんアイツ。試合は終わったっちゅうのにピリピリしよって」
「自分は大将戦勝って俺等が二連敗したからてカンジ悪いな。誰の所為でドタバタしたと思てんねんアホー」
渋撥の後ろから歩いてきた大志朗が、彼等の背中をポンと叩いた。
「渋撥のヤツ、まだ切り替えられてへんのやろ」
「傍迷惑なヤツ……💧」
「早よ電源オフれ、アホー」
兄弟子たちは渋撥の後ろ姿に控えめな声でブーイングを浴びせた。大志朗はその些細な反抗をハハハと笑った。
禮が彼等の脇をスッと通り過ぎた。両手でプラスチック製のボックスを抱えて「ハッちゃんー」と渋撥の後ろ姿に追いついた。
渋撥は禮のほうを振り返った。禮が抱えるボックスはすぐに目についた。
「なに持ってんねん」
「救急箱。ハッちゃんけっこー殴られてたから、消毒したげよ思て」
俺たちもしこたま殴られたんですよ、と兄弟子たちは思ったが口に出さなかった。殴られたにしても最終的に勝ったか負けたかによって雲泥の差だ。お嬢に構われたいが故に敗北を宣言するのは男の矜持が許さなかった。
渋撥はフッと笑みを漏らした。其処にはもう先ほどの緊張感は無かった。禮の頭の上に手を置いてぐしぐしと撫で回した。
「お嬢にはソレかいッ」
「カーッ、現金なヤツ!」
禮と渋撥はベンチに腰掛けた。
禮は自分の横に置いた救急箱から消毒液を取り出した。コットンに吸わせて渋撥の傷口を押さえた。渋撥は顔色一つ変えなかった。
「ハッちゃん痛いとか染みるとか言わへんね」
「言わせたいんやろ。さっきから何遍も同じトコ消毒しよって」
禮の悪戯じみた所業は他愛もない。渋撥はわざとだと知って叱りもしなかった。
渋撥の視界に、大志朗がヒョイッと顔を出した。
「お前、試合中に禮ちゃんの話してたやろ。ええ女ややろが、とか咆えてなかったか?」
「オウ。あのボケが禮のこと好き勝手言いくさったさかいな。自分のオンナ、悪ゥ言われて放っとけるか。邪魔が入らへんかったら二度と喋られへんよに顎ブチ壊したったのに、クソッ」
「やるやんけ」
大志朗はビッと親指を立てた。今だけでも兄弟子として弟弟子の暴挙を諫めてほしいものだ。
禮はかーっと顔を赤くして俯き、消毒液を含ませたコットンを傷口にグリグリと押し付けた。
「ハッちゃん、焼肉とバイキングどっちがええ?」
禮は渋撥の傷の手当てを一通り終えたのち、そのようなことを尋ねた。
何の話だ、と渋撥は尋ね返した。
「試合終わったら、みんなでお疲れさま打ち上げ行く決まりやの。多数決で決めるから。ハッちゃんはどっちに行きたい?」
「焼肉」
渋撥が答えた直後「アホ」と罵られた。
「お嬢はデザートが食べられるバイキングのほうが好きなんや」
「たまに焼肉言うときもあるけどな」
兄弟子たちは二人とも得意気に渋撥に放言した。お嬢に忖度してその気分次第で決まるのならば、最初から多数決の意味などないだろう。
「焼肉」
「オマエ、頑固なアホやな」
渋撥は主張を曲げず、兄弟子たちは呆れ顔で嘆息を漏らした。
「ハッちゃんは甘いもの好きちゃうから」と禮は笑いながらベンチから立ち上がった。自分の希望が通らなかったからといって機嫌を損ねるほど幼くはない。
「ほな、お父はんに焼肉行こて言うてくるね」
渋撥は何を思ったか、いきなり禮の腕を捕まえて引っ張った。救急箱を持っていた禮は、バランスを崩して渋撥の太腿の上に尻餅をついた。
渋撥は禮を両腕に囲って抱き締めた。
「ハ、ハッちゃん!」と禮は慌てふためいた。
「いきなり公衆の面前で何してんねんコラッ」
「バイキングでええわ。折れたるさかいこれくらいええやろ」
「ええわけあるかッ」
禮は頬を赤くし、兄弟子たちはすぐさま批難した。しかし、渋撥は何食わぬ顔でぎゅ~っと禮を抱き締めた。
本能に忠実なヤツだ、と大志朗は惘れた。殴りたければ殴るし、女とくっつきたければくっつく。真似ができない即物的な行動だ。
渋撥が禮の抵抗をものともせず抱き締めて暫し、大志朗が「あ」と声を漏らした。兄弟子たちは大志朗の声で或る人物の気配に気づき、ギョッと顔色を変えた。
「渋撥ゥ~~ッ!💢💢💢」
憤怒の形相の仁王が名指しで現れた。否、背後に仁王を背負った攘之内だ。
攘之内が渋撥へ掴みかかり、禮は「ひいっ」と悲鳴を漏らした。
兄弟子たちは二人がかりで攘之内にしがみついた。渋撥に鉄拳制裁を喰らわせるのは大賛成だが、如何せん場所が問題だ。宗家の会館で、関係者たちが衆人環視の情況で、道場師範が門弟をボコボコにするなど体裁が悪い。
「俺の娘に何さらしてくれとんねん色ガキコラァッ!」
「師範! こ、ここではマズイです! どうか堪えてくださいッ」
「オマエもいつまでお嬢とくっついてんねん近江!」
虎宗は腕組みをして見守るだけ。
大志朗は愉快そうに口笛を吹いた。自分本位な渋撥が師範から鉄拳を喰らうのは願ったり叶ったりだ。
「ええ気味~♫」
「師範代、大志朗君! 見てないで手伝ってくれよッ」
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