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第三幕 乙女の祈り
第三十二話 旅の合間
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王都南地区から農業都市『プランタ』に続く道のりは今のところ難なく進んでいた。
都市間には整備された大きな街道が続いているので然程心配することもないのだが、稀にならず者や魔物と出くわすこともある。
しかしこの馬車は騎士隊所有のもの。馬車自体に魔物除けが施されており、騎士隊のエンブレムが描かれたところに好んで襲いかかるならず者もいない。
そんなわけで、割かし旅の始まりは平和で、むしろ時間をもて余すぐらいである。
「そう言えば、花ってなんのこと?」
出発前の会話を思い出したセルティアはふと、何気なく訊ねた。どういう経緯か知れないが、エルは建前上、王国騎士団から『農業都市周辺の調査』という指令が下されていることになっている。そこに含まれるのはセルティアやイグールと同じ『花の大地』の異変調査なのだが、それは公にされていない。しかし言わば公務だ。『花の大地』が伏せられている以上、調査に花が関係してくるとは思えない。
恐らく何かの比喩だろうと推測するが、何かは判断出来ない。しかしエルの表情から察するに言いにくいことなのだろう。
「……えっと、本当に贈り物にする花を探しに行くわけじゃないわよね?」
「もちろん……」
「なら、いいわ」
ハレイヤの言葉がどこか気になり、念のための確認をした。だが危惧するようなことではなかったので追及するのを止した。本当に必要な情報ならエルは自らセルティアに話すだろう。それが言えないということは、それなりの理由があるのだ。
「なんだよ、夢幻のやきもちか?」
「……違うわよ。馬鹿な発言は止してくれる? ねえ、紅蓮?」
お互いに笑ったまま睨み合うという器用なことをしている。
(この二人って仲が悪いのか……?)
エルは昨日の二人のやりとりを見たときから感じていたことだが、あまり良好なようには見えない。イグールとクライもそうだ。クライとセルティアは微妙なところだろうか。
それに加えもう一つ気になることがあり、思いきって訊ねることにした。
「……なあ、なんで二つ名で呼び合うんだ?」
それは素朴な疑問でもある。ここにいるセルティアとイグールも、ここにいないクライもお互いを決して名前では呼ばない。魔術師でないエルからすると、なにか不自然なように感じてしまう。
「それは……わたし達にとって二つ名がその人なりを表しているからよ」
「二つ名は簡単に手に入るものじゃない。それなりの理由がある。その名を、俺たちは誇りに思っている」
二つ名で呼ぶのは相手をその名の持ち主として認めているから。それをお互いに理解している者同士は名前でなく二つ名で呼び合うのだ。これは相性の問題ではなく、個人の認識の問題である。
「もちろん、状況には合わせるわよ」
正体を隠しているときに口にすることは流石にない。特にセルティアは夢幻の魔女ということを周囲に隠しているので、見知らぬ人の前では呼ばせないように気をつけている。
「へー、なるほど」
「ただし、お前は俺のことをイグール様と呼べよ」
そう言ってふんぞり返る男にセルティアは冷めた眼差しを送って付け足しておく。
「馬鹿でいいわよ」
そんなやりとりの結果、エルはイグールと呼ぶことにした。
特別だぞ、とか何故か偉そうに笑って言うイグールにどこか愛嬌を感じる。
何かと鬱陶しいぐらいにエルに突っかかってくるので、関わりたくないと思わなくもない。しかしそれ以外は裏表のない性格なのか、案外上手く付き合えそうだと、思い直すことが出来るぐらいの時間は移動中にあった。
「まあ、しばらくすることはないわ。ゆっくりしましょう」
「……そう言ってお茶を飲んでる夢幻が凄いよ」
いつの間にか、どこからかティーセットを用意し、優雅にしているセルティアを男二人は呆れたように見る。
確かにそろそろお茶時だ。
「あら、あなた達にも用意しましょうか?」
そう言って日課となるティータイムを過ごすセルティアは、そもそも普段となんら変わらない格好をしている。ふんわりとした朱色のワンピースには裾にレースが飾られ、長い漆黒の髪は同色のリボンで一つに纏められている。足元は編み上げのブーツを履き、街中を歩く姿と変わらない。
