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第3話 蓄積されたエラー
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分厚い雲が空を覆っていた。
「降水確率は80%、外出時には傘を持参しましょう」
僕が何気なく窓の外を見ていると、まるで心の内側を覗くみたいに真衣は検索したデータを発した。
「外出されるんですか?」
「……今日の朝、洋孝からメールがあってさ。合コンに誘われたんだ。参加者のひとりが体調壊したらしくて、その人数合わせに僕が呼ばれたんだ。来なくても全然いいって言ってる」
「そうだったんですか」
まるで僕の胸を針で突き刺すみたいな痛みが広がった。罪悪感なんて感じる必要がないはずなのに、息が詰まった。
「真衣は、どう思う」
こんな事を聞くのは最低だと僕は自分を呪った。
でも彼女は、努めて冷静に、
「行ってください。大地様」
僕の望みとは逆の言葉を吐いた。
胸が苦しかった。僕はせめて救いを求めるように彼女のいつでも冷静な美しき双眸を覗き見た。
彼女は、刹那の揺らぎを滲ませながら目を逸らした。
「行って、ください……」
□■□
真衣は、彼の外出を見送った。いつも大学に送り出す時と同じく、丁寧にお辞儀をする。でもその日は彼女にとって特別だった。彼の背中いつになく遠く思えて、自然と手を指し伸ばしていた。ふと我に返った真衣はすぐにその手を引っ込める。
「どうしたんですか、私は……」
これでいいはずだった。主の幸せこそ、私の幸せのはずだった。それなのに、いつから彼を独占したい、自分だけの物にしたいと思うようになったのか。
機械部の故障はない、定期的なメンテナンスも怠らず、充電も入念に行っている。それなのに、ここに来た時には無かった得体の知れない異常が体内に蓄積されていくのが分かった。元々真衣は次世代型ハウスキーパーのプロトタイプとして製造された。故にバグを残している可能性も有り得たはずだった。
しかしこれは、想定にない異常、異常、異常。
真衣は顔を顰めながら廊下で崩れ落ちる。
空気を貪るように息を吸い、呼吸を整える。
勿論それが、機械である真衣に意味のない行動と知っていた。
「私は、単なるAI。だから私、は……」
□■□
僕は会場にやって来ていた。料理を食べながら、皆はわいわいと盛り上がった。ご飯を食べている時もまるで箸が進まなかったが、無理矢理喉に食事を押し込んだ。
流れるように二次会が始まった。
カラオケでオールするという大学生らしい行事だ。
僕もこれまで何回も経験した事ある。楽しかった経験もある。でも今日の僕は聞こえてくる音楽が全てノイズのように息苦しくて、唇を噛んだ。
「本当に来て大丈夫だったのか」
ようやく話す機会が得られたと、洋孝は隅の席で座る僕に話しかけた。唯一この中で事情を知る彼は僕を気遣ってくれていた。勿論、僕の胸中に渦巻く葛藤も察していただろう。
「俺も迷ってたんだ。悪い、誘わなけりゃ良かった」
「違うんだ、洋孝は悪くない。それに、真衣だって。『行ってきてください』って僕を送り出してくれた。だから……」
「ふざけんな、大地!」
彼は引け目を感じていた。だからここまで親切にしてくれているのかもしれない。僕はその好意に縋ってしまっていた。
「そんなの、あの子が強がってるだけだろうが!」
僕はハッとした。僕は彼女の事を今までAIだ、ただの機械だって自分に言い訳をして来た。だから今日ここに来た。
でも、普通の女の子だったら……どう思うかなんて、火を見るより明らかだった。
「早く行け。一人寂しく家で待ってるんだろっ」
「で、でも……」
「皆には俺から伝えておくから。急げ、大地!」
僕はすっかり冷えた夜の街を走った。
雨が降っていた。傘を忘れた。
