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2007年
39:毒の鉱物
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吹く風も柔らかくなり、道端には小さな緑が芽吹く頃。この日は良く晴れて暖かく、とわ骨董店の店主の林檎は、いつもの籐の椅子に腰掛けたままうとうととしていた。
目を閉じてぼんやりと浮かんでくるのは、先日博物館に言った折に観た書だった。中には読める物ももちろんあったけれど、抽象化されたのか、まだ抽象の面影が残っているのか、不思議な形をした書も沢山有り、読めなくて観ているだけでも、それは心躍る物だった。
あそこは期間ごとに入れ換えて書の展示をしているみたいだから、また行っても良いかもしれない。ふわふわとした感覚の中そう思っていると、物音がした。
何かと思って顔を上げ入り口の方を見ると、空色の髪で、カジュアルなジャケットにマフラーを巻いた男性が立っていた。
「こんにちは、林檎さん」
男性が声を掛けてきたので、林檎も口の端を指で押さえてから挨拶を返す。
「こんにちは、アザミさん。お久しぶりです」
うたた寝していたのを見られてしまっただろうかとすこし恥ずかしく思いながら、空色の髪の男性、アザミを見ていると、にこりと笑顔を林檎に向けてから店内を見始めた。
つい油断してたと反省しながらアザミの様子を見ていると、以前来たときと同じように、棚の上にきれいに並べられた鉱物を見ていた。
並べられているのは、翠銅鉱、オパル、藍銅鉱、辰砂、蛍石の、小さな欠片だ。アザミはそれらをひとつずつ、辰砂以外を手に取ってまじまじとみている。時折、店の窓から入る光に透かしてもいた。
ふと、アザミが呟いた。
「辰砂は」
それを聞いて、林檎はすこし表情を引き締めて訊ねる。
「水銀が心配ですか?」
その問いに、アザミは複雑そうな顔をして辰砂を手に取る。
「良からぬ事を考える、知識ある人のところに行ってしまわないかは心配ですね」
前回来たとき、それだけは触れないようにしていた辰砂の欠片を持って、アザミは林檎の所へと近寄る。そして、辰砂をレジカウンターの上に置いて林檎に声を掛けた。
「これをいただきたいのですが」
「はい、かしこまりました。ご自宅用ですか?」
「はい、自宅用で」
短いやりとりをして、林檎は電卓に金額を打ち込んで提示する。アザミが会計の準備をしている間に、辰砂を緩衝材で包み、テープで留め、それをクラフト紙の袋に入れて口を閉じ、それをまた紺色の紙袋に入れて口の部分を唐草模様のテープで留めた。
会計を済ませ、紙袋をアザミに渡してから、林檎がこう訊ねた。
「折角ここまでいらしたのですし、お茶でもいかがですか?」
すると、アザミははにかんで頷く。
「はい、いただいていきます。
ちょうど喉が渇いていた所なんです」
林檎はすぐさまにバックヤードから丸い座面のスツールを運び出しアザミに勧める。それから、レジカウンターの奥にある棚から、茶色のグラデーションがきれいな備前焼のカップと、白い縁の付いた萩焼のカップ、それと紫がかった茶色い急須と茶葉のはいった丸い缶を取りだし、レジカウンターの上に並べる。
急須の蓋を開け、茶葉を中に入れる。今日のお茶は薔薇の花びらがはいった、桃の香りの緑茶だ。
急須にお湯を注ぎ、それを持ってくるりと中のお湯を揺らし、カップの中に注いでいく。青く甘い香りがふわりと立った。
備前焼のカップをアザミに手渡し、林檎は萩焼のカップを持っていつもの籐の椅子に座る。それから、不思議に思ったことをアザミに訊ねた。
「そう言えば、アザミさんは随分と辰砂のことを警戒していますけれど、過去に何かあったんですか?」
すると、アザミは困ったように笑う。
「実際何があったというわけでは無いんですけど、成分的に十分危険な物なので、警戒はした方が良いなと思って」
「ああ、なるほど……」
アザミの話を聞いて林檎は、今は棚の引き出しの中にしまっている硫砒鉄鉱という鉱物を思い出す。あの石も確か、表面で猛毒が精製されると言うことで、鉱物に詳しい常連客の悠希が、注意するように言っていた。
やはり辰砂も、慣れた人の手元にいった方が安心なのだろうか。
そんな林檎の不安を感じ取ったのか、アザミが紙袋をすこし持ち上げてにこりと笑う。
「俺はこう言うのの扱い慣れてるんで、大丈夫ですよ」
それを聞いて林檎はなんとなくほっとする。本当に安全なのか危険なのか、いまいち確証が持てないままに店頭に置いていたのだけれども、扱いに慣れているアザミの元に行くのならば、この石が原因で何か間違いが起こると言う事も無いだろう。
ふと、アザミが呟く。
「以前、脅すようなことをこの店で言ってしまったんですけれど」
「はい」
「それでも、ずっとこの石が気になってて、欲しかったんですよね」
そう言って表情を綻ばせたアザミは少年のようで。欲しかった物が手に入るというのは、やはり喜ばしいことなのだ。
つられて林檎も笑顔になり、くすくすと笑う。
「欲しいものがまだ店頭にあって良かったです。
是非大事になさってくださいね」
「はい、勿論です」
