夢幻の魔女

緋色

文字の大きさ
上 下
48 / 62
第三幕 乙女の祈り

第四十六話 乙女の恋心

しおりを挟む

 美しく、壮観な景色を脳裏に焼き付けたセルティアは誰にも気づかれないように小さく嘆息した。
 花の大地が蘇った。それはとても素晴らしく、喜ばしいことだ。
 現に、花と風の精霊は歓喜をあらわにし、歌声を響かせ、至るところで自由に踊っている。
 それを見ていると微笑ましくなり、誰もが笑みを浮かべているのだ。
 そんな中に水を差すようなことをしたくない。セルティアの複雑な思いを他に悟られるわけにもいかず、そっと心の奥底へとしまった。

「とってもきれい! すごいね、セルティアちゃん!」
「……そうね。本当に、綺麗だわ」

 リーファは驚きを隠しもせず、また無邪気に笑いながら周囲を見渡している。
 それに苦笑していると、セルティアの周りの風の精霊が集まり何事かを囁いては離れていった。風の精霊の報せに目を細めて、フローラの方へ目を向ける。
 立役者である二人も初めてみる光景と、大地が蘇ったことに対する喜びに笑みをこぼす。そこに疲れの色が少し見えるのは仕方がないだろう。

「大丈夫ですか? フローラ様?」
「貴方がいたから平気よ」

 よろめくフローラを支えたエルが心配そうに声をかければ、彼女は気丈に振る舞う。そして同じように近づく花の精霊に微笑みを向ける。

「これが、花の大地……よかった。精霊たちあのこたちも嬉しそう」
「流石ですね、フローラ様。二人ともお疲れ様です」

 ゆっくりとした足取りで近づいたセルティアは 労りながら声をかけ、二人は振り返る。
 その表情がなせが寂しげに見えたのでエルは内心首をかしげるのだが、瞬く間にそれは払拭された。

「フローラ様、お迎えが来ています」
「え?」

 目を見開いて訝しげにする二人に、当然だろう、と思う。
 セルティアとしてはもう少しこの地に留まって、艶やかな景色に浸っていたい気もするのだが、そうも言っていられない状況になってしまったのだ。

(あまり待たせると何を言われるか……)

 黙ってため息をつく魔女の姿に、騎士と乙女は顔を見合わせる。困惑しているのが分かり、セルティアは気を取り直して笑顔を作り、促した。

「戻りましょう。元の世界に」

 ここは、聖域。花と風の精霊が愛し、過ごす場所。本来は人がいるべき世界ではない。役目を果たした者は、ただ元の世界へ、人が住む世界に戻るだけだ。
 それが分かっているだけに、フローラも駄々をこねることなく、ただ寂しげに頷いたのだった。



 花の精霊の許しと、風の精霊の導きにより、五人は光に包まれると一瞬で元の大地に立っていた。
 目にするのは彩られた花ではない。しかし少し前の緑だけの景色ではなく、白と黄色の花が緑に混じり咲いていた。
 これは農業都市周辺のこの時期見慣れた景色である。

