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第十一章 あの日の親水公園
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食事が終わって暫く、父が悠希に言った。
「今度五月辺りに石の買い付けに行くんだけど、悠希も来てくれるかなぁ?」
実は石マニアの父と並ぶ程、悠希は石の目利きが出来る。なので、時折父の買い出しに悠希が着いていくことがあるのだ。
「五月頃……うん。いつも通り暇だし、いいよ。今度は何処に行くの?」
「う~ん、アトランティスかなぁ」
父と兄の話を聞いていた匠がむくれて言う。
「お兄ちゃんまた海外行っちゃうの?」
「仕事のお手伝いなんだからしょうがないでしょ」
むくれる匠を聖史が窘める。正直、聖史としても悠希が海外に行くのは不安だ。何と言っても外国語が全く解らないのだから。もし海外で悠希が何かの事件に巻き込まれたら……そう思うだけで、武力行使の算段を付けたくなる。
何だかんだで聖史も弟に甘いのであった。
一家でお茶を啜っているおやつ時、誰かが家に訊ねて来た。
「おじゃましまーす。岸本ですけど聖史さんいますか?」
突然の来訪者を母が出迎える。
「あら岸本くん。聖史だったらお茶飲んでるわよ。良かったら上がってって」
「はい、おじゃまします」
水色の髪の毛を三つ編みにしたその男性は、聖史の学友で同僚だ。聖史共々美大卒業後、軍にスカウトされ、今でも聖史とコンビを組んでいる。そんな彼がお土産片手に居間に入る。
「適当な所に座っててね。今お茶淹れるから」
母にそう言われ、岸本は聖史の隣に座り、父に挨拶をした。
「どうも、いつも娘さんのお世話になっています」
「いやいやこちらこそ、いつもお世話になっております」
珈琲を飲んでいた父も挨拶を返す。
「で、何でまた急に来たの?」
聖史の問いに、岸本が答える。
「いや、今日悠希君が帰って来るって聞いたから、お土産に御菓子持ってきたんだよ」
「え、そうなんですか?わざわざ有り難うございます」
突然出てきた自分の名前に、驚きながら悠希がお礼を言うと、聖史と匠が怪訝な目つきで岸本を見た。
それから二人で目配せをし、匠が明らかな作り笑顔で岸本に尋ねる。
「そう言えば岸本さんって彼女とか居ないんですか?」
「全くそう言う話聞かないわよね。早く彼女作りなさいよ」
聖史も澄ました顔で畳みかける。岸本に掛かる圧力。その圧力を父も悠希も感じるのか、戸惑った顔のまま何も言い出せない。圧力は聖史と匠の言葉によって更に増す。
「そう言えば岸本君って、悠希が帰ってくると必ず来るわよね」
「そうそう、お姉ちゃんが仕事で居なくっても、お兄ちゃんが帰って来る時大概来るよね」
「あら、そうなの? 貴方そんなに仕事暇だったかしら?」
「岸本さん、仕事貯めてないよね?」
棘のある言葉を次々繰り出す姉妹に、岸本は冷や汗を振り払って言った。
「何を言うんだ新橋。俺と君との仲じゃないか、悠希君は家族みたいな物さ!」
図星を指された岸本の、苦し紛れの言い分を真に受けた父が、慌てて聖史に問う。
「二人とも何時の間にそんな仲に……
婚約したんだったらお父さんに一言言わなきゃ駄目じゃないか」
お茶を持ってきた母も、驚いたように言う。
「ありゃ、駄目じゃない聖史。婚約したんだったらお母さんに言わなきゃ」
「婚約してないってば!
