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俺のかつての護衛騎士が未だに過保護すぎる
しおりを挟むその日の俺は自暴自棄になっていた。心に空いた穴を埋めてくれるなら誰でもよかった。
だから、酒場で俺を気に入ったと声をかけてきた男の手を取ろうとした。
そんな時だった。
かつての俺の護衛騎士が、割って入ってきたのは。
「何をしているんですか、あなたは。馬鹿なんですか?」
むかつく言葉と共に現れたそいつは、あれよあれよと言う間に男を追い払った。いきなりのことに呆然としている間に腕を掴まれて、酒場から強引に連れ出される。
「なんだよっ。俺がどこで何をしようと、もうアレクには関係ないだろ!」
大股の早足で先を歩く、かつての護衛騎士であるアレクに半ば引きずられている形だ。広い背中に批難の声を投げつけても無言のまま、艶やかな黒髪の頭は振り返りもしない。
こんなのは初めてだ。
しかし、鍛え上げられたこの男の腕を振り解く力は軟弱な俺にはない。
アレクは勝手知ったると言わんばかりに、酒場の裏路地にある俺の小さな家の扉を開けた。俺のポケットから勝手に鍵を取り出して、だ。そのままズカズカと容赦なく部屋に押し入っていく。
そして二階に上がって寝室に入ると、俺の腕を引き掴んだ勢いのまま押し倒した。
「!」
衝撃に目を瞑った俺の背中で軋む硬いベッド。
手首に痛いほど重みがかかったので薄らと目を開けば、真上に陣取って俺をベッドに磔の刑にしているのは、見慣れた男の端正な顔。
それもちょっとどころでなく、怒っている表情の。
一瞬たじろいで、息を呑んだ。
一体どうしてこんなことになっているのか。理解し難くて頭が真っ白になる。
「誰でもいいなら、俺でもいいでしょう?」
そんなセリフを吐きながら、剣呑な眼差しで俺を見下ろした相手に目を瞠った。
本当に、こいつは何を言い出してるんだろう?
お前の方こそ、なんで俺にこんなことをするんだ。
***
俺、キリエは少々複雑な生い立ちだ。
元々は、名のある曲芸団の踊り子である母の元に生まれた。
16歳で俺を産んだ母は、息子の目から見ても可憐で美しい人だった。よく妖精のようだと謳われていたくらいだ。
そんな母だったので、ある日立ち寄った国で踊りを披露した際、その国の王に見そめられた。どうやら母は、その国の王の若くして産褥で亡くなった妃に少し似ていたからでもあるらしい。
最初は恐れ多いと断った母だが、どうしてもと乞われて王の手を取った。
しかしながら、父親もわからない俺を産んで育てただけあって、母は見た目に反して強かでもあった。一国の王相手に、息子も一緒なら、と条件をつけたのである。
かくして俺は、母と共に王宮に召し上げられることとなった。
俺が11歳の時だった。
(邪魔者扱いされる覚悟をしてたけど、ありえない高待遇をされたんだよな)
母のお荷物でしかなかったのに、養父となった王は俺にも親切にしてくれた。
とはいえ、俺にはもちろん王位継承権などない。欲しくもないけども。
既に先妃との間には11歳上と9歳上に優秀な義兄がいた。俺は17歳の成人までは面倒を見ると言う条件で、王宮に置いてもらっていたにすぎない。
俺の存在は隠されていたほどではないが正式に公にもされず、身分は平民のままである。個人的には気楽でいい。
しかしながら、完全に平民という扱いにするわけにもいかなかったみたいだ。
たとえば俺が誘拐されたら、身代金の請求は母に、すなわち王家が負担することになるからである。
というわけで。
平民である俺にまで、護衛騎士が付けられることになった。
それが、アレクだ。
アレクことアレク・バーデンは、バーデン伯爵家の次男である。初めて会った時は8歳年上の19歳だった。
癖のない黒髪は清潔さを感じさせて、すっと鼻筋の通った端正な顔と色素の薄い水色の瞳は冷たく見えて柔和さには欠ける。だが、騎士としては頼もしく映るだろう。
無駄なく鍛え上げられた体からは、たゆまぬ努力が感じられた。
彼はいかにも将来有望な騎士であった。かわいそうなことに。
「この度、専任の護衛騎士に任命されましたバーデン伯爵家が次男、アレク・バーデンと申します。これより身命を賭してお守り申し上げます、キリエ様」
アレクは出会うなり片膝を床に突き、正式な騎士の挨拶をしてくれた。
俺の顔は母譲りで美しいと言われるとはいえ、所詮は11歳の貧相な平民の男である。そんな奴の護衛騎士にされるなんて、エリート路線を外されたも同然だ。
アレクは内心では失望に打ちひしがれているだろうに、そんな態度は一切見せなかった。俺を軽んじることもなく、真摯に頭を下げてくれる。
その清廉な姿は、まさに騎士の鑑と言えた。
(俺にはどうしようもないことなんだけど、すごく悪いことをしちゃったな)
焦ったのは俺である。
俺は生まれ育ちのせいで、年齢より世間をよく見知っている子供だった。いきなりの高待遇を素直に喜べるほどの純粋さなどない。
むしろビビりまくっていた。
数日前までは、曲芸団に混ざって雑用をこなしながら旅をしているガキだったのだ。学もない貧相な平民の分際で、大人の男……それも貴族で騎士を跪かせるなんて、恐れおおすぎる。背筋に震えが走った。
慌てて視線を合わせるべく、アレクの前にしゃがみ込んだ。
「あのさ、俺の母さんは偉い人になっちゃったけど、俺はただの平民なんだよ。だから俺なんかに跪いたりしないでくれる? 名前も呼び捨てでいい。後が怖いし」
正直に本音を告げれば、俺が目の前にしゃがみ込んだ時点で瞠られた水色の瞳が困惑に瞬いた。
しかしアレクはすぐに厳しい表情になる。
「キリエ様は妃殿下のご子息であられるのですから、そんなわけには参りません」
「とは言っても、成人したらすぐ出てくし」
期間限定の居候でしかない。だから後になって「不敬だった」と言われて切り捨てられたら困る。とても困る。
俺はどうにか成人までの6年間を平和にやり過ごしたいし、その後も平穏に生きたいのだ。
「アレクさん、じゃなくてアレク様か。6年だけ我慢してよ」
「我慢、ですか?」
「嫌だとは思うけど。俺が出てく時に王様には、こんな平民にも親切で、立派に勤め上げてくれたって口添えするからさ。そしたらアレク様は出世街道に戻れるだろ。だから、それまでうまいことやってくれたら助かるんだけど」
俺の口添えがどこまで通用するかわからないけど。少なくとも好きになった女の手前、王様も悪い待遇にはしないと思う。
そもそもアレクは、二番目の義兄と仲が良いと聞いていた。
本来なら義兄に仕えるはずが、それだけ信頼がおける者ならばと、難しい立場の俺に付けられることになってしまったのだ。
本当に気の毒としか言いようがない。
俺がいなくなれば義兄の元に戻れるだろうけど、6年のブランクは大きいはずだ。だからせめて俺に付く間は、のんびりそれなりにこなしてくれたらいいと思う。
それは悪くない提案だと思っていた。
俺は休めるものなら休みたい派の怠惰な人間なのである。楽な仕事で賃金がもらえるならいいじゃん、という狡賢い性格だったのだ。
が、アレクは違ったらしい。
端正な顔が顰められ、不意に俺の両脇の下に手を差し込まれた。
「へっ?」
ギョッとしている間に立ち上がったアレクが、軽々と俺まで立たせて地面に降ろす。
まるで小さな子にするみたいに! いや、発育不良で小さいかもしれないけどな!