「こっちも元に戻っているみたいね……」

 いきなり満開とまではいかないまでも、確実に影響は出ているようでひと安心する。

「げっ」

 セルティアが胸を撫で下ろしたところで、背後から蛙の鳴くような声が聞こえて、目を向けると、イグールの顔があからさまに歪んでいた。

「……なんで、お前がいるんだよ」
「あら、氷崩。よくここがわかったわね?」

 振り返れば氷崩の魔導士こと、クライが背筋を伸ばし立っていた。イグールには一瞥しただけで、セルティアの問に簡潔に答える。

「精霊に伝えたのは私だ。当然だろ?」
「それもそうね」

 セルティアは風の精霊から伝言を授かった。その主はクライからだ。ぬかりのない性格であるクライが戻る場所を指定しないはずがない。

「クライ! 貴方どうしてここに?」

 クライの登場を冷静に受け止めていたのはセルティアだけで、他は其々少なからず驚きを表している。特にフローラは目を見開き、口元に手を当てて驚いていた。

「フローラ様、お迎えに参りました」
「どういうこと?」
「貴女は今、農業都市にお忍びで視察に向かわれていることになっています」

 その説明に心当たりのないフローラは首を傾げる。彼女は黙って乙女の宮を抜け出してきたのだ。決して視察に来ているわけではない。
 その言葉の裏に隠された意図を悟ったセルティアは淡泊に頷き、リーファに問いかける。

「流石にバレたのね。フローラ様がいなくなってどれぐらい経つの?」
「今日で六日目、かな……?」
「そんなに経つの……なんというか、よく騒ぎにならなかったわね」

 予想よりも長い期間で驚きを通り越して呆れが混ざる。精霊の力が影響して本人も時間の感覚が失われていたのだろう。フローラ自身も驚きを隠せないでいた。それと同時にセルティアにはクライの言動も最善だと理解できる。
 一日、二日なら体調不良で姿が見えなくても誤魔化せる。ただ三日目、四日目となると深刻化を予想され見舞いが訪れるようになる。それを断っていると怪しまれてしまうので、少し離れた隣の都市に視察に出ていることにしたのだろう。これなら数日姿が見えなくとも怪しまれないし、何よりお忍びというこならば公にされていなくてもなんとか納得してもらえる。

(花の乙女なら農業都市プランタと縁深いから、視察に向かっても可笑しくないわね)

 花の乙女は花や木といった植物の育みを祈り促すことが多い。大国の食糧庫である農業都市プランタと関わり深くとも不思議はない。
 全て用意されていたかのような状況にセルティアはいくつかクライに対する嫌味が浮かんできた。しかしクライの冷たい眼差しがリーファに向けられたことで一先ず嫌味を飲み下す。

「情けない。仮にも二つ名を持つ魔女が護衛につきながらこんな事態を招くことになってしまうとは」
「……なによ、煩いわね」
「お前は二つ名を持つ自覚が足りてないんだ」
「あんたに、……冷血男クライにそんなこと言われる筋合いないわ!」
「言ってもわからないだろ」
「なんですって!」

 二つの眼差しが互いに睨み合い、険悪な雰囲気を醸し出す。それはリーファとイグールの比ではない。特に感情の伺えないクライに対し、リーファからは嫌悪と屈辱の思いが見て取れる。

「ちょっと二人とも!」

 堪らず止めに入ったのはセルティアで、リーファは咄嗟に彼女の背後へと隠れた。それにまたクライは侮蔑の眼差しを送る。

「ふん。情けない」
「あのね、氷崩。あなたもそれぐらいにしたらどう?」
「そうやって夢幻おまえが甘やかすのも問題なんだ」
「甘やかしているつもりはないわ。でも、あなたの態度にも問題があるのよ。言いたい事もあるでしょうけど、あなたがこれ以上を何も言わないのなら、わたしもあなたに言うはずだった嫌味を口にしないでおくわ」

 もう少しで吐き出しそうだったいくつかの嫌味をなかったことにし、セルティアの瞳がクライの瞳を捉える。

「……いいだろ。好きにするといい」

 顔を背けたクライの姿にセルティアは浅く息を吐く。そして背後で顔を俯かせているリーファの頭を撫でて優しく微笑んだ。

「大丈夫よ、リーファ。あなたはあなたらしく、あなたのペースで答えをみつけていけばいいわ」
「……セルティアちゃん。ありがとう」

 この幼い魔女にも本人にしか理解できな葛藤があることをセルティアは知っている。急かすことも大事かもしれないが、納得のいく答えを自分自身で見つけることも大切なのだ。それは決して今回の件だけの問題ではない。

(……どうしてみんな、揃って酷なのかしら)

