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第一章 仕事の一日
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ある日の事、朝起きて部屋で着替えるなり朝食も食べずに仕事場に向かおうとするカミーユの首根っこを、パンの焼ける匂いのする台所から顔を覗かせたアルフォンスの、細いけれども力強い腕がすかさず掴んだ。
「カミーユ兄ちゃん。仕事は飯食ってから」
「あれ? 食べなかったっけ?」
「そんなにお腹鳴らしながら良くそんな事言えるね?」
アルフォンスの言う通り、ほかの兄弟二人と比べて華奢なカミーユのお腹が、きゅるきゅると鳴っている。
毎回の事なのだが、仕事が大詰めを迎えると、カミーユは寝食を忘れて作業を続けるので、弟のアルフォンスとギュスターヴの二人で時計を睨み付け、作業のきりの良い所で引きずってきて食事を食べさせ、寝かし付けるのだ。
肩の下まで伸びた髪を紐で束ね、バンダナで前髪を上げながらカミーユは台所の隣に有る居間へと入る。
テーブルの上に乗っているのは一枚のディッシュに盛られた目玉焼きと、マッシュポテトと、ベーコンの入ったほうれん草のソテー。
それからカゴに入ったきつね色のブレッドと、カリカリに焼かれたバゲットだ。
「兄貴、早く飯食おうぜ」
既に椅子に大柄な身体を預けているギュスターヴがそう声をかけると、カミーユとアルフォンスも席に着く。
指を組み、食前のお祈りをし、それから各々料理に手を伸ばす。
黙々とほうれん草を食べるカミーユの様子を少し嬉しそうに眺めながら、マッシュポテトを食べるアルフォンス。
ふと、後から後からブレッドに手を出すギュスターヴに、アルフォンスが手をはたいて言う。
「ギュス兄ちゃん。パンばっかり食べないでほうれん草も食べる!」
「えー、俺ほうれん草嫌い」
「嫌いでも食べる!」
そうしている間にもカミーユはディッシュの上の物を食べ終え、パンには手を着けずにそそくさと席を立とうとする。
すると今度はアルフォンスがカミーユの腕を掴む。
「カミーユ兄ちゃんはパン食えよ!」
「えー。僕ブレッド嫌い」
「だからバゲットも用意してんだよね?」
とにかくパンを食べないと仕事をする体力が付かないだろうと、もう何度目かも解らない説得をされたカミーユは、渋々バゲットを囓る。
好き嫌いは諸々有る様子だが、庶民にしては比較的裕福な食事を食べられるのも、カミーユのおかげだと言う事を他の二人は解っている。
この三兄弟は両親の後を継いで仕立て屋をやっては居るが、裁縫が出来るのがカミーユだけなのだ。
本来なら、何人もお針子を抱えて数人がかりでやる様な依頼でさえ、カミーユは一人でこなし、尚且つ納期も破らない。
その状況を作っているのは、無茶とも言えるようなカミーユの労働状況だ。
朝早く起きてすぐに仕事に取りかかり、作業の手を止めるのは出来上がった時か、日付が変わる直前辺り。
『別に辛いと思った事は無い』そうカミーユはいつも言っているが、時折顔色を悪くしたり、溜まっていた仕事を片付けた後に泥の様に眠ったりしている兄を見て、ギュスターヴとアルフォンスは心配を隠せない。
けれどもカミーユはこのスタイルを崩す事は無いのだろう。
だから、なるべく力が付くような料理を作るにはどうしたら良いのか、アルフォンスは何度も町医者に聞きに行っている。
そんなアルフォンスの努力の結晶である朝食を食べ終わったカミーユは、手を軽く拭いてそそくさと作業場へと向かう。
同じように、何とかほうれん草を口に詰め込んだギュスターヴも、先日出来上がったばかりの依頼の品を届ける準備をしようと席を立ち、兄達の食事が済んだのを確認したアルフォンスは、食器をカゴに入れて街中にある水場へと食器を洗いに出かけたのだった。
カミーユが仕事場に籠もって数時間。
ひたすらに針と糸で布を縫い合わせる作業を続けている。
布を裁断する為の作業台が四台ほど置かれ、一人で使うには広すぎるのでは無いかと思われる作業場。
そこには明かり取りの為に大きな窓があるのだが、陽の光は布を傷めてしまう。なので、窓には薄手のカーテンが掛けられていて柔らかな光が仕事場を照らしている。
窓の外から聞こえる街の喧騒。それと、微かな衣擦れの音に包まれながら、作業台の内一台に布を乗せてカミーユは口を開かずにただただ手を動かす。
布の一片を縫い終わり、一旦糸の通った針を針山に刺した所で声が掛かった。
「兄貴、採寸の仕事だよ」
その声を聞いてドアの方に振り向くと、そこにはドアを開け、いつの間にか後ろに立っているギュスターヴの姿が。
「わかった。今行く」
手元にあった布の塊を、床に付かないよう注意しながら作業台の上に置き、カミーユは作業場を出た。
