73 / 75
2010年
73:不安に揺れる
しおりを挟む
年が明け、街中も落ち着いてきた頃。この日はとわ骨董店の仕事始めの日で、今年最初に来るお客さんはどんな人だろうと、店主の林檎はすこし緊張しながら、いつもの籐の椅子に座っていた。
ちらりとレジカウンターの上を見ると、白い陶器の花瓶に、芳しい梅の花を生けてある。
これで、新年初日に誰も来なかったらどうしようという些かの不安はあったけれども、心配ばかりしていてもどうしようもない。実際、今までも年が明けてからの初めての営業日でも、お客さんは来てくれていたのだ。
落ち着かない心持ちで店の入り口を見ていると、扉の開く音がした。入ってきたのはひとりの男性で、笑顔で林檎に声を掛けた。
「明けましておめでとうございます。
林檎さんお久しぶり」
「あら、正さん。明けましておめでとうございます。お久しぶりですね」
挨拶をすると、正は落ち着かない様子で店内をぐるりと見て回ってから、林檎の方をじっと見る。
もしかして、今日はお喋るに来たのかなと察した林檎は、正にこう声を掛けた。
「ところで正さん、近頃はどうですか?」
その問いに、正は不安そうな顔でこう言った。
「実は、年末から付き合い始めた彼女がいるんですけど、ちょっと不安があって」
「不安、ですか?
えっと、今椅子をお出ししますので、座ってゆっくり聞かせて下さいますか?」
「はい。お願いします」
複雑な事情がありそうだと思った林檎は、そそくさとバックヤードから丸い座面のスツールを運び出し、正に勧める。腰掛けたのを確認してから、林檎もいつもの籐の椅子に座って話を聞く体勢に入った。
「一体、何が不安なんでしょうか?」
林檎の問いに、正は落ち着かない様子で髪を触っている。
「あの、今まで何人かと付き合ったことがあるのは、林檎さんも知ってるかと思うんですけど」
「はい、存じております」
「それで、いつも仲が長続きしなくて、今回もすぐに別れることになるのかなって思って、不安なんです」
「ああ、そうなんですね……」
確かに、正から今まで聞いた話では、付き合い始めても長い付き合いになる前に、喧嘩をしてしまったり、愛想を尽かされたりで別れてしまうことが多いと言うことだった。
しかし、林檎としては正が恋人にどう接しているかがわからないので、何とも言いようがない。
困惑した様子に気づいたのか、正は苦笑いをして言う。
「あ、あの、問題を解決したいんじゃなくて、ただ話を聞いて欲しいだけなんですけど……迷惑ですか?」
縮こまってしまった正に、林檎は微笑んで返す。
「いえ、そんな事はありませんよ。話した方が楽になったり、なにかすっきりすることもあるでしょう」
むしろ林檎としては、助言を請われないというのは気楽だった。よくわからない状況で、下手なことを言ってかき回してしまうのは避けたいのだ。
「とりあえず、お茶でも飲みながらお話を伺いましょうか」
林檎がそう言うと、正はほっとした表情をする。
「ありがとうございます。すこし、喉が渇いていたので」
正の言葉に、林檎はレジカウンターの奥にある棚からガラスのティーポットと花の文様が鮮やかな九谷焼のカップ、縁が白い萩焼のカップを取りだしてカウンターの上に並べる。それから、棚の中から茶筒をふたつ取りだし、片方からは緑茶を、もう片方からは黄色く細かい花をティーポットの中へと入れた。
お湯を注ぐと、黄金色になった。ティーポットをくるりと揺らし、黄金色のお茶をカップの中に注いでいく。それから、九谷焼のカップを正に渡し、林檎は萩焼のカップを手に持って籐の椅子に座った。
「甘い香りのお茶なんですね」
「はい、今日は緑茶に、金木犀の花を入れてみました」
温かいお茶の温もりと香りで落ち着いたのか、正の表情が緩む。すこしずつお茶に口を付けて、しばらく不安を口にしていたけれども、あらかた話終わってしまったのか、お互い何も語らない時間が来た。
お茶で口を湿らせ、手元で暖を取る。そうしている内に、林檎はふと、思い出したように訊ねた。
「そう言えば、先日見せていただいたお人形はどうしてます? 先日お買い上げいただいたお猪口と仲良くしていると良いんですけれど」
それを聞いた正は、スマートフォンを取り出しながら嬉しそうに口を開く。
「実は、あの人形の新作が出る度に買ってるんですよ。
ちょっと写真も撮ってみたので、よかったら見て下さい」
左手で器用にスマートフォンを操作し、画像を表示させている。そこには、先日見たようなスリムな体に円盤形の頭を乗せたカエルの人形が、色とりどりに何体も映っていた。何枚かの写真の中には、先日正が買っていった陶器のお猪口も入っていて、気に入って貰えているようだとつい嬉しくなる。
「お人形も、お友達が沢山いると楽しいですね」
「そうなんですよ。やっぱり賑やかなのが良いかなって」
先程までの不安もどこへやら、人形の話をする正は楽しそうだ。
こうやって楽しめる趣味があるというのは、やはり良いことなのだなと、林檎はしみじみ思うのだった。
ちらりとレジカウンターの上を見ると、白い陶器の花瓶に、芳しい梅の花を生けてある。
これで、新年初日に誰も来なかったらどうしようという些かの不安はあったけれども、心配ばかりしていてもどうしようもない。実際、今までも年が明けてからの初めての営業日でも、お客さんは来てくれていたのだ。
落ち着かない心持ちで店の入り口を見ていると、扉の開く音がした。入ってきたのはひとりの男性で、笑顔で林檎に声を掛けた。
「明けましておめでとうございます。
林檎さんお久しぶり」
「あら、正さん。明けましておめでとうございます。お久しぶりですね」
挨拶をすると、正は落ち着かない様子で店内をぐるりと見て回ってから、林檎の方をじっと見る。
もしかして、今日はお喋るに来たのかなと察した林檎は、正にこう声を掛けた。
「ところで正さん、近頃はどうですか?」
その問いに、正は不安そうな顔でこう言った。
「実は、年末から付き合い始めた彼女がいるんですけど、ちょっと不安があって」
「不安、ですか?