「俺は自分の立場に誇りを持っています。あなたは余計なことは考えずに、子供らしく健やかにご成長されればよろしいのです。俺はあなたが伸びやかに過ごすことができるよう、お守りさせていただきます」
淡い水色の切れ長の瞳は色だけ見れば冷たいのに、真っ直ぐ見据えられると熱く感じた。真摯に告げられた言葉も胸を熱く震わせる。
怠惰で狡賢い自分を見透かされた恥ずかしさと、子供らしく素直に甘えていいのだと言われた嬉しさ。
相反する感情に混乱してきて、頭の芯が熱を帯びる。頬まで熱くなってきた。きっと俺の生白い肌は赤くなっていたことだろう。
焦って顔を伏せたので、伸び気味の白金の髪がそんな頬を隠してくれたはずだ。
「そ、そう……そこまで言うなら、困らないようにやってくれれば、いいんだけど」
狼狽えつつなんとか絞り出した言葉は、上から目線になってしまった気がする。
チラリと琥珀の瞳で上目遣いに見上げたら、仕方ないなと言いだけな目で見下ろされていた。内心では生意気なガキのお守りをすることを、改めて覚悟していたのかもしれない。
それが、アレクとの出会いだ。
それからの俺はと言えば、マナーは詰め込まれたけれど、あまり政治経済には首を突っ込まない方向でいることにした。義兄達はよく出来た人たちで気にかけてくれたけれど、だからこそ余計に野心はないのだと見せるためにヘラヘラ過ごしていた。
俺が頑張ったのは将来の為の読み書きと、簡単な計算を覚えたくらい。
それとアレクを見ていて「立ち姿がかっこいいな」と思って、騎士を目指そうかと血迷ったこともある。
「アレク、俺に剣の稽古をつけてくれたりしない?」
朝食に向かう前に伸びた髪を後ろに一つで纏めながら降り仰ぐ。するとアレクがやや仏頂面をした。
「しません。キリエ様には俺がいるでしょう。必要ありません」
素っ気なくすら感じられる断られ方だった。
信頼されてないと思わせてしまったのだろうか。アレクの腕はこの上なく信用している。
先月も、庭園から迷い込んできた貴族の一人がなぜかフラフラと俺に近寄ってきた時も、華麗かつ素早く撃退してくれていた。
今だって、食堂に向かう道を自然な感じに俺の歩幅に合わせて歩いてくれる。護衛騎士の鑑だと思う。
こんな風に、一年も経つ頃にはアレクが側に仕えるのは当たり前の光景になっていた。
アレク様と呼ぶのは却下されて、俺には敬称が付けられているけど、随分と気軽に話せるようになったと思う。
アレクも思ったより遠慮なく物を言うようになった。
「アレクを信頼してないわけじゃなくてさ。騎士になりたいって言ったら、応援してくれる?」
「キリエ様には向いていません。つい先日も床が滑りやすいとお伝えした直後に、転びそうになられていたでしょう」
そう言われるとぐうの根も出ない。
もちろんその時はアレクが咄嗟に肩を支えて転ぶ前に引き上げてくれた。
護衛というより、もはや介護に近い。
「気づいたんだけど、俺には母さんみたいな運動神経は無いみたいなんだ」
「考えるまでもなく騎士に向いていないではありませんか」
だよなあ、と遠い目になる。
貧相ながら体力には自信があったんだけどな。ここ一年でちゃんと食べてもあまり肉のつかない体質を考えると、騎士は向いてないのだろう。
「思ってた以上に何も出来ないんだな、俺」
思わず深々と嘆息を吐き出してしまった。
曲芸団にいた時は雑用をして役に立てていると思っていたけど、今では暇つぶしに掃除をしようとするだけで止められてしまう。
主にアレクに。
運動音痴なことを考えると曲芸団に戻るのも難しそうだ。となると将来に備えて、下男の仕事も身につけていたいのに。
「キリエ様はよく侍女相手に占いをされて、場を華やがせておられるではありませんか」
「やることないから、暇つぶしにな。遊びに付き合ってもらってるだけだよ」
「占われる者たちも楽しそうにされていますよ」
「そうだといいんだけど。占いは母さんが得意で、踊り子の合間にやってるのを見て覚えたんだ」
アレクが言う通り、占うと侍女達は喜んでくれて悪い気はしない。近頃では騎士からも頼まれたりする。
アレクはそんな同僚達を見て渋い顔をするけれど、俺が「いいよ」と言えば溜息混じりに通してくれる。
そんな時はまるで自分が重鎮になったかのようで困る。
「よく当たると評判のようです。キリエ様はやはり妖精の血を引いているんじゃないか、なんて言われてますね」
「やっぱりって何。怖い。俺はただの人間だよ」
ゾッとして隣を歩くアレクを見上げたら、なぜか眩しげに目を細められた。
俺の髪が太陽光を反射しすぎたんだろうか。輝かしい頭皮の大臣みたいに、俺のおでこが光るにはまだ早すぎると思うんだが。
そっと前髪を直すふりをしながら、頭にハゲができていないかを確認する。たぶん大丈夫そう。
「占いって、人間観察なんだ。その人の顔色を伺って欲しい言葉を探して、迷ってる背中を押してやるのが本当の役割なんだと思う」
こんな生まれ育ちだから、周りの顔色を窺うのは得意だった。
人間の卑しい所も、駄目な所も、華やかな曲芸団を隠れ蓑に体も売っていたような裏側の場所ではよく見てきた。
それでも人の優しい所や、ちょっとのきっかけで上向く気持ちがあることも、ちゃんと知っている。
母さんはとても明るくて、迷う人の躊躇いをうまく誘導して笑顔にさせる人だった。その姿を見てきたから、俺は暗くなりすぎずに育ったんだと思える。
自分もそんな母の真似事をしてみたら、誰かを笑顔にすることが出来た。
それが、なんかいいな、と思ったのが始まり。
「タネを知ったら、幻滅した?」
アレクは黙って聞いてくれるから話しやすくて、思わず種明かしをしてしまった。でも占いなんてただの気休めだと知って、がっかりさせてしまったかもしれない。
焦ってもう一度アレクを見上げる。すると、やや驚いた顔をした後でゆるく首を振られた。
「いいえ。誰でも背中を押してもらいたい時はあります。キリエ様の言葉は柔らかいので、聞き入れやすいのでしょう」
「そう? 自分では頼りないなって思うけど」
ハキハキしてないし、見た目が繊細そうに見られがちだから余計に。だからと言ってこの見た目で乱暴な言葉を使うと、変に浮いてしまうのだ。
もうちょっとたくましくなれたらよかったんだけどな。
そんな気持ちで隣を窺えば、俺を見つめて柔らかく笑うアレクと目が合った。
「俺は、好きですよ」
「!」
その瞬間に溢れ出てきた感情を、なんと言ったらいいのかわからない。
滅多に見られない微笑はとびきり優しくて、見下ろす水色の瞳は空の色を写した湖のように穏やか。
真摯に告げられた声が胸の奥に落ちてきて、じわじわと熱が広がっていく。
自分が良かれと思ってやっていたことを認められると、こんなに嬉しいんだな。
それも普段はあんまりはっきり感情を見せないアレクが、こんな優しい顔をして告げたから。
じわりじわりと熱が胸に広がっていく。拭おうとしても拭いきれずに染みになって残ってしまう。
(俺も、アレクのそうやってちゃんと俺を見て認めてくれるとこ、好き……かも)
きっと恋に落ちるきっかけなんて、些細なことなんだ。
*
だからと言って、アレクとの恋が進展するなんてこともなく。
身分差もあるし、そもそも男だ。恋人になりたいなんて、そんなおこがましいことは考えてなかった。
子どもだと思われていたわけだし、今までのように平穏な日々の中で同じ時間を過ごせるだけでよかった。
それからは平坦な毎日…‥と言いたいところだったが、15歳の時に猛威をふるった流行病で母と王様が亡くなった時は動揺した。
養父である王は亡くなる時、
「今度こそ愛する人に置いていかれなくて済むようだ」
と安心したように笑っていたそうだ。
母を亡くしたことはどうしようもなく悲しかったけど、ちゃんと二人が愛しあっていたことには安堵した。
母と養父がいなくなった後は王宮から追い出されることを覚悟していたものの、義兄達は「縁があって弟になったのだから」と約束通り成人まで置いてくれた。
王宮を出る時には「困った時はいつでも頼ってきなさい」と言って、少なくない支度金まで持たせてくれたぐらいだ。
よく出来た人たちで、血の繋がらない弟なのに可愛がってくれていた。本当に恵まれていたと思う。
だからこそ、迷惑なんて掛けられない。
王都に降りてからは一人でやっていくんだと、心を奮い立たせた。
(そう、俺は一人でやっていくつもりだったんだ)
しかしなぜか目の前にはかつての護衛騎士がいて、夕飯を共にしていたりする。
「キリエ、もっと食べるべきです」
呼び名だけは敬称が付かなくなったものの、手が止まっていた俺を見て注意する口調はこれまでと変わらない。
俺が稼ぎ場にしている酒場へといつものようにやってきたアレクは、占いの仕事を終えた俺を待って、食事を一緒にとっている。
「もう十分食べたよ。アレクと違って体力仕事じゃないから、そんなに必要ないんだって」
断ったはずなのに一口大に切り分けられた肉を寄越されて、渋々口に運ぶ。
ちなみに俺がどれだけ食べようとも、会計は一皿代程度のワンコインしか出させてもらえない。残りはアレクが払ってしまう。
(一体この状況はなんなんだろう)
首を傾げたくて仕方ない。
アレクはもう俺の護衛騎士の任を解かれたはずなのに。なぜか週の半分はこうして酒場で食事を共にしている。
ちなみに、既に1年はこんな生活だ。
ずっとアレクの世話になりっぱなしなのである。全く独り立ちできてない。おかしい。
そもそも、城下町で俺が暮らせる家を探してくれたのはアレクで、占い師をすることにした俺の稼ぎ場所の交渉をしてくれたのもアレクなのだが。
これに関しては、アレクの実家であるバーデン伯爵家の威光を借りられて大変助かった。きっと餞別代わりの最後の手助けだろうと、有り難く思っていた。
だが、護衛騎士を辞した後のアレクが、町の騎士団に所属するなんて聞いてなかった!
