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World War ? 歴史if
宵闇大陸事情3 「虐殺者:Conquistador」との戦い2
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World Warの課題として、チート国家アメリカがある。コロンブスとやらが、大陸を発見したことそのものは、現在の史実としては間違っている。しかしながら、彼が新大陸に住んでいた者達にとって、虐殺者であり、疫病を運び込んだ殺戮者であったことは、間違いない史実である。
千年皇紀1736年癸丑(ユリウス暦1493年)、インドを夢見て、辿り着いた島で殺され、絶望の中で帰り着いた船のマストに吊るされていた、男の死は、イスパニアを含めて、西欧諸国に衝撃をもたらした。黄金が眠る島へ辿り着いた男、夢半ばで倒れた男の姿は、夢を煽る姿として、投機的掠奪者を産み出したのである。
これが投機的掠奪者始まりの歴史である。
以後、二百年に渡って、投機的掠奪者との闘いが、続いたのである。中南米にイスパニアやポルトガルからの投機的掠奪者によって、掠奪と疫病の蔓延が生じたのである。
インカ帝国の滅亡や、ラス・カサスの報告にあるように、非常に多くの虐殺が行われた時代でもありました。人口が半数を切れば、インフラ整備も不可能となります。どのような部族衆であれ、部族としての体制そのものを維持することが困難になるのが、疫病の蔓延や虐殺による人口減少であります。
ただ、ファーストネイションとの異文化による課題があった。
竜胆の者達も、非常に多くの戦いと殺し合いという一種の虐殺の上に、現状の地位を確保したという経緯があることも事実である。
風習の違いにおける個人所有物という概念の希薄さと、占有権の在り様である。身に着けているモノは、個人の所有物であったとしても、どこかの机の上に置いたものは、個人の所有物ではないという考え方を持っている部族を相手とした場合、栽培している食べ物と自生している食べ物には、区別は存在しないこととなる。つまり、栽培している畑を見た、部族の者達は、自生しているものと認識し、収奪して食べることに罪の意識が存在しないこととなる。
しかしながら、竜胆の者にとっては、そういうわけにはいかない。結果として収奪した者達を死罪とし、ネイションズを殺していったのも確かである。結果的に、畑のある土地を含めて、神の領域として、
ファーストネイションとの課題。非常に厄介な課題となるのが、風習の違いである。特に個人所有物の占有権が問題となった。日本の法律上では、法的な"1"と"0"だけを捉えるならば、物を落とした場合、落とした物の所有権は移動しないが、拾った相手が占有権を持つこととなる。拾った相手は謝礼を請求する権利があり、物の一部を渡さなければ、落とし主は落とした物を取り戻すことはできないということになっている。
小学生の頃に、他愛も無い悪戯のように使われることもあるが、悪用しようとすればできてしまうのが問題となる部分である。
物に対する所有権が、希薄であることが前提となる部族を相手とする場合、船の備品といったものが勝手に持っていかれることがある。これは、個人所有権を確立している者との間では、非常に厄介な交渉となる。
玲や為朝が、結果的に島そのものに、ファーストネイションの上陸を認めなかったのは、この個人所有権の調整が、住民とすることが困難であったためである。
為朝の弓を盗んだ者は、盗んだ罪として斬られている。物を盗んではいけないことであるということを理解させる方法が無かったことにある。これは、土地というモノが、共有財産であるのと同じであった。緊急時については、食料の共有や拠出が行われることと、普段は所有権が無い事について、明確な違いを規定することは難しい。
村に、義倉を設置したが、義倉に食べ物があると、漁や採取といった労働をせずに、義倉の食べ物を食べて暮らす。
後に、どこぞの神に仕える者達が嫌った行為であるが、彼らにとっては、普通の行動である。食料は有限であり、再生産されるまでには時間が必要となる。必要以上に収穫に努力することは、次の収穫を失うこととなる。これは、捕鯨技術が進んだ結果、乱獲が進み種の絶滅が生じてしまう。
『足るを知る』
これもまた重要なことである。
必要以上に収穫することは、土地を痩せさせていくことともつながる。
所有権が希薄であることや、労働意欲が低いことそのものは、知識が未発達ではなく、怠惰ということではない。しかし、所有権を主張し、労働意欲が高いことを欲する者達にとっては、理不尽であり愚かな行為になってしまう。
