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第44話 36 たぶん人生も迷子

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 城に戻ってから、既に仮病3日目が終わろうとしている。

 帰ってきた翌日は、情けないことに全身が筋肉痛で動けなかったので仮病ではない。2日目はたぶん考えすぎて知恵熱を出したので、これも仮病ではない。
 しかし3日目の今日は、健常体に戻っていた。
 それでも中々自室の外に出る勇気が出ない。
 とはいっても午前の勉強はちゃんとしているし、部屋にいればいたでやることはある。
 第二皇子派の擦り寄り貴族達からや贈られてきた、誕生祝いへの礼状を書いたり……書いたり……しか、してないけど。
 しかし、それももう3時のお茶の時間には書き終えてしまった。
 倦怠感が残っていると嘯いて部屋で本を読んで時間潰しをしていたけれど、さすがに明日はもう部屋に籠る理由がない。
 メリッサは出掛けない私を見て心配そうな顔をしていたし、熱も下がったはずの私が医務室に来ないことにメル爺だって首を捻るはず。
 出来るだけ、変に勘ぐられるような行動は取りたくない。

(そろそろ顔を出さないとまずいのは、わかってるのだけど)

 逃げ回ったところでいつかは顔を付き合わせることになるのだし、先延ばしにしているだけだという自覚はある。
 だけど心の整理をつける時間ぐらい許してほしい。

(だって、あれって、私のファーストキス……っ)

 よりによって、クライブと!
 人生にたった一度の、ファーストキス!

(別にファーストキスに夢を見ていたわけじゃないけど)

 もしかしたら一生、誰ともキスせず終わるかも……なんてことを考えて、遠い目になったこともあったぐらいである。
 でもだからって、出来れば誰でもいいってわけじゃない。
 
(思えば、前の時のファーストキスも残念だった……)

 前の生での相手は、18歳の夏休みに運転免許取得のために通っていた自動車教習所で、必須科目だった安全講習で出会った。
 その名も、心肺蘇生訓練用人形。
 人ですら、なかった。
 それも一体どこの誰と、どれだけ唇を重ねてきたのかもわからないような、なかなかに年季の入った相手。

(今回はまだちゃんと人間だっただけ、マシだと思うべき?)

 待って。落ち着いて。さすがにそれはハードル低すぎるでしょう。
 それでも前の時は、
「これは漫画やアニメでよく見る、人工呼吸と心臓マッサージが出来る!」
 という理由で、嬉々としてやったので悔いはない。
 それでもやっぱり残念に思う部分はあったわけで……そんな前に加えて、今生までファーストキスがアレって、あんまりじゃない?

(私の唇、呪われてるんじゃないの!?)

 そこまで考えて、自分の顔が盛大に顰め面に変わる。

「アルフェンルート様、お疲れでしょう? 入浴の準備はしてございますから、今日はもう休まれたらいかがですか」

 今日だけで何度目になるのかわからない私の顰め面を見かねたのか、とうとうメリッサが気遣う声を掛けてきた。
 そこで我に返り、慌てて時計を見る。
 気づけば、もうすぐ時計の針は22時を指そうとしていた。
 基本的にメリッサはいつも私の身の回りの世話をしてくれているので、朝が早い。
 私が午前中に勉強している時間や昼に出ていく時間を休憩時間にしてもらっているとはいえ、それでも勤務時間は長い。
 だからいつもは夕食後にお茶を飲んだら、すぐに私は寝室に下がる。それでやっとメリッサも下がる。
 だいたいそれがいつも19~20時ぐらい。それが今日は、いつもより2時間も遅い。
 もっと早くに声を掛けてくれてもよかったはずなのに、どうやら黙ってずっと傍についていてくれたらしい。

「遅くまでごめん、メリッサ。そうするよ」
「いいえ。もし何かあればすぐにお呼びください」

 ふんわりと安心させるように微笑んでくれる。それだけで、つられてこちらの顔も少し綻ぶ。
 癒される、ふんわりした空気。大きな目と、いかにも女の子らしい桃色の唇。
 どうせキスをするなら、こういう可愛い女の子にしたいと思うものじゃないのかな。