おかげで今もこうしてよく会っているわけだけど。
どうしてこんなことになってしまったのかわからない。
(俺はちゃんと陛下と王弟殿下に、アレクは本当によくしてくれたと伝えたはずなのに……っ)
俺には本当に勿体無い、よく気がつく有能な騎士だ。
義兄達にはそう強く言っておいたから、てっきり王族の護衛騎士に返り咲くと思っていたというのに。
町の騎士団では副長補佐をしているとは聞いているが、花形の名誉ある職から弾かれたのは降格なのでは?
もしかして俺が知らないだけで、アレクは何か問題を起こしたりしたのだろうか。それともバーデン伯爵家に何かあったんだろうか。
今日もアレクはいつもと変わらない表情で、俺の目の前で食事をしている。悲壮感は見えない。
(むしろ、機嫌は良さそう?)
ちゃんと食べ終えた俺を見て、満足げに小さく頷いてくれる。
もう昔みたいな、発育不良の子どもじゃないんだけどな。相変わらず肉はつきにくい体質だが、背はずいぶん伸びたし健康状態もすこぶる良い。
「食べ終えたなら帰りましょうか」
「うん」
席を立って、急いでアレクの手に自分の分のお金を捩じ込む。足りてないとは思うけど、せめてワンコインは払わないと申し訳なさすぎる。
そして店を出れば、当たり前のようにアレクが家まで送ってくれようとする。
しかし、俺の家は酒場から1本裏路地に入った場所にある。徒歩5分もかからない。
「一人で帰れるよ」
毎日、町中を西に東にと巡回して、何かあれば駆けつける大変な仕事をしているアレクは疲れているだろうに。少しでもはやく帰って休んでほしい。
申し訳なくてそう申し出れば、呆れた目で見下ろされた。
「ご自分の見た目を考えてください。人攫いに遭ったらどうするんですか」
「そんなに心配してくれるなら、護身術を教えてくれればよかったのに」
「俺がいるんだから必要ないでしょう」
でも、と言いかけた唇は躊躇って結局声に出来なかった。少しだけ視線を逸らして、うん、と曖昧に頷くに留める。
(でも、それはいつまで?)
そう訊いてしまったら、こんな時間に終わりが来てしまいそうだったから。
いつまでも世話をしてもらうわけにはいかないとわかってる。もしかしたら、アレクは義兄に俺のことを頼まれて様子を見てくれているのかもしれない。
だけどもう1年だ。
町の中に見知った顔も増えたし、占い家業もそれなりに軌道に乗ってきた。お得意様もたくさんできて、うまくやれていると思う。
そろそろ手を離しても良い時期なんじゃないだろうか。
(それとも……自惚れても、良いのかな)
もしかしたらアレクの意思で、そばにいてくれるんじゃないか、なんて。
いっそ訊いてしまおうか。どうしてここまでしてくれるんだ、って。
無意識に緊張して冷たくなった指先を握り込む。
義兄に頼まれただけなら、その場合は俺から解放してあげるべきだろう。これ以上、アレクの手を煩わせるわけにはいかないと言える。
(でも、そうじゃなかったら?)
もし、アレクの意思で。たとえば俺と同じ……とまではいかなくても、ほんのちょっとでも俺を想う気持ちから傍にいてくれてるのなら。
俺は男だし、アレクも男なんだけど。
それでも。
心臓が薄い胸の下でドクドクと強く脈打つ。期待と不安で息まで苦しい。やたら大きな心音が隣を歩くアレクにまで伝わったらと考えると怖い。
こんなにも振り回されるくらいなら、いっそ。
ここで、はっきりさせてしまえたら。
我が家の扉が見えてきたところで、意を決して隣を歩くアレクを引き止めようと指を伸ばしかけた。
けれども俺が引き止めるより先に、アレクが足を止めた。淡い水色の瞳が俺を見下ろす。
「ですが、実は明日からかなり忙しくなりそうなのです。しばらく食事をご一緒できそうにありません」
「え……」
覚悟を決めた途端、冷や水を浴びせかけるような言葉を言われて声を失った。
「ですからキリエが困った時は周りに手助けしてもらえるよう、お願いしてあります」
「周り……?」
「酒場の店主と、飲みにきている俺の同僚達にです。困った時は遠慮なく彼らに申しつけてください」
「過保護だし、俺は何様だよ。……もうガキじゃないんだから」
生真面目に答えられて、気の抜けた声しか出せなかった。
なんとか返事をしながらも、じわじわと顔から血の気が下がっていくのがわかる。路地裏は暗くて、夜の帷が俺の顔色を隠してくれたのは幸いだった。
「時間ができた時には、出来るだけ顔を出すようにしますから」
微かに頬に触れられた指の甲を優しく感じる反面、まるで駄々っ子を宥めてるみたいにも感じる。
俺はそんなに情けない顔をしているんだろうか。それは駄目だ。
落ち込む気持ちを奮い立たせて、出来るだけいつもみたくへらりと笑ってみせる。
「忙しくなるなら無理しなくて良いから。むしろ今までよく世話してくれてありがと。俺は大丈夫だから、アレクも頑張れよ」
声を震わせることなく、いつも通りに言えた自分を褒めてやりたい。
「それじゃ、ここまでありがと。おやすみ」
出来るだけ明るい声をかけて、自分の家の中に逃げ込んだ。後ろ手にそそくさと扉を閉める。
アレクが立ち去る足音が聞こえなくなってから、ずるずるとその場に座り込んだ。無意識に口から吐息がこぼれ落ちる。
「そっかぁ……しばらく、会えないのか」
ぽつりと呟いて、一人きりの部屋で天井を仰ぐ。
(しばらくって、いつまで)
なんてな!
