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#22:Prinz-Prinzessin 王子姫
Der Prinz in geheime Garten. 01
しおりを挟む週末、羽後商会。
鶴榮の実家兼勤務先。学生時分からよく手伝いをしていたから業務内容はすでに身についている。従業員となった今では昼間の店番は鶴榮一人に任されることも多い。経営者である父親は、鶴榮がいるからと悠々自適に散歩やら博打やら遊び呆けている始末だ。
鶴榮は店内で若干の蒸し暑さを感じて店先まで出てきた。
天候は曇天。雨が降りきれず湿気をため込んでいるのだろうなと思った。不快度指数は高いが冷房を稼働させるほどの暑さではない気もする。
「暑いの~。クーラーいれるかどうするか」
鶴榮が腰に手を当ててさてどうしたものかと考えていると、店の前の道を知った顔が歩いている。
禮を真ん中にして、渋撥と美作が此方に近付いてきた。
三人は鶴榮の前で足を停めた。禮は、こんにちは、と愛想のよい笑顔、美作は鶴榮にペコッと会釈して挨拶した。
鶴榮は、自分の足で歩いている禮を見て内心安堵した。
「禮ちゃん、脚もう大丈夫なんか」
「うん」
「大丈夫ちゃう」
渋撥が素早く訂正した。禮の楽観主義と渋撥の過干渉。どちらも鶴榮のイメージ通りだ。
「飲み物買いに行くんやけど、鶴ちゃん何飲みたい?」
「来たばっかりでもう買い出しか? まー、ウチは水か麦茶くらいしかあれへんけど」
「鶴ちゃんに聞いてから行こ思て。鶴ちゃんが飲みたいもの買ってきたげたいから」
「禮ちゃんがええ子過ぎて眉間が痛い」
鶴榮は眉間を押さえて天を仰いだ。サングラス越しでも禮の笑顔がキラキラと眩しい。
美作はうんうんと頷いた。
禮と美作が近所のコンビニエンスストアに買い出しに行くことは三人のなかでは決まっていたことらしい。鶴榮から飲み物を聞き出した禮は、スムーズに渋撥ではなく美作にじゃあ行こうと声をかけた。
歩き出そうとした二人を、渋撥が呼び止めた。
「美作、禮から目ェ離すな。禮がキツそうやったらおぶるなり抱えるなりせえ。禮が戻ってきて少しでも脚が痛そうにしとったらドツき回す」
「ウソやよ! おぶったりせんでええからね、純ちゃん」
(イヤ、たぶん近江さんはガチで俺をドツき回す)
禮は慌てて否定したが、渋撥のこういう一面については美作のほうがよく知っている。渋撥は禮に対してだけは過剰に庇護欲を発揮する。そして、やると言ったらやる人物だ。
禮と美作はゆっくりとした足取りで店を離れた。鶴榮と渋撥は店内に入り、接客用のカウンターに就いた。鶴榮は先ほどまで座っていたカウンター内の椅子に戻り、渋撥はカウンターを挟んで鶴榮の正面の簡素な丸椅子に腰掛けた。
「よう、有名人」
いきなり鶴榮からそのような言葉をかけられた。
渋撥は煙草の箱を取り出そうとポケットに手を突っ込んだ体勢で一旦停止した。
「あ?」
「新聞読んだで。学校名やら出てへんでよかったな」
「ソレの所為で教師に呼び出された。禮も一緒に呼び出しくさって吊し上げや。俺のカワエエ禮が泣いてもーたらどうすんねん、カワイソーやろが。思い出したら腹立ってきたわ、クソッ」
「ああ、そりゃあ可哀想やな。禮ちゃんはお前とちごて怒鳴られ慣れてへんやろからな」
渋撥が雷を落とされたシーンは容易に想像できた。不本意ながら鶴榮も何度も似たようなシチュエーションを経験している。
鶴榮は渋撥のほうへ身体の側面を向け、足を組んでカウンターの上に頬杖を突いた。
「処分は? ついに退学喰らったか」
「禮のお陰でギリセーフや」
「禮ちゃんのお陰か。そらカッコつけへんな」
鶴榮が肩を揺すってカカッと笑った。
渋撥はチッと舌打ちした。ポケットから手の平にすっぽり収まる小箱を取り出して煙草を一本引き抜いた。煙草を唇に挟んでライターで先端に火を灯した。煙を一度深く吸い込み、箱とライターをポケットに仕舞った。細長い紫煙がのろのろと立ち上り、天井に到達する前に霧散した。