(メリッサに、キスしたことがあるか聞いてみ……いや、駄目だ)

 完全にセクハラになる。
 でも、と誘惑が止まらない。友達同士なら、それは普通の会話のはず。

「メリッサは誰かとキスしたことって、あるかな?」

 出来るだけ軽やかに聞いた、つもりだった。
 けれど訊かれたメリッサの顔が見る見るうちに引き攣っていく。

「……ございません、が?」
「ごめん。変なこと聞いた。忘れてほしい」

 それはそうだ。侍女とはいえ、メリッサは伯爵令嬢でもある。そんな立場の令嬢がキスをする相手と言えば、一般的には婚約をした相手になる。
 メリッサにはまだ婚約者がいないから、したことあると言われた方が問題があった。
 そのメリッサの返事に安堵するような、残念なような。

「アルフェンルート様は、どなたかとされたい……のですか?」
「したくないよ!?」

 まさか切り替えされると思ってなくて、自分でも驚くほど素っ頓狂な声が出た。その声にメリッサも驚いて目を瞠る。
 けれどすぐに真面目な顔に戻った。私の手を取り、「アルフェンルート様」と呼びかけられた。

「されたいと思っても、よろしいのですよ? せめて私の前でだけは、素直に言っていただいてよいのです。近頃よく出かけられていますし、どなたかお好きな方が出来ましたか?」
「っいや、全然違う。本当にそうじゃなくて。むしろ二度とごめんだと思ってる」
「二度とごめん、とは?」

 心配させまいと思わずそう言ったものの、失言だったと気づいたのはメリッサが眉を顰めてからだった。
 私の手を握る力が、やけにこもる。待って、ちょっと痛い。

「実は……ちょっと事故で。ぶつかってしまって、それだけだから」
「事故とは? 相手はどなたです? アルフェンルート様の唇を奪うなど、万死に値します! どこの娘ですか!」
「女の子じゃないよ、大丈夫」
「!? 全く大丈夫ではありません! 相手は男だというのですか!? 道理で……っご様子が変だと思ったのです! 仰ってください。メリッサがその相手を社会的に抹殺してまいります」

 多分私はこの3日間、考えすぎて疲れていたんだろう。思考が低下しているのか、動揺のあまりうっかり口を滑らせてしまっていた。
 するとメリッサが見るからに目を吊り上げて迫ってくる。
 失言をした私が悪いけど、怖い。メリッサの顔と、言ってることがものすごく怖い。

「セイン様ですか? スラットリー老ではないでしょうから……近頃よくお話しされているという、ランス卿ですか? それかまさか……シークヴァルド殿下」
「待って。待って、メリッサ。落ち着いて。セインでも兄様でもないから」
「わかりました、ならばランス卿ですね。ご安心ください。侍女を敵に回して、城で無事に生きていけるとは思わないことです」

 その言葉のどこに安心しろというのか。
 私も似たような脅し文句をクライブに言ったけれど、私の場合は紛れもなく事実であり、情報源が私なので問題はない。
 でもメリッサがそれをしたら、普通に名誉棄損の侮辱罪になってしまう。
 皇子にキスをするような不埒者だと侍女達に言いふらされでもしたら、確かにその場合は事実だけど、私まで巻き込まれ死になってしまう。

「待ちなさい、メリッサ。本当にただの事故だよ。ちょっと階段で躓いて、助けてもらったときに運悪くぶつかってしまっただけだから。大事にされる方が困る」

 適当な嘘をでっちあげて、出来るだけいつものように眉尻を下げて困ったように笑って見せる。
 私がものすごく情けないことになっているけれど、真実を告げるよりはマシだ。

「ただそれでもちょっとショックで、落ち着かなかっただけなんだ。心配させてごめん」
「……謝らないでくださいませ。ショックなのはアルフェンルート様ご自身ですのに。こちらこそ気が逸って取り乱してしまい、申し訳ありません」

 そう言って、メリッサが唇を噛み締めて大きな瞳を涙ぐませる。

(そ、そこまでショックを受けさせるつもりはなかったんだけど)