 自分と他者は別だということを分かっているはずなのに、クライにしろイグールにしろ実際に分けることができないらしい。魔術師の未来を思うとセルティアは深い溜息をつかずにはいられなかった。

「では、フローラ様。馬車の用意が出来ています。こちらへどうぞ」
「クライ……わかったわ」

 フローラは落ち込んでいるであろう少女を横目で確認しながらも逆らうことなくクライの元に行く。ただそこで一言、声をかけることを忘れない。

「リーファ、戻りましょう」

 はっと顔を上げた少女の瞳に映ったのは手を差し出すフローラの姿だった。

「フローラ様……」
「貴女は私の護衛でしょ? 一緒に戻らなくてわ。そうよね、クライ?」

 微笑みを浮かべたままクライを見つめれば、無表情の魔導士が微かに笑った。その笑みが心なしか柔らかく感じたので、セルティアとイグールは息を飲む。さらにはフローラの頬がほんのり色づくのをセルティアは見逃さなかった。

(え、どういうこと……?)

 混乱しかけた頭で咄嗟にエルの方を見つめる。しかし彼の方は特別何か反応を示すことはない。ただセルティアの視線を受けて、不思議そうな顔をしただけだ。

「もちろん、フローラ様は私と、貴女の護衛と共に帰ります」
「やっぱりね。そうだと思ったのよ。貴方が婚約者であることを誇りに思うわ」
「まだ候補の一人です」
「あら、私の中では確定事項よ」

 そんな二人の会話に驚いたのはなぜかセルティアとイグールの二人だけだ。

「ちょ、ちょっとどういうこと? 氷崩はいつからフローラ様の婚約者になったのかしら? 初耳だわ」
「俺だって初耳だぞ!」

 決して短い付き合いではない。良好かと聞かれれば是と言いかねるが、流石に知名度の高い氷崩の魔導士が乙女と婚約しているとなれば情報が入って来ないはずがない。しかし二人とっては初耳のことであり、そもそもエルとの関係はどうなのかさえ定かになっていないというのに。

「聞いてなかったのか、候補・・だ。まだ正式なものではない」
「まあ私の中ではクライしかいないと思っているけどね。どこかの誰かさんが、足蹴りにしたから、話がややこしくなってしまったのよ」

 そう言ってフローラが意味ありげにエルを見る。だがエルは素知らぬ顔だ。気にも留められていないとわかると、彼女は面白くなさそうに顔を背け拗ねたように口先を尖らした。

「まあ、私だって年下なんて御免だったから丁度よかったけどね!」
「そうですか。それはよかった。俺はいつだってフローラ様の幸せを願ってますよ」
「そーですか。なら帰ったらそう伝えておきます。さようなら。貴方もお幸せに。さあ、行きましょう! クライ、リーファ!」

 苛立たしげに立ち去るフローラの後を追ってクライは黙って従い、リーファは軽く手を振ってから小走りについて行く。
 ただエルだけが爽やかな笑顔で手を振るので、残された魔術師二人は今一状況を飲み込めずにいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完結】真実の愛とやらに目覚めてしまった王太子のその後

綾森れん
恋愛
レオノーラ・ドゥランテ侯爵令嬢は夜会にて婚約者の王太子から、 「真実の愛に目覚めた」 と衝撃の告白をされる。 王太子の愛のお相手は男爵令嬢パミーナ。 婚約は破棄され、レオノーラは王太子の弟である公爵との婚約が決まる。 一方、今まで男爵令嬢としての教育しか受けていなかったパミーナには急遽、王妃教育がほどこされるが全く進まない。 文句ばかり言うわがままなパミーナに、王宮の人々は愛想を尽かす。 そんな中「真実の愛」で結ばれた王太子だけが愛する妃パミーナの面倒を見るが、それは不幸の始まりだった。 周囲の忠告を聞かず「真実の愛」とやらを貫いた王太子の末路とは?

処理中です...