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第14話 11 狂犬 Again!
しおりを挟む(どうして昨日の今日で、この人がこんなところにいるの!?)
大抵の女性が見惚れそうなほど騎士然としたにこやかな笑みを浮かべ、無遠慮に至近距離から見下ろす。その顔からは全く胸の内が読めない。
「ランス卿……どうしてこちらに?」
さりげなく体の向きを変えながら距離も取りつつ、条件反射で微笑み返した。でも絶対に頬は引き攣っている自信がある。
声は震えなかったけど、緊張しているせいで少し擦れてしまった。心臓は壊れそうなほど早鐘を打っている。
(兄様に叱られた逆恨み……に、来たわけじゃないよね)
殺すつもりなら、声を掛けずに後ろから刺せばよかったのだから。
たぶん今のも驚かそうとしたわけじゃなくて、親切心で本を片付けるのを手伝ってくれただけかもしれない。そうだ、きっとそうだ。そうだと思いたい。
とはいえ本来、下位の者から高位の者に声を掛けることは許されない。
親しい間柄ならそういった慣例は気にされないけど、私とクライブは当然そんな友好関係にはない。
少年漫画だと殺し合いから友情が生まれたりするみたいだけど、生憎と一方的に殺されかけただけだし。そもそも少年漫画じゃない。
こういう場合、私の立場なら相手を無視してもかまわない。
だけど相手は兄の騎士。無作法とはいえ、ここで無視する選択肢はない。それにある一定の条件下であれば、声を掛けることも許される。
「シークヴァルド殿下から、アルフェンルート殿下に託を預かってまいりました」
こういう場合だ。
「兄様から?」
昨日の今日で書面ではなく、わざわざクライブを寄越すなんて。そんなに重要な話があったのかと僅かに首を捻る。
警戒して顔を強張らせる。クライブはそんな私の反応に眉尻を下げて困ったように笑うと、「それともう一つ」と続けた。
「アルフェンルート殿下に謝罪してくるよう言われました」
ああ……なるほど……。
納得すると同時に、強張っていた体からほんの少しだけ力が抜けた。
(それで、わざわざクライブが)
こういうことは時間が経つほど溝が深まるから、出来るだけ早く取り成そうと考えてくれたのだろう。その兄の気持ちは嬉しい。
嬉しいけど……昨日の今日で二人きりにされるのは、出来れば勘弁してほしかった。私のSAN値が試されている気がする。
途方に暮れた顔になって、どう答えたものかと言葉を詰まらせる。
当然気にしていないわけじゃない。「気にしていません」と嘘でも言えるほど心は広くない。
ただクライブの立場を考えれば、ああいう行動も理解は出来てしまう。
もし自分が同じ立場なら。唯一無二の主の命を狙い続けていた相手が、無防備に目の前にいたとしたら。本当に手に掛けるかどうかはともかく、魔が差すことはあるかもしれない。
だからといって、やっていいことではないけれど。
黙ってしまった私を見下ろしていたクライブが、不意に目の前に片膝を付いた。
「!」
驚いて本棚に背中を張り付けた私を、緑の瞳がまっすぐに私を見上げる。
その顔には、場を煙に巻いてしまおうとする笑みはなかった。真剣な面差しで、私から目を逸らすことなく口を開く。
「ですが私は、自分のしたことが間違っていたとは思いません」
ちょっと期待したのに、謝る気ゼロってどういうこと!? わかっていたけど! そういう人だってわかっていたけどッ!
(こういう時は嘘でも「申し訳ありません」って、頭を下げておくべきだと思うんだけど!?)
怒るのを通り越して絶句させられる。
なんなの、この人。喧嘩を売りに来たの? なに馬鹿正直に言ってるの?
(…………まさかと思うけど、これがクライブなりの誠意だったりする?)
けれどふと脳裏にそんな考えが浮かんだ。
口で謝るだけなら簡単だ。でも心から謝ってないのに頭を下げられたとしても、本意は自然と相手に伝わってしまう。余計に不快にさせるだけだ。
だからといって、開き直って思っていることを述べればいいと言うわけでもない。
どう受け止めたらいいのかわからずに黙ったまま、眉を顰めてクライブを見下ろす。
クライブは私の視線を受け止め、ここにきてやっと少しだけバツが悪そうに目を逸らした。
「とはいえ殿下を試す真似をして、そのお心を軽んじていたことは事実。さぞかし恐ろしい思いをなされたことでしょう。その件に関しましては、心からお詫び申し上げます」
そう告げると、今度は迷いなく深々と首を垂れた。
「私に出来ることで殿下のお気持ちが晴れることがあれば、なんなりとお申し付けください」
そして頭を垂れた状態のまま、ピクリとも動かない。
焦げ茶色の髪に包まれた頭を見下ろす。予想もしなかった申し出に困惑してしまう。
(これって、してほしいことを言えってこと……?)
