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第三章 調香師
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日も長くなりハーブの緑も勢いづいた頃。いつも通りに村人の体調を見終わったミカエルとリンネの元に、ひとりの人物が訪れた。
「やあやあ、久しぶり」
そう言って玄関の前に立つのは、毛先に行くにつれて臙脂色から水色へと色の変わっている癖っ毛で、一見質素だけれども作りの良い服を着た男だ。
ノックと掛け声を聞いて玄関を開けたリンネが、嬉しそうな声を上げる。
「ジジさん、お久しぶりです!」
ジジと呼ばれた男は、胡散臭くは有る物の嬉しそうな笑みを浮かべて言葉を返す。
「久しぶりだねぇ。君もミカエルも元気にしてるかい?」
「おかげさまで僕も先生も元気です。
先生に用があるんですよね? 中へどうぞ」
「はいはい、お邪魔しますよっと」
大きな鞄を持ったまま家の中に入るジジを見て、昼食を食べて眠そうな顔をしていたミカエルの表情が明るくなる。
「おや、久しぶりだね。また香油を買いに来たんだろう。どうぞ座って」
「その通りさ。それじゃあ失礼して」
部屋の中心に置かれた大きなテーブル。そこに据えられた椅子のうち一脚にジジが腰をかける。その倚子は普段ミカエルもリンネも使っていない物で、偶にやってくるジジだけが、その倚子に座るのだ。
「ジジさん、今回はどんな香油をお探しで?」
リンネがそう訊ねると、ジジはニタッと笑って答える。
「香りの良い物ならなんでもさ。まぁ、予算に限度はあるけれどね」
「調香師のお仕事も大変ですね」
ジジとリンネがそんな話をしている間に、ミカエルが研究室から一抱えほど有る木箱を持ってきた。その箱はいかにも使い古されていて、角は擦れて丸くなり、飴色になっている。
「今回用意できるのはこんな感じだね」
そう言って箱をテーブルの上に置き蓋を開けると、瑞々しくも気怠い芳香が立った。中に入っているのは、口をコルク栓できつく閉められた、いくつもの遮光瓶だ。
それを見てジジが面白い物を見たという顔をする。
「相変わらず品揃えが良いね。でも、どの瓶がどの香油かなんて、印は付いていないんだろう?」
ミカエルもにこりと笑って返す。
「勿論さ。僕達が使うようなラベンダーやローズマリー、薔薇の香油はともかくとして、他の香油は何だかわからないようにして置いた方がいい」
続いて、リンネがふくれっ面をして口を開く。
「珍しい香油だと勝手にもってっちゃう人がいるんですよね」
「はっはっは。一体何なのかわからなければ、持っていく人はいないのかねぇ?」
「使いすぎると毒になる物も混じってるって、先生が釘を刺してからは持っていかなくなりましたね」
話をしながら、ジジはミカエルに許可を得て香油の香りを聞いている。リンネが言っていた通り、ジジは調香師だ。香りを聞いただけで、知っている物であればどれがなんの香油だか判別することが出来るのだ。
「何かめぼしい物はあるかい?」
テーブルに肘をつきながらミカエルが訊ねると、ジジは持っていた瓶をコルク栓で閉めながら笑う。
「これなんか、なかなか珍しくていいじゃあないか。コルク栓を嗅ぐまでもなく強いし、甘い香りだ。
ご婦人方がお気に召すだろうよ」
その言葉に、リンネは宙に漂う香りを嗅いで納得した様な顔をする。
「なるほど、これは確か……ガガイモ科の花でしたよね。夜になるととても香る花なんです」
この香油を精製したのはミカエルだ。なので、リンネが正確な名前を訊こうと視線を送ると、ふいっと目を背けてしまった。どうやらミカエルも、この花の名前は知らないらしい。
一方、ジジは驚いた様子でこう言った。
「ガガイモ科で夜に香る花というと、東の方の国で採れる『イエライシャン』と言う花かな? まさかこの国でお目にかかれるとは」
イエライシャンと呼ばれる花に興奮気味のジジに、ミカエルがこの香油を作った経緯を話す。
「実はね、うちの庭に知らぬ間に茂っていてね。抜いて捨ててしまおうかとも思ったのだけれど、いい香りだから一応香油にしたんだ。
気に入って貰えて良かったよ」
「それはそれでお前さんの庭の生態系は大丈夫なのかな?」
三人で話をしながら香油の取引をする。結局、ジジは箱の中に入っていた香油の半分より少し多い位を買い取った。
取引が一段落した所で、リンネがジジに訊ねた。
「ところで、今回はどれくらいこの村にいる予定ですか?」
この村に宿は無い。なので、ジジが泊まるとしたらこの家くらいの物だ。それをわかっていてか、ジジはこう返す。
「お前さん達が良いって言うなら、ひとつきほどいさせて貰いたいね」
「それは構わないよ。君は宿代も払ってくれるし、ひとつきあれば君がいつも買っていく豆の香油も採れるしね」
「おっ、そいつぁありがてぇ」
ジジとミカエルで言葉を交わして、今度はジジが、ミカエルはいつ街に行くのかを訊ねる。
「予定としては、半年後だよ」
ミカエルは、錬金術師としてパトロンが付いている。そのパトロンへの定期報告として、半年に一度は街に出なくてはいけないのだ。それ以外にも、医者として街に呼ばれることもあるけれど、それは稀な例だ。
ミカエルもリンネも、香油を売りながら様々な街へ行くジジから、村の外の話を聞く。その話の中には流行病に関することも有ったけれど、どうやらここ数年は死に到るような病は流行っていないそうだ。