たっぷりと入る陽の光を少しだけ和らげる為と、目隠し様に用に薄手のカーテンが掛けられた採寸専用の小さな部屋で、カミーユはコルセット姿になった婦人の身体に巻き尺を当てて居る。
「アヴェントゥリーナ様、今回はどの様なご依頼で?」
「あのねー、新しいドレスを作って欲しいのよ」
「それは解っているので、どの様なドレスかというのをお訊ねしているのですが……」
アヴェントゥリーナの話を詳しく聞いていると、クリノリンドレスを作って欲しいとの事なのだが、フリルやレースは控えめで、スカートの裾にワンポイントで大きな花の刺繍を布と近い色の糸で入れて欲しいという。一見華美では無いが、よく見るとその繊細さがわかる、粋な物が欲しいらしい。
それは実に、普段から少し変わった注文をする、アヴェントゥリーナらしい要望だ。
カミーユは頭の中で、どの様なデザインになるのか、それを思い浮かべながらメジャーで測った数値をメモに書き込んでいく。
「なるほど。
ギュスターヴはどれくらいの納期を提示致しましたか?」
「あの子が言うには、他のお仕事もあるから三~四ヶ月見て欲しいって事だったけど、カミーユ君が刺繍もするんでしょ?
半年位かかっても構わないわよ」
「承知致しました。善処します」
そう話をしている間にも採寸とデザインの確認を終え、カミーユは作業途中の依頼品を完成させようと作業場へと向かった。
作業場に付くと扉の前で、エプロンを着けたまま腕を組んでいるアルフォンスが待ち構えていた。
カミーユが何事かと一瞬足を止めると、すかさずアルフォンスが首根っこを掴んでこう言った。
「カミーユ兄ちゃん。昼飯」
カミーユは反論する事も出来ず、ずるずるとアルフォンスに居間まで連れて行かれてしまう。
食事をする時間があるなら作業をしたいとカミーユはいつも思って居るのだが、その事をアルフォンスもよく解っているようで、昼食は簡単な物だ。
挽肉を入れ、トマトとポテトを裏ごしして煮た物にバターを一欠片入れた、人肌位の温度のスープ。
大きめな木の器に注がれたそのスープを、カミーユはお祈りをしてから直接器に口を付け、喉を鳴らして一気に飲み干す。
それから、口の周りを手の甲でぬぐい、それをハンカチで拭いた後、器を置いたカミーユはそそくさと仕事場へと向かい、少し陽の入り方が変わった作業場で作業を再開する。
仕事がある時のカミーユの昼食は、いつもこんな感じだ。
場合によっては夕食もスープだけ。
こんな食生活を続ける、自分よりも小柄な兄を見て、アルフォンスは早く休日が来れば良いのにといつも思って居る。
自分達の生活を支える為に懸命に働いているのはわかるのだが、それでも心配になってしまうのだ。
カミーユの休日は依頼品を全て片付け、次の依頼が来るまでの期間だけ。
安息日ですら、片付いていない仕事があるとおちおち休んでいられないと言って作業をするのだ。
安息日の朝のミサに出た時に、何度か神父様から『もう少し休んで良いんだよ』と言うお言葉を頂いては居るが、どうにもカミーユは休むというのが苦手らしく、ミサの後にも仕事をする。
何時の事だったか、ギュスターヴがカミーユにもっと休みを取れと言った事がある。
するとカミーユは苦笑いをしてこう言った。
「それはアルに言ってよ。
あいつも毎日家事やってるんだから」
「アルは安息日は適度に手ぇ抜いてるし、兄貴程無茶やってないかんな?」
「別に無茶はしてないと思うんだけどなぁ」
「自覚無いのか……」
その時も、不思議そうな顔をした後、カミーユはまたすぐに仕事へと戻ってしまっていた。
日も暮れ、ランプの明かりだけが仕事場の中を照らす。
昼間に比べて数段暗い作業場で、目を凝らし、ぢっと針と布を見つめながら作業をしていたカミーユ。
ふと、糸を切り針を針山に突き刺した。
今縫っていた依頼品が出来上がったのだ。
一息つき、壁に付いているフックに有ったハンガーにその服を掛けた瞬間、何者かがカミーユの首根っこを掴んだ。
「兄貴、晩飯食おうか」
「えー。もう日付変わってるし寝たい」
「寝る前に食え」
寝たいと言いながらもくるくるとお腹を鳴らすカミーユを連れて、ギュスターヴが居間へと入る。
するとそこには、コーンを裏ごしして作ったスープに溶き卵を入れ、溶かしバターをかけた人肌のリゾットが待っていた。
「カミーユ兄ちゃん。仕事は飯食ってから」
「あれ? 食べなかったっけ?」
「そんなにお腹鳴らしながら良くそんな事言えるね?」
アルフォンスの言う通り、ほかの兄弟二人と比べて華奢なカミーユのお腹が、きゅるきゅると鳴っている。
毎回の事なのだが、仕事が大詰めを迎えると、カミーユは寝食を忘れて作業を続けるので、弟のアルフォンスとギュスターヴの二人で時計を睨み付け、作業のきりの良い所で引きずってきて食事を食べさせ、寝かし付けるのだ。
肩の下まで伸びた髪を紐で束ね、バンダナで前髪を上げながらカミーユは台所の隣に有る居間へと入る。