旅をする姿ではない。そしてセルティアには旅をする感覚でもない。
ちょっと用事で隣街に行くぐらいの気持ちだ。なぜなら彼女は旅とはもっと過酷で帰ることが出来ないものだと知っているから。
だかエルも似たようなもので、公務という理由があるからか、騎士隊の白い制服を着崩して身に着けているに過ぎない。つまりこちらも普段となにも変わらない。
「クッキーも焼いてきたの。いかがかしら?」
こうして馬車の中でお茶会の準備は整う。今出来ることは何もないので、のんびりするのもいいだろう。
セルティアが焼いたクッキーはとても美味しく、誰も文句を言うことはない。エルに至っては上機嫌となり、それにイグールはさらに呆れる。
かといってイグールは次に昼寝を始めるので、馬車の中には緊張感の欠片もない。
そう、旅は至って順調なのだった。
◆
「……こんなことって……」
かつてはあらゆる花が色鮮やかに大地を埋め尽くしていたはずで、花の精と風の精の歌声が木霊し、光の粒子が輝きを添えていたという大地。
しかし今はなにも咲かない、生命が枯れた荒野が広がる。聴こえるのは花の精の嘆きの声と、風の精の哀しみの声だけだ。
「どうして、こんなことに……」
花の精に格別愛された乙女――フローラはその表情を曇らせる。夕陽をそのまま切り取ったよな輝きを持つ長い髪と切れ長の瞳に、長い手足、細い腰、すらりと高い伸長。その美貌は花の精に愛されるのに相応しい。
普段は目鼻立ちがくっきりとした顔に明るい笑顔があるのだが、今は花と風の精の心に同調し、伏せてしまっている。
(どうすればいいの……)
他でもない花と風の精に救いを求められれば動かずにはいられない。何度も囁かれる声に、想いが募り、夢中でその先を辿った。気がつけば王城を抜け出し、見知らぬ大地に足を踏み入れていた。
どうやってここまでたどり着いたのかは分からない。
王都からかなりの距離を進んだはずなのに、その間の記憶がぽっかりと抜けてしまっている。
きっと思い詰めた精霊に惑わされてしまったのだろう。
それでも花の精の報せと風の精の案内でここが『花の大地』と呼ばれていた場所だということは理解できた。
その面影はどこにもないが、確かにここだと精霊達は伝える。
(わからない……でも)
救ってあげたい。その為にここまで来たのだから。応えてあげたい。その声に。
決意を固め、顔を上げる。
「私が、必ず」
これは花の乙女と呼ばれる者の使命だ。だからまずは祈ろう。この大地が蘇るように。そして探そう。かつての大地を取り戻す術を。
きつく手を握りしめ、大地に佇むフローラの髪を、乾いた風がそっと靡かせた。
都市間には整備された大きな街道が続いているので然程心配することもないのだが、稀にならず者や魔物と出くわすこともある。
しかしこの馬車は騎士隊所有のもの。馬車自体に魔物除けが施されており、騎士隊のエンブレムが描かれたところに好んで襲いかかるならず者もいない。
そんなわけで、割かし旅の始まりは平和で、むしろ時間をもて余すぐらいである。
「そう言えば、花ってなんのこと?」
出発前の会話を思い出したセルティアはふと、何気なく訊ねた。どういう経緯か知れないが、エルは建前上、王国騎士団から『農業都市周辺の調査』という指令が下されていることになっている。そこに含まれるのはセルティアやイグールと同じ『花の大地』の異変調査なのだが、それは公にされていない。しかし言わば公務だ。『花の大地』が伏せられている以上、調査に花が関係してくるとは思えない。
恐らく何かの比喩だろうと推測するが、何かは判断出来ない。しかしエルの表情から察するに言いにくいことなのだろう。
「……えっと、本当に贈り物にする花を探しに行くわけじゃないわよね?」
「もちろん……」
「なら、いいわ」
ハレイヤの言葉がどこか気になり、念のための確認をした。だが危惧するようなことではなかったので追及するのを止した。本当に必要な情報ならエルは自らセルティアに話すだろう。それが言えないということは、それなりの理由があるのだ。
「なんだよ、夢幻のやきもちか?」
「……違うわよ。馬鹿な発言は止してくれる? ねえ、紅蓮?」
お互いに笑ったまま睨み合うという器用なことをしている。
(この二人って仲が悪いのか……?)
