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藤和

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第七章 勤の場合

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「本日のご用件は、この家に憑いている悪霊を視て欲しい。と言う事でよろしいでしょうか?」
 都内ではあるが都心から少し外れた所に有る、古びているけれども立派な一軒家。そこに彼、寺原勤は仕事で来ていた。
 数年前から退魔師として独立し、今ではその仕事だけで生活が出来るまでになっている。
 今日は昔からの名家であると言うこの家の主から、悪霊払いの依頼を受けていた。
 なんでも、夜中居ないはずの動物の鳴き声が聞こえたり、家の中に入れてもいないのに毛が落ちていたりするそうなのだ。
 その現象が始まってから、この家では事故や重病が相次ぎ、金銭がどんどん無くなっていっていると言う。
 勤は、家主の許可を得て家の中を探索する。
 すると、微かに獣の匂いが漂っているのを感じた。
 これは憑かれているなと確信した勤は、仕事用の鞄の中から真鍮で出来た平べったい鐘を二つ取り出し、両手からぶら下げて鐘同士をぶつける。
 すると、澄んだ音が鳴り響き、微かに部屋の隅に溜まっている影が蠢いた。
 二階にある寝室からその鐘を鳴らしたまま廊下に出て、そのまま階段を降りる。そうしてまた廊下を歩き、昭和の香りが残る台所、古びた食器棚と清潔なクロスが掛けられたテーブルの置いて有る居間、掛け軸が掛けられ飴色のちゃぶ台が置かれている客間、そして縁側から陽が差しているにもかかわらず薄暗い仏間へと足を進める。
 仏間に入ると、強烈な獣の匂いと邪気が勤を襲う。
 ここに悪霊が巣くっている。そう確信した勤は、あらかじめ家主を手前の部屋に避難させた上で、鐘を左片手に持ち直し鳴らしながら、右手で着ているベストのポケットをまさぐり、一〇八珠の黒檀が連なっている数珠を取り出す。
 それから、低く、それでいて通る声で念仏を唱え始める。
 そうしている事暫く。薄ぼんやりと仏間を覆っていた闇が、人の腰くらい程有る犬の形を取り、唸り声を上げ始めた。
「やっぱり狗神か!」
 そう叫び、すかさず犬の形をしたモノ、狗神の腹を蹴り上げる。
 鳴き声を上げて転がった狗神だったが、すぐさまに立ち上がり勤に襲いかかってくる。
 それを巧みにかわしながら、勤は何度も狗神を蹴り上げ殴り、締め上げる。
 この狗神は相当強い力を持っている様で、戦っている間に部屋の中が揺れ、響いているのか居ないのかわからない轟音が耳に付く。
「大人しく……消えろ!」
 黒い数珠を持った右手で狗神の額を掴み、握りつぶす。すると、狗神は塵となり消え去り、轟音も収まった。
 何とか一息ついた勤が隣の部屋に居る家主を呼ぼうと振り向いたその時、縁側に有る窓ガラスに入った、一筋の罅が目に入った。

 家主に感謝されつつ報酬も貰い、これから家に帰るかと最寄り駅に行くと、改札に電車が止まっていると言う掲示があった。
 人身事故か何かかと思ったその時、トレンチコートのポケットに入れていた携帯電話が鳴り出した。
 何かと思ったら、友人のカナメからの着信だ。
 何の用だろうかと期待を持ちつつ電話に出ると、いきなりこう言われた。
『もしもし勤、無事?』
 いきなり何だろう。今日仕事がある事はカナメには話していないし、勿論危ない仕事だったなんて事をカナメが知っているはずも無い。
 一体何事かと勤が訊ねると、先程凄く大きな地震が有ったので、その安否確認だという。
 もしかして、先程除霊中に家が揺れたり轟音が響いてたり、その後窓ガラスが割れてたのは狗神のせいでは無く地震のせいだったのかと、その事に思わず驚くが口には出さない。
「あー、それで電車止まってるのか。
どうすっかな、この辺のバスよくわかんないし、タクシーで家まで帰るか……」
『そうなの? 気をつけてね。
あと、美夏から言われたんだけど、家に帰ったらバスタブに溜められるだけお水溜めて、お米は炊けるだけ炊いて、あと食料の確認してだって』
「お、流石美夏さん、緊急時に頼れるな」
 電話越しに少しカナメと話をして、勤は駅前でタクシーを拾って自宅の最寄り駅まで運んで貰う事にした。