忙しくなるなら仕方ないよな。アレクにはアレクの生活があるんだから。むしろ今までが会いすぎていたぐらいなんだ。仕事も忙しいだろうし、それに……
好きな子ができたのかもしれないし?
伯爵令息だから、26歳という年齢的にも令嬢との婚約話が出てたっておかしくないんだから。
だけど、もしかしたら。
(忙しいなんてただの言い訳で、このまま徐々に疎遠になっていくための言葉だったりして)
ひんやりと冷たいものが胸の内側に染み込んできた。それと同時に羞恥心にも襲われる。
(早まって変なこと口走ったりしなくてよかった!)
せっかく今までいい関係を築いてきたのに、おかしなことを口にして場を凍り付かせてしまうところだった。
顔が熱い。心音が脈打つ速度を上げる。
期待していた自分が今更すごく恥ずかしい。余計なことを言わずに済んでよかった。幻滅されなかったことに安堵する。
その反面、このまま距離ができるのかも、って寂しい気持ちも湧いてきて胸を掻き回す。
だったら、やっぱり言っておけばよかった。
……そう考えてしまう自分もいたりして。
思わず両手で顔を覆うと、情けない呻き声を上げた。
どうして自分の心なのに、思うように制御できずに持て余してしまうんだろう。
*
それから二週間、アレクとは一度も食事を共にすることはなかった。
一度だけ顔は見せてくれたけれど、すぐに同僚に呼び出された。食事をする間もなく険しい顔で帰ってしまったので、忙しいというのは本当みたいだ。
そのことに安堵してしまう自分がいた。
(こんなにアレクと会わないのは初めてかも)
胸にはスースーと隙間風が吹いてるみたい。だけど日々はいつもと変わりなく過ぎていく。
アレクがいなくても、それなりにうまくやれていた。一人でいる俺を見て、一緒にご飯を、と誘ってくれる酒場の常連客も多い。
今も王宮にいた時からのお得意様かつ、アレクの友人でもある騎士が、
「キリエ様、今度はパン屋のマリナちゃんとの仲を占って」
と泣きついてきている。
ちなみに俺が亡き妾妃の息子なことは公にしてないのに、いまだに一部の輩が癖で様付けするから、周りまで俺をキリエ様と呼ぶ。
あやしい宗教の教祖みたいで少し困る。
「マリナさんは難しいんじゃないかな。ほら、石の間に違う石が入ってるし、こちらの色の方が強いから」
「そんなぁ……いつも笑いかけてくれるから脈アリだと思ってたのに!」
「その代わりと言ってはなんだけど、こっちにキラキラしてる小さな石があるだろ? 周りを気にしてみるといいよ。レオを見てくれてる人がいるかもしれないね」
彼が弾いた石を指先で示した。昼間に大広場で女性達相手に占うことで手に入れた情報を混ぜ込みながら、結果を告げる。
実はパン屋のマリナさんは顧客だ。
アレクのことが好きなのだと俺は知っている。
そして目の前にいる、金髪に泣きぼくろが特徴的な騎士レオのことを密かに思っている侍女も顧客にいる。「キリエ様なんとかしてくれる?」とお願いもされていた。
ずるいとは言う勿れ。
俺は些細なきっかけを与えるだけの役割である。
その侍女は目がくりっとしていて愛らしい。マリナさんほど豊満な胸はないが、笑顔の可愛い女性だ。機会があれば素敵な関係になれるだろう。
(本当は、レオをマリナさんにけしかけたいくらいだけど)
恋敵は少ない方がいいじゃないかと思いつつ、しかしアレクの為にはそんな真似をしたらいけないと自分を律していた。
結構前の話になるが、マリナさんにはアレクに付き合ってる人はいないみたいだとも教えている。
いっそアレクが綺麗な女性と付き合ってる姿を見れば、俺も潔く諦められるかもしれない。
……なんて思ったりしたこともあって、試行錯誤していたのだ。
それはともかく、占い結果にレオが目を輝かせた。
「俺の周りにそんな子が!? 綺麗なお姉さんだといいな!」
「それは確約できないけど」
残念ながら、侍女はレオより年下の女の子である。
「俺が狙う綺麗なお姉さんは、皆アレクの方に行っちゃうからな~」
はあ、とため息をついて言われた言葉にギクリとした。
俺とアレクは長い付き合いだと思うけど、実はアレクの私生活はそれほど詳しくない。アレクは俺の話をよく聞いてくれるばかりで、自分のことはあまり話さなかったから。
そういえば、占いを頼まれたこともない。
所詮は人間観察をした結果で、気休めだと知っていたからなのか。
あれだけアレクの側にいたのに、恋心が目を曇らせるのかアレクの本心はよくわからないから、占わなくてよかった気もするけれど。
(優しくしてもらってたんだってことは、わかるけど)
今頃なにしてるんだろう。
これだけ俺と離れていたら、今頃は伸び伸びと羽を伸ばせているんだろうか。
「そうそう。アレクといえば、来週には落ち着くと思うよ」
「なんだか大変そうだよね」
「まだ言えないけど、来月にはキリエ様が驚く話を持ってくるかもしれないよ!」
ニヤニヤと笑いながらレオはそんなことを言った。
「そう……何だろうね」
俺が驚くとしたら、アレクが結婚するって言う時くらいじゃないだろうか。
(そっか。その可能性もあるんだ)
貴族は婚約するだけでも婚約式やお披露目があって大変だと聞く。これだけ会えていないのは仕事だけでなく、私生活でも忙しくしている可能性はあった。
もしそうなるのなら、「おめでとう」と笑って祝福出来るようにならないと。
そう考えたら、その日は一日中ギシギシと胸が軋んだ。
*
どこか鬱々とした気持ちを抱えたまま、気づけば一週間が経っていた。
その間もアレクにはまったく会えなかった。
わざわざアレクが俺のいる場所に足を運ばない限りは、全然会えないものなのだと初めて気づいた。
だがレオが言うには、そろそろアレクも落ち着く頃合いなんだと思う。
(また会いにきてくれるかな)
だけど時間ができると言うことは、それまで忙しかった何かが一段落したと言うことでもある。
仕事だけじゃなくて私生活も忙しかったのなら、その理由を考えると不安が湧いてきて胸がひやりとする。
次に会った時に、「実は婚約したんです」と言われてもおかしくはない。
いっそ自分で自分の未来を占いたくなってくる。でも自分のことを冷静に客観視できないから、都合のいい読み取り方をしてしまいそうだ。
ううんと唸っていたら、不意に目の前に影が落ちた。
いけない。お客が来たようだと顔を上げる。
今は昼間の稼ぎ場にしている憩いの場所である大広場の一角で、占い屋を開いているのだった。
目を上げた先には、口元のほくろが色っぽい赤毛の綺麗なお姉さんが立っていた。
「キリエ様、また恋占い頼んでいい? 新しい出会いが欲しいの!」
そう声をかけてきたのは、つい先日レオに恋占いを頼まれて脈なしだと告げたばかりの、パン屋のマリナさんだ。
彼女は占いが好きで、よく俺の店を利用してくれる常連さんでもある。
だからつい口が滑った。
「前まで気にしてた騎士様は?」
ちなみに、その騎士様とはアレクのことである。
探るような真似は無粋だと思いつつ、魅力的な恋敵が別の恋を求め始めたことが気になった。
アレクのことは飽きてしまったんだろうか。あれほど「すごくかっこいい! まさに理想の男性なの!」と、恋を知ったばかりの少女みたいに頬を染めてはしゃいでいたのに。
すると、マリナさんは不満げに唇を尖らせた。
「だって、断られちゃったんだもの」
「え……ごめん」
申し訳ないことを聞いてしまった!