テーブルの上に乗っているのは一枚のディッシュに盛られた目玉焼きと、マッシュポテトと、ベーコンの入ったほうれん草のソテー。
それからカゴに入ったきつね色のブレッドと、カリカリに焼かれたバゲットだ。
「兄貴、早く飯食おうぜ」
既に椅子に大柄な身体を預けているギュスターヴがそう声をかけると、カミーユとアルフォンスも席に着く。
指を組み、食前のお祈りをし、それから各々料理に手を伸ばす。
黙々とほうれん草を食べるカミーユの様子を少し嬉しそうに眺めながら、マッシュポテトを食べるアルフォンス。
ふと、後から後からブレッドに手を出すギュスターヴに、アルフォンスが手をはたいて言う。
「ギュス兄ちゃん。パンばっかり食べないでほうれん草も食べる!」
「えー、俺ほうれん草嫌い」
「嫌いでも食べる!」
そうしている間にもカミーユはディッシュの上の物を食べ終え、パンには手を着けずにそそくさと席を立とうとする。
すると今度はアルフォンスがカミーユの腕を掴む。
「カミーユ兄ちゃんはパン食えよ!」
「えー。僕ブレッド嫌い」
「だからバゲットも用意してんだよね?」
とにかくパンを食べないと仕事をする体力が付かないだろうと、もう何度目かも解らない説得をされたカミーユは、渋々バゲットを囓る。
好き嫌いは諸々有る様子だが、庶民にしては比較的裕福な食事を食べられるのも、カミーユのおかげだと言う事を他の二人は解っている。
この三兄弟は両親の後を継いで仕立て屋をやっては居るが、裁縫が出来るのがカミーユだけなのだ。
本来なら、何人もお針子を抱えて数人がかりでやる様な依頼でさえ、カミーユは一人でこなし、尚且つ納期も破らない。
その状況を作っているのは、無茶とも言えるようなカミーユの労働状況だ。
朝早く起きてすぐに仕事に取りかかり、作業の手を止めるのは出来上がった時か、日付が変わる直前辺り。
『別に辛いと思った事は無い』そうカミーユはいつも言っているが、時折顔色を悪くしたり、溜まっていた仕事を片付けた後に泥の様に眠ったりしている兄を見て、ギュスターヴとアルフォンスは心配を隠せない。
けれどもカミーユはこのスタイルを崩す事は無いのだろう。
だから、なるべく力が付くような料理を作るにはどうしたら良いのか、アルフォンスは何度も町医者に聞きに行っている。
そんなアルフォンスの努力の結晶である朝食を食べ終わったカミーユは、手を軽く拭いてそそくさと作業場へと向かう。
同じように、何とかほうれん草を口に詰め込んだギュスターヴも、先日出来上がったばかりの依頼の品を届ける準備をしようと席を立ち、兄達の食事が済んだのを確認したアルフォンスは、食器をカゴに入れて街中にある水場へと食器を洗いに出かけたのだった。
カミーユが仕事場に籠もって数時間。
ひたすらに針と糸で布を縫い合わせる作業を続けている。
布を裁断する為の作業台が四台ほど置かれ、一人で使うには広すぎるのでは無いかと思われる作業場。
そこには明かり取りの為に大きな窓があるのだが、陽の光は布を傷めてしまう。なので、窓には薄手のカーテンが掛けられていて柔らかな光が仕事場を照らしている。
窓の外から聞こえる街の喧騒。それと、微かな衣擦れの音に包まれながら、作業台の内一台に布を乗せてカミーユは口を開かずにただただ手を動かす。
布の一片を縫い終わり、一旦糸の通った針を針山に刺した所で声が掛かった。
「兄貴、採寸の仕事だよ」
その声を聞いてドアの方に振り向くと、そこにはドアを開け、いつの間にか後ろに立っているギュスターヴの姿が。
「わかった。今行く」
手元にあった布の塊を、床に付かないよう注意しながら作業台の上に置き、カミーユは作業場を出た。
たっぷりと入る陽の光を少しだけ和らげる為と、目隠し様に用に薄手のカーテンが掛けられた採寸専用の小さな部屋で、カミーユはコルセット姿になった婦人の身体に巻き尺を当てて居る。
「アヴェントゥリーナ様、今回はどの様なご依頼で?」
「あのねー、新しいドレスを作って欲しいのよ」
「それは解っているので、どの様なドレスかというのをお訊ねしているのですが……」
アヴェントゥリーナの話を詳しく聞いていると、クリノリンドレスを作って欲しいとの事なのだが、フリルやレースは控えめで、スカートの裾にワンポイントで大きな花の刺繍を布と近い色の糸で入れて欲しいという。一見華美では無いが、よく見るとその繊細さがわかる、粋な物が欲しいらしい。
それは実に、普段から少し変わった注文をする、アヴェントゥリーナらしい要望だ。
カミーユは頭の中で、どの様なデザインになるのか、それを思い浮かべながらメジャーで測った数値をメモに書き込んでいく。
「なるほど。
ギュスターヴはどれくらいの納期を提示致しましたか?」
「あの子が言うには、他のお仕事もあるから三~四ヶ月見て欲しいって事だったけど、カミーユ君が刺繍もするんでしょ?