 そして勤が家に着いたのは、とっぷりと夜が更けてからの事だった。
 普段だったらもっと早く着くんですけどね。とタクシーの運転手が申し訳なさそうに言っていたが、途中から道路が大渋滞していたので、時間が掛かったのは仕方が無いだろう。
 取り敢えず、昼間カナメに言われた事をやる前に、まず晩ご飯にカップ麺でも食べようと、お湯を沸かす為に白いホーロー鍋に水を入れる。すると、ホーロー鍋の中がどんどんと赤茶けていった。
 驚いて水道から出ている水を見ると、赤茶けていた。
 鍋の中に徐々に溜まっていく、鉄錆の混じった水を見て恐怖を覚える。
 そんなにとんでもない地震だったのかと、そう思いながら蛇口を閉め、鍋の中の水を捨てる。
 薄ら寒いものを感じていると、突然、ベッドの上に放り投げて置いた携帯電話が鳴り始めた。
 誰からかと思い電話に出ると、実家のお寺を継いで、今では住職をして居る兄からの着信だった。
 そう言えば実家に安否確認を取ってなかったなと思いつつ電話に出ると、明日実家に来られる様なら来て欲しいと言う事だった。
 突然そんな事を言われて、一体何が起こったのかを訊ねると、昼間に有った地震で、寺の敷地内にある墓石がいくつも倒れてしまったのだという。
 その墓石の復旧作業と、復旧が難しい墓に関しては、親族の所に連絡を入れる為の手伝いをして欲しいらしい。
 勤は兄からのその要請を受け、明日なるべく早い時間に、実家に向かうと伝える。
 暫く、忙しくなりそうだ。

 それから一週間後。倒れた墓石の復旧作業と、親族への連絡を一通り終え、勤は東京に戻ってきていた。
 東京に帰ってきて真っ先にやった事は、カナメがどうしているかの安否確認だった。
 実家に帰った時に観たテレビのニュースで映し出されていた、押し寄せてくる海の映像。
 船も、車も、家をも押し流すその映像に、勤は呆然とするしか無かった。
 職業柄、多少の惨劇には慣れている勤でさえも、あの映像には絶望を感じた。だから、もしあの映像をカナメが見ていたとしたら、精神的に弱ってしまっているのでは無いかと思ったのだ。
 そして案の定、カナメは一日一食、しかも冷たいおにぎりを一個ずつしか食べていなかったという。
 このままでは儚くなりかねないと判断した勤は、スーパーとコンビニをはしごして、数種類のカップ麺を買い集めてカナメの家に行った。それでようやくカナメは少し持ち直した様で、始めは食欲が無いと言っていた物の、カップ麺のおかわりをする程度までにはなった。
 それは既に昨日の出来事で、勤は今日、数年前から付き合いのある『紙の守出版』と言う出版社の編集部に来ていた。
 紙の守出版は、最近ではそこそこ有名な小説を出している出版社と言う事で名が通っているが、初めは神道系のムックや資料等の書籍を出している出版社だった。
 紙の守出版から刊行されている神道の資料を見て、まるで神様自身が書いて居る様だ。と評する人も少なくない。それもその通りなのだ。勤もこの出版社から依頼を受けるまでは知らなかったのだが、この出版社に勤めている社員の殆どが、八百万の神なのだから。
 その八百万の神が、また勤に仕事を依頼したいという。
 雑多な編集室を通り抜けた所に有る、一人がけのソファが二つ、向かい合わせに置かれている応接間で勤は、髪の毛をふたつのお団子に結い、シンプルなタートルネックのニットとタイトスカート姿で、首から水色のロザリオを下げた女性と話をしていた。
「美言さん、今回は一体どう言ったご用件で?」
 紙の守出版主催の小さなイベントの度に何故か勤がかり出されているのだが、近々イベントが有るという話は全く聞いていないし、そう言った雰囲気でも無い。直感的に、退魔師としての仕事だろうと思っていた。
 勤の問いに、美言と呼ばれた女性はこう答える。
「実は、寺原さんに東北へ行って欲しいのです」
「何でまた?」
 突然東北へ行って欲しいと言われても事情がわからない事にはどうしようも無い。なので詳しく事情を聞くと、今現在、東北には震災で亡くなった多くの人々の霊が当てもなく彷徨い、時として邪なるものに飲まれているという。
 そんな人々の霊を少しでも良いから根の国へと導いて欲しいと、そう言う事だった。
 しかし、そんな事を言われても、一人二人なら勤個人の力でも何とかなるだろうが、あれだけの単位となると、一人の力では難しい。
「なるほど。でも、正直言って俺一人の力では難しいですし、それは美言さんや上司の方もご存じでしょう」
 思わず難しい顔をする勤に、美言は色とりどりの勾玉が五つ、紐に通された物を差し出して言う。
「これを持っていてくだされば、寺原さんが自然と根の国への灯台となる事が出来ます。
これを持って、被災地のボランティアに参加して戴ければ、それだけでこちらとしては十分な結果が出ます」
「なるほど」
 差し出された勾玉を一つ一つ視てみると、確かに十分すぎる程の霊力が籠もっている。
「美言さん、この勾玉って、この為にわざわざ作ったんですか?」
 余りにも強力な霊力に驚いた勤がそう訊ねると、美言はにこにこしながらこう答えた。
「いえ? 駅ビルに入ってるパワーストーン屋さんで買ったんです。
霊力の強い勾玉下さいって店員さんに言ったら、店員さんは困った顔してましたけど、両肩に乗っていた、宝石背負ったカエルさんが選んでくれました」
「あの店ですか」
 美言が勾玉を買ってきたと言っている店はおそらく、勤が今までに何度かお世話になった事の有る店だ。どこで探してくるのかはわからないが、流石神様だなと、しみじみ思ったのだった。

