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第47話 39 悪戯はほどほどに
しおりを挟む部屋の扉の外にいた護衛に声を掛けて図書室まで送ってもらい、慣れたインクの匂いに包まれるとほっと安堵の息が漏れた。
雨が降っているせいか少し室内は暗く感じるとはいえ、本を探すのに困るほどではない。
目的だった天体の書棚の前まで行くと適当に本を抜き出し、ぱらぱらと中身を確認する。
別にあえて調べるようなこともでもないけれど、昨夜見つからなかった星の確認をしたかった。
確か一等星を3つ繋ぐ形で構成される夏の大三角形が見当たらないということは、ここは北半球じゃない。ならば北半球から見えないはずの、南十字星が見えれば南半球ということになるはずだ。
(調べたところでどうというわけじゃないんだけど)
本当にここは異世界なのか。
並行世界の過去なのか。
それとも何百、何千年先の未来なのか。
それがわかったところでどうなるわけでもないので、ただの知的好奇心に過ぎない。単純に現実逃避も兼ねている。
めぼしい本を数冊手に取ると、中二階へと続く階段を上がった。
部屋が暗いので、こういう日は窓際の唯一あるテーブルセットが本を読むのには最適だ。近頃暑さがかなり増してきたとはいえ、今日は雨が降っているから丁度いい。
「先生?」
そう考えていたけれど、目的のテーブルセットに思わぬ先客を発見して声が出た。
声に気づいたのか、書類に視線を落としていた人が顔を上げる。驚いた様子もなく、モノクル越しに空色の瞳でチラリと私を上から下まで見下ろした。
「元気そうだな?」
そう言われて、そういえば前に会ったときは泣いてしまったんだった、と思い出して顔が熱くなる。
3か月に1度程度しか会わない人だったから、次に会うときは忘れていると思っていたけど珍しくまだ1か月程しか経っていない。
さすがに覚えているだろう。
「おかげさまで、元気です」
「それならいい」
頷いて、視線が再び書類へと落ちる。忙しなく右に左にと視線を走らせる様は相変わらず忙しそうで、邪魔しないように踵を返そうとした。
「椅子は空いているのだから座ればいい。どうせ私は長居はしない」
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
そこまで言われて断るのもどうかと思い、遠慮がちに向かいの椅子に腰かけた。
目の前に座る人は、相変わらずこの部屋に入れる地位にいるとは思えない軽装っぷりだ。
長い金髪はいつも通りきっちりと三つ編みに纏められて肩に流されているけれど、暑くなってきたからかコートどころかジレすら着ていない。シャツの袖をまくり上げ、のぞく腕は思ったより鍛えていることに気づいてそれに少し驚いた。
(完全に研究職に見えるのに)
テーブルに積み上がっている資料本の種類は毎度の如く雑多で、私以上に何を調べているのかわからない。わかるのは、いつも忙しそうだということだけ。
よく見れば今日は目元にうっすらと隈も見えるので、相当忙しいんじゃないだろうか。
「ちょっと面白い飴を手に入れた」
しかし座ってすぐに、シャツの胸ポケットから取り出した飴が当たり前のように差し出された。まるで待っていたと言わんばかりで、目を瞬かせる。
「ありがとうございます。いただきます」
わざわざ書類から顔を上げ、少し面白そうに言うので、手伝いをしたわけでもないけど素直に受け取った。包み紙を開いて見た中身は白色透明で、何味かわからない。
私に渡して、自分もひとつ口に放り込む。わざわざそう言って渡したということは味を確認してほしいのだろうから、同じように口に含んだ。
「!」
含んだ瞬間、ツンとした爽快感が鼻を突き抜けた。甘いけど、それ以上に舌に刺すような辛さも感じる。
毒、ではない。毒ではないけれど!
事前情報もなくいきなりこんなものを渡されるとは、悪戯に近い。
「これ…っ、薄荷ですかっ?」
思わず責めるような声が出た。
甘いけど、とにかく辛い。ミントとはまた違う独特の辛さが口の中に広がり、鼻に抜けるスースーした感じに涙が出そうになる。
あまり得意じゃない味だった。好きだったとしても、こちらではほとんど口にしない味なのでいきなりでこれは驚く。
「なんだ、知っていたか」
慌てる私を見て、その人は目を細めて興味深そうな顔をした。どう見ても、私の反応を楽しもうとしていたとしか思えない。
こんな悪戯じみたことをするなんて、よほどストレスでも溜まっているのだろうか。白羽の矢が立った私には、とんだとばっちりだ。
「よく薄荷なんて知っていたな」
しかしそう言われて、内心ではギクリと狼狽えた。
私が薄荷飴を食べたのは、前の生でだ。子供の時に苦手だったからよく覚えている。でもこちらの世界ではミントの葉をお茶やデザートに乗せて口にしたことがあるぐらいで、薄荷はない。
「ミントではなかったので……前に読んだ本から、薄荷かと」
同じ系統ではあるけど、確か和種ハッカと呼ばれて葉の種類が違ったはず。ミントタブレットは好きだったけど薄荷飴は苦手だったので、昔違いを調べたことがある。
苦し紛れに言えば、なるほど、と言うように頷かれたことにホッとする。
「この時期に丁度いいと思ったが、苦手みたいだな」
「得意ではありません」
口に入れた以上、仕方なく舐めてはいるが眉尻が下がる。お子様舌のせいなのか、甘いのにとにかく辛いのがつらい。
「今日は美味しくないと言って泣かなくていいのか」
「……あれは忘れてください」
不意に前のことを蒸し返されて、目を逸らして口元をへの字に歪めた。
けれどふと、まさかそのためにわざわざこんな飴を用意したのかと一度目を瞬かせて、先生の顔を伺う。
(心配してくれていた?)
