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2008年
53:喜びの日
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爽やかな日差しが降り注ぎ、薄着の日が増えてきた頃。とわ骨董店でいつものように籐の椅子に座り、温かいお茶を飲んでいた店主の林檎はカップを持ってぼんやりと考える。
そろそろ冷たいお茶の用意をしてもいいかも知れない。まだ風は涼しいとは言え、長距離歩いてきたお客さんなどは、たまに顔を火照らせていたりするのだ。
今年もブリキの器と氷の出番か。時が経つのは早い物だとしみじみ思っていると、勢いよく店の扉が開いた。
木更が遊びに来たのだろうかそう思ってよく見ると、そこに立っているのは木更ではなかった。
「林檎さん、お久しぶりです!」
そこに立っていたのは、背中にリュックサックを背負い、駅からここまで走ってきたのだろうか、顔を赤くして息を切らせている女性だ。
「あら、まつひさんお久しぶり。
そんなに急いでどうしたの?」
勢いよく開けたわりには丁寧に扉を閉めたまつひは、嬉しそうな顔で林檎にこう言った。
「実は、このお店で撮影した写真が、雑誌のコンテストで入選したんです」
それを聞いて、林檎は驚く。以前この店に来たとき、まつひは自分には才能が無いと言って、落ち込みながらもそれを受け入れていた。
才能がなくてもカメラの道で生きると決意したあの時の女の子が、成果を出したのだ。
「まぁ、それは、それはとてもよかったわ。
ねぇ、お祝いにお茶でもいかが?
いつもと変わらないかもしれないけど」
「はい。いただいていきます。
なんか、林檎さんとお話したくて」
「はい。それじゃあ準備をするので少々お待ちください」
林檎はそそくさと籐の椅子から立ち上がり、バックヤードへ入って丸い座面のスツールをひとつ運び出し、レジカウンターの側に置く。それをまつひに勧めてから、レジカウンターの奥の棚から硝子のティーポットと白地に青い線がきれいな有田焼のカップと、白い縁の付いた萩焼のカップ、それに丸い金属の缶に入ったお茶を取り出す。
ティーポットの蓋を開けて、茶葉を入れる。それは赤く小さい実が入っていて、見た目にも鮮やかだ。そこにお湯を注ぎ、ティーポットをくるりと何度か揺らす。お茶が出たらカップにそれぞれ注ぎ入れる。甘くて青い香りが立った。
「まずはお茶からどうぞ」
「ありがとうございます。甘い香りのお茶なんですね」
「そうなの。さくらんぼの香りがついてるのよ」
「さくらんぼなんですか、珍しいですね」
そんなやりとりをしながら、林檎はまた棚から、花の文様が印象的な九谷焼のお皿を二枚と、青く塗られた金属の箱を取り出す。お皿二枚を並べ、その上に金属の箱の中に入っていた円筒形に丸められたラングドシャを、それぞれ二本ずつ乗せる。それも一枚まつひに渡し、残りの一枚とカップを持って、林檎もいつもの籐の椅子に座った。
「これで、まつひさんも仕事の時、メインで写真を撮れるようになるのかしら」
林檎がにこやかにそう言うと、まつひは照れたように笑ってこう返す。
「いえ、まだメインカメラマンになるとか、独立するとか、そう言うのはできないです」
「あら、そうなの?」
「はい。まだ実績があまりないので」
カメラとか、そう言った技術を必要とする職業は実績と経験が大事だというのはなんとなく林檎にもわかる。けれども、どれだけそれを積めば一人前になれるのか、そこまではわからなかった。
ふと、林檎は以前まつひから聞いた彼女の後輩のことが気になった。その後輩が今どうしているかを訊ねると、まつひが言うにはこう言う事だった。
「あの子はもう、プロのカメラマンって言うか、メインのカメラマンとして都内のスタジオで働いてます。
モデルさんの要望を聞いて写真を撮るって言う感じのフォトスタジオなんですけど、きれいに撮ってくれるって評判になってるらしいです」
そう話すまつひは、後輩との日々を懐かしんでいるようで、それでいてどこか物悲しげだった。
「私はまだアシスタントだけど、アシスタントでもカメラに関わっていることには変わりがないし、満足と言えば満足なんですけど」
「そうなんですね。アシスタントも大変だと聞きますし、頑張っているんですね」
まつひの言葉に林檎はそう返すが、まつひが本当にアシスタントで満足しているのかどうか、そこまでは推し量れない。もしかしたら、どんどん先に進む後輩を見て、焦りや重圧を感じているのかとも思うのだけれども、それはきっと訊いてはいけないことなのだと、林檎は訊ねることはしない。
ふと、まつひがリュックサックを片手で開けて何かを取り出した。よく見るとそれは、写真の雑誌のようだった。
「それで、入選した写真が雑誌に載ったので、林檎さんにも見てもらいたいなって思って」
そう言って恥ずかしそうに笑うまつひから、林檎は丁寧に雑誌を受け取る。
「ありがとう。見させてもらうわね」
それから、丁寧にページを捲って、まつひに投稿写真のページを教えて貰い、その中からまつひの名前を探す。すると確かに、小さい写真ではあるけれども、まつひの名前が添えられた物が有った。