 でも普通に考えたら、この世界の女の子にとってファーストキス、というよりキスはかなり重要なことなんだろう。
 被害に遭った私よりも素直に涙を浮かべる姿は、やっぱり可愛いし、愛しい。やはりこれが本来の正しい少女の姿な気がする。
 少なくとも私のように、ドロップキックしておけばよかった、とは考えないだろう。
 ましてやキスを呪いに変えたりも、しないだろう。

(……やっぱり女に生まれたの、間違えたかも)

 こうやって自分との違いを目の当たりにすると、さすがに少し胸の奥がチクリと痛んだ。


   *

 しばらくメリッサを慰めて、泣き止んだのを確認してから寝室へと下がった。
 部屋に入ると、長い長い溜息が漏れる。
 寝室から繋がっている浴室で入浴を済ませ、寝間着の脹脛丈のシャツを着るとベッドへと体を投げ出す。

(やっぱりファーストキスがアレって、泣くほどショックを受けるべきなんだろうな)

 ふと、自分の唇に指先で触れてみる。
 自分で触っても、なんとも感じない。正直、感触もあまり覚えていない。
 でも思い出すだけで、血液が沸騰するような恥ずかしさが湧いてくる。
 正直なところ、腹は立っている。
 ただ泣くほど嫌だったかというと……、どうなんだろう。
 あの日起こったことはなるべく考えないようにしているものの、気づけばすぐにあの事を思い出してしまう。顔を覆って、ベッドの上をのたうち回りたい衝動に駆られる。
 何度も犬に噛まれたようなものだと、そう自分に言い聞かせた。

(けど普通、犬に噛まれたら! トラウマになるッ!)

 小型犬に甘噛みされた程度ならともかく、ドーベルマンに舐められたようなものなのだから。無理。ほんと無理。
 やっぱり遠慮せずに平手打ちぐらいお見舞いしておけばよかったかと、今更になって悔いること十回以上。
 昔、満員電車で痴漢に遭ったときもそうだったけど、ずっと尻を撫でまわされた場合は、怒りに任せて鞄で振り払うぐらいは出来た。
 けど、通り抜け様に尻を鷲掴まれて逃げられた時は、驚愕しかなかった。予想外のことに驚きすぎて、怒る余裕がない。
 えっ!? 今の、えええっ何した!? みたいな……
 怒りが湧いてくるのは落ち着いてからで、追いかけて蹴り倒してやればよかったとか、次に会ったら絶対殴るとか、後からじわじわと後悔はやってくる。
 クライブの場合は、それに近い。
 あの時は気が動顛して怒りを感じる余裕すらなかったけど、今となっては飛び蹴りぐらいしておくべきだったと思う。

(でも次に顔を合わせたとしても、出来ないんだろうな)

 ああいうのって、勢いが必要というか。それになかったことにすると言った手前、下手な行動は藪蛇になってしまう。蒸し返したくない。
 それに、一応は保険で呪いのような言葉もかけておいたわけだし……全く無駄だったわけではない、と自分を慰める。
 せいぜい今は必死に何もなかったのだと、呪文のように繰り返す。

(とにかくもう二度と、絶対に女装なんてしない。特にクライブの前では、絶っ対にしない!)

 あのあと兄の部屋に戻って、またも兄の寝室を借りて着替えた侍女の服は、そのまま兄の元に置いてきた。
 本来は洗濯して返したかったけど、兄の家令が洗っておいてくれると言ったのでお任せしてしまった。
 下手に持ち帰ってメリッサに心配を掛けさせるのも嫌だし、私があの侍女服を悪用すると思われても困る。
 何より、二度とあの服を見たくない。
 たぶんというか、絶対、あんな格好をしたからクライブも変な感じになってしまったに違いない。

(そうでなければ、あんなことしないでしょう)

 なんとなく、だけれど。
 なんとなくクライブは、本能的に私が女なのだと気づいている、ような気がしなくもない。
 野生の勘的な。そういうところ、ありそう。
 個人的にはそれは恐怖でしかないのだけど、さすがにあんなことまでされると、その可能性から目を逸らすわけはいかない。

(女の身で皇子だと謀っているとまでは考えないだろうから、なんとか誤魔化せているだけで)