忙しいはずなのに、その整った顔は書物に向けられることなく私を眺めている。感情の薄い顔は、何を考えているかまではわからない。
だけどわざわざこうして時間を私に割いてくれているということは、少なからず私のことを気にかけてくれているのだということはわかる。やり方はアレだけど。
「もう泣く必要は、ないんです」
「解決したのか?」
「まだ解決はしていませんが。なんとかしてもらえる……と、思うので」
「随分と他人任せだな」
気にしていることを容赦なく突っ込まれ、責められているように感じてぐっと詰まった。
私だって、これまで自分でどうにかしようとしてきた。それでもどうにもできないのだから、ちょっとぐらい私同様に責任があるひとに放り投げたって、バチは当たらないはずだ。
恨めし気に上目遣いに窺えば、レンズ越しに空色の瞳と目が合う。その瞳に見据えられていることが妙に落ち着かなくて、心がざわざわする。
結局ばつが悪くなって目を逸らしたのは、私の方だった。
「……ちょっとぐらい、人を頼ってもいいではありませんか」
「まあ、そうだな。立っている者は親でも使えという諺もある。出来ないことを自覚して出来そうな人間に割り振るのも時には必要なことだ」
親でも使え、というピンポイントに刺さる言葉にギクリとしたけれど、先生はそれに気づいた様子もなく書類と本を纏めて立ち上がっていた。
そして一度ぐしゃりと私の頭を撫でると、「口直しだ」と言って一つさっきとは別の包み紙の飴を落とした。
そしてそのまま、用は済んだとばかりに振り向きもせずに颯爽と立ち去っていく。
やっぱり私が来て邪魔してしまったのかと、申し訳なく思いながら見送った。その反面、わざわざ飴を渡すためだけに待っていたようにも見えて首を傾げる。
口直し用に渡された飴を含めば、私の好きなサクランボの味がした。
*
──結局その後、星の本を確認したけど私の覚えていた星座とここでは名前が違うし、写真が付いているわけでもないのでわからずじまいだった。
世の中には知らない方がいいこともある、ということなのかもしれない。
それにもしここが地球ではない星で、もしかしたら自分がエイリアンかもしれないのはちょっと複雑だと気づいて、それでやめたというのもある。
それより和種ハッカがあるということは、この前は小豆も見つけたことだし、もしかして調べれば米もどこかにあるのでは!?
という期待に駆られて稲探しに勤しんでしまったので、星はどうでもよくなってしまった。
そんなことを調べていたせいで、自室に戻ったのは随分と日が暮れてからだった。
罵詈雑言も一応は覚悟して部屋に戻った私を見て、メリッサは据わった目でたった一言だけ言った。
「なんと仰ろうと、絶対に付いていきますから」
有無を言わさぬ迫力に気圧されて、「うん」としか言えなかった。
セインに至っては、何も言わなかった。
あまりにも普段通り過ぎるのが逆に心配になって、念のために前からずっと気になっていたことを問いかけてはみた。
「今更だけど。セインが私に協力してくれるのは心から感謝しているけど、でもあの人は私にとっては許せない人でも、セインにとっては父親でしょう?」
それで、いいの?
スラム街と王宮、どちらがいいのかは私にはわからない。生きていくのが大変という意味では、どちらも変わらない気もする。ただまだ今のところ衣食住が確約されているだけ、今の方がマシと思うかもしれない。
スラムから引き上げてくれたという意味では、エインズワース公爵はセインにとって恩人とも言える。
ただその代わり与えられたのが、私と一蓮托生、最悪処刑という最悪な現状なわけだから素直に喜べることではないわけだけど。
「俺を道具としか見てない糞爺を親と敬えるほど、俺の心は広くない。だいたい本当に親かどうか、実際のところはわからないからな」
しかし返ってきたのは、うんざりした顔でそう吐き捨てられた言葉だった。
(さすがにここまで似ていて他人の空似と言い切るには、厳しいとは思うけど)
けれど言われてみれば確かに、私も自分の母親を母として愛せるかというと、正直難しい。
むしろ血が繋がっている分、歪みは深い。
結局そう言ってくれた二人に安堵して甘えてしまった私は、やっぱり情けないほど自分に甘いんだろう。
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