それでチャラにしてくれってことなんだろうけど。
それなら、二度と私に近づかないでほしい。
……そうと言いたいところだけど、兄の片腕ともいえる騎士なのだからそれは不可能だとわかる。兄も関係を修復させるためにこうして出向かせているのだから、それは言ったところで叶えられない。
ならば、二度とあんなことしないでほしい。
……これも言ったところで、もしもの時は聞かなかったことにされるだろう。そういう人だと嫌というほど知っている。簡単に破棄される願いなら口にする意味がない。
無言で見下ろしたまま、必死に頭をフル回転させて考える。
兄の騎士であるクライブが、たぶん一番頭を下げたくない相手である私に首を垂れた上で、願い事を一つ叶えてくれる。
出来る範囲というのがネックだけど。それでもこっちの命が掛かっていただけあって、相応の願いを言っても叶えられるだろう。
「では、ひとつだけ」
緊張で擦れそうになる声を喉から絞り出した。
気持ちを落ち着かせるために一度息を吸い込んで、拳を握る。
「いついかなる時であろうとも、この先あなたに大切な人ができたとしても、必ず兄様を最優先にしてください」
思ったよりもずっとはっきりとした声が出た。
私が望むことは、これだけ。
そして多分、これが最善。
言い終えると、弾かれたように顔を上げたクライブが驚愕に満ちた目で私を見つめる。瞠られた緑の瞳を睨む強さで見つめ返し、念を押すためにもう一度口を開く。
「絶対に。それだけ約束してください」
クライブが数瞬、躊躇いを見せた。
多分、私に念を押されなくても当然だと言いたかったのかもしれない。
けれど欠片の反論も許さない。口を引き結び、強い眼差しで見据え続ける。
今はそう思っていたとしても、クライブだって人間だ。恋に浮かれて、未来のどこかでヒロインの方を選んでしまう日が来るかもしれない。
だけどあのゲームの選択肢に直面したとき、ヒロインには申し訳ないけど少しでも揺らいでもらっては困る。
クライブが間に合えば、第一皇子は死なない。私も殺されなくて済む。
そして結果としてはヒロインだってトラウマルートを経験しなくて済むのだから、むしろ感謝してほしい。
信じられないものを見る目で私を見つめていたクライブは、不意に表情を改めた。真剣な面差しで腰に佩いていた剣を鞘ごと手に取った。
反射的に怯えた私に気づいた様子もなく、床に垂直に突き立てる形で剣を両手に掲げ持つ。
そして瞳を閉じると、祈るように柄に額を触れさせた。
その一連の動作は、とても神聖なものを見ているみたいだった。
「この剣に誓って」
真摯な声だった。
嘘偽りなく、その誓いは私の胸の中へと染み込んでいく。
騎士が剣に誓う以上、それが破られることはない。疑うことなく、そう信じられた。騎士というものがそういう生き物だと、この世界の私は知っている。
図らずも止めていた息がゆっくり口から零れ落ちていくのを感じた。無意識に張りつめていた肩から力が抜ける。
瞼を持ち上げ、ゆっくりと顔を上げたクライブは私を見上げ、ふっと頬を緩ませた。
それは今までと少し違う。作り込んだ人好きのする笑顔じゃなくて、心から零れ落ちたみたいな柔らかい微笑。
見たことがない笑顔に動揺して、心臓が一際大きく跳ねた。
でも、これはときめいたわけじゃないから。間違ってもそんなわけないから。これはあれだ、いままで人の喉笛を噛み切ろうとしていた狼が、いきなり餌の生肉をこっちに放り投げてきたようなものだから。びっくりしただけから。
「アルフェンルート殿下は変わった方ですね。本当にこのような願いでよろしかったのですか?」
「ランス卿に願うなら、これ以上に相応しい願いなんてないでしょう」
剣を腰に佩きなおし、ゆっくりと立ち上がったクライブは私の言葉に嬉しそうに笑った。少しだけ私に対する態度が軟化して見える。胸に内でほっと息を吐いた。
とはいえ、クライブと二人きりの状況は心臓に悪い。話が終わったのなら早々に立ち去りたい。
「アルフェンルート殿下」
「はい」
そう思うのに、どうやらクライブはまだ話を続けたいらしい。私を呼び止める。
「クライブと」
「はい?」
「僕のことはクライブとお呼びください、殿下」
「……なぜでしょう?」
思わず真顔で突っ込んでしまった。
嫌です、と言わなかっただけ褒めてほしい。言ったようなものだけど。だって、ファーストネームで呼びたい相手ではない。
脳内ではクライブ呼びしていたけど、これは単にゲームの時のキャラとしての呼び方であって、親しみを込めてクライブと呼んでいたわけじゃない。
……それより、さっきまでこの人は自分のことを「私」って言ってなかった? ゲームでの一人称は「僕」だったから公私で使い分けているのだと思ったけど、なぜ私に対しても「僕」になっているの。
親しい間柄になりたいわけじゃないのだけど。
誓いを疑うわけじゃないけど、別ルートで殺される可能性が出てこないとは限らない。極力、近づきたくない気持ちに変わりはない。
「そう呼んでいただきたいからです」
けれどクライブは怯まなかった。
私が引いているのはわかるはずなのに、にっこりと清々しい程の笑顔でストレートに答えてくる。剛速球過ぎて打ち返せない。
「…………わかりました。では、次からそう呼ばせていただきます」
結局、私が折れることになってしまった。
呼ばれたいとまで言われて、嫌です、とはさすがに言えない。
そういえばこんな会話、ちょっと前に兄とも交わした気がして遠い目になった。この主従、変なところで似すぎだと思う。
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