 それから二週間後、勤は政府が募集しているボランティアスタッフに応募して、被災地へと赴いていた。
 仕事は、津波で泥にまみれ、崩れた家屋の清掃。
 大型バスに乗ってやって来たボランティアスタッフ達は、幾つかのグループに分かれ、家の中の泥を掻き出す作業をしていく。
 黙々と作業をする訳なのだが、勤はバスに乗っている時から感じていた。
 自分が通った後、彷徨っていた浮かばれぬ霊達が光に包まれ還って行っているのだ。
 ボランティアの皮を被った除霊依頼では有るが、本当に、除霊に関しては全くと言っていい程何もしていないので、これで除霊料を貰ってしまって良いのか不安になってしまう。
 しかし、それならそれでボランティアの仕事に専念しなくてはいけない。勤は泥に呑まれている家の中から、泥を掻き出す作業を続ける。
 ふと、作業の合間に、家主の物を洗うバケツの前で嗚咽を漏らしている一人の男性に気付いた。
 バケツの水に浸した後なのか、水の滴る白い紙切れを持っている彼に、話しかける。
「どうしたんですか?」
 すると彼は、じっと白い紙切れを見つめたまま、こう呟いた。
「写真のインクが、流れちゃったんです」
「インク?」
 一体どういう事だろうと思って紙切れをよく見てみると、うっすらと色が乗っていた形跡と、微かに楽しかった思い出の気配が感じられた。
 折角見付けられた思い出の品が、まっさらになってしまったのが、彼にはひどく辛い事なのだろう。
 勤は彼に視線を合わせる様にしゃがみ、頑張ろう、まだ掘り返せば、他の思い出の品が見つかるかもしれない。と彼の背中をそっと叩いた。

 泣いていた彼も何とか復活し、清掃作業を続け、この日の仕事が終わった。
 バスに揺られ、東京を目指す勤。その心に一つ、引っかかっている物が有った。
 美言から預かった勾玉のおかげか、かなりの数のさまよえる霊が根の国へと導かれて行った。
 けれども、その救いの手が届かなかった霊も居る。
 勤が属する仏と、美言が属する八百万の神の元に居ない、つまりは異教徒の霊が、救いを受ける事が出来ていなかったのだ。
 こればかりは、勤自身がどうしようと思っても出来る物では無い。
 けれども、たまたま信じる物が違っただけで救われないというのは、余りにも無情に感じた。

 それから数ヶ月にわたって、勤は度々、毎回違う被災地を訪れ、ボランティア兼自動除霊を行っていた。
 この日も、ボランティアの帰りに、バスの中で夢現に、ぼんやりと考え事をする。
 今自分は、八百万の神に頼まれてさまよえる霊を救いに被災地へ行っているが、救いを求めているのは生きている人間もそうなのでは無いのか。
 今なお避難所や仮設住宅で暮らす、沢山の人々。その人達の生活が元に戻るまで、どれだけ掛かるのだろう。自分は生きている人の助けになる事が出来るのか、そんな事を考えていた。
「……救いって、何なんだろうなぁ……」
 暗い車内でぽつりとそう呟き、眠りに落ちた。

 その一週間程後、最近頻繁にボランティアに出かけて疲れ気味な勤の事を心配してか、珍しくカナメの方から勤の家へとやって来た。
 初夏の日差しに映える生成りのジャンパースカートに、ラムネ色のカットソーを着て、スーパーの袋をぶら下げて居るカナメを早速家の中に入れると、こんな事を言う。
「この前は、勤のお世話になったから、今度は僕がご飯の用意するね」
 この前というのは、震災の後カップ麺を大量に持ち込んだ時の事だろう。
 勤自身としてはたいしたことをしたつもりでは無いのだが、カナメは中身の詰まったスーパーの袋を台所に置き、ベッドに腰掛けている勤の隣に座って笑う。
「あの時勤が来てくれなかったら、僕は死んじゃってたかもしれない。
勤が来てくれて、凄く嬉しかったんだよ」
 その言葉に、思わず勤の目から涙が零れ落ちた。
 自分が大切にしている友人の支えになれていた。その事が嬉しかった。
「かっ、カナメ、俺……」
 上手く言葉に出来ず、ただしゃくり上げて泣く勤を、カナメは静かに立ち上がってその胸に抱く。
「勤も、最近忙しくて疲れてるんだよね。
今日はね、勤が前に美味しいって言ってた、豚肉とレタスとレモンのやつ作るからね」
「うん……」
「あと、美夏が美味しいって言ってたもやしのきんぴら。ご飯が凄く美味しくなるんだよ」
「うん……」
 無理に励まそうとせず、あくまでも日常の事を選んで、優しく話しかけてくるカナメの声に、重く沈んでいた心が少し軽くなった気がした。
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