――切り出しにくい話題でもあるんか。
鶴榮はピンときた。渋撥は饒舌にお喋りを楽しむタイプではないし、沈黙も苦にならない鈍感な男だ。しかしながら、付き合いが長いが故に何となくいつもとは異なる雰囲気を察知した。
「今日は何しに来た。美作まで一緒に」
「アイツは勝手についてきただけや」
「折角の休みの日や、カップルで過ごせや。ワシなんか休みでもヨルと遊びに行けるの珍しいで。平日休みやさかい学生となかなか予定が合わへんのはしゃーないけどなー」
「お前、禮の親父さんのとこ行ったやろ」
鶴榮ははたりと口を停めた。何も応えず、指先で眉の辺りをカリカリと掻いた。渋撥が禮の父親を訪れることも、自分の行動が渋撥知られることも想定の範囲内であり、こうして対顔することも当然の展開。それでも気恥ずかしさは残るから、眉間に皺が寄ってしまう。
「お前の頭、そんな安ゥあれへんやろ」
鶴榮は椅子を後ろに引いてずるずると上半身を倒し、カウンターの上に突っ伏すようにして口許を隠した。口許がむず痒くて緩んでしまいそうだった。
「覚えあれへんけどなー……」
「そうか、覚えてへんか」
渋撥は深追いしなかった。これ以上事実を詳らかにすることは二人とも望まない。何をしようとしたか、何を言おうとしたかが伝われば充分。改まって礼を言うのも言われるのも、お互いに不慣れだ。
「あ。ワシはぜんぜん覚えあれへんけど、美作はごっつ下げてたな。水飲み九官鳥かっちゅうくらいペコペコしとったで。アイツに礼言うたったらどうや」
「美作はええやろ」
「まあええか」
鶴榮はカウンターに突っ伏したままクククッと肩を揺すった。
「なァ、鶴ゥ。昔言うたこと、覚えとるか」
「例えば? 自分でも覚えてられへんほどお前にはぎょうさん文句言うた。お前はよう言い返しもせえへんけど、半分もマトモに聞いてへんやろ」
「…………。そうやな。お前には昔からぎょうさん言われてたわ」
――「俺もお前も所詮はバケモンなんや」
昔、いつどのシーンかも憶えていない昔、渋撥が鶴榮から言われた台詞。鶴榮は、渋撥が真にはその重要性を理解していないことを分かっていたのだろう。何度かそのフレーズを言い聞かせた。
物心付いた頃から辟易するほど長い時間を共に過ごし、善いことも悪いことも引っくるめてウンザリするほど行動を共にした。血脈こそ繋がっていないが、血よりも濃い絆で繋がった兄弟であり半身。同じ宿業を背負った唯一無二の同胞。
一つ異なっていたのは、鶴榮は渋撥よりもずっと聡かった。鶴榮は並外れた自身の力についても、それが何を齎すかも、大凡予見していた。渋撥は力があるということしか、他者とは異なるのだということしか、認識していなかった。
大切なものを損なってようやく気付いた。過ぎたる力は忌まれ、災禍を齎す。己の〝力〟と性とを御すことができなければ、この世でたった一人、共にいてくれる女を不幸にする。最早手放してやることもできないのに、煉獄へと道連れだ。
鶴榮は上半身を引き起こしてカウンターの上に頬杖を突いた。
「で、その派手なツラは禮ちゃんの親父さんにやられたか?」
「ジャリトラにやられた」
「兄貴のほうか」
「ハッカにもシバかれた」
「あっはは」
校内では逆らう者のない暴君が好き放題殴られるシーンを想像すると可笑しかった。
「撥と禮ちゃんの親同士が昔馴染みで、それと知らず付き合っとったっちゅうンは、運命なんかのォ」
鶴榮と渋撥は兄弟のような仲。渋撥と禮との交際開始から間もなく、母親に半ば無理矢理連れられて禮の実家を訪問した件は勿論既知だった。
「何が運命や。アホらしい」
「そんなモンでもないと、禮ちゃんみたいな子が撥を好きになってくれる説明つけへんやろ。お前、マトモちゃうねんから」
鶴榮が渋撥の顔面の中央辺りを指差した。渋撥はブスッと口を噤んだ。
「ワシは結構前からそういうこともあるんちゃうか思てたで。お前はニブイさかい何も思わへんかったやろけどな」
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