(でもアレク、断ったんだ……)
マリナさんは酒場の男性陣にも人気があるパン屋の看板娘だ。こんなに色っぽくて、可愛いところもある魅力的な女性なのに。
それでも駄目だったのかと動揺が走る。
もちろん「付き合うことになったの」と言われたらショックだし、落ち込むとは思うけど、こんな綺麗な女性相手なら仕方ないと諦めもついたのに。
アレクを好きな俺から見ても素敵な人なのに、何が駄目だったのかわからない。
そんな思いが顔に出ていたのか、マリナさんは目を三日月型に細めた。ふふっと可愛く笑ってくれる。
「こんな魅力的な女を前にして断るなんて、ありえないわよね? でも、好きな人がいるからって言われちゃって」
「好きな人……!?」
頭をガツンと殴られたかのような衝撃を受けた。
ぐわんぐわんと目眩に襲われる。それを必死に堪えて、呆然と呟いた。
そんなの、アレクの口から一度も聞いたことがない。
あんなに傍にいたのに。
「すっごく可愛い人なんだって。すごーく優しい目で惚気られちゃった。嫌になっちゃう。あんな顔見せられたら、奪い取る気もなくなるじゃない?」
愕然とする俺の前で、マリナさんが溜息混じりに愚痴をこぼす。
「元々アレク様は貴族だし、期待はしてなかったんだけどね。やっぱり伯爵子息ともなれば、お相手は可愛いご令嬢なのよ」
はぁ、と長々と息を吐いて言われる言葉が頭の中で反響する。
わかっていたことなのに、改めて客観的に聞かされると現実が突きつけられるかのよう。
「あ! ちょっと見て、噂をすれば! あれってアレク様じゃない!?」
「!」
目を丸くして声を上げたマリナさんに釣られて、視線の先を追いかけてしまった。
(…………アレクだ)
そしてその隣には、見たことのない令嬢の姿がある。
「珍しく私服ね……隣にいるのが、その好きな人なのかも。やっぱり綺麗なお嬢様よねぇ」
マリナさんの言うとおり、アレクは騎士団の紺の制服ではなかった。珍しく貴族然とした私服姿である。
いつも俺の傍にあったその手が、今は隣を歩く小柄な女性をエスコートしている。
艶やかな銀の長い髪と、歩くたびにレースに縁取られたドレスの裾が揺れる。華やかな女性だ。大きな瞳は綺麗な青で、アレクを見上げて可憐に笑っている。
そんな相手を見下ろして、綺麗に笑い返すアレクがいた。
(そんな顔……俺は見たことない)
じくり、と心臓が引き攣るように痛んだ。
無意識に固く拳を握りしめていた。掌に自分の爪が食い込む。だけどその痛みを感じる余裕もない。
むしろ今は、ヒリヒリと焼け付く胸の内側からの痛みに心が悲鳴を上げていた。
その間も、視線の先の二人は大通りへと向かって歩いていく。その様はなんてお似合いなんだろう。隣に並んで立つことに、なんの違和感もない。
(……いつかはこんな日が来るって、わかってたことだろ)
でもわかったつもりでいただけで、全然覚悟なんて出来ていなかったんだ。
ふと、アレクの視線が一瞬こちらに向けられた気がした。
だけど急に怖くなって、気づかなかったふりをして顔を逸らした。何も見てない、なんて自分に言い聞かせるように。
でも脳裏にはお似合いの二人の姿が焼け付いていた。なぜだろう。喉が焼けたみたいに、息をするのも苦しい。
「やだ、キリエ様だいじょうぶ!? 顔色が悪いわ。気分悪かったの? もう今日は帰って休んだほうがいいわ」
ぐらぐらするのは、ショックのあまり貧血を起こしていたからみたいだ。あまりの軟弱さに自分に驚かされる。
うまく動けない俺を見て、面倒見の良いマリナさんが手早く占い道具を片付けてくれた。まとめて手に待たせてくれる。
「気をつけて帰ってよ」
心配そうな顔で念を押された。
占いなんてできる状態ではないので、言われるままに頷く。ふらふらしそうな足を叱咤して家路に着いた。
どこをどう歩いたのかおぼつかないまま、気づけば自分の家に帰り着いていた。
重い足を持ち上げて二階に上がる。寝室の扉を開けて、顔面からバタンとベッドに倒れ込んだ。
身体中から力が抜けたみたいだ。何もする気になれなかった。
心にぽっかりと大穴を開けられたみたいで。
(なんというか、本当に、俺はアレクが好きだったんだな)
覚悟していたはずだったのに。いざ目の当たりにしたら、受け入れるのがこんなにも耐え難い。
俺は自分で考えていたよりもずっと、他の誰かより俺を選んでくれると信じていたのかもしれない。
(そんなこと、ありえないに決まってるのに)
向けられる真摯な眼差しが、いつも気にかけてくれる細やかな気遣いが、俺に錯覚させてしまっていた。
(馬鹿だなぁ、ほんとに)
やっぱり俺のことは、義兄達に頼まれていただけだったんだ。そうじゃなかったとしても、きっと俺があまりに頼りないから、弟分の面倒を見る気持ちで世話を焼いてくれていただけなんだろう。
その優しさを勝手に勘違いして、自惚れていた。
不思議と涙は出なかったけど、胸の芯が抉られたみたいに痛む。
ぎゅっと全身で丸くなって、「ばかだな」と呟く声が虚しく落ちた。
うっすらと重たい瞼を持ち上げる。窓の向こうはすっかり暗くなっていた。
鬱屈した気持ちを抱えている内に寝入ってしまっていたみたいだ。窓の外からは夜の町特有の喧騒が響いてくるから、夕飯の時間には間に合うくらいだろうか。
(腹は減ってないけど、そういえば昼も食べてなかった)
いつもは昼休憩中に占いに来る女性が多いので、そちらを終えてから昼食を摂るようにしていた。今日は途中で帰ってきてしまったから、昼を抜いたことになる。
食べてないとまた怒られる。
そう思いかけて、緩く首を振った。
もうそんなことを気にする必要もないんだ。アレクには、他に生活を共にしたい人ができるんだし。もう俺の行動に口を出すこともなくなる。
このままふて寝の続きをしてしまおうか。
そう考えたけど、無性に人恋しくてベッドから立ち上がった。一人で部屋にいるとどんどん気持ちが沈んで、浮かび上がれなくなりそうだったから。
せめて夕食くらい、誰か人のいる場所の方が気が紛れそう。
自分を叱咤して家から出ると、いつもの酒場に足を向けた。
徒歩5分の距離なのにいつもより長く感じる。もしかしたらアレクが来てるかも、なんて考えてしまうせいだろうか。
会って確かめたいような。
何も聞きたくないような。
会ったら何が言えるだろう。笑って「昼間のあの子は婚約者?」って、茶化すように聞けるだろうか。
情けなく泣いてしまったら、どう誤魔化せばいい。
答えは出ない内に酒場に辿り着いた。
店の扉をくぐれば、すぐに店主が俺に気づく。何も仕事道具を持ってきてない俺を見て、不思議そうな顔をした。
「どうした、キリエ様。なんか顔色が悪くないか? 具合でも悪いのか」
騎士も真っ青なムキムキで強面な中年の店主が寄ってきて、声を掛けてくれる。一人で三人の子供を育て上げただけあって、こういうところは目敏い。
「そんなことはないけど……ちょっと疲れてるのかも」
誤魔化そうとしたけど怖い顔をされた。慌てて当たり障りのない程度に弱っていると認める。
「あっちに座ってな。リゾット作ってやるから、それ食べたらすぐに帰れよ。それとも迎えが来るか?」
「ありがと。迎えは……ない、と思う」
「そうか」
何か察したみたいな目をして、見た目よりずっと親切な店主はぐしゃりと俺の頭を撫でた。
なんだろう。なんだか胸の中を見透かされてるみたいだ。そんなに失恋が顔に出てる?
言われるままに店の端の席に座り、自分の頬を指で引っ張ってみる。
その間も橙色のランプが灯る店内はざわざわと賑やかだ。ここに来れば寂しさが和らぐかと思っていたのに、ぽつんと座っている自分の姿に虚しさが押し寄せてくる。
たぶん常連に声を掛けたら一緒に食事をしてくれると思う。だけど占い道具もなく、ぼんやりと座っているだけの自分には一体どんな価値があるんだろ。
(ずっとそばにいた人の一番にも、なれなかったのに)
自虐的な気分が湧いてきて、いっそ笑いたくなってくる。
なのに頬は引き攣って、きっと今の俺はすごく情けない顔をしてる。
「なあ、アンタずっと一人だな。俺と一緒に酒でもどう?」
鬱々と顔を伏せていたところで、不意に聞き慣れない声が掛けられた。
驚いて顔を上げれば、あまり見かけない顔の男が立っていた。
騎士みたく逞しいが、格好は流れの旅商人風で身軽である。人好きのする笑顔を浮かべて、それでいて切れ長の瞳は鋭くも熱を帯びて見えた。
こちらを狙う捕食者の目だと、本能的に思う。
いつもならこういう輩に近づかれる前に店主が追い払ってくれたり、アレクの鋭い眼差しに気圧されてそそくさと退散していく。
でも今は店主は料理中で、アレクもいない。
(そうか、守ってくれるアレクはもういないんだ)
ズキリと胸が痛む。
それでいて、頭の端っこで『こんな俺を見初めてくれる人もいるじゃないか』なんて思いが疼く。
アレクが見てくれなくても、俺を見てくれる人はこうしているじゃないか。
どんな形であれ、俺を欲しいと言ってくれる。
俺を好きになってくれる人は、きっといるのだと思いたい。
声を掛けてきた男は黒褐色の短い髪に灰色に瞳をしていた。そんな色彩が、ほんの少しアレクを思わせる。
失恋したての疲弊した心は、たったそれだけで自分でも怖いくらい簡単にぐらりと揺らぐ。
ここで伸ばした手を取られたら、空いた胸が少しだけ埋まるような。
逆に埋まった分、息苦しくなったことには気づかなかったフリをして。
差し出された手に指を伸ばしかける。
「何をしているんですか、あなたは。馬鹿なんですか?」
そんな時だ。
むかつく言葉と共に現れたのは、今まさに自分の頭の中を占めていた人物だった。
「アレク!?」
アレクは伸ばしかけた俺の手を取ると、男から容赦なく引き剥がす。
ぎょっと目を剥いた俺を見ることなく、アレクはそのまま俺と男の間に身を割り込ませた。昼間見かけた私服姿のままの広い背中が俺の視界を遮る。
「悪いが、こちらが先約です」
いつも通りの丁寧な口調だ。しかしやたら声は低く、怒気を孕んでいるのがわかってギクリと体が竦んだ。
いや、でも俺は約束なんてしてなかったけど。
対面にいる男は真正面から凄まれたらしい。怖い怖いと言いたげに肩を竦めて、一歩後ずさる。
「なんだよ、連れがいたのかよ。そんなに怖い顔するくらいなら、ちゃんと繋いどけよな」
そう言う男を無視して、アレクは無言でこちらを振り返った。俺の腕を掴んで強引に立ち上がらせる。
有無を言わせない雰囲気に思わず従ってしまったけど、引きずられるまま酒場から出て外の空気に晒されると我に返った。
「なんだよっ。俺がどこで何をしようと、もうアレクには関係ないだろ!」
変な現場を見られた恥ずかしさと、昼間の出来事を消化できない思いから、つい憎まれ口が飛び出してしまう。
だけどアレクは振り返りもしない。
そして本気のアレクの力をふり解けるほどの力が俺にあるわけもなかった。
腕を掴まれたまま自宅に帰りつき、アレクは勝手知ったると言わんばかりに俺のポケットから鍵を取り出して扉を開く。
そのまま家に押し込められるだけかと思いきや、アレクは互いの歩幅を慮ることなく大股で部屋に押し入った。なぜか階段まで上がって、2階の寝室までやってくる。
意味がわからない。
半ば呆然としている間に、腕を強く引かれてベッドに押し倒された。
「!」
衝撃に目を瞑った俺の背中で硬いベッドの軋む音が響く。
手首に痛いほどの重みがかかって、薄らと目を開けば真上に陣取って俺をベッドに磔の刑にしているのは、見慣れた男の端正な顔。
それもちょっとどころでなく、怒って見える。
一瞬たじろいで、息を呑んだ。
(どういうことなんだよ)
なんでアレクが怒ってるんだ。
怒る権利なんてないけど、俺の方こそ好きな子がいたことも言われずに、期待させられたことを恨みたいくらいなのに。
「誰でもいいなら、俺でもいいでしょう?」
だからそんなセリフを吐きながら、剣呑な眼差しで俺を見下ろした相手に目を瞠った。
「なに言って……」
「少し目を離した隙に横から掻っ攫われるぐらいなら、待ってなんてやるべきじゃなかった」
意味のわからないことを言うアレクが苦しげに眉根を寄せた。
体にかかる重みが増して、反射的に身を強張らせる。距離を詰められたと思ったら、首筋に唇が触れて頸動脈の上に吸い付かれた。
「!」
一瞬、食いちぎられるんじゃないかと思えた。獣に獲物認定されたみたいだ。
バクバクと心音が一気に脈打つ速度を上げる。まんまるく見開いた目には、鋭く熱い眼差しを向けてくるアレクが映る。
まるで俺を欲しがってるみたいに、飢えた目をした。
息が止まる。
目が離せない。
シーツに縫い付けられていなくても、きっと動けなかった。
視線が絡み合ったまま、呆然と見つめていた俺との距離は息が触れ合いそうなほど、近くまで。
だけどその唇が触れる寸前。
咄嗟に顔を背けて叫んだ。
「アレクには好きな子がいるんだろ!」
なのに、なんで俺にこんなことをしようとするんだ。
昼間のご令嬢を忘れられるわけがない。あの子とのことはどうなってるんだ。
俺の見たことのない顔で、笑いかけていたくせに!
「キリエですよ」
するとアレクは俺を見下ろしたまま、眉根を寄せた厳しい表情ではっきりと答えた。
「…………、は?」
「ですから、俺の好きな相手はキリエです。むしろあなた以外、誰がいると言うのですか」
「……俺?」
何を当たり前のことを言わせるのかと言いたげな態度に目を瞠った。しばし呆然とアレクを見つめ返す。
いや、でも確かに、そうなのかなって思う時もありはしたけど。
でも!
「じゃあ、昼間のあの子はなんなんだよ。そんな格好までして、エスコートしてただろ」
百万歩譲って、アレクが俺を好きだったとしても。
あの可愛い女の子は婚約者か、婚約者候補なんじゃないのか。
するとアレクは息を吐くと、ゆっくりと身を起こした。俺の手も掴んで引き上げて、二人で向かい合ってベッドの上に座り込む形になる。
改めて向かい合うと、アレクの水色の瞳が俺を覗き込んだ。
「あの方は、隣国から外交官としていらした公爵一家のご令嬢です。大仰にせずに王都を見て回りたいと事前に打診されていたので、俺が立場的にも都合が良いと抜擢されて、護衛も兼ねてご案内していました」
「外交官のご令嬢……? でも、俺が見たこともない顔で笑いかけてた」
「社交用の顔ですから、キリエが見たことないのは当然でしょう。好きでしている顔ではありません」
「……だって、二人きりで。あんなに仲良さそうにしてたのに?」
淡々と答えられて怯みそうになりつつ、それでも確認したくて質問を重ねてしまう。
「二人きりに見えたかもしれませんが、実際には私服姿の護衛騎士が他にも何人か控えていましたよ。この3週間忙しくしていたのも、万が一にもご令嬢に危害が及ばないように見学順路の下見や、町の警備強化と不審者の一斉検挙をしていたからです」
アレクは少しだけ呆れた顔をしたけど、丁寧に説明してくれる。
眼差しで「他にご質問は?」と問われたので、思わず小さくなりながら呟く。
「そういうことなら、教えてくれてたらよかったのに」
「申し訳ありませんが、騎士団内部の機密事項はキリエでも話せません」
「……ごめん」
じわじわと羞恥心が湧いてくる。顔が熱くなるのがわかる。
つまり昼間のご令嬢との仲は俺の勘違いで、アレクは本当は俺のことが好き……
「俺のことが好き!?」
改めて言われた言葉を反芻して、今更ながらに驚愕が押し寄せてきた。
「だって、アレクの好きな子はすごく可愛いって聞いたけど!?」
「俺にとってキリエは誰よりも可愛いです」
「いや、かわいいとこなんて無いだろ……っ」
「ありますよ」
息を一つ吐いて、アレクが引き攣った俺の頬を硬い指の甲で撫でる。
「占いで相手が笑ったら、キリエも嬉しそうにする顔を見るのが好きです。相手が悩むと一緒に悩んでさしあげる姿も愛しいと思っていました。落ち込んでる者がいれば、誰にでも気さくに話しかけられる優しさもあって……」
「まって! ほんとにまって! 受け止めきれない!」
真顔で淡々と告げられても、こんな急には気持ちがいっぱいいっぱいで抱えきれない。
それなのにアレクは小首を傾げて、容赦なく続ける。
「初めて会った時も。驕ってもおかしくない立場なのに謙虚で。わざわざ俺と視線を合わせるために屈んでくださったでしょう? 自覚したのは随分後でしたが、きっとその時から惹かれていたのだと思います」
真摯に告げられた言葉に顔が熱を帯びる。冷静に受け止めることなんてもうできない。あわあわと口が変な風に動いて、でも声を出す余裕すらない。
だって今までそんなそぶり、全然なかった……とは言わないけど。
もしかして、と思ったことは何度もあったけど。
本当に?
「今更驚くことですか? 明らかだったでしょう。キリエが俺を好きなことが明白なのと同じで」
その一言で、ギクリと体が震えた。
錆びついたブリキ人形のごとき動きでギギギと首を動かして、アレクの瞳を見つめ返す。
そんな……いつからバレてたんだ!?
「気づいてたなら言ってくれたらよかっただろ!」
そしたらこんな風に空回ることなんてなかったのに!
思わず羞恥心から声を荒げてしまったら、アレクが苦く笑った。
「俺からは言えませんよ。あなたの恋心はただの刷り込みや、一時の憧れの可能性がありました」
「そんなんじゃ……っ」
「だからちゃんとあなたが大人になって。世間を見て、自分の意思で判断できるようになってから、俺を選んで欲しかった」
語られる声は優しかった。
……なんでそんなとこまで過保護なんだよ。ちょっと感極まって泣きそうになっちゃっただろ。
「というか、自分が選ばれる前提なんだ」
「キリエが女性を選ばれるなら、諦めましたよ。でもそうでないのなら、俺以上の相手なんていないでしょう?」
淡々としてるくせに、その言葉は自信に満ちている。謎の説得力に、思わず「うん」と頷いてしまっていた。
「……アレクが好き」
ずっと、好きだったんだ。
いつも俺の話に耳を傾けて真剣に聞いてくれるのも。
呆れずに常に気にかけてくれることも。
どんな時でも守ろうとしてくれる頼もしさも。
時々すごく優しい目で俺を見つめてくれることに、どうしようもなく心は歓喜に弾んでいた。
窺うように見上げたら、今度こそゆっくりと距離が詰められた。息が唇に触れて、そのまま重ねられる。
初めて触れる唇は思ったよりずっと柔らかい。だけど感動する間もなく、熱い塊が口の中に押し入ってきた。
「んっ」
始めてのキスの余韻に浸る間もない。
唇を舐めて、食んで、吸われて。舌と舌が絡まるとぞわりと背筋に震えが走った。
それは嫌悪ではなく期待でしかなくて、そんな自分の有り様に頭の芯まで熱が回る。
気づけば背中に回った腕が強く俺を抱きしめていた。無意識にギュッとアレクの胸元の服を握り込む。皺になるかも、なんて考える余裕なんてなかった。
貪るように口付けられて、くらくらする熱に浮かされる。
はっ、と息苦しさを覚えて口を離すと、唇の端、頬、首筋、耳へと口づけが降る。
好きな人に触れられるのは気持ちいい。
もっと触れていたい。
「アレク……、もっと」
掴んだままの服を引き寄せて、もう一度、と強請る。
そんな自分は、とっくに理性なんて溶け落ちていたんだ。
「煽ったのはあなたですよ」
アレクは一度だけ眉根を寄せて渋い顔をすると、今まで見たことがないくらい獰猛に目を輝かせて、噛み付くみたいにキスをした。
いつの間に服を脱がされたのかわからない。
肌の上を這い回る剣だこの出来た硬い掌と指に熱を煽られる。
「ぅあ、それ……変っ。じんじんする」
腹を撫でて、薄っぺらな胸を弄り、指の先で乳首をこねられたら変な声が出た。なんのためにあるのかわからないと思っていた場所なのに。
指の腹で執拗に擦られると、赤くしこりみたくなってきた。下腹部の更に下にじわじわと快感が走り抜ける。
漏れそうになる声を口を手で押さえていたら、不意に身を屈めたアレクが乳首に吸い付いてきた。
「っ!」
「痛いですか?」
「いた、くはない……んっ、だけど」
むしろ気持ちいい。片手で弄られながら吸いつかれたら、下肢がみっともなく反応してしまったくらい。
太ももを擦り合わせて込み上げる快感を堪えたいのに、間に入り込んだアレクの体が邪魔をする。
それに気づいたアレクがちらりと下に視線を走らせる。見るなよ。顔を真っ赤に染めてアレクの顔を両手で挟み込んだ。
それをねだられたと勘違いしたのか、アレクが伸び上がってきて唇にキスを落とす。
「んっ、ふ……っ」
与られる熱に溺れている間に、下肢でカチャカチャとベルトを外す音が響いた。
湧き上がる期待にゾクゾクするような。やっぱり怖くもあるような。
不意に、下腹部に熱くて硬いものが触れるのを感じた。
反射的に見下ろせば、同じように勃ったものに擦り付けてくるものが視界に入って目を瞠る。
なんか黒いし、赤い筋が浮かび上がってる。
俺よりでかくて、それを弱い裏筋に擦り合わせられるとビクリと腰が跳ねた。
「まっ……ア、レクっ」
「一度、抜かせてください……っ」
咄嗟に止めるべく手を伸ばしたら、自分の手ごとアレクの手に包み込まれた。ふたつの熱を重ね合わせたまま、俺の手ごとアレクが躊躇なく扱き上げる。
待って、なんて聞いてもらえない。
絞るみたいに擦り上げられると堪らない。先端から滲み出る先走りが指に垂れてきた。くちゅくちゅと淫らな水音と互いの荒い息が部屋に響く。
「はっ、はっ……ぁっ」
俺の手なんて全然役に立ってない。アレクの大きな両手に翻弄されるばっかり。
しかも重ね合ったアレクので弱い場所を擦られる度に腰が震えて、びくびくと手の中で反応してしまう。気持ちよさに口からはひっきりなしに変な声が出てくる始末。
