とわ骨董店

藤和

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2009年

66:紫陽花の咲く頃

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 すっかり梅雨入りし、日によって蒸し暑かったり冷え込んだりする不安定な気候の頃。この日はしとしとと雨が降っていて蒸し暑いので、お客さんは来ないかも知れないと、とわ骨董店の店主の林檎は、いつもの籐の椅子に座ってぼんやりしていた。
 ぼんやりしているうちに、昨夜見た映画の風景が浮かんできた。それは、大きな森が動き出すという印象的なシーンで、何度もDVDで見ているのにもかかわらず、見入ってしまう物だった。
「あの森が動くとき……」
 何とも無しにそう呟いたその時、店の扉が開いた。呟きを聞かれたかと思ってぱっと口を手で押さえて入り口の方を見ると、緑色のはねっ毛の男性と、桜色の髪を纏めている男性、ふたりが入ってきた。
「林檎さんこんにちはー」
「どうもお久しぶりです」
「あら、ミツキさんにサクラさん、お久しぶりです」
 ふたりが入ってきたのを見て、それから、林檎はちらりとレジカウンターの上を見る。そこにはブリキの器に氷が詰められ、その中にお茶の入った鱒の瓶が刺さったものが置かれている。
 その様子に気づくこと無く、ミツキとサクラのふたりはいつも必ず確認する、古布の入った箱を見ていた。
「大島紬だ」
「へー、なんか落ち着いた柄で良いかも」
 さすが、ミツキは服飾の仕事をしているだけあって布地に詳しい。ふたりで和気藹々と古布を選ぶ姿を、林檎は微笑ましく思いながら眺めていた。
 今回も気に入った布があるのだろう。数枚布を手に持って、ミツキが立ち上がる。続いてサクラも立ち上がった。
 すぐに会計に来るかと思ったら、ミツキはそのまま、箱の上にある棚をじっと見ている。そこには、最近奥から出したばかりの帯留めがいくつか置かれていた。
「わー、かわいい! でも、これどうやって使うんだろ?」
 瑪瑙があしらわれた帯留めを手に持って、サクラが声を上げる。それを聞いたミツキが、ふっと林檎の方を見た。
「すいません、これどうやって使うんですか?」
 なるほど、ミツキは洋裁専門か。そう納得した林檎は、ふたりの側に歩み寄ってこう説明した。
「これは帯留めと言って、帯締めに付ける飾りなんですよ。
こんな感じですね」
 そう言って、林檎は自分の帯を指さす。帯の上には組紐が渡されていて、そこの中心に、大きな青いラインストーンが乗っていた。
「あー、なるほど。そう言う物なんですね」
 納得した様子で、ミツキも帯留めをひとつ手に取る。紫陽花の花を模ったそれをひっくり返し、裏面の構造を見ている様だった。
「これ、細いベルトに付けたらかわいいかも知れない」
 ミツキのその言葉に、林檎は驚く。いままで帯締め以外に使うという発想が無かったのだ。
 でも、確かに細いベルトに付けると言う使い方もありだろう。帯留めは古い物でも現代物でも、可愛らしい物は沢山有る。
「それじゃあ、この布とこれお願いします」
「はい、ありがとうございます」
 ミツキが差し出した古布と帯留めを受け取り、林檎はレジカウンターの中に入る。電卓に金額を打ち込んで提示し、会計の準備をしている間に、古布と帯留めを梱包した。
 いつも通り、クラフト紙に入れた品物を、紺色の紙袋に収め唐草模様のシールで封をする。それを、会計を済ませたミツキに手渡して林檎はこう言った。
「ところで、外は蒸し暑いでしょう。冷たいお茶でもいかがですか?」
 その言葉に、ミツキもサクラも嬉しそうだ。
「ありがとうございます。丁度喉が渇いてて、コンビニでお茶でも買おうかって言ってたんですよ」
「林檎さんのお茶、美味しいから嬉しいです」
 ミツキとサクラの言葉に、林檎はにっこりと頷いて、まずはバックヤードから丸い座面のスツールを運び出してふたりに勧める。それから、レジカウンターの奥にある棚から青と黄色の光を湛えたグラスをふたつと、紫色の江戸切り子のグラスを取り出して、レジカウンターの上に並べた。
 今日用意しているお茶は、一種類だ。林檎は迷うこと無くブリキの器に盛られた氷の中から鱒の瓶を引き抜き、中身をグラスに注いでいく。注がれた黄色いお茶からは、青い感じのする、花の香りがほのかに立っている。
「お待たせしました。どうぞお召し上がりください」
 ふたりにグラスを手渡し、林檎も江戸切り子のグラスを手に持っていつもの籐の椅子に座る。
 ゆっくりとお茶を飲み、ふと、サクラが口を開いた。
「実は、ゴールデンウィーク中ミツキのお店に休みが無くて、最近ようやくお休みが取れたんですよ」
「それは大変でしたね。
あ、アパレル系とおっしゃってましたものね。連休中は確かに忙しいでしょう」
 この店と違って、ミツキの店は連休中かき入れ時だったのだろう。ようやく休めてほっとしているといった様子のミツキを見て、納得する。
「好きな仕事だからこう言う事は仕方ないと思いますけど、やっぱり疲れますね」
 すこしだけ疲れを見せる声でそう言うミツキ。本当に大変な仕事なのだなと思いながら、林檎ははたと思いつく。
「そうだ、お疲れなら、疲れをとるのに甘い物でもどうでしょう?
ラングドシャがあるので、召し上がってくださいな」
 林檎が立ち上がってそう言うと、ミツキもサクラも嬉しそうな顔をする。
 きっとふたりとも普段は忙しいのだから、ここにいる時くらいはゆっくりして欲しかった。
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