 着実にタイムリミットが迫ってきているのを感じる。ただでさえ近頃は接触する頻度も、距離も近い。

(あとはやっぱり、女たらしだから)

 思い出すだけで苦虫を潰した様な顔になる。
 日頃の行いって、やっぱり大事なのだと実感する。うっかり出てしまうもの。

『──貴方だけですッ!』

 ふと脳裏を過ったクライブの言葉に、思わず頭を抱えてしまう。
 思い出すと顔が熱い。ほんと無理。言われたときは衝撃的過ぎて、動揺のあまり逆に冷静に切り返せたけど、改めて思い出すとほんと無理。
 よくもまぁ、あんな……っあんな恥ずかしいセリフを即座に返せるな!?

(きっとああいうセリフも、いつも言ってるんだ)

 私だけじゃない。
 そんなこと、あるわけがない。
 そう思うと、ざわりざわりと胸がさざめく。それに気づかないフリをして、唇を噛み締めた。
 あるわけがないとわかってはいるからいいけど、もしそれが、億万が一にも本当に本心でも困る。猛烈に困る。
 だいたい、対女性用の条件反射だったとしても、そんなことを言われるようなことをしてきた覚えが全くない。

(好かれるようなことをしたつもりはないのだけど)

 でも元々クライブから見て、私の好感度はぶっちぎりのマイナスからのスタートだ。
 最初がそうだったから、きっと私が普通に人並みのことをしただけでも、すごくいい人に見えるのだと思う。
 私が兄に対して敵意がないとわかったから、それだけで好感度が跳ね上がってしまったのかもしれない。普通に考えたら、弟が兄を慕うのなんて普通の事でしかないのに。
 例えるなら、不良が野良猫に優しくしていたら良い人に見えるという、アレに近い。
 クライブが私を見る目には、その手のフィルターが掛かっているに違いない。

 ……そして上がってしまった好感度は、裏切られたとわかった時に、憎悪を倍増させる。

 そう考えると、胸がジクジクと痛みを訴えてくる。ぎゅっと胸のあたりのシャツを掴み、体を小さく縮みこませた。
 
(はやくどうにかしないと)

 しかし、いつもここで手詰まりになってしまう。

「……寝れない」

 ふ、と息を吐いて、ベッドから起き上がった。
 この3日、ずっと部屋に引きこもっていたから当然だ。特に昨日と一昨日は主にベッドの中だった。
 脳は必死に動かしていたつもりだけど、体は動いていないのだから眠くなるわけもない。むしろ変に頭が冴えてしまっている。

(散歩でもしてこようかな)

 少しでも歩いてこれば、自然と眠れる気がする。
 幸い寝室のテラスから、城の中庭に降りられる。衛兵も今の時間は少ない。
 というより、中庭に入れる以前の場所を重点的に警護しているため、中庭そのものには人はほぼいないと言っていい。
 そうと決まれば、ベッドから降りて、足首まである厚手のゆったりとしたガウンを羽織った。

 夏に足を突っ込みかけているとはいえ、この国の夜は冷える。
 そっと観音開きの窓を開けて、テラスへと出た。2階にある寝室のテラスからは、庭へと降りる階段があるのでゆっくりと降りていく。
 思ったよりひんやりとするけれど、熱くなった頭を冷やすには丁度良かった。
 夜の闇に包まれていると、普段咲き誇っている花の気配も鳴りを潜めている。夜だからか周囲もやけに静かで、自分が息を吐く音がやけに響く気がした。
 ガウンも中に来ているシャツも白いせいか、自分だけがこの闇の中で浮いている気がする。
 自分もこのまま闇に溶けてしまえれば、よかったのに。

(私が死んだことに出来れば、一番いいのだけど)

 私を死んだことにしてしまえれば、あとはどうとでも好きに生きていけるのに。
 ……金髪の痩せた子供の死体を用意することが、まず出来るのかどうかは置いておいて。とりあえず仮定だけの話である。
 ただその場合、男女どちらの死体を用意すべきかがわからない。
 皇子という名目を保つなら当然、少年の死体が必要になる。
 けれどエインズワース公爵から見れば、それは私ではないことは一目瞭然。即座に探し出されて、連れ戻されることは必至。
 ならば少女の死体を用意したとしても、それでは皇子として通用しない。
 いくらなんでも死体を調べないということはないだろうから、これは一体どういうことだ、となってしまう。それでは本末転倒だ。
 つまり自分は、うっかり死ぬことすら出来ないのだ。