あつい。
きもちいい。
下半身から回った熱が頭にまで到達して、馬鹿になっちゃいそう。
目の前がチカチカと明滅して、限界を先に迎えたのは俺だった。視界が真っ白になって、下腹部に熱い飛沫を感じた。
荒い呼吸に胸を喘がせながら、半ば呆然としてしまう。
(……アレクが、俺でこんなになるなんて)
好きだと告げられた言葉を疑っていたわけじゃないけど。こんな風に俺相手に興奮するのかと思うと、動揺の方が強い。
うっすらと目を開けば、こめかみに汗を滲ませたアレクの姿が映る。
はあはあと同じように息は荒い。出したはずなのに余裕の無い目で俺を見据えて、俺の下腹部に吐き出した二人分の精を指で掬い上げる。
不意にその指で臀部を弄られて、ひくりと喉が震えた。
覚悟はしていたし、そんな日が来たら、と思い描いたこともあった。
ぬるりと濡れた指で入口をくすぐられて、「待って!」と咄嗟に口走った。
「待てません。どれだけ待ったと思うんです」
「そうじゃなくてっ。そこ、棚の引き出しに……」
飢えた獣みたいに首筋にキスを降らせるアレクを押すと、ずりずりとずり上がった。腰を掴まれて引き寄せられそうになりながらも、手を伸ばしてベッド脇の小さな棚の引き出しを開ける。
勇気が萎む前に、常備してあった潤滑剤代わりのクリームが入ったケースを急いで取り出した。
「これ、使って」
片手に掴んだそれを、アレクの胸に押し付ける。
目を瞠って受け取ったアレクはケースを開けて中を確認するなり、怖いくらい剣呑な眼差しになった。
「……。どこの誰と、こんなものを使ったんですか」
「ちがっ。それは、自分でするときに……!」
よからぬ疑いをかけられて反論しかけたものの、これはこれで口にしていい内容ではなかったと口を噤む。
だがアレクの耳には聞こえてしまっていたみたいだ。
まじまじと、信じられないと言いたげな目で俺を見つめてくる。
「キリエが、自分で?」
「うるさいなっ。夢見るくらいいいだろっ」
たとえばいつか、求められる日が来るとしたら。
それはどんなに幸せで、どれだけ気持ちいいんだろう。
なんてことを夢想して、自分で弄ってみるぐらいは許されてもいいだろ。俺だって不健全な成人男子なのだ。
顔が異様に熱くなるのがわかる。
するとアレクが色っぽく目を細めて、俺の目尻に唇を落とした。
「今度、キリエがするのを見せてください」
「見せるわけないだろ!? てか、今度って……」
「次ももちろんありますから。その時は、キリエのいやらしい姿が見たい」
耳元に唇を押し付けられて、低く甘く囁かれたら駄目だった。
ずるい。珍しく甘えるみたいな真似をされたら、簡単に心が揺らいでしまう。
悔しくて恨みがましく見上げれば、ふ、と笑ったアレクが俺の足の間の体を押し付けてきた。
「ですが今はもう、俺も余裕がないので……っ」
再び熱と硬さを取り戻したアレクを入口に擦り付けられる。濡れた先っぽからはぐちゅりと音がして、ひくりと喉を鳴らせば少しだけ離れた。
ちゅっ、と唇に落とされたキスは軽くて、驚いている間にアレクの指が体内へと押し入ってきた。いつの間にクリームを使っていたのか、ぬるりとした指は抵抗もさほどなく狭い中に潜り込んでくる。
「んんっ」
「熱いですね」
耳元に囁かれる熱を帯びた声にゾクゾクする。
自分の指で弄ったことはあったけど、自分でするのとは全然違った。
硬くて太い指は中の感触を確かめるように進む。くちくちと濡れた音が響いて、思わず唇を噛み締める。一本奥まで入ったら引き抜いて、再び今度は二本に増やされて同じように内壁を探る。
「ふっ……は、あ、あっ」
「ナカ、すごく柔らかいです。挿れたら、どれだけ気持ちいいでしょう」
反論代わりにアレクの肩に爪を立てても文句は言われない。
代わりに、ずちゅずちゃと指を出し入れされた。擦られることで快感を得られる体は呆気なく反応してしまう。達したばかりのちんこはまた勃っていて、とろとろと先走りを溢してる。
それに気づいたアレクの手に包み込まれたら、我慢なんてきかない。
「も、ぃいっ。いいから!」
「!」
両手を伸ばしてアレクを引き寄せる。足でも逃すまいと絡めてやった。
距離が零になったせいで、とっくに勃ち上がっていたアレクの熱い塊が入口に触れた。
指を引き抜かれたと思った瞬間には、比べ物にならないほどの圧迫感と熱をねじ込まれる。
「アッ! あっ、あ……っんぁ!」
「キリエ。キリエ…ッ。はっ、もう、これで俺のものです……っ全部」
中を擦られて。引き抜かれて。
両手で強く腰を掴まれたと思ったら、奥まで突き入れられて揺さぶられる。
まるで食べられているみたい。
奥を小刻みに突かれるとチカチカと視界が明滅する。
想像よりずっと苦しいし、息すら忘れるほどの激しさにくらくらする。
荒い息遣いは俺自身のものか、アレクのものなのかすら判別がつかない。ただひたすらに体の感覚がすべて受け入れるところに持っていかれたかのよう。
内側を容赦なく硬くて太いもので擦り上げられて、全身が快感に総毛立つ。
あつくて。
きもちよくて。
穿たれる度、喉をのけぞらせる。奥を小刻みに突かれたら理性が溶けた。
「あっ、やだ、もう、それやだっ」
宥めるみたいに唇が降ってきた場所は吸い付かれてチリリと痛みを感じた。
アレクの引き締まった下腹部で俺のが擦られると、堪らずに背筋が震える。それだけでナカにいるアレクをぎゅっと締め付けてしまうのか、はっ、と息遣いが乱れる。
「あれく、きもち、ぃ……?」
「ええ、最高に……中がきつくて、やめられないくらいにッ」
余裕を忘れた声がどろりと心を溶かす。
「よかった」と答えると、強く抱き竦められた。
そこからは息をするだけで精一杯。容赦なく腰を振って打ち付けてくるアレクに縋り付く。
熱くて熱くて、繋がった場所から溶け合うかのよう。
受け入れた場所はヒリヒリするのか、ジンジンするのか、もう感覚すら朧げ。
うっすらと開いた瞳に映るのは、苦しげに眉根を寄せて目を閉じたアレクの顔。全然余裕なんて見えなくて、男らしいラインを描く頬から幾筋も汗が伝い落ちていく。
このひとは全部、俺のものだ。
「んぁっ、あっ! ッアレク……ぁあっ」
達したのは、また俺が先だったかもしれない。
ビクリッと全身が跳ねた。すると体の内側にも熱いものが満ちたのに気づいて、ぎゅっと目を閉じた。
どさりと肩口に落ちてきた人の塊は重い。気怠い中で手を伸ばして、心地よさげな疲労感を滲ませた頬に触れてみた。
ゆっくりと開いた目と目が合う。瞬間、水色の瞳がひどく愛しげな眼差しになった。
すきです、と掠れた声が耳に届く。
それだけで、思ったよりも余裕がなくて強引だった行為すら許せてしまうんだ。
ヘらりと笑って、「おれも」と頷いた。
*
その日から、またアレクは俺の元に通うようになった。
ただ、俺を送り届けた帰りにそのまま家に泊まっていくことも多い。泊まって何をするのかというと、もちろん言わずもがなである。
案外アレクは甘え上手だ。うまく転がされて色々させられてる気がする。
おかげで今日も今日とて、やや寝不足で重い体を叱咤しながら玄関に立った。
いつしか出勤するアレクを見送るのが日課になってしまいそうだ。
「そういえば。前にレオが、俺が驚く話をアレクが持ってくると思うって言ってたんだけど」
あの紛らわしい言葉はなんだったんだろ?
「ああ……そうでした。言い忘れていましたが、来年から副長補佐から昇格して副長になる辞令が出たんです」
「えっ! すごいことだろ!? お祝いしよう。なんで言い忘れるかな」
「キリエを前にすると、他はどうでも良くなるみたいです」
「なにそれ怖い」
真面目な顔をして言われたセリフに顔を引き攣らせた。
相変わらず俺のことが一番みたいな顔をして、過保護なのは変わらない。
ただアレク曰く、これは過保護なのではなく溺愛しているだけなのだそうだ。
恋人になった今となっては、そうとも言えるかもしれない。
そして今の俺は、この関係がとても幸せだったりする。
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