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日ノ本の歴史 中世編
中世の日ノ本 文字の確立
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古代の日本に文字があったか。
これは、お爺ぃとしては、結論の出ていない、考古学への課題である。
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「文字」は、人が話す「言葉」を“意匠”したモノである。
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文字としてはともかく、「描き手の意志」を伝達するための“意匠”はあった、沖縄や奄美の刺突は、意味を持つ“意匠”がされていて、意志の伝達は可能であったと考えられる。
しかしながら、刺突は、言葉そのものを記録するための、文字と言う性格をしていない。意味合いとしては、白地に赤丸の旗をあげれば、日本の国旗と認識できる。つまり、「日本」という国に所属しているんだなという、意思を相手に伝達する手段にできる。これが、縄文期の刺青が持っていた性格である。
「徴」は、青色で〇+▽と赤色で〇+△を描けば、トイレを示す「絵記号」を示すことができる。これは、「書き手と受け手」が共通な「対象イメージ」を共有していて可能な伝達手段となる。
「徴」がピクトグラムのような、「対象のイメージ」を伝達するモノであれば、日ノ本でも確立されつつあった。おそらくは、文字に近い形にまで、完成しつつあったことは、確かなのだろうと思う。
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日ノ本の文字が確立されたのは、漢字を国字とし、万葉仮名を生み出したことにある。
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日ノ本では、漢字の輸入と、万葉仮名の導入が、早期に実現されている。これは、陸奥から薩摩までを国府として、情報伝達を事務処理としておこなう必要からである。また、弥生期から古墳期にかけて、大規模土木工事を実行するために、“漢字”が使われたのは、技術系の渡来人との一定の意思伝達を行うためであった。
万単位の人員を動員し、大規模の土木工事による墾田開拓が、国家事業として推進された。大規模土木事業が推進できたのは、渡来人による技術伝搬の結果であり、彼らが“漢字”文化圏から来たことは間違いない。
日本人が、“漢字”を受け入れやすかったのは、漢字が意味を持つ意匠をしていたからである。江戸期の絵双紙では、悪人の絵には“悪”と描かれていて、善人の絵には“善”と描かれている。これは、文字を記号として、使って意志を伝達する意匠である。
“漢字”は、刺突が持つ、「描き手の意志」を伝達するための“意匠”でもあったのだ。絵の中で、「悪」と服に描けば、「悪人」を示し、「善」と服に描けば、善人を示せるのは、「描き手と受け手の意志」が、“漢字”を介して伝達できるからである。
おそらく、日本の古代文字は、日本古来の“言霊”という考え方から、音韻を伝達する場合に、秘匿する必要があった。悪しき事を記録すれば、“言霊”が悪しき事を生み出してしまう可能性があった。ケルトが文字を持たない文化であったのは、古代日本と同じように、“言霊”を信じていたことで、「記録する」行為に対して恐怖があったと考えられる。
日本固有の“意匠”を文字とせず、外来文字である漢字を文字としたのは、漢字圏から来た渡来人が多かったことにあった。人を大量に動員して、動かし土木工事を推進するには、漢字圏から来た渡来人の規約を確立させる必要があった。また、日本で使われた“徴”は、人が話す「言葉」に「言霊」を載せて“意匠”したもので、使用することそのものに制約があったと考えられる。
漢字であれば、国字としても、日本の文字ではないから、「言霊」の影響は受け難い。そう判断したことも、漢字が国字となった理由だろう。
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“漢字”の国字化は、国家事業であった。
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国分寺の設立と、地方における漢字教育は、国家事業としての情報教育として実行された。「行基」達のグループによる、地域福祉が、あたかも車の両輪となるように、伝達推進されていった。漢字や万葉仮名が、一般の人々にも知られて、使われるようになったのは、現在の日本人歌手が、歌詞の中に外国語を混ぜるようなものである。
