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第49話 41 すれ違い読み違い勘違い

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 告げられた言葉に一瞬、頭の中が真っ白になった。

(嘘……)

 陛下って、陛下?
 つまりこの国の王であり、私の実の父親……ということになるわけで。

(嘘でしょ!?)

 言われた言葉を飲み下すと同時に、一気に顔から血の気が引いた。
 そんな性質の悪い冗談はやめてほしい。そんなわけがない。あるわけがない!

「だ、だって、陛下はいつも白いローブを着てらっしゃるでしょう?」
「アルト様が正式に陛下にお会いするのは、年始のご挨拶などの式典の前でしょう。あれは式典の為の正装であって、普段からああいった格好をされているわけではありません」

 苦い顔をしたままクライブにそう説明されて絶句する。
 確かにあんなずるずるとした動きにくそうな服、普段着として着るには邪魔過ぎる。でもつい昨日会った先生が本当の本当に陛下なのだとしたら、コートどころかジレすら着ておらず、シャツの腕まくりまでしていた。
 一体どこの世界にそんなラフな王様がいるというの!?

「それにしたって、全然王様っぽくない格好をされているではありませんか!」
「陛下はあまり飾り立てられるのはお好きではありませんし、着心地と動きやすさ重視でいらっしゃるので……勿論、外交に立たれる時などは正式な服装をされていますよ」

 クライブが困った顔をして説明してくれるけど、納得できるわけがない。なんとか陛下じゃないという理由が欲しくて、思いついたことを片っ端から口走る。

「だいたいもし本当に陛下なら、供も付けずにお一人で出歩かれるわけがないですよね!?」
「陛下はあまり人を付けるのがお好きではなく、それに下手な近衛よりずっとお強いのです」
「なぜ……?」

 王族は守護されるのが当然なわけだから、本人は別にそこまで強くなくても問題はない。私がいい例だ。
 兄のように命を狙われる危険があるというならともかく、本来は護身術程度を覚えていればいいだけで、間違っても護衛が本職の近衛より強くなる必要はない。そう思う反面、かなり鍛えられていた腕を思い出す。
 さすがに陛下は兄のように狙われてはいないはずだ。それなのに、なぜそんなことになるの。

「シークヴァルド殿下のお母上であらせられる第一王妃殿下が、剣の名手でいらしたのです。陛下にお輿入れなさる条件が、妃殿下から一本取ることだったそうでして……嫌でも強くならざるをえなかった、と伺ったことがあります」
「待ってください。いくら剣の名手とて、王女ですよね?」
「雪に閉ざされた日々食べる物にも事欠くような小国でしたから、王女であっても自給自足が主で、ご自分で狩りもなさっていたそうです。熊や狼も出る場所ですから、人間の相手など妃殿下には造作もなかったのでしょう」

 それって熊や狼とも戦ってた可能性があるってこと? それは本当に女性なの? むしろ人なの?
 肖像画ですら息を呑むほど美しいあの女性の姿からは、到底そうは考えられない。
 そしてそんな人から最低でも1本は取ったほどの腕があるのなら、確かに近衛はいらない。むしろ、いる方が足手まといになりかねない。
 勿論まったく護衛がいないわけではないだろうけど、普段城の中を出歩く程度なら一人行動は珍しくないのかもしれない。
 実際、中庭で会った時の陛下は一人だった。
 
「でもそれなら私が初めて図書室でお話した時、私が陛下を知らない人だと言っても何も仰らなかったのはなぜですか」

 理解できなくて、呆然と呟く。
 初めて本探しを手伝った時に、お礼に飴をくれようとした。そのとき私は、「知らない方からはいただけません」と断った。それは間違いない。
 そのとき先生は、しばし沈黙して「そうか」とだけ言った。
 そして次に会った時に「前に一度会っているのだから知らない人ではないだろう」と言われて、飴を渡されたのだ。それから断る理由がなくて、飴ぐらいはいいかと貰っている。
 あの時に、自分は陛下であると言ってくれていればよかったはず。
 むしろ親の顔も覚えていないなんて、なんて馬鹿な子供なんだと訂正してしかるべきじゃないの!?
 それとも実の親の顔すら覚えていないことに、訂正するのも馬鹿馬鹿しい程に救えない奴だとでも思われたのか……