お父さんもお母さんも勘違いしないで!」
父の発言がお茶を持ってきた母にまで誤解を招き、聖史が慌てて否定する。岸本もまさかこう誤解されるとは思っていなかったのか、焦りを隠せないままに婚約疑惑を否定する。
「違いますってば、え~と、なんて言うか……
そう、大学からのつき合いだし、家族同様に親しくてもおかしく無いって言う事ですよ!」
「岸本さんがお兄ちゃんと家族同様にまで親しい理由になってないよ」
引きつった笑いを浮かべて弁解する岸本に、匠が鋭い指摘をした。
目の前で一体何が起こっているのか、複雑な人間関係図が苦手な悠希の頭では、理解が追いつかない。しかしそこは小説家の卵、自分を中心に何かが渦巻いていることだけは本能で察知した。
「ぼ、僕、ちょっと鎌谷くんと散歩に行ってくるね」
鎌谷も居間に渦巻く不穏な空気を察知し、悠希共々散歩に出かけてしまった。
家から少し歩くと、実家にいた頃悠希と鎌谷が良く散歩していた親水公園がある。そこに足を運ぶのはとても久しぶりだ。
人工的に作られた小川沿いにあるベンチに腰掛けて悠希は溜息をつく。
「なんでみんなあんなに喧嘩するんだろう」
「まあ、明らかにおめーを巡って争ってるよな」
「やっぱり僕のせいなのかなぁ。僕悪いことしたかなぁ……
やっぱり僕居ない方が良いんだ……」
どんどん思考が悪い方向へ向かう悠希に、隣に座った鎌谷が珍しく暗い顔をする。
鎌谷は、悠希が抑鬱病になった原因を薄々感づいていた。決して家族の愛情が足りなかった訳ではない。むしろ生まれ付きの病気を持っている為、家族中の愛情を一身に受けて育った。
だが、両親は兎も角、姉と妹の愛情が過ぎていた。どっちも悠希の事を心配し、自分の手元で大切にしたいと言う気持ちばかりが先走ってしまい、どちらが悠希と一緒にいるかで、良く喧嘩をしていた。
年齢を重ねた今では、姉の方が大分落ち着いたが、それでも悠希が実家に戻った時に二人揃っていると一度は喧嘩になる。その事実が悠希には耐え難い事だったのだ。
悠希の左手首には、手首とは直角に入った傷跡が五本、薄く残っている。短大時代に、自分が原因で姉と妹が喧嘩をしている事に耐えられなくなり、何処にもぶつける事が出来なかった気持ちを、裁ち鋏を使って手首に刻み込んだのだ。その事実を聖史も匠も知らない。『授業中に怪我をした』と家族には言っていたからだ。知っているのは鎌谷だけ。
あの日、泣きそうになりながら、救急箱と裁ち鋏を持ち、鎌谷を連れて悠希は此処に来た。そして、鎌谷の目の前で鋭い鋏の刃を左手首に五回、打ち付けたのだ。
その後すぐに悠希自は赤く染まった手首の応急処置をし、今では目立たない傷になっているが、あの時の血痕は、いまだ悠希の裁ち鋏の錆として残っている。
あの頃は自分さえ居なければ、自分さえ居なければと、悠希は自分を責め続けていた。それを見るに耐えなくなった鎌谷が、両親に相談した。そうして親に相談した結果、心の風邪は専門家に見て貰うしかないと言う事で、精神科の病院に通い始めた。
初めの内、悠希は医者に何も話せなかったが、次第に悩みを話す様になり、少し家族から離れた方が良いと言う事で一人暮らしをしている。
本当なら鎌谷は実家に残るはずだった。けれども、発作持ちで有る悠希を一人にする訳にはいかないと、鎌谷が率先して同居すると宣言したのだ。
「鎌谷くん、僕、どうしたら良いんだろう……」
「まあ、なんつーか……色々言いづらいよな」
聖史も匠も、決して仲が悪い訳ではない。
だから、気が弱い悠希は勿論、言葉を選ぶのが苦手な鎌谷もあの二人に何をどう言えばいいのか解らない。
俯いた悠希が、涙を零して呟く。
「……助けて、茄子MANさん……」
「そこで茄子MANかよ」
「だ、だって、茄子MANさんが何かあったらすぐに呼びなさいって!」
「正義のヒーローが心の悩みまで倒せると思ったら大違いだぞおめー」
泣きじゃくりながら良く解らない事を言う悠希に鎌谷がつっこんでいると、他に人気のない親水公園に声が響いた。
「青年よ、悩みがあるなら話だけでも聞こう」
「茄子MANさん! 来てくれたんですね!」
「勿論だとも。私は心の闇からも目を背けはしない!」
威風堂々と現れた茄子MANは、ふっと悠希に背を向け、お面をちょっとだけずらして栄養ドリンクを煽る。
「……はー……よっしゃOK!」
「おいおい、大丈夫かよ茄子MAN」
「いや~。正直、夜勤三連チャンはきついッスね。今日も夜勤明けッスよ」
「他人の心を気遣う前に自分の体を気遣えよおめーは」
茄子MANと鎌谷のやり取りを見た悠希が、気まずそうに茄子MANに言う。
「あの、調子悪かったら帰って寝て下さい。無理しないで下さい。僕なら、大丈夫ですから」
再び溢れてくる涙を堪えきれず、泣きながら鼻を啜る悠希の肩に、茄子MANが手を置く。
「安心したまえ青年。夜勤三連チャンなど、市民の平和の前では何のことはない。
それよりも、言いたい事が沢山あるのだろう?