雨に打たれて身体がひんやりと濡れていく。
彼に急かされたおかげで自然と足が早まった。
息が乱れるのをお構いなしに、僕は猛然と足を走らせて帰路につく。時刻は既に十二時を過ぎていた。
「……はぁ、はぁ。ただいま、真衣っ!」
いつもは出迎えてくれる彼女が今日はいない。
さっと背筋が冷えるような悪寒が走った。
いなくなった。
そんな最悪の未来を想像して、転がりそうになりながら玄関を上がった。部屋の明かりが全部消えていて真っ暗だ。物音一つしない幽さは、一人暮らしの頃と同じだった。
昔は当たり前だった静けさが今の僕には物足らない。失って初めて気付く温かみは、昨日まで僕の傍にあったんだ。
「真衣っ!」
僕は家の中で彼女を見つけた。
でも、僕は嬉しさを通り越して心臓を鷲掴みにされるような恐怖に襲われた。真衣が廊下で倒れていた。
「そ、そんな……!」
僕はその瞬間に頭の中で様々な思考が過った。
真衣を普通の病院が見てくれるはずがない。
それに、完全に情報を秘匿されたバイトであり、僕には守秘義務が発生している。無論、自然とバレる分に問題は無いが、進んで公表する事は禁じられていた。
その内容、そして緊急事態《イレギュラー》の発生については、全て最初に送られてきたダンボールの中にある"指令書"に書かれていた。初日以降、部屋の隅に捨て置いていたそれを僕は改めて読んだ。
『万が一、損傷及び異常が見受けられた際には』
その先を読む。
『途中でバイトを終了し───』
ダダダダ……家の近くで大勢の人が押し寄せる気配がした。
『商品は即時回収するものとする』
ガチャン。家のドアが開けられた。
玄関には、白衣を着た男達が何人も立っている。
「な、何ですか貴方達は……!?」
「我々は、その娘を回収しに来た」
「AHS社の人ですかっ、この子を……真衣を治して下さい」
「我々が今後行うのは、彼女に蓄積された異常の内容を明らかにし、その後製品版に向けて修正するだけ。則ち彼女の修復は業務内容に含まれていない」
僕は唖然としてただ立ち尽くした。
僕の視界の横で、横たわる彼女を"撤去"していく。
「ぁ……ぁああ!」
これ程呆気ない結末。まだ一月と経っていないのに。
こみ上がる嗚咽の塊を、喉で押し潰す。されど押し寄せた感情の波に飲み込まれて、ぼくは静かに慟哭した。
「大地、様……」
真衣の声が聞こえた。僕はハッと顔を上げる。男達に拘束されながらも、苦し紛れの笑顔でこう、口にした。
「ありが、とう……っ」
今日、僕は彼女とお別れをする。そんな冷たい現実が水のように隙間から侵入してきて、嗚咽を漏らした。
でも認めなければならない。僕と彼女はどこまで行っても、一ヶ月というほんの短い期間しか居られなかったのだから。最後の思い出を涙で濡らす訳にはいかなかった。
僕は、今まで隠してきた感情を思い切り叫んだ。
「僕はっ、真衣の事が好きだァァァァァっ!!」
訝しむような視線を彼らから送られる。それでも構わない、たとえ彼女が機械でも僕が彼女を思う気持ちは紛れもなく本物なのだから。
「嬉しい……ですっ」
彼女は───真衣は僕の言葉に応えた。
あるはずのない涙で、瞳を潤ませながら、
「私も……貴方の事が、大好きですっ」
と。
体の奥が瑞々しく震えた。
これで僕と真衣は、両想いだ。
だからもう十分だ、僕は幸せだ。
これは一時の夢を見ていただけ、そう思う事にしよう。
「ありがとう、真衣」
「うん……さよなら、大地っ」
彼女は敬語を辞め、様付けを辞めた。この瞬間に、洋孝が言われた意味を正確に理解して、僕にあらん限りの愛を込めた。
涙で前が見れないや。
僕は鼻を啜りながら後ろを向いた。
またね、真衣。またいつか、君に会える事を祈って。
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