その事に安心していると、気がつけば夕食時。今日はジジが来たのだからと、少しだけ豪華な夕食を、リンネが用意し始めた。
「やあやあ、久しぶり」
そう言って玄関の前に立つのは、毛先に行くにつれて臙脂色から水色へと色の変わっている癖っ毛で、一見質素だけれども作りの良い服を着た男だ。
ノックと掛け声を聞いて玄関を開けたリンネが、嬉しそうな声を上げる。
「ジジさん、お久しぶりです!」
ジジと呼ばれた男は、胡散臭くは有る物の嬉しそうな笑みを浮かべて言葉を返す。
「久しぶりだねぇ。君もミカエルも元気にしてるかい?」
「おかげさまで僕も先生も元気です。
先生に用があるんですよね? 中へどうぞ」
「はいはい、お邪魔しますよっと」
大きな鞄を持ったまま家の中に入るジジを見て、昼食を食べて眠そうな顔をしていたミカエルの表情が明るくなる。
「おや、久しぶりだね。また香油を買いに来たんだろう。どうぞ座って」
「その通りさ。それじゃあ失礼して」
部屋の中心に置かれた大きなテーブル。そこに据えられた椅子のうち一脚にジジが腰をかける。その倚子は普段ミカエルもリンネも使っていない物で、偶にやってくるジジだけが、その倚子に座るのだ。
「ジジさん、今回はどんな香油をお探しで?」
リンネがそう訊ねると、ジジはニタッと笑って答える。
「香りの良い物ならなんでもさ。まぁ、予算に限度はあるけれどね」
「調香師のお仕事も大変ですね」
ジジとリンネがそんな話をしている間に、ミカエルが研究室から一抱えほど有る木箱を持ってきた。その箱はいかにも使い古されていて、角は擦れて丸くなり、飴色になっている。
「今回用意できるのはこんな感じだね」
そう言って箱をテーブルの上に置き蓋を開けると、瑞々しくも気怠い芳香が立った。中に入っているのは、口をコルク栓できつく閉められた、いくつもの遮光瓶だ。
それを見てジジが面白い物を見たという顔をする。
「相変わらず品揃えが良いね。でも、どの瓶がどの香油かなんて、印は付いていないんだろう?」
ミカエルもにこりと笑って返す。
「勿論さ。僕達が使うようなラベンダーやローズマリー、薔薇の香油はともかくとして、他の香油は何だかわからないようにして置いた方がいい」
続いて、リンネがふくれっ面をして口を開く。
「珍しい香油だと勝手にもってっちゃう人がいるんですよね」
「はっはっは。一体何なのかわからなければ、持っていく人はいないのかねぇ?」
「使いすぎると毒になる物も混じってるって、先生が釘を刺してからは持っていかなくなりましたね」
話をしながら、ジジはミカエルに許可を得て香油の香りを聞いている。リンネが言っていた通り、ジジは調香師だ。香りを聞いただけで、知っている物であればどれがなんの香油だか判別することが出来るのだ。
「何かめぼしい物はあるかい?」
テーブルに肘をつきながらミカエルが訊ねると、ジジは持っていた瓶をコルク栓で閉めながら笑う。
「これなんか、なかなか珍しくていいじゃあないか。コルク栓を嗅ぐまでもなく強いし、甘い香りだ。
ご婦人方がお気に召すだろうよ」
その言葉に、リンネは宙に漂う香りを嗅いで納得した様な顔をする。
「なるほど、これは確か……ガガイモ科の花でしたよね。夜になるととても香る花なんです」
この香油を精製したのはミカエルだ。なので、リンネが正確な名前を訊こうと視線を送ると、ふいっと目を背けてしまった。どうやらミカエルも、この花の名前は知らないらしい。
一方、ジジは驚いた様子でこう言った。
「ガガイモ科で夜に香る花というと、東の方の国で採れる『イエライシャン』と言う花かな? まさかこの国でお目にかかれるとは」
イエライシャンと呼ばれる花に興奮気味のジジに、ミカエルがこの香油を作った経緯を話す。
「実はね、うちの庭に知らぬ間に茂っていてね。抜いて捨ててしまおうかとも思ったのだけれど、いい香りだから一応香油にしたんだ。
気に入って貰えて良かったよ」
「それはそれでお前さんの庭の生態系は大丈夫なのかな?」
三人で話をしながら香油の取引をする。結局、ジジは箱の中に入っていた香油の半分より少し多い位を買い取った。
取引が一段落した所で、リンネがジジに訊ねた。
「ところで、今回はどれくらいこの村にいる予定ですか?」
この村に宿は無い。なので、ジジが泊まるとしたらこの家くらいの物だ。それをわかっていてか、ジジはこう返す。
「お前さん達が良いって言うなら、ひとつきほどいさせて貰いたいね」
「それは構わないよ。君は宿代も払ってくれるし、ひとつきあれば君がいつも買っていく豆の香油も採れるしね」
「おっ、そいつぁありがてぇ」
ジジとミカエルで言葉を交わして、今度はジジが、ミカエルはいつ街に行くのかを訊ねる。
「予定としては、半年後だよ」
ミカエルは、錬金術師としてパトロンが付いている。そのパトロンへの定期報告として、半年に一度は街に出なくてはいけないのだ。それ以外にも、医者として街に呼ばれることもあるけれど、それは稀な例だ。
ミカエルもリンネも、香油を売りながら様々な街へ行くジジから、村の外の話を聞く。その話の中には流行病に関することも有ったけれど、どうやらここ数年は死に到るような病は流行っていないそうだ。
その事に安心していると、気がつけば夕食時。今日はジジが来たのだからと、少しだけ豪華な夕食を、リンネが用意し始めた。
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