私は聞く事しかできんが、話すと良い。楽になるぞ」
「茄子MANさん……僕は、僕はぁ~……」
悠希は今まで何度も鎌谷に話した事、今まで誰にも話した事がない事、他にも色々な事を日が暮れるまで、泣きながら茄子MANに話し続けた。
「今度五月辺りに石の買い付けに行くんだけど、悠希も来てくれるかなぁ?」
実は石マニアの父と並ぶ程、悠希は石の目利きが出来る。なので、時折父の買い出しに悠希が着いていくことがあるのだ。
「五月頃……うん。いつも通り暇だし、いいよ。今度は何処に行くの?」
「う~ん、アトランティスかなぁ」
父と兄の話を聞いていた匠がむくれて言う。
「お兄ちゃんまた海外行っちゃうの?」
「仕事のお手伝いなんだからしょうがないでしょ」
むくれる匠を聖史が窘める。正直、聖史としても悠希が海外に行くのは不安だ。何と言っても外国語が全く解らないのだから。もし海外で悠希が何かの事件に巻き込まれたら……そう思うだけで、武力行使の算段を付けたくなる。
何だかんだで聖史も弟に甘いのであった。
一家でお茶を啜っているおやつ時、誰かが家に訊ねて来た。
「おじゃましまーす。岸本ですけど聖史さんいますか?」
突然の来訪者を母が出迎える。
「あら岸本くん。聖史だったらお茶飲んでるわよ。良かったら上がってって」
「はい、おじゃまします」
水色の髪の毛を三つ編みにしたその男性は、聖史の学友で同僚だ。聖史共々美大卒業後、軍にスカウトされ、今でも聖史とコンビを組んでいる。そんな彼がお土産片手に居間に入る。
「適当な所に座っててね。今お茶淹れるから」
母にそう言われ、岸本は聖史の隣に座り、父に挨拶をした。
「どうも、いつも娘さんのお世話になっています」
「いやいやこちらこそ、いつもお世話になっております」
珈琲を飲んでいた父も挨拶を返す。
「で、何でまた急に来たの?」
聖史の問いに、岸本が答える。
「いや、今日悠希君が帰って来るって聞いたから、お土産に御菓子持ってきたんだよ」
「え、そうなんですか?わざわざ有り難うございます」
突然出てきた自分の名前に、驚きながら悠希がお礼を言うと、聖史と匠が怪訝な目つきで岸本を見た。
それから二人で目配せをし、匠が明らかな作り笑顔で岸本に尋ねる。
「そう言えば岸本さんって彼女とか居ないんですか?」
「全くそう言う話聞かないわよね。早く彼女作りなさいよ」
聖史も澄ました顔で畳みかける。岸本に掛かる圧力。その圧力を父も悠希も感じるのか、戸惑った顔のまま何も言い出せない。圧力は聖史と匠の言葉によって更に増す。
「そう言えば岸本君って、悠希が帰ってくると必ず来るわよね」
「そうそう、お姉ちゃんが仕事で居なくっても、お兄ちゃんが帰って来る時大概来るよね」
「あら、そうなの? 貴方そんなに仕事暇だったかしら?」
「岸本さん、仕事貯めてないよね?」
棘のある言葉を次々繰り出す姉妹に、岸本は冷や汗を振り払って言った。
「何を言うんだ新橋。俺と君との仲じゃないか、悠希君は家族みたいな物さ!」
図星を指された岸本の、苦し紛れの言い分を真に受けた父が、慌てて聖史に問う。
「二人とも何時の間にそんな仲に……
婚約したんだったらお父さんに一言言わなきゃ駄目じゃないか」
お茶を持ってきた母も、驚いたように言う。
「ありゃ、駄目じゃない聖史。婚約したんだったらお母さんに言わなきゃ」
「婚約してないってば!