「陛下を知らない方だと仰ったのですか!?」

 クライブが息を呑んで信じられないものを見る目でまじまじと私を見る。

「わからなくても仕方ないでしょう。あんなところで、しかもあんな格好で、お一人で出歩かれているなんて考えるわけもありません。それに陛下なら、最初にそうだと言ってくれていればよかったのです……!」
「陛下も、まさかご自分の子に顔を覚えられていないなどとは信じたくなかったのだと思いますよ……」

 絶望を滲ませた顔で私がそう呟くと、沈痛な顔でフォローをする。全然フォローになってないけど。
 でも弁解ぐらいさせてほしい。ちょっと想像してみてほしい。
 たとえば年に1度、法事でちょっとしか顔を合わさないお坊さんがいるとしよう。
 10分程度お経をあげるだけのお坊さんの顔なんて、まじまじと見ない。それに袈裟を着ているだけでお坊さんだってわかるから、いちいち顔なんて覚えてない。
 そしてその人が普段は帽子を被って眼鏡をかけて、袈裟ではなく洋服を着ていたとして、そんな姿で近所のスーパーで会ったとしても絶対にわからない。そこで会うなんて考えもしないから、それがお坊さんだと脳裏を過ることすらない。
 私にとって陛下というのは、そういうレベルの存在だったのだ。
 そこにいるわけがないひと。ましてや、そんな格好をするわけがない人。

 そして、私と交流を持つなんて、絶対に考えられない人。

 それでもここまでクライブに言われてしまえば、思い当たる節はある。
 地位や名誉に頓着しなさそうなのは、既に王なのだから当たり前だ。私に対して遠慮のないぞんざいな態度なのも、父であるならば当然である。
 いつも多岐にわたる雑多な調べ物をしていたことも、あんな格好を貫き通せるのも王であれば理解できる。
 そういえば中庭で会った陛下が顔を顰めた時に、どこかで見た気がすると思った。あの既視感の正体が、今なら先生と重なったせいだとわかる。
 空色の瞳に探るように見つめられると落ち着かなくて心がざわついたのも、相手が陛下であったならば当然ともいえる。

 そして思い返せば昨日会った時に「元気そうだな」と言われたのは、先日私が泣いてしまったせいじゃない。
 前日まで寝込んでいた上に、夜中に出歩いていた割に元気そうだな、という意味だったのかと今更気づいて頭を抱えたくなった。
 あの目の下の隈も、寝る前に時間を取られた挙句に私に無茶ぶりされたとあっては、眠れるわけもなかったのだろう。

「それでも最初はともかく、その後で訂正する機会はいくらでもあったと思うのです……っ」

 いったい陛下を先生として接して、何年経っていると思っているの。ここまで黙っているなんて、あまりにもひどい。
 意味がわからない!

(というより、陛下と思われていないのをいいことに、監視されていた?)

 そう考えると、ぞっと心臓が竦み上がる。思い至ると同時に、無意識にどら焼きを握る手に力が入っていたことに気づいて、食べかけを一旦籠に戻した。

(でも下手なことは何も言っていない、はず)

 それに私が陛下だと気づいていなくても、それに怒っている様子も感じられなかった。
 いつだって普通に接してくれていた。忙しいはずなのに、わざわざ時間を割いてくれたように感じることも度々あった。
 だからこそ余計に、陛下だと思うわけがなかったのだ。

「アルト様がいつ気づかれるのかと面白がっておられたのかもしれません。そういうところ、ありますから」
「それはあまりにも趣味が悪いと思うのです…っ」
「そもそもアルト様がちゃんと陛下のお顔を覚えておられればよかったことです。自業自得であると思いますが」

 そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。ぐっと喉を詰まらせて奥歯を噛み締めると、クライブが呆れ切った嘆息を吐く。

「だいたい、なぜ御父君の顔を覚えておられないのですか」

 顰め面で責めるように言われた言葉に、じくりと胸が痛む。
 そんなこと言われたって、私だって好きで覚えなかったわけじゃない。

「私が陛下に疎まれていることなど、火を見るより明らかだったではありませんか」
「それは……、」

 息を呑んで言葉を詰まらせたクライブを見れば、傍から見てもそうだったのだとわかる。
 この家族の中で、私はいらない存在だった。父は当然、兄にも、そしてきっと母にとっても。