それからしばらくふたりで談笑して、アザミが店を出た後。改めて、扱いの難しい物がきちんとわかる人のところに行って良かったと、林檎は思ったのだった。
目を閉じてぼんやりと浮かんでくるのは、先日博物館に言った折に観た書だった。中には読める物ももちろんあったけれど、抽象化されたのか、まだ抽象の面影が残っているのか、不思議な形をした書も沢山有り、読めなくて観ているだけでも、それは心躍る物だった。
あそこは期間ごとに入れ換えて書の展示をしているみたいだから、また行っても良いかもしれない。ふわふわとした感覚の中そう思っていると、物音がした。
何かと思って顔を上げ入り口の方を見ると、空色の髪で、カジュアルなジャケットにマフラーを巻いた男性が立っていた。
「こんにちは、林檎さん」
男性が声を掛けてきたので、林檎も口の端を指で押さえてから挨拶を返す。
「こんにちは、アザミさん。お久しぶりです」
うたた寝していたのを見られてしまっただろうかとすこし恥ずかしく思いながら、空色の髪の男性、アザミを見ていると、にこりと笑顔を林檎に向けてから店内を見始めた。
つい油断してたと反省しながらアザミの様子を見ていると、以前来たときと同じように、棚の上にきれいに並べられた鉱物を見ていた。
並べられているのは、翠銅鉱、オパル、藍銅鉱、辰砂、蛍石の、小さな欠片だ。アザミはそれらをひとつずつ、辰砂以外を手に取ってまじまじとみている。時折、店の窓から入る光に透かしてもいた。
ふと、アザミが呟いた。
「辰砂は」
それを聞いて、林檎はすこし表情を引き締めて訊ねる。
「水銀が心配ですか?」
その問いに、アザミは複雑そうな顔をして辰砂を手に取る。
「良からぬ事を考える、知識ある人のところに行ってしまわないかは心配ですね」
前回来たとき、それだけは触れないようにしていた辰砂の欠片を持って、アザミは林檎の所へと近寄る。そして、辰砂をレジカウンターの上に置いて林檎に声を掛けた。
「これをいただきたいのですが」
「はい、かしこまりました。ご自宅用ですか?」
「はい、自宅用で」
短いやりとりをして、林檎は電卓に金額を打ち込んで提示する。アザミが会計の準備をしている間に、辰砂を緩衝材で包み、テープで留め、それをクラフト紙の袋に入れて口を閉じ、それをまた紺色の紙袋に入れて口の部分を唐草模様のテープで留めた。
会計を済ませ、紙袋をアザミに渡してから、林檎がこう訊ねた。
「折角ここまでいらしたのですし、お茶でもいかがですか?」
すると、アザミははにかんで頷く。
「はい、いただいていきます。
ちょうど喉が渇いていた所なんです」
林檎はすぐさまにバックヤードから丸い座面のスツールを運び出しアザミに勧める。それから、レジカウンターの奥にある棚から、茶色のグラデーションがきれいな備前焼のカップと、白い縁の付いた萩焼のカップ、それと紫がかった茶色い急須と茶葉のはいった丸い缶を取りだし、レジカウンターの上に並べる。
急須の蓋を開け、茶葉を中に入れる。今日のお茶は薔薇の花びらがはいった、桃の香りの緑茶だ。
急須にお湯を注ぎ、それを持ってくるりと中のお湯を揺らし、カップの中に注いでいく。青く甘い香りがふわりと立った。
備前焼のカップをアザミに手渡し、林檎は萩焼のカップを持っていつもの籐の椅子に座る。それから、不思議に思ったことをアザミに訊ねた。
「そう言えば、アザミさんは随分と辰砂のことを警戒していますけれど、過去に何かあったんですか?」
すると、アザミは困ったように笑う。
「実際何があったというわけでは無いんですけど、成分的に十分危険な物なので、警戒はした方が良いなと思って」
「ああ、なるほど……」
アザミの話を聞いて林檎は、今は棚の引き出しの中にしまっている硫砒鉄鉱という鉱物を思い出す。あの石も確か、表面で猛毒が精製されると言うことで、鉱物に詳しい常連客の悠希が、注意するように言っていた。
やはり辰砂も、慣れた人の手元にいった方が安心なのだろうか。
そんな林檎の不安を感じ取ったのか、アザミが紙袋をすこし持ち上げてにこりと笑う。
「俺はこう言うのの扱い慣れてるんで、大丈夫ですよ」
それを聞いて林檎はなんとなくほっとする。本当に安全なのか危険なのか、いまいち確証が持てないままに店頭に置いていたのだけれども、扱いに慣れているアザミの元に行くのならば、この石が原因で何か間違いが起こると言う事も無いだろう。
ふと、アザミが呟く。
「以前、脅すようなことをこの店で言ってしまったんですけれど」
「はい」
「それでも、ずっとこの石が気になってて、欲しかったんですよね」
そう言って表情を綻ばせたアザミは少年のようで。欲しかった物が手に入るというのは、やはり喜ばしいことなのだ。
つられて林檎も笑顔になり、くすくすと笑う。
「欲しいものがまだ店頭にあって良かったです。
是非大事になさってくださいね」
「はい、勿論です」
それからしばらくふたりで談笑して、アザミが店を出た後。改めて、扱いの難しい物がきちんとわかる人のところに行って良かったと、林檎は思ったのだった。
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