島から移って来た者達が、夜間のうちに上陸していて、田畑で栽培していたものを自生と同じに扱って、和国から見た場合に収奪した者達は、ネイションズであろうが賊と規定し、切り殺して晒し理由を繰り返し説明した。されど、幾度かの戦が繰り返される中で、結果的には、土地そのものが神域であり、触れてはならぬという結論となった。
千年皇紀1736年癸丑(ユリウス暦1493年)、インドを夢見て、辿り着いた島で殺され、絶望の中で帰り着いた船のマストに吊るされていた、男の死は、イスパニアを含めて、西欧諸国に衝撃をもたらした。黄金が眠る島へ辿り着いた男、夢半ばで倒れた男の姿は、夢を煽る姿として、投機的掠奪者を産み出したのである。
これが投機的掠奪者始まりの歴史である。
以後、二百年に渡って、投機的掠奪者との闘いが、続いたのである。中南米にイスパニアやポルトガルからの投機的掠奪者によって、掠奪と疫病の蔓延が生じたのである。
インカ帝国の滅亡や、ラス・カサスの報告にあるように、非常に多くの虐殺が行われた時代でもありました。人口が半数を切れば、インフラ整備も不可能となります。どのような部族衆であれ、部族としての体制そのものを維持することが困難になるのが、疫病の蔓延や虐殺による人口減少であります。
ただ、ファーストネイションとの異文化による課題があった。
竜胆の者達も、非常に多くの戦いと殺し合いという一種の虐殺の上に、現状の地位を確保したという経緯があることも事実である。
風習の違いにおける個人所有物という概念の希薄さと、占有権の在り様である。身に着けているモノは、個人の所有物であったとしても、どこかの机の上に置いたものは、個人の所有物ではないという考え方を持っている部族を相手とした場合、栽培している食べ物と自生している食べ物には、区別は存在しないこととなる。つまり、栽培している畑を見た、部族の者達は、自生しているものと認識し、収奪して食べることに罪の意識が存在しないこととなる。
しかしながら、竜胆の者にとっては、そういうわけにはいかない。結果として収奪した者達を死罪とし、ネイションズを殺していったのも確かである。結果的に、畑のある土地を含めて、神の領域として、
ファーストネイションとの課題。非常に厄介な課題となるのが、風習の違いである。特に個人所有物の占有権が問題となった。日本の法律上では、法的な"1"と"0"だけを捉えるならば、物を落とした場合、落とした物の所有権は移動しないが、拾った相手が占有権を持つこととなる。拾った相手は謝礼を請求する権利があり、物の一部を渡さなければ、落とし主は落とした物を取り戻すことはできないということになっている。
小学生の頃に、他愛も無い悪戯のように使われることもあるが、悪用しようとすればできてしまうのが問題となる部分である。
物に対する所有権が、希薄であることが前提となる部族を相手とする場合、船の備品といったものが勝手に持っていかれることがある。これは、個人所有権を確立している者との間では、非常に厄介な交渉となる。
玲や為朝が、結果的に島そのものに、ファーストネイションの上陸を認めなかったのは、この個人所有権の調整が、住民とすることが困難であったためである。
為朝の弓を盗んだ者は、盗んだ罪として斬られている。物を盗んではいけないことであるということを理解させる方法が無かったことにある。これは、土地というモノが、共有財産であるのと同じであった。緊急時については、食料の共有や拠出が行われることと、普段は所有権が無い事について、明確な違いを規定することは難しい。
村に、義倉を設置したが、義倉に食べ物があると、漁や採取といった労働をせずに、義倉の食べ物を食べて暮らす。
後に、どこぞの神に仕える者達が嫌った行為であるが、彼らにとっては、普通の行動である。食料は有限であり、再生産されるまでには時間が必要となる。必要以上に収穫に努力することは、次の収穫を失うこととなる。これは、捕鯨技術が進んだ結果、乱獲が進み種の絶滅が生じてしまう。
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島から移って来た者達が、夜間のうちに上陸していて、田畑で栽培していたものを自生と同じに扱って、和国から見た場合に収奪した者達は、ネイションズであろうが賊と規定し、切り殺して晒し理由を繰り返し説明した。されど、幾度かの戦が繰り返される中で、結果的には、土地そのものが神域であり、触れてはならぬという結論となった。
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