 私は、いらない存在だったのだ。

 自分で事実を口にしたものの、泣きそうになって顔が歪む。それを見られたくなくて顔を俯かせた。
 いつも、正面からまっすぐ父を見ることが出来なかった。目の当たりにすることが怖かった。
 自分はいらない存在なのだと、邪魔でしかないのだと、そう言われるのが怖かった。自分に向けられている表情を確認するのが怖かった。
 だから目を逸らした。
 極力見ないようにと顔を伏せた。
 最低限の挨拶だけをして、あとは視界に入らないように小さく縮こまっていた。
 この家族の中に自分の居場所はないのだと、王に突き付けられてしまえば本当に居場所はなくなってしまう。
 ……考えてみれば、邪魔だと言ってさっさと遠ざけられてしまっていた方が、もっと早くに事は解決していたともいえる。
 でもそれを思い知るのが、嫌だった。いらないと宣言されてしまうのは、怖かった。
 あの時の私はまだ、本当に普通の子供だったから。
 いつだって、もしかしたら、という期待をしていなかったわけでもない。
 いい子にしていたら、気にかけてもらえるかも。大人しくしていたら、愛してもらえるかも。
 そんな風に期待して、結局は無駄に終わった。そしてどうせ無駄だとわかっていたのに、毎回ほんの少しだけ期待した。

 でも結局、望む言葉を掛けられることはなかった。かといって、望まない言葉が掛けられるわけでもない。
 絶望と安堵を繰り返して、まるで命綱なしの綱渡りをしているような気分でここまでやってきた。
 そして今も、その気持ちは変わっていない。
 前の記憶があっても、この胸の痛みは変わることはない。
 いくら年を取ったって、どれほどの経験を重ねたって、一番身近な人達に「いらない」と言われて悲しくならないわけがない。
 大人になっても、自分が子供の頃に夢見た大人になれるほど成長なんて出来はしない。ただ逃げ方を覚えるだけだ。誤魔化し方を知っただけだ。
 心の傷自体は今も癒えることなく、胸の奥底でずっと痛みを訴え続けている。

「……それを目の当たりにして平静を保てるほど、私は強くありません」

 震えそうになる声で、気づけばぽつりと弱音を零していた。
 だから図書室で会っていた先生が陛下なのだと、考えるわけもない。父が私に声を掛けることなどない。興味を示すことすらない。
 そのはずだったのだ。
 だから中庭で出会ったとき、奇跡だと思った。言葉に耳を傾けてくれたことに、やっと自分の想いが通じたのだと思った。
 結局は自分が一番恐れていた、ここから遠ざけてくれという願いであったとしても。でもあの人から言われたわけでなく、自分で言えたのだ。私の話を聞いて「わかった」と言ってくれた。
 それだけで、もういいとすら思っていたのに。

「ですが陛下は、アルト様を疎んでなどおられなかったでしょう?」

 覗き込まれ、クライブの手が躊躇いがちに私の頬に触れた。宥めるように目尻に触れた指先が濡れる。

「そんなこと、わからないです」

 それがここにきて覆されるなんて、嬉しいというよりも動揺と信じられない気持ちの方が圧倒的だ。
 だったらなぜ今まで黙っていたの。ずっと監視して、私を試していただけなんじゃないの。
 そういう気持ちも拭えない。実際、それもかなりあるのだと思う。
 でもきっとそれだけじゃなかった、ようにも見える。
 だけどそれを素直に受け入れるには心に壁を打ち立てすぎていて、こういうとき、どんな顔をすればいいのかわからない。嬉しいというより複雑すぎて、手放しで喜べることでもない。
 それに私の扱いに困っているという事実は依然として残っているし、無茶ぶりしたことにも迷惑しているはずだ。
 私の存在が迷惑なことには、変わりない。

「陛下が飴をくださるのは、気に入った者にだけですよ。一番のお気に入りは薄荷飴です」
「……あれ、美味しくないではありませんか」
「そう仰るということは、いただいたのでしょう?」

 クライブが私の頭を引き寄せて肩口に押し付け、背中に回された手が優しく背を撫でるように叩く。

「大丈夫です。陛下もシークヴァルド殿下も、味方ですよ。もちろん、僕もです」

 甘やかすように告げられる言葉に、背を撫でる優しい手に、必死に堪えていた涙が零れそうになる。
 味方だなんて、そんなことを言われる資格なんてないのに。

(だって私が、裏切っているのに)

 叫びそうになる唇を、ぎゅっと噛み締める。
 本当はこんな自分が愛されたいと望むことすら、おこがましいことなのに。
 だけど、今だけ。

(今だけでいいから)

 こんな私だって、ほんのちょっとは愛されていたんだって。
 そう思わせたままでいさせてほしい。


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