半年位かかっても構わないわよ」
「承知致しました。善処します」
そう話をしている間にも採寸とデザインの確認を終え、カミーユは作業途中の依頼品を完成させようと作業場へと向かった。
作業場に付くと扉の前で、エプロンを着けたまま腕を組んでいるアルフォンスが待ち構えていた。
カミーユが何事かと一瞬足を止めると、すかさずアルフォンスが首根っこを掴んでこう言った。
「カミーユ兄ちゃん。昼飯」
カミーユは反論する事も出来ず、ずるずるとアルフォンスに居間まで連れて行かれてしまう。
食事をする時間があるなら作業をしたいとカミーユはいつも思って居るのだが、その事をアルフォンスもよく解っているようで、昼食は簡単な物だ。
挽肉を入れ、トマトとポテトを裏ごしして煮た物にバターを一欠片入れた、人肌位の温度のスープ。
大きめな木の器に注がれたそのスープを、カミーユはお祈りをしてから直接器に口を付け、喉を鳴らして一気に飲み干す。
それから、口の周りを手の甲でぬぐい、それをハンカチで拭いた後、器を置いたカミーユはそそくさと仕事場へと向かい、少し陽の入り方が変わった作業場で作業を再開する。
仕事がある時のカミーユの昼食は、いつもこんな感じだ。
場合によっては夕食もスープだけ。
こんな食生活を続ける、自分よりも小柄な兄を見て、アルフォンスは早く休日が来れば良いのにといつも思って居る。
自分達の生活を支える為に懸命に働いているのはわかるのだが、それでも心配になってしまうのだ。
カミーユの休日は依頼品を全て片付け、次の依頼が来るまでの期間だけ。
安息日ですら、片付いていない仕事があるとおちおち休んでいられないと言って作業をするのだ。
安息日の朝のミサに出た時に、何度か神父様から『もう少し休んで良いんだよ』と言うお言葉を頂いては居るが、どうにもカミーユは休むというのが苦手らしく、ミサの後にも仕事をする。
何時の事だったか、ギュスターヴがカミーユにもっと休みを取れと言った事がある。
するとカミーユは苦笑いをしてこう言った。
「それはアルに言ってよ。
あいつも毎日家事やってるんだから」
「アルは安息日は適度に手ぇ抜いてるし、兄貴程無茶やってないかんな?」
「別に無茶はしてないと思うんだけどなぁ」
「自覚無いのか……」
その時も、不思議そうな顔をした後、カミーユはまたすぐに仕事へと戻ってしまっていた。
日も暮れ、ランプの明かりだけが仕事場の中を照らす。
昼間に比べて数段暗い作業場で、目を凝らし、ぢっと針と布を見つめながら作業をしていたカミーユ。
ふと、糸を切り針を針山に突き刺した。
今縫っていた依頼品が出来上がったのだ。
一息つき、壁に付いているフックに有ったハンガーにその服を掛けた瞬間、何者かがカミーユの首根っこを掴んだ。
「兄貴、晩飯食おうか」
「えー。もう日付変わってるし寝たい」
「寝る前に食え」
寝たいと言いながらもくるくるとお腹を鳴らすカミーユを連れて、ギュスターヴが居間へと入る。
するとそこには、コーンを裏ごしして作ったスープに溶き卵を入れ、溶かしバターをかけた人肌のリゾットが待っていた。
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