「音読み」「訓読み」という読み方に違いが生まれたのは、歌詞に外国語を混ぜるための、技法のようなモノだろう。
これは、お爺ぃとしては、結論の出ていない、考古学への課題である。
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「文字」は、人が話す「言葉」を“意匠”したモノである。
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文字としてはともかく、「描き手の意志」を伝達するための“意匠”はあった、沖縄や奄美の刺突は、意味を持つ“意匠”がされていて、意志の伝達は可能であったと考えられる。
しかしながら、刺突は、言葉そのものを記録するための、文字と言う性格をしていない。意味合いとしては、白地に赤丸の旗をあげれば、日本の国旗と認識できる。つまり、「日本」という国に所属しているんだなという、意思を相手に伝達する手段にできる。これが、縄文期の刺青が持っていた性格である。
「徴」は、青色で〇+▽と赤色で〇+△を描けば、トイレを示す「絵記号」を示すことができる。これは、「書き手と受け手」が共通な「対象イメージ」を共有していて可能な伝達手段となる。
「徴」がピクトグラムのような、「対象のイメージ」を伝達するモノであれば、日ノ本でも確立されつつあった。おそらくは、文字に近い形にまで、完成しつつあったことは、確かなのだろうと思う。
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日ノ本の文字が確立されたのは、漢字を国字とし、万葉仮名を生み出したことにある。
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日ノ本では、漢字の輸入と、万葉仮名の導入が、早期に実現されている。これは、陸奥から薩摩までを国府として、情報伝達を事務処理としておこなう必要からである。また、弥生期から古墳期にかけて、大規模土木工事を実行するために、“漢字”が使われたのは、技術系の渡来人との一定の意思伝達を行うためであった。
万単位の人員を動員し、大規模の土木工事による墾田開拓が、国家事業として推進された。大規模土木事業が推進できたのは、渡来人による技術伝搬の結果であり、彼らが“漢字”文化圏から来たことは間違いない。
日本人が、“漢字”を受け入れやすかったのは、漢字が意味を持つ意匠をしていたからである。江戸期の絵双紙では、悪人の絵には“悪”と描かれていて、善人の絵には“善”と描かれている。これは、文字を記号として、使って意志を伝達する意匠である。
“漢字”は、刺突が持つ、「描き手の意志」を伝達するための“意匠”でもあったのだ。絵の中で、「悪」と服に描けば、「悪人」を示し、「善」と服に描けば、善人を示せるのは、「描き手と受け手の意志」が、“漢字”を介して伝達できるからである。
おそらく、日本の古代文字は、日本古来の“言霊”という考え方から、音韻を伝達する場合に、秘匿する必要があった。悪しき事を記録すれば、“言霊”が悪しき事を生み出してしまう可能性があった。ケルトが文字を持たない文化であったのは、古代日本と同じように、“言霊”を信じていたことで、「記録する」行為に対して恐怖があったと考えられる。
日本固有の“意匠”を文字とせず、外来文字である漢字を文字としたのは、漢字圏から来た渡来人が多かったことにあった。人を大量に動員して、動かし土木工事を推進するには、漢字圏から来た渡来人の規約を確立させる必要があった。また、日本で使われた“徴”は、人が話す「言葉」に「言霊」を載せて“意匠”したもので、使用することそのものに制約があったと考えられる。
漢字であれば、国字としても、日本の文字ではないから、「言霊」の影響は受け難い。そう判断したことも、漢字が国字となった理由だろう。
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“漢字”の国字化は、国家事業であった。
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国分寺の設立と、地方における漢字教育は、国家事業としての情報教育として実行された。「行基」達のグループによる、地域福祉が、あたかも車の両輪となるように、伝達推進されていった。漢字や万葉仮名が、一般の人々にも知られて、使われるようになったのは、現在の日本人歌手が、歌詞の中に外国語を混ぜるようなものである。
「音読み」「訓読み」という読み方に違いが生まれたのは、歌詞に外国語を混ぜるための、技法のようなモノだろう。
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