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第62話 53 それは内緒話のように
しおりを挟む全く考えたこともなかったことを言われて、ぽかんと間抜けな顔になってしまった。
(私が生まれて、喜んだ? 兄様が?)
この人にとって、私は面倒なことにしかならない存在だった。
私が生まれた当時は兄も4歳なわけだから、そんなことまで考えられたとは思わない。とはいえ、後妻の子供だ。
兄からしてみれば、面白くないだろう。
疑うわけではないけれど、そう言われたところで喜ばれる理由がまったく思いつかなかった。
そんな私の困惑が伝わったのが、兄が私の手を弄りつつゆっくりと話し出す。
「アルフェが生まれる少し前に、乳母が子供を産んだ。クライブの弟だ」
そう言われて、クライブとは違って吊り目のデリックの顔が思い浮かんだ。
セインと同じ年のはずだから、私より1歳上だ。
「デリックのことですか?」
「そうだ。生まれてからしばらくは城で一緒に暮らしていたのだが、あのとき赤ん坊というのを初めて見た。小さくて、面白くて、可愛かった」
懐かしむように、灰青色の瞳を細める。
「デリックが生まれてから、クライブが少し変わった。それまでは私と一緒にやんちゃばかりして怒られていたクライブがな、兄の顔をして、ちゃんと弟の世話をするのだ」
クライブと兄がやんちゃだったという事実にも動揺したけれど、王族貴族だろうと男児なんてそんなものだろうと思い直す。
そしてたぶん、今はそこは突っ込むところじゃないので大人しく耳を傾ける。
「そうなると当然、デリックはクライブに懐く。それが子供心に羨ましくてな……乳兄弟といっても私がデリックの世話を焼くことはないし、どうしたって本当の兄弟のようにはなれない」
疎外感を覚えたのだろう、と予想できた。
私が、乳母と乳姉であるメリッサの繋がりに対して疎外感を覚えたように。
同じように接しようとしてくれたとしても、けして同じにはならない。ましてや私達は、主人でもある。
どうしても扱い方は変わってきてしまう。
特に兄の場合は、デリックが生まれたから余計にその差が顕著に見えたのかもしれない。
クライブとデリックは同じ扱いでも、自分だけは違う扱いされているというのは子供心にかなりきついものがある。
自分は優遇されているのだとわかっていても、そんなのきっと嬉しくはない。
「だからアルフェが生まれると聞いて、私にも下が出来るのだと嬉しかった」
そう言って、私を見つめた。
冷たく見える淡い色の瞳が、微かに笑む。優しい眼差しに、心臓がとくん、とあたたかく脈を打った。
けれど疑問は残る。
「私は第二王妃の子だったのに、ですか?」
「母とは生まれてすぐ死に別れているから、記憶になくてな。だから第二王妃といっても特に何の感情もなかった。それにあの当時はまだよくわかっていなかったのもある」
淡々と言われて、そういうものなのかと思う。
第一王妃から見れば兄の言い方は寂しい気もしたけれど、母に関しての感情は私自身もとやかく言える立場にはない。
それに実母に対して、特に何も感じない兄より、恨んでいる私の方が性質は悪いかもしれない。
「ただアルフェに会えるのをずっと楽しみにしていた。兄になる日を指折り数えて、毎日乳母にいつ生まれるのか聞いて困らせたものだ」
そう言った後、皮肉気に唇を歪める。
「しかし生まれてからも、全く会わせてもらえなかったがな。陛下は兄弟間の王位争を避けるために一貫してあの態度であったし、私が会いたいと訴えても適当に流された。なによりおまえの周りが、おまえを一切表に出さなかった」
言われた言葉に身に覚えがあって、ぐっと詰まる。
とても幼かった頃の私は、自室と中庭で過ごしていた記憶しかない。
小さな私がヘマをやらかす危険性を考えれば、外には出せないだろう。
記憶にあるのは、乳母とメリッサ、メル爺だけ。たまにエインズワース公爵とその子息が来たけど、同じ城にいるはずの母と会ったことは、一度もない。
私の記憶の中で初めて自分の家族と顔を合わせたのは、4歳の時になる。乳母に手を引かれて、初めて年初の挨拶をした。
3歳の時は熱を出して寝込んでいたらしいし、その前はさすがに記憶にない。
5歳までは乳母に付き添われて挨拶をして、6歳以降は一人だったけど、その頃には自分の立場はなんとなく理解していた。
「まぁ、アルフェは弱かったからな。それは仕方ない部分もある。図書室で見かけるおまえは、よくだるそうにしていた。大抵そのあと姿を見せなくなるから、結構な頻度で寝込んでいたのだろう」
私がだるそうにしていたのは、毒を体に慣らすための行為が原因だった気がする。
しかしそれを差し引いても、子供の頃はよく寝込んでいた記憶はある。今も、よく考えると結構寝込んでいるけれど。
でもそれよりもなによりも、言われた言葉が引っかかった。
「図書室で見かけていたのですか? 私を?」
驚きに目を瞬かせて聞き返せば、あっさりと頷かれる。
「私が10歳くらいの頃からな、隠し通路を覚えるためと勉強がてら、よく陛下に図書室まで資料探しに行かされていた。その時によく見かけた」
兄が10歳なら、私は6歳。
私があまりにも出歩かないのもどうかと思われたのか、定期的な陛下への報告で本が好きだと報告したらしく、図書室への出入りの許可を与えられた。
うろ覚えだけど、私が5歳ぐらいだったと思う。
扉は一つで、隠し通路を除けばそこ以外からの出入りは不可能。機密文書があるため警備は万全。さほど危ないものも置いてない。
私を遊ばせておく場所としては、一番都合が良かったのだろう。子供の目には立ち並ぶ書棚が巨大迷路のようで、面白くてよく入り浸っていた。
でも。
「私は兄様を見かけたことは一度もないのですが」
「みつからないようにしていたからな」
「お声をかけてくださればよかったではないですか」
もしそんなにも気にかけてくれていたのが本当なら、一度ぐらい声を掛けてくれていればよかったのに。
(そうすれば、もっと違う道もあったかもしれないのに)
……さすがに、そう思うのはずるいか。
そう思いつつも少し恨みがましく上目遣いに見つめれば、兄が呆れた視線を投げかけてくる。
「自分の人見知りを忘れたのか? 人が来るとすぐ逃げていただろう。私が声を掛けたとしても、警戒して全力で逃げられただろうな。おかげでみつからないよう、気配を消すのが上手くなった」
身に覚えのあることをしみじみ言われて、返す言葉がない。
つまり現状こうなっているのは、やっぱり私の行いが悪かったってことになるの!?