えっと、今椅子をお出ししますので、座ってゆっくり聞かせて下さいますか?」
「はい。お願いします」
複雑な事情がありそうだと思った林檎は、そそくさとバックヤードから丸い座面のスツールを運び出し、正に勧める。腰掛けたのを確認してから、林檎もいつもの籐の椅子に座って話を聞く体勢に入った。
「一体、何が不安なんでしょうか?」
林檎の問いに、正は落ち着かない様子で髪を触っている。
「あの、今まで何人かと付き合ったことがあるのは、林檎さんも知ってるかと思うんですけど」
「はい、存じております」
「それで、いつも仲が長続きしなくて、今回もすぐに別れることになるのかなって思って、不安なんです」
「ああ、そうなんですね……」
確かに、正から今まで聞いた話では、付き合い始めても長い付き合いになる前に、喧嘩をしてしまったり、愛想を尽かされたりで別れてしまうことが多いと言うことだった。
しかし、林檎としては正が恋人にどう接しているかがわからないので、何とも言いようがない。
困惑した様子に気づいたのか、正は苦笑いをして言う。
「あ、あの、問題を解決したいんじゃなくて、ただ話を聞いて欲しいだけなんですけど……迷惑ですか?」
縮こまってしまった正に、林檎は微笑んで返す。
「いえ、そんな事はありませんよ。話した方が楽になったり、なにかすっきりすることもあるでしょう」
むしろ林檎としては、助言を請われないというのは気楽だった。よくわからない状況で、下手なことを言ってかき回してしまうのは避けたいのだ。
「とりあえず、お茶でも飲みながらお話を伺いましょうか」
林檎がそう言うと、正はほっとした表情をする。
「ありがとうございます。すこし、喉が渇いていたので」
正の言葉に、林檎はレジカウンターの奥にある棚からガラスのティーポットと花の文様が鮮やかな九谷焼のカップ、縁が白い萩焼のカップを取りだしてカウンターの上に並べる。それから、棚の中から茶筒をふたつ取りだし、片方からは緑茶を、もう片方からは黄色く細かい花をティーポットの中へと入れた。
お湯を注ぐと、黄金色になった。ティーポットをくるりと揺らし、黄金色のお茶をカップの中に注いでいく。それから、九谷焼のカップを正に渡し、林檎は萩焼のカップを手に持って籐の椅子に座った。
「甘い香りのお茶なんですね」
「はい、今日は緑茶に、金木犀の花を入れてみました」
温かいお茶の温もりと香りで落ち着いたのか、正の表情が緩む。すこしずつお茶に口を付けて、しばらく不安を口にしていたけれども、あらかた話終わってしまったのか、お互い何も語らない時間が来た。
お茶で口を湿らせ、手元で暖を取る。そうしている内に、林檎はふと、思い出したように訊ねた。
「そう言えば、先日見せていただいたお人形はどうしてます? 先日お買い上げいただいたお猪口と仲良くしていると良いんですけれど」
それを聞いた正は、スマートフォンを取り出しながら嬉しそうに口を開く。
「実は、あの人形の新作が出る度に買ってるんですよ。
ちょっと写真も撮ってみたので、よかったら見て下さい」
左手で器用にスマートフォンを操作し、画像を表示させている。そこには、先日見たようなスリムな体に円盤形の頭を乗せたカエルの人形が、色とりどりに何体も映っていた。何枚かの写真の中には、先日正が買っていった陶器のお猪口も入っていて、気に入って貰えているようだとつい嬉しくなる。
「お人形も、お友達が沢山いると楽しいですね」
「そうなんですよ。やっぱり賑やかなのが良いかなって」
先程までの不安もどこへやら、人形の話をする正は楽しそうだ。
こうやって楽しめる趣味があるというのは、やはり良いことなのだなと、林檎はしみじみ思うのだった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる