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第十二章 愛しのあの人は
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二週間に一度の通院。それは悠希が密やかに、楽しみにしている日だ。悠希が病院に行くのは午前の診療受付終了間近。始めその時間帯に行くようにした理由は、長時間待つのが嫌だったからなのだが、今では違う理由があった。
診察券を窓口に出し、二階の待合室へ上がると、大概いつも三~四人程診察を待つ患者が居る。付き添いの人と話をしている患者が殆どなのだが、悠希ともう一人だけは、無言で診察の順番を待つ。そのもう一人というのは、小柄で、極薄い色の金髪をボブに切りそろえ、伏し目がちにいつも本を読んでいる。整った顔立ちのその人が伏し目がちになっていると、まつげの長さがますます際立つようだった。
決して話す事は無いのだけど、悠希はその人に会うのが楽しみなのだ。その人が時折本から視線を上げ、視線が合う度に悠希の胸が高鳴る。その事を鎌谷に話したら、こう言われた。
『なんつーか、言葉で言うとこそばゆいけど恋ってヤツだろ?』
初めは、話した事はおろか、声を聞いたことすらない人に恋をするなんて、悠希には信じられなかった。けれども、鎌谷に言われて以来、名も知らぬ思い人に会う度、自分はその人に恋をして居るんだと実感した。
「……さん」
名前を呼ばれた悠希の思い人は、本を閉じ俯いたまま、無言で診察室に入る。そして、暫くすると無言のまま診察室から出てくるのだ。僅か数十分、されど数十分の間、悠希は胸をときめかせているのである。
ときめきの余韻に浸ったまま悠希がアパートに帰ると、廊下で見覚えのある人物と出くわした。
「あれ? 悠希。こんな所で何してるんだ?」
「アレクこそこんな所で何してるの?」
突然の友人の登場に悠希が驚いていると、アレクがこう答える。
「いや、兄貴のウチに遊びに来たんだけどさ」
「へ~、アレクのお兄さんもこのアパートなんだ。僕も此処に住んでるんだよ」
「へぇ、奇遇だなぁ。立ち話も何だし一緒に兄貴んち行く?」
「え? いいの?」
話しながら階段を上り、三階に差し掛かった所で、悠希が階段のすぐ上に見える部屋を指して言う。
「そこが僕の部屋だよ」
「へぇ、住んでる階まで一緒か。兄貴んちはそこの突き当たり」
悠希の部屋の前を素通りし、アレクが案内するままに三階の角部屋まで行く。呼び鈴を押すと、少し間をおいてドアが開く。
「よう兄貴、俺の友達も一緒だけど良いかい?」
「え? うん、良いよ。散らかってるけど」
ドアの陰に隠れて部屋の主は見えないままだが、アレクが悠希に手招きをする。
「悠希、これが俺の兄貴」
「あ、アレクのお兄さん、初めまし……?」
悠希が挨拶しながら、アレクが開いたドアの向こうを見ると、そこには先程病院の待合室に居た悠希の思い人が居た。ショックで言葉が出ない。
「兄貴も何か言えよ」
「え……っと、初めまして、カナメです」
弟よりもずっと背が低い、小柄なその人から発せられた声は、多少高いものの男の声。暫く硬直した後、悠希は走ってで自分の部屋に戻った。
「鎌谷く~ん! 僕どうしよう……どうしたらいいの~!」
家に着くなり、しっかりと鎌谷の昼食を用意してから、悠希は鎌谷に泣きつく。
「落ち着けまずはそれからだ。で、何が有った」
胡座をかいたまま鎌谷が訊ねると、突然呼び鈴が鳴った。悠希がパニック状態なので、鎌谷が仕方なく玄関のドアを開けると、アレクとその兄のカナメが立っていた。
「おうアレク、こんな所で何してんだ?」
「いや、兄貴んちに遊びに来て、さっき廊下で悠希に会ったんだけどさ、兄貴を紹介したら急に悠希が走っていったもんだからどうしたのかと」
「あ~ん? お前の兄貴もここ住んでんのか。で、そこにいる彼女を兄貴にお披露目?」
兄を見て勘違いをする鎌谷に、アレクが慌てて弁解する。
「違う! こいつ俺の兄貴だよ!」
「あ……初めまして、カナメです」
「兄貴他に言う事無いのかよ!」
「でも初対面の人にはちゃんと名乗らないと、後々何年間も初めましてって言う羽目になるし」
口元に手を当てておろおろしているカナメが、はっとしたように鎌谷に尋ねる。
「すいません、あの、アレクのお友達ですか?」
「あ~、まあ一応」
「さっきアレクのお友達の悠希君が、僕のこと見てショック受けてたみたいだから、何か悪い事してないかなって思うんですけど……心当たり有りますか?」
縮こまって話すカナメの言葉を聞きながら、鎌谷は考えた。当の悠希は奥の部屋で布団にくるまって落ち込んでいる。どうにも何が有ったのか解らない鎌谷は、とりあえず二人に告げる。
「とりあえず何が有ったのか悠希に聞いとくから、ちょっと戻ってくれね?」
アレクとカナメが少し間をおいて、それを了承。二人はカナメの部屋に戻って行った。布団の中で泣きじゃくる悠希に、鎌谷が話しかける。
「どうやらショックの原因はアレクの兄貴みたいだけど、何かあったのか?」
しかしすぐに返事は返ってこない。悠希は考えを纏めるのに時間が掛かる質なのだ。それが解っている鎌谷は、悠希が話し出すのをじっと待つ。暫くすると、布団の中からぽつりぽつりと返事が返って来た。
「……前に鎌谷くんに話したと思うけど、病院の患者さんで好きな人居るって……」
「ああ、聞いたな」
「……その人、今日も僕の前に診察受けて行ったんだけど……」
「だけど?」
「アレクのお兄さんだったんだよ~!女の人だと思ってたのに、僕、僕、どうしたら……」
再び取り乱し始める悠希を鎌谷が何とか宥める。
「とりあえず落ち着け、男として女だと思ってた好きな人が男だったってのがショックなのは、俺も解る。だけどな、よく考えて見ろ、世の中ホモだのレズだのゲイなんかいくらでも居るし、そいつらを差別するのが如何にナンセンスな事かはお前の方が良くわかってる筈だ」
目を真っ赤にはらした悠希に、ゆっくりと語りかける。いつもの様な投げやりな調子ではない。こういう時こそ、鎌谷は自分の役割を弁えているのだ。しゃくり上げて何も言えない悠希は、鎌谷の言う事をじっと聞く。
「だからな、本当に相手のことが好きなんだったら、相手が男だったなんて事位で挫けんな。そりゃ、人それぞれ性癖があるから、性の壁を超えてまでアタックしろとは言わないさ。
だけどよ、もうちょっと相手を知る事をしたらどうだ?」
布団の中から聞こえてくる、しゃくり上げる声がだんだん小さくなっていく。そして、心細げな声で悠希が鎌谷に尋ねる。
「……どうしよう、僕、アレクのお兄さんに悪い事しちゃった……嫌われてないかな……」
「嫌われてたら、心配してウチまで来ないだろ。何だったら、これから一緒にアレクの兄貴…カナメだっけ? の部屋行こうぜ」
「うん……僕、カナメさんに謝らなきゃ」
布団から這い出しそう決意した悠希は、鎌谷と共にカナメの部屋へ向かった。
恐る恐る呼び鈴を押すと、やはり間を置いて、カナメがドアの隙間から覗き込む。
「ああ、悠希君と飼い犬さん。大丈夫かな?」
心配そうな顔つきで悠希と鎌谷を交互に見る。憂いを含んだその表情を見ても、悠希の中にはもうときめく物が無く、ただ胸を締め付けられる感覚だけが有った。とても苦しかったけれど、悠希は何とか告げることが出来た。
「さっきは御免なさい、取り乱しちゃってて。僕が勝手に色々勘違いして、勝手にショックを受けただけなんです。だから、気にしないで下さい」
そう言っている間、悠希は二足歩行で立っている鎌谷の手をずっと握りしめている。
そして、口ごもりながらも、言いたかった一言を言う事が出来た。
「あの……その……もし良かったら何ですけど、僕と友達になって、くれませんか……?」
それを聞いたカナメは少し驚いた顔をして、返事をする。
「アレクから結構話は聞いてるし、僕なんかで良ければ……」
悠希は密かに喜ぶ。その様子に気づくことなく、カナメは言葉を続けて、こう言った。
「今日から君も友達だね」
優しく言われたその言葉に、悠希はこそばゆさと心地よさを感じる。
そう、目の前のカナメが自分を見て口には出せないような妄想をしていることも知らずに。
診察券を窓口に出し、二階の待合室へ上がると、大概いつも三~四人程診察を待つ患者が居る。付き添いの人と話をしている患者が殆どなのだが、悠希ともう一人だけは、無言で診察の順番を待つ。そのもう一人というのは、小柄で、極薄い色の金髪をボブに切りそろえ、伏し目がちにいつも本を読んでいる。整った顔立ちのその人が伏し目がちになっていると、まつげの長さがますます際立つようだった。
決して話す事は無いのだけど、悠希はその人に会うのが楽しみなのだ。その人が時折本から視線を上げ、視線が合う度に悠希の胸が高鳴る。その事を鎌谷に話したら、こう言われた。
『なんつーか、言葉で言うとこそばゆいけど恋ってヤツだろ?』
初めは、話した事はおろか、声を聞いたことすらない人に恋をするなんて、悠希には信じられなかった。けれども、鎌谷に言われて以来、名も知らぬ思い人に会う度、自分はその人に恋をして居るんだと実感した。
「……さん」
名前を呼ばれた悠希の思い人は、本を閉じ俯いたまま、無言で診察室に入る。そして、暫くすると無言のまま診察室から出てくるのだ。僅か数十分、されど数十分の間、悠希は胸をときめかせているのである。
ときめきの余韻に浸ったまま悠希がアパートに帰ると、廊下で見覚えのある人物と出くわした。
「あれ? 悠希。こんな所で何してるんだ?」
「アレクこそこんな所で何してるの?」
突然の友人の登場に悠希が驚いていると、アレクがこう答える。
「いや、兄貴のウチに遊びに来たんだけどさ」
「へ~、アレクのお兄さんもこのアパートなんだ。僕も此処に住んでるんだよ」
「へぇ、奇遇だなぁ。立ち話も何だし一緒に兄貴んち行く?」
「え? いいの?」
話しながら階段を上り、三階に差し掛かった所で、悠希が階段のすぐ上に見える部屋を指して言う。
「そこが僕の部屋だよ」
「へぇ、住んでる階まで一緒か。兄貴んちはそこの突き当たり」
悠希の部屋の前を素通りし、アレクが案内するままに三階の角部屋まで行く。呼び鈴を押すと、少し間をおいてドアが開く。
「よう兄貴、俺の友達も一緒だけど良いかい?」
「え? うん、良いよ。散らかってるけど」
ドアの陰に隠れて部屋の主は見えないままだが、アレクが悠希に手招きをする。
「悠希、これが俺の兄貴」
「あ、アレクのお兄さん、初めまし……?」
悠希が挨拶しながら、アレクが開いたドアの向こうを見ると、そこには先程病院の待合室に居た悠希の思い人が居た。ショックで言葉が出ない。
「兄貴も何か言えよ」
「え……っと、初めまして、カナメです」
弟よりもずっと背が低い、小柄なその人から発せられた声は、多少高いものの男の声。暫く硬直した後、悠希は走ってで自分の部屋に戻った。
「鎌谷く~ん! 僕どうしよう……どうしたらいいの~!」
家に着くなり、しっかりと鎌谷の昼食を用意してから、悠希は鎌谷に泣きつく。
「落ち着けまずはそれからだ。で、何が有った」
胡座をかいたまま鎌谷が訊ねると、突然呼び鈴が鳴った。悠希がパニック状態なので、鎌谷が仕方なく玄関のドアを開けると、アレクとその兄のカナメが立っていた。
「おうアレク、こんな所で何してんだ?」
「いや、兄貴んちに遊びに来て、さっき廊下で悠希に会ったんだけどさ、兄貴を紹介したら急に悠希が走っていったもんだからどうしたのかと」
「あ~ん? お前の兄貴もここ住んでんのか。で、そこにいる彼女を兄貴にお披露目?」
兄を見て勘違いをする鎌谷に、アレクが慌てて弁解する。
「違う! こいつ俺の兄貴だよ!」
「あ……初めまして、カナメです」
「兄貴他に言う事無いのかよ!」
「でも初対面の人にはちゃんと名乗らないと、後々何年間も初めましてって言う羽目になるし」
口元に手を当てておろおろしているカナメが、はっとしたように鎌谷に尋ねる。
「すいません、あの、アレクのお友達ですか?」
「あ~、まあ一応」
「さっきアレクのお友達の悠希君が、僕のこと見てショック受けてたみたいだから、何か悪い事してないかなって思うんですけど……心当たり有りますか?」
縮こまって話すカナメの言葉を聞きながら、鎌谷は考えた。当の悠希は奥の部屋で布団にくるまって落ち込んでいる。どうにも何が有ったのか解らない鎌谷は、とりあえず二人に告げる。
「とりあえず何が有ったのか悠希に聞いとくから、ちょっと戻ってくれね?」
アレクとカナメが少し間をおいて、それを了承。二人はカナメの部屋に戻って行った。布団の中で泣きじゃくる悠希に、鎌谷が話しかける。
「どうやらショックの原因はアレクの兄貴みたいだけど、何かあったのか?」
しかしすぐに返事は返ってこない。悠希は考えを纏めるのに時間が掛かる質なのだ。それが解っている鎌谷は、悠希が話し出すのをじっと待つ。暫くすると、布団の中からぽつりぽつりと返事が返って来た。
「……前に鎌谷くんに話したと思うけど、病院の患者さんで好きな人居るって……」
「ああ、聞いたな」
「……その人、今日も僕の前に診察受けて行ったんだけど……」
「だけど?」
「アレクのお兄さんだったんだよ~!女の人だと思ってたのに、僕、僕、どうしたら……」
再び取り乱し始める悠希を鎌谷が何とか宥める。
「とりあえず落ち着け、男として女だと思ってた好きな人が男だったってのがショックなのは、俺も解る。だけどな、よく考えて見ろ、世の中ホモだのレズだのゲイなんかいくらでも居るし、そいつらを差別するのが如何にナンセンスな事かはお前の方が良くわかってる筈だ」
目を真っ赤にはらした悠希に、ゆっくりと語りかける。いつもの様な投げやりな調子ではない。こういう時こそ、鎌谷は自分の役割を弁えているのだ。しゃくり上げて何も言えない悠希は、鎌谷の言う事をじっと聞く。
「だからな、本当に相手のことが好きなんだったら、相手が男だったなんて事位で挫けんな。そりゃ、人それぞれ性癖があるから、性の壁を超えてまでアタックしろとは言わないさ。
だけどよ、もうちょっと相手を知る事をしたらどうだ?」
布団の中から聞こえてくる、しゃくり上げる声がだんだん小さくなっていく。そして、心細げな声で悠希が鎌谷に尋ねる。
「……どうしよう、僕、アレクのお兄さんに悪い事しちゃった……嫌われてないかな……」
「嫌われてたら、心配してウチまで来ないだろ。何だったら、これから一緒にアレクの兄貴…カナメだっけ? の部屋行こうぜ」
「うん……僕、カナメさんに謝らなきゃ」
布団から這い出しそう決意した悠希は、鎌谷と共にカナメの部屋へ向かった。
恐る恐る呼び鈴を押すと、やはり間を置いて、カナメがドアの隙間から覗き込む。
「ああ、悠希君と飼い犬さん。大丈夫かな?」
心配そうな顔つきで悠希と鎌谷を交互に見る。憂いを含んだその表情を見ても、悠希の中にはもうときめく物が無く、ただ胸を締め付けられる感覚だけが有った。とても苦しかったけれど、悠希は何とか告げることが出来た。
「さっきは御免なさい、取り乱しちゃってて。僕が勝手に色々勘違いして、勝手にショックを受けただけなんです。だから、気にしないで下さい」
そう言っている間、悠希は二足歩行で立っている鎌谷の手をずっと握りしめている。
そして、口ごもりながらも、言いたかった一言を言う事が出来た。
「あの……その……もし良かったら何ですけど、僕と友達になって、くれませんか……?」
それを聞いたカナメは少し驚いた顔をして、返事をする。
「アレクから結構話は聞いてるし、僕なんかで良ければ……」
悠希は密かに喜ぶ。その様子に気づくことなく、カナメは言葉を続けて、こう言った。
「今日から君も友達だね」
優しく言われたその言葉に、悠希はこそばゆさと心地よさを感じる。
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