お父さんもお母さんも勘違いしないで!」
父の発言がお茶を持ってきた母にまで誤解を招き、聖史が慌てて否定する。岸本もまさかこう誤解されるとは思っていなかったのか、焦りを隠せないままに婚約疑惑を否定する。
「違いますってば、え~と、なんて言うか……
そう、大学からのつき合いだし、家族同様に親しくてもおかしく無いって言う事ですよ!」
「岸本さんがお兄ちゃんと家族同様にまで親しい理由になってないよ」
引きつった笑いを浮かべて弁解する岸本に、匠が鋭い指摘をした。
目の前で一体何が起こっているのか、複雑な人間関係図が苦手な悠希の頭では、理解が追いつかない。しかしそこは小説家の卵、自分を中心に何かが渦巻いていることだけは本能で察知した。
「ぼ、僕、ちょっと鎌谷くんと散歩に行ってくるね」
鎌谷も居間に渦巻く不穏な空気を察知し、悠希共々散歩に出かけてしまった。
家から少し歩くと、実家にいた頃悠希と鎌谷が良く散歩していた親水公園がある。そこに足を運ぶのはとても久しぶりだ。
人工的に作られた小川沿いにあるベンチに腰掛けて悠希は溜息をつく。
「なんでみんなあんなに喧嘩するんだろう」
「まあ、明らかにおめーを巡って争ってるよな」
「やっぱり僕のせいなのかなぁ。僕悪いことしたかなぁ……
やっぱり僕居ない方が良いんだ……」
どんどん思考が悪い方向へ向かう悠希に、隣に座った鎌谷が珍しく暗い顔をする。
鎌谷は、悠希が抑鬱病になった原因を薄々感づいていた。決して家族の愛情が足りなかった訳ではない。むしろ生まれ付きの病気を持っている為、家族中の愛情を一身に受けて育った。
だが、両親は兎も角、姉と妹の愛情が過ぎていた。どっちも悠希の事を心配し、自分の手元で大切にしたいと言う気持ちばかりが先走ってしまい、どちらが悠希と一緒にいるかで、良く喧嘩をしていた。
年齢を重ねた今では、姉の方が大分落ち着いたが、それでも悠希が実家に戻った時に二人揃っていると一度は喧嘩になる。その事実が悠希には耐え難い事だったのだ。
悠希の左手首には、手首とは直角に入った傷跡が五本、薄く残っている。短大時代に、自分が原因で姉と妹が喧嘩をしている事に耐えられなくなり、何処にもぶつける事が出来なかった気持ちを、裁ち鋏を使って手首に刻み込んだのだ。その事実を聖史も匠も知らない。『授業中に怪我をした』と家族には言っていたからだ。知っているのは鎌谷だけ。
あの日、泣きそうになりながら、救急箱と裁ち鋏を持ち、鎌谷を連れて悠希は此処に来た。そして、鎌谷の目の前で鋭い鋏の刃を左手首に五回、打ち付けたのだ。
その後すぐに悠希自は赤く染まった手首の応急処置をし、今では目立たない傷になっているが、あの時の血痕は、いまだ悠希の裁ち鋏の錆として残っている。
あの頃は自分さえ居なければ、自分さえ居なければと、悠希は自分を責め続けていた。それを見るに耐えなくなった鎌谷が、両親に相談した。そうして親に相談した結果、心の風邪は専門家に見て貰うしかないと言う事で、精神科の病院に通い始めた。
初めの内、悠希は医者に何も話せなかったが、次第に悩みを話す様になり、少し家族から離れた方が良いと言う事で一人暮らしをしている。
本当なら鎌谷は実家に残るはずだった。けれども、発作持ちで有る悠希を一人にする訳にはいかないと、鎌谷が率先して同居すると宣言したのだ。
「鎌谷くん、僕、どうしたら良いんだろう……」
「まあ、なんつーか……色々言いづらいよな」
聖史も匠も、決して仲が悪い訳ではない。
だから、気が弱い悠希は勿論、言葉を選ぶのが苦手な鎌谷もあの二人に何をどう言えばいいのか解らない。
俯いた悠希が、涙を零して呟く。
「……助けて、茄子MANさん……」
「そこで茄子MANかよ」
「だ、だって、茄子MANさんが何かあったらすぐに呼びなさいって!」
「正義のヒーローが心の悩みまで倒せると思ったら大違いだぞおめー」
泣きじゃくりながら良く解らない事を言う悠希に鎌谷がつっこんでいると、他に人気のない親水公園に声が響いた。
「青年よ、悩みがあるなら話だけでも聞こう」
「茄子MANさん! 来てくれたんですね!」
「勿論だとも。私は心の闇からも目を背けはしない!」
威風堂々と現れた茄子MANは、ふっと悠希に背を向け、お面をちょっとだけずらして栄養ドリンクを煽る。
「……はー……よっしゃOK!」
「おいおい、大丈夫かよ茄子MAN」
「いや~。正直、夜勤三連チャンはきついッスね。今日も夜勤明けッスよ」
「他人の心を気遣う前に自分の体を気遣えよおめーは」
茄子MANと鎌谷のやり取りを見た悠希が、気まずそうに茄子MANに言う。
「あの、調子悪かったら帰って寝て下さい。無理しないで下さい。僕なら、大丈夫ですから」
再び溢れてくる涙を堪えきれず、泣きながら鼻を啜る悠希の肩に、茄子MANが手を置く。
「安心したまえ青年。夜勤三連チャンなど、市民の平和の前では何のことはない。
それよりも、言いたい事が沢山あるのだろう?
私は聞く事しかできんが、話すと良い。楽になるぞ」
「茄子MANさん……僕は、僕はぁ~……」
悠希は今まで何度も鎌谷に話した事、今まで誰にも話した事がない事、他にも色々な事を日が暮れるまで、泣きながら茄子MANに話し続けた。
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