(いやでも、メアリーとメル爺に散々周りに注意しろって言われていたから)
ここは恐ろしい人が多いのだから気をつけなさい。そう言われ続けていたのだから、私だけが悪いわけじゃない、と思いたい。
そこに「それに」と兄が続ける。
「小さい頃のアルフェは、よく図書室の床で寝ていたからな。気づかなくても仕方ない」
「寝……てましたか?」
「よく本を広げたまま寝ていただろう? 場所を選んでいるのは見ればわかったが、いくらおかしな人間は入ってこられない場所とはいえ、随分不用心な真似をする。起きそうになるまで何度か付いてやってたこともある」
言われた言葉に顔が熱くなる。羞恥で耳まで熱い。
私も小さかったから、周りに気をつけろと言われてはいても、当然抜けている部分は多々あった。
気をつけているつもりでも、眠気には勝てずに気づけば寝ていたことは数知れず。
でも子供の時分とはいえ、まさか呑気に昼寝している姿を見られていたなんて!
「それは……大変、ご迷惑おかけしました」
「正直な話な。私と違って、護衛も付けずにあのような場所で一人呑気に眠るアルフェの姿に、思うところがなかったわけではない」
「!」
不意に低くなった声に、一瞬、ぎくりと体が竦んだ。
当時の兄は、きっと既に何度か暗殺者に狙われていただろう。自分がなぜ狙われているのかも、もう理解できていたはず。
そんなときに、諸悪の根源が目の前に現れたら?
自分と違って、害される不安も抱かずに呑気に眠りこけている姿を見たら?
憎らしく感じるんじゃないだろうか。こいつさえいなければ、と一度も思わなかったとは考えられない。
──いっそ、ここで殺してしまえばいいんじゃないか。
そう思うことも、あったのでは?
そこまで思い至って、じわり、と緊張で背筋に冷たいものが走り抜けた。コクリ、と乾いた喉を無意識に嚥下させる。
(でも、私は今ここに生きているわけで)
恐る恐る兄を見上げれば、怯えた私を見て苦笑する兄と目が合った。
「でも寝てるおまえの顔を見たら、そんなことはどうでもよくなった。涎を垂らして、無防備な顔をして眠るアルフェは可愛かったからな」
「それは……とても、お見苦しいところをお見せしました」
「子供なんてそんなものだろう。ちゃんと拭いてやったぞ」
「……重ね重ねお手数をおかけしました」
子供だったから仕方ないけど! 涎まで垂らしていた姿を見られていたのかと思うと、消えたいぐらい恥ずかしい!
羞恥に震えて俯く私の隣で、兄が小さく喉を鳴らして笑う。
「手も足も顔も全部小さくて、ちょっと強く握ったら折れてしまうんじゃないかと心配になった。あのとき、おまえは私が守ってやらねばならないと思ったのだ」
私の手と自分の手を、大きさを比べるように重ねる。
私の手は指が長いせいか女性にしては大きい方だと思うけど、兄の手と比べれば二回りは小さい。
「ただアルフェが私をどう思っているかわからなかったから、話しかける勇気はなかなか無くてな。逃げられたり、嫌いだと言われたら私も傷つく」
非常に珍しく予想もしていなかった弱気なことを言われて、少し驚いた。
まじまじと見入れば、ばつが悪そうに眉根を寄せられる。
(兄様がそんなことを思うなんて)
でも兄だって人間なのだから、そういう感情を抱くのは普通のことだ。
この人だって、大人ぶってはいるけれど私と同じ人間なのだと今更ながらに思い至る。
咄嗟に重ねていた手を、引き留めるようにぎゅっと握った。
「尊敬していました。ずっと。本当ですよ」
「そうだな。だからおまえが私を庇ってくれたときは、本当に嬉しかった。同時におまえが死ぬんじゃないかと、こっちの心臓が止まるかとも思ったがな。随分無茶をしてくれる」
叱るような強い口調で言ってから、嘆息を吐き出して私の手を一度握り返してから離した。
けれどその手は離れていくことなく、今度は私の頭を引き寄せるようにして撫でる。
「私はアルフェが可愛いし、幸せになってほしい。私に出来る限り守ってやるつもりでいる。だから、何も心配しなくていい」
安心させるように私の頭を撫でて、静かな声で囁くように告げた。
「……おまえが何者であっても」
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