薄暗い店内で、微かな光を集めて撮影された仏像の頭。それは以外にも神々しさや威厳を感じさせる物ではなく、ただただ誰かの側にそっと寄り添うような、そんな雰囲気の物だった。
それを見て林檎は思う。まつひはこの仏像の頭のような誰かや何かに、側に寄り添って欲しいのだろうなと。
そろそろ冷たいお茶の用意をしてもいいかも知れない。まだ風は涼しいとは言え、長距離歩いてきたお客さんなどは、たまに顔を火照らせていたりするのだ。
今年もブリキの器と氷の出番か。時が経つのは早い物だとしみじみ思っていると、勢いよく店の扉が開いた。
木更が遊びに来たのだろうかそう思ってよく見ると、そこに立っているのは木更ではなかった。
「林檎さん、お久しぶりです!」
そこに立っていたのは、背中にリュックサックを背負い、駅からここまで走ってきたのだろうか、顔を赤くして息を切らせている女性だ。
「あら、まつひさんお久しぶり。
そんなに急いでどうしたの?」
勢いよく開けたわりには丁寧に扉を閉めたまつひは、嬉しそうな顔で林檎にこう言った。
「実は、このお店で撮影した写真が、雑誌のコンテストで入選したんです」
それを聞いて、林檎は驚く。以前この店に来たとき、まつひは自分には才能が無いと言って、落ち込みながらもそれを受け入れていた。
才能がなくてもカメラの道で生きると決意したあの時の女の子が、成果を出したのだ。
「まぁ、それは、それはとてもよかったわ。
ねぇ、お祝いにお茶でもいかが?
いつもと変わらないかもしれないけど」
「はい。いただいていきます。
なんか、林檎さんとお話したくて」
「はい。それじゃあ準備をするので少々お待ちください」
林檎はそそくさと籐の椅子から立ち上がり、バックヤードへ入って丸い座面のスツールをひとつ運び出し、レジカウンターの側に置く。それをまつひに勧めてから、レジカウンターの奥の棚から硝子のティーポットと白地に青い線がきれいな有田焼のカップと、白い縁の付いた萩焼のカップ、それに丸い金属の缶に入ったお茶を取り出す。
ティーポットの蓋を開けて、茶葉を入れる。それは赤く小さい実が入っていて、見た目にも鮮やかだ。そこにお湯を注ぎ、ティーポットをくるりと何度か揺らす。お茶が出たらカップにそれぞれ注ぎ入れる。甘くて青い香りが立った。
「まずはお茶からどうぞ」
「ありがとうございます。甘い香りのお茶なんですね」
「そうなの。さくらんぼの香りがついてるのよ」
「さくらんぼなんですか、珍しいですね」
そんなやりとりをしながら、林檎はまた棚から、花の文様が印象的な九谷焼のお皿を二枚と、青く塗られた金属の箱を取り出す。お皿二枚を並べ、その上に金属の箱の中に入っていた円筒形に丸められたラングドシャを、それぞれ二本ずつ乗せる。それも一枚まつひに渡し、残りの一枚とカップを持って、林檎もいつもの籐の椅子に座った。
「これで、まつひさんも仕事の時、メインで写真を撮れるようになるのかしら」
林檎がにこやかにそう言うと、まつひは照れたように笑ってこう返す。
「いえ、まだメインカメラマンになるとか、独立するとか、そう言うのはできないです」
「あら、そうなの?」
「はい。まだ実績があまりないので」
カメラとか、そう言った技術を必要とする職業は実績と経験が大事だというのはなんとなく林檎にもわかる。けれども、どれだけそれを積めば一人前になれるのか、そこまではわからなかった。
ふと、林檎は以前まつひから聞いた彼女の後輩のことが気になった。その後輩が今どうしているかを訊ねると、まつひが言うにはこう言う事だった。
「あの子はもう、プロのカメラマンって言うか、メインのカメラマンとして都内のスタジオで働いてます。
モデルさんの要望を聞いて写真を撮るって言う感じのフォトスタジオなんですけど、きれいに撮ってくれるって評判になってるらしいです」
そう話すまつひは、後輩との日々を懐かしんでいるようで、それでいてどこか物悲しげだった。
「私はまだアシスタントだけど、アシスタントでもカメラに関わっていることには変わりがないし、満足と言えば満足なんですけど」
「そうなんですね。アシスタントも大変だと聞きますし、頑張っているんですね」
まつひの言葉に林檎はそう返すが、まつひが本当にアシスタントで満足しているのかどうか、そこまでは推し量れない。もしかしたら、どんどん先に進む後輩を見て、焦りや重圧を感じているのかとも思うのだけれども、それはきっと訊いてはいけないことなのだと、林檎は訊ねることはしない。
ふと、まつひがリュックサックを片手で開けて何かを取り出した。よく見るとそれは、写真の雑誌のようだった。
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それから、丁寧にページを捲って、まつひに投稿写真のページを教えて貰い、その中からまつひの名前を探す。すると確かに、小さい写真ではあるけれども、まつひの名前が添えられた物が有った。
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それを見て林檎は思う。まつひはこの仏像の頭のような誰かや何かに、側に寄り添って欲しいのだろうなと。
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