エルは昨日の二人のやりとりを見たときから感じていたことだが、あまり良好なようには見えない。イグールとクライもそうだ。クライとセルティアは微妙なところだろうか。
それに加えもう一つ気になることがあり、思いきって訊ねることにした。
「……なあ、なんで二つ名で呼び合うんだ?」
それは素朴な疑問でもある。ここにいるセルティアとイグールも、ここにいないクライもお互いを決して名前では呼ばない。魔術師でないエルからすると、なにか不自然なように感じてしまう。
「それは……わたし達にとって二つ名がその人なりを表しているからよ」
「二つ名は簡単に手に入るものじゃない。それなりの理由がある。その名を、俺たちは誇りに思っている」
二つ名で呼ぶのは相手をその名の持ち主として認めているから。それをお互いに理解している者同士は名前でなく二つ名で呼び合うのだ。これは相性の問題ではなく、個人の認識の問題である。
「もちろん、状況には合わせるわよ」
正体を隠しているときに口にすることは流石にない。特にセルティアは夢幻の魔女ということを周囲に隠しているので、見知らぬ人の前では呼ばせないように気をつけている。
「へー、なるほど」
「ただし、お前は俺のことをイグール様と呼べよ」
そう言ってふんぞり返る男にセルティアは冷めた眼差しを送って付け足しておく。
「馬鹿でいいわよ」
そんなやりとりの結果、エルはイグールと呼ぶことにした。
特別だぞ、とか何故か偉そうに笑って言うイグールにどこか愛嬌を感じる。
何かと鬱陶しいぐらいにエルに突っかかってくるので、関わりたくないと思わなくもない。しかしそれ以外は裏表のない性格なのか、案外上手く付き合えそうだと、思い直すことが出来るぐらいの時間は移動中にあった。
「まあ、しばらくすることはないわ。ゆっくりしましょう」
「……そう言ってお茶を飲んでる夢幻が凄いよ」
いつの間にか、どこからかティーセットを用意し、優雅にしているセルティアを男二人は呆れたように見る。
確かにそろそろお茶時だ。
「あら、あなた達にも用意しましょうか?」
そう言って日課となるティータイムを過ごすセルティアは、そもそも普段となんら変わらない格好をしている。ふんわりとした朱色のワンピースには裾にレースが飾られ、長い漆黒の髪は同色のリボンで一つに纏められている。足元は編み上げのブーツを履き、街中を歩く姿と変わらない。
旅をする姿ではない。そしてセルティアには旅をする感覚でもない。
ちょっと用事で隣街に行くぐらいの気持ちだ。なぜなら彼女は旅とはもっと過酷で帰ることが出来ないものだと知っているから。
だかエルも似たようなもので、公務という理由があるからか、騎士隊の白い制服を着崩して身に着けているに過ぎない。つまりこちらも普段となにも変わらない。
「クッキーも焼いてきたの。いかがかしら?」
こうして馬車の中でお茶会の準備は整う。今出来ることは何もないので、のんびりするのもいいだろう。
セルティアが焼いたクッキーはとても美味しく、誰も文句を言うことはない。エルに至っては上機嫌となり、それにイグールはさらに呆れる。
かといってイグールは次に昼寝を始めるので、馬車の中には緊張感の欠片もない。
そう、旅は至って順調なのだった。
◆
「……こんなことって……」
かつてはあらゆる花が色鮮やかに大地を埋め尽くしていたはずで、花の精と風の精の歌声が木霊し、光の粒子が輝きを添えていたという大地。
しかし今はなにも咲かない、生命が枯れた荒野が広がる。聴こえるのは花の精の嘆きの声と、風の精の哀しみの声だけだ。
「どうして、こんなことに……」
花の精に格別愛された乙女――フローラはその表情を曇らせる。夕陽をそのまま切り取ったよな輝きを持つ長い髪と切れ長の瞳に、長い手足、細い腰、すらりと高い伸長。その美貌は花の精に愛されるのに相応しい。
普段は目鼻立ちがくっきりとした顔に明るい笑顔があるのだが、今は花と風の精の心に同調し、伏せてしまっている。
(どうすればいいの……)
他でもない花と風の精に救いを求められれば動かずにはいられない。何度も囁かれる声に、想いが募り、夢中でその先を辿った。気がつけば王城を抜け出し、見知らぬ大地に足を踏み入れていた。
どうやってここまでたどり着いたのかは分からない。
王都からかなりの距離を進んだはずなのに、その間の記憶がぽっかりと抜けてしまっている。
きっと思い詰めた精霊に惑わされてしまったのだろう。
それでも花の精の報せと風の精の案内でここが『花の大地』と呼ばれていた場所だということは理解できた。
その面影はどこにもないが、確かにここだと精霊達は伝える。
(わからない……でも)
救ってあげたい。その為にここまで来たのだから。応えてあげたい。その声に。
決意を固め、顔を上げる。
「私が、必ず」
これは花の乙女と呼ばれる者の使命だ。だからまずは祈ろう。この大地が蘇るように。そして探そう。かつての大地を取り戻す術を。
きつく手を握りしめ、大地に佇むフローラの髪を、乾いた風がそっと靡かせた。
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