(溺死なら、体の損傷具合から性別をわからなくすることもできるかもしれないけど)

 しかし、私の生活範囲では溺死できるような水場がない。

(ランス領になら、湖があるけど)

 先日のクライブの言った話が実現するならば、いまのところ行く予定にはなっているはずだ。
 だが兄に連れて行ってもらう立場なわけだから、そこで私に何かあれば、後で兄に責任の追及がいくだろう。そんな迷惑はかけられない。
 それに場合によっては、それが発端で内乱が起こりかねない。それだけは絶対に避けなければならない。そもそも本当に死にたくはない。

(……詰んだ)

 はぁ、と息を空に向かって吐き出した。
 いつもよく使う道も、夜に通るとまるで違う場所のように見える。等間隔で灯り代わりの光る石の設置してある街灯があるとはいえ、やはり暗いものは暗い。
 巨大迷路のようになっている場所を目的もなく泳ぐように歩けば、自分がどこにいるのかもわからなくなる。
 ……そう。
 わからなくなったのだ。帰り道が。

(まさか、自分の家で迷子になるとは)

 周りを自分の背丈より高い木に囲まれているせいで、どちらに行ったらいいのかわからない。
 もはや前に進めばいいのか、後ろに戻ればいいのか、そもそも戻ると言ってもどこから来たのか。誰だ、こんな巨大迷路みたいなのを作ったのは。迷わせてどうしたいの。
 それでも闇雲に突き進めば、小さな東屋の立つ開けた場所に出た。でも、見たことがない。

(もしかしてここ、私が入ってはいけない場所じゃない?)

 結構な距離を歩いてきてしまった気がする。
 この城の配置は、口の字になっている。中庭を囲む形で本宮と本宮に繋がる私の住む部屋のある宮、私の部屋から見て斜向かいに王と王妃が暮らす後宮、私の部屋から庭を挟んだ向かい側が兄の住む離宮だ。
 その為中庭は、一般公開されているもの、王族だけが入れるもの、その中でも王と王妃だけが入れる場所、兄である第一王位継承者とその家族だけが入れるものと分かれている。

 もし入ってはいけない場所に来たとしたら、まずい。

 じわりと背筋に冷や汗が滲む。どうにかして、戻らなければならない。
 砂漠で道に迷えば星を読むというけれど、顔を上げて空を見ても、星座には詳しくないのでまったくわからない。
 月はないので星は綺麗に見えるけど、そもそも、城の中程度の迷子が星座を読んだところでどうにかなるとも思えない。
 それでも必死に目を凝らして、気づく。

(夏の大三角形が、ない)

 本来この時期なら、代表的な星座が目につくはずだ。ただし、それが日本……もしくは地球の北半球であるならば。
 でも、それがない。

「……ここ、どこ」

 初めて、自分が異世界に生まれ落ちたのだと、思い知った気がした。
 呆然と呟く声が喉から漏れて、それと同時に、カツン、カツン、と響く足音が聞えた。

「!」

 それは徐々に近づいてきて、ゆらりと揺れる灯りを手に、人影が現れる。
 助かったと思ったのは一瞬で、けれどその人の姿を見て全身が凍り付いた。

(どうして、このひとが……!)

 暗闇の中でも輝く、波打つ長い金髪。
 その姿に反射的に顔を伏せたものの、目の前までやってきた人の足元まで届く長い白のガウンは細やかな金糸の刺繍入り。
 コクリ、と緊張で乾く喉を無意識に嚥下させた。緊張と焦りで、心臓がドックンドックンとうるさく鳴り響く。

「──こんな場所でこんな時間に、何をしている」

 咎める低い声は淡々としていて、その声が自分に向けられただけで全身が凍り付くような感覚に襲われた。

「……陛、下」

 その人を呼ぶ自分の